【コミカライズ】国を追い出された元聖女ですが、黒豹陛下に溺愛されていたようです
「エリアーヌ・ド・シャロン!」
しん……と静まり返った会議室で、婚約者であるパトリック王太子殿下は私の名を厳しく呼んだ。
「そなたは、聖女として相応しくない行いを重ねた! よって婚約を破棄し、本物の聖女であるルシー・ド・シャロンを新たに我が婚約者とする!」
ビッと私を指差しそう告げると、パトリックの側近がルシーを……私の異母妹を連れて入って来た。
鮮やかな金髪を緩くまとめ、ふんわりとした高級な生地のドレス姿でパトリックの横に立つ。
黒髪ストレートで、神官のようなシンプルな服装の私とは真逆だ。
やはり見た目的に、聖女はルシーだと言われた方がしっくりくる。
それにしても、相応しくない行いとは?
国のため、民のため、日々祈り続けていただけなのに。婚約破棄という言葉より、そちらの方が気になる。
「お姉様、ごめんなさい……。何の能力も持たないお姉様より、私の方がこの国のためになると思ったのです。お父様もその方が良いと……」
ルシーは私に怯えたように言うと、パトリックの服をそっと摘む。
「怯えなくとも大丈夫だ。私がルシーを守るから、心配はいらない」
ルシーの手を包むように握ったパトリックは、ギロッと私を睨んだ。
いったい何から守るのかしら……あっ!
さっきの話と繋がった。
ルシーはお父様に言うように、パトリックにまで自分に都合よく私を悪者にしたのだ。
肩を竦めるわけにもいかないので、とりあえず曖昧な表情をしておく。
そもそも。
代々、聖女が生まれる家系――私がシャロン家の一人娘だから、能力が顕現するかもしれない前提で、年齢の近い王太子の婚約者に選ばれただけ。
パトリックが、私の黒髪を良く思っていないのは知っている。私としても、自尊心ばかりが高くて線が細いパトリックは好みではないもの。
まあ、いつか……こんな日が来るような気がしていた。
ルシーは、いつも私の物を奪って行くのだから。
婚約が決まった数年後にお母様が他界すると、大した期間も空けずにやって来た、継母とその娘ルシー。
私は本邸から追い出され、生活は一変した。
お父様は私を助けるどころか、シャロン家での話を決して王太子にも漏らさないよう釘を刺してきたのだ。
――これでわかった。
ルシーが聖女であるなら、シャロン家の血筋ということ。
つまり、お父様はお母様が生きていた時から、継母と関係を持っていたのだ。母親似の私と違い、ルシーの髪色と瞳はお父様にそっくりなのだから。
ルシーを可愛がりはしたが、王太子の婚約者を私のままにしておいたのは、それを隠すため。
にも関わらず、お父様がルシーを聖女にと認めたということは、決定的な能力が現れたのだろう。
もう、浮気は時効ということなのね。
「私に、異論はございません。婚約を破棄していただきましたら、実家の方へ戻ってもよろしいでしょうか?」
どうせなら、もっと早く解消してほしかった。
成人になるとすぐ王宮に閉じ込められ、妃教育と祈りに明け暮れた日々。自分の時間など無かった。
あんな邸でも、帰ったら今まで出来なかったことを思いきりやりたい。
「……なに?」
私の反応が想像と違っていたのか、パトリックは拍子抜けの表情をする。
「これからは、私が担ってきたことをルシーが行うのでしょう。ですから、一伯爵家の娘である私が王宮から出で行くのは当然かと?」
だから、さっさと会議を終わらせて解放して下さいなっ。と、心の中だけで追加しておく。
「いいや! エリアーヌ、そなたはきっと伯爵家に戻れば、逆恨みからまたルシーに嫌がらせをするに決まっている!」
「嫌がらせ……ですか?」
何のことだかサッパリわからない。
ルシーと継母に嫌がらせされて来たのは、私の方だったのだけど。
でも、伯爵家には私の大切なこたちが居るのだ。
「とぼけても無駄だ!」
「本当にわからないのですが……」
首を傾げた私に苛立ったのか、パトリックは会議室に集まった大臣達に視線を送った。
「元聖女様には、元聖女様しか出来ない御勤めがございます」
パトリックの代わりに話し出したのは、やたら元を強調する大臣だった。主に外交担当をしている侯爵だ。
そんな御勤めがあるなんて。聖女としての在り方を、何年も勉強してきたが知らなかった。
強いて言うなら、シャロン家の娘は王家に嫁に行くか、婿をとりシャロン家に骨を埋めること。聖女の血筋を絶やさないことと、薄めないためだ。
王家に聖女が誕生するのは良しとする、実に勝手な話……。私は長年の悪習だと思っている。
まあ、所詮ただの伯爵家が異論など唱えられない。聖女の可能性のある女児は、稀にしか誕生しないのだから。
「元聖女様は、ドナシール国をご存知でしょうか?」
「ええ、もちろん存じております」
北部に位置する、獣人国。
人間と折り合いの悪かった獣人の移民が集まり、巨大化し国となった。
過酷な環境でも、自然と上手く共存できる彼らだからこそ、国にまで発展したのだろう。有益な鉱山があるのも大きいが。
――ただ。
気候のせいで農作物が育たないため、この国から高額な代金で食料を輸入している。悪く言えば、この国のカモだ。
確か今のドナシールの国王は、マクシミリアン・リュウフワといった。若き黒豹の獣人だとか。
「エリアーヌ様は、ドナシール国の国王陛下に輿入れしていただきます」
――――はっ!?
この髭面は何を言っているのだろうか。
「あの……シャロン家の娘は、この国から出てはいけない筈ですが?」
「ええ、そうですとも! シャロン家のご令嬢でしたらね!」
会議室がざわりとした。
「私は、エリアーヌ・ド・シャロンですけれど……」
生まれも育ちもシャロン家だ。
なのに侯爵は鼻で笑う。
「シャロン家に女児がなかなか誕生しないのは、周知の事実です。それなのに、この代にかぎりお二人も! そして、ルシー様はシャロン伯爵に良く似ている上、聖女様の持つ癒しの力を顕現された。対して、エリアーヌ様は長女のはずなのに、伯爵に似ておらず能力もありません」
「それが、いったい?」
能力の無い者の方が多いのだから、不自然ではないはず。
「おっと……まだお気づきになりませんか。以前、伯爵家には黒髪黒目の使用人が居たそうですね」
だんだんと、侯爵の言いたいことがわかってきた。
「ハッキリ申し上げましょう! あなたは母親の不貞で出来た娘。シャロン家の血を引いていないのです!」
会議室が騒然となる。
頭に来すぎて眩暈が起こりそうだ。
「失礼ですっ!! 何の根拠にその様なことをっ――」
私のことは構わないが、お母様を侮辱するのは許せない。
「こちらに! 伯爵夫人と通じていた使用人の、告白文がございます」と、侯爵は私にそれを見せた。
確かにそれっぽいことが書かれているが、こんな物はいくらでも偽造できる。
だが、問題は――父親であるシャロン伯爵が認めてしまったということだった。
……私エリアーヌを、自分の娘ではなかったと。
「シャロン伯爵家の名誉のためにも、お姉様はこの国から出て行って下さいませ。歴代の聖女録には、偽者は載せられませんもの」
いつの間にか私の隣にやってきたルシーは、楽しそうにそっと囁く。
すると今度は突然、声を張った。
「お姉様! 私はお姉様を、本当の姉だと信じております。ですがっ。お姉様がこの国に残り、事実が公になりでもしたら……きっと、世間から針の筵にされてしまいますっ」
言葉が出なかった。ルシーは心配する振りをして、私が出て行かなければそれを広めると含ませているのだ。
私の手をとり、涙をこぼすルシー。その表情に、ゾッと鳥肌が立つ。
「ルシーは正に聖女だな。幸い、向こうは獣人といえど国王だ。偽聖女……いや、元聖女には勿体ないくらいの好条件だろう」
「ドナシール国は、このことを……」
「もともと聖女の居ない国だ。婚約破棄されたエリアーヌでも、聖女の血筋が欲しいのだろう。父上もそなたが国を出ることを認めて下さっている。……まあ、偽かもしれないということは、そなたの名誉のために伏せてあるが」
青褪める私に、パトリックは事もなげに言う。全て、決定事項だった。
「民も、ルシーという素晴らしい聖女が現れたのだから、無能が居なくなっても気にもしないだろうしな」
「ああ。それと、お姉様……。以前、お姉様が住んでいました離れの邸は、取り壊して素敵な温室と庭園にしましたから。帰っても、住む場所はありませんが……良かったら、出発前にお庭をご覧になってくださいませ」
「まったく、ルシーは優しいな。エリアーヌ、一度だけ伯爵邸に戻り、支度を終えたらドナシールへ向かうように」
パトリックはルシーを抱き寄せると、近衞騎士に私を会議室から追い出させた。
私はふらつき、壁に手をつく。ルシーの言葉が頭の中でグルグルまわる。彼女達は、私が大切にしていた物を知っていたのだ。
――離れが、庭園に……。
目の前が真っ暗になった。
◇
「こんな日にも、良いお天気なのね……」
誰に言うわけでも無いが、私は声に出して呟いた。
晴れ女のせいか、鬱鬱とした気分でも空は晴れ晴れと私を送り出す。
誰も見送りに出て来ない身内より、空の方がよほど優しい。
それなりの見栄えのする馬車に揺られ、ドナシール国へ向かった。窓から見える景色に、少しだけ感傷的になってしまう。
ルシーの言っていた通り――。
私の住んでいた場所は建て直され、手入れされず草木が生い茂る森のようになっていた庭は、美しい薔薇の庭園になっていた。
あの森みたいな庭には、勝手に住みついた動物が沢山いたのに。
……私の大切な友達。
どんなに辛くても、あのモフモフたちが時々やって来ては、私を慰めるように一緒に居てくれた。
それなのに薔薇の庭園になった今、動物の気配は全くなくなっていたのだ。
使用人に確認したところ、顔を顰めさせつつも教えてくれた。私が王宮へ向かった日から徐々に動物は減り、業者がやって来る頃には何も居なくなったと。
特に仲良しだった黒猫と鷹は賢いから、みんなを誘導してくれたのかもしれない。
「どこかに、いい住処を見つけられたかしら?」
もう一度呟く。
こう言っては何だが、自国に思い入れは全くなかった。心残りは、動物たちの安否と、お母様のお墓参りが簡単に行けなくなってしまったことくらいだから。
頭を切り替えドナシール国について考えることにした。
アルヴィエ王国とは違い、世襲制ではないドナシール国の情報は少ない。獣人である民が選んだ実力がある者が、国王になると書物で読んだ。
「獣人の国……」
人の姿に生えた、ケモ耳とシッポ……。想像するだけでダメだ。可愛すぎて、自分を抑えられるか心配になってくる。
あああ――……! モフりたいっ!!
だって王宮に居た時は、全く動物と触れ合えなかったのだもの!
◇
出発してから数日間、馬車の中で過ごした。
獣人への下心でいっぱいになった頃、ようやくドナシールへの国境を抜けたようだった。
やはり、こちらでも晴天が私を迎えてくれる。
馬車が大きな門を抜け、王都らしき場所へ入ると驚くほど賑わっていた。
「え……嘘でしょ」
様々な種のケモ耳獣人たちは、私の馬車を歓迎しているのか手を振り歓喜の声を上げている。
たぶん、聖女が来ると聞かされているのだろう。
嬉しさの反面、背筋が寒くなる。私は、お母様の無実を信じているが……。
――もし。
私が、偽の聖女だと耳に入ってしまったら。彼らは幻滅し、私を嫌悪するのではないかと。
だから、窓を開けて手を振るなんて出来なかった。
遠くからでも目立っていた青い城の中へ入ると、ようやく馬車は止まる。
扉が開かれ、白髪混じりの執事がお辞儀していた。
髪の間に、垂れた黒い耳が見える。どうやら犬獣人っぽい。
「エリアーヌ聖女様、ようこそお越しくださいました」
聖女という言葉に胸がチクリとする。
執事の名はデュークといった。
馬車の中に侍女の一人も居ないのを見て、耳が後ろに動く。ほんの一瞬、眉根を寄せるがすぐに笑顔になり、騎士の方を向いた。
ズラリと並んだ使用人や騎士の中から、茶髪の厳つい騎士が前に出ると、私の手を取り馬車から下ろしてくれる。
耳は無かったが、背中には閉じられた翼があった。
あ、鳥獣人なのね。
そのままエスコートされ、私が使う部屋まで案内された。旅の疲れを取るようにと湯浴みの準備がされ、身だしなみを整えてからの謁見になるようだ。
軽食も用意され、至れり尽くせりだった。
猫らしき耳とシッポのメイドたち。嫌な緊張さえなければ、ウハウハな状況なのにと小さく溜め息を吐いた。
陛下は、どこまで知っているのだろうか。
私を希望してきたくらいなら、婚約が破棄されると調べ上げていたはず。
だとしたら、シャロン家についても……。
不安な足取りで、執事について謁見の間に向かった。さっきの、鳥獣人の騎士も一緒に。
重い扉が左右に開かれると、中に入るのは私と騎士だけ。デュークはにこやかに見送ってくれた。
正面には立派な玉座が。けれど、誰も座っていなかった。
――――え?
確かに陛下は中で待っていると聞いていたのに。
聖女の挨拶をすべく曲げていた膝を伸ばし、パッと騎士の方を向く。
その矢先、背後から私は誰かに取り押さえ……いや、抱きしめられていた。
「――ひゃあっ!!?」
な、何が起こっているのか理解できない。
「おいおい、陛下。もう少し我慢したらどうだい?」
太く低い声で騎士は呆れたように言う。
というか、言葉使いがおかしい。相手は国王なのに……ん?
「へ……陛下っ!?」
「どうだ、エリアーヌ驚いたか?」
驚くも何も。私をビックリさせようと、隠れていたのだろうか?
……理解不能。いきなり、そんなお茶目さを披露されてもパニックでしかない。
「そなたに再会する日を、どれほど待ち焦がれていたことか……」
真後ろから聞こえる声。背後から抱きしめられているせいか、顔は見えない。
「さ、再会ですか??」
私は伯爵邸では離れに、王宮では聖女用の宮でずっと過ごしていた。出会った男性は、数えるほどしか居ないのだ。
「……以前のように、マックスと呼んでくれ」
はい? マックス? えっと……
「その前に、離していただけませんか?」
「思い出すまでダメだ」
くっ!
沸騰しそうな頭をフル回転させる。
そんな名前の男性には会ったことなどない。
現在の獣人の国王陛下の名は、マクシミリアン。愛称がマックスだとしても、面識は無い。
――ん?
ふと思い当たる存在が浮かぶ。賢くて可愛いイタズラっ子。
「まさか……あのぉ、黒猫のマックスですか?」
「……黒……猫?」
陛下の声色に、しまったと焦る。答えを間違えたのかと、あたふたすると
「ぶはっ! ……傑作だな」
耐えられないと笑い出したのは、またしても不敬な騎士。茶色い大きな翼を小刻みに揺らす。
その羽に、見覚えがあった。
「あなたは、鷹のライオネル!」
騎士は堪らないとお腹を抱え、更に笑い出す。
「思い出してくれて嬉しいよ……エリアーヌ聖女様……」
じゃあ、やはり――。
体を捻り、猫耳を確認しようとチラッとだけ陛下を見上げる。
もの凄く不機嫌そうではあったが、整った顔が間近にあり慌てて前を向く。パトリックよりワイルドな美丈夫。心臓が跳ね上がるかと思った。
ケモ耳は……無い。
「酷いな、エリアーヌ。ライオネルを先に思いだすとは。それに、俺は猫ではない」
「で、でも……! 初めて会った時に、確かニャアーって鳴きましたよね?」
「あれはっ、エリアーヌを怖がらせないためだった。姿だって、子供の頃のサイズにしていたしな!」
この状況でしている会話の違和感が凄い。
陛下もそれに気付いたのか、腕が解かれ体が自由になる。
「これが本当の姿だ!」
陛下が一瞬で姿を変えたのは、艶のよい真っ黒な毛並みの、とても大きな豹だった。
「――かっ、カッコいい!」
『そうだろう』と鼻先をツンと上げ、どうだと言わんばかりに長く太いシッポを動かす。
その仕草も可愛いぃっ!!
マックスだと思ったら、無意識に抱きつきモフってしまう。膝の上に乗る猫サイズのマックスも良かったが、大きな黒豹の筋肉質な肉体が、また何とも……。
暫くそのまま堪能させてもらった。
ああ、最高――……。
◇
私の欲望モフモフタイムが終了すると、晩餐をしながら国のことや自身の話をしてくれた。
騎士団長でもある鷹のライオネルは、マックスの幼馴染で、二人の時は砕けた口調にしているそうだ。
たまに、鷹に捕獲された子供の黒豹の振りをして、人の目を欺き移動することもあるのだとか。
国王が獲物の振りってどうなの……と思ったけれど、ちょっとだけ見てみたい気もする。
食事が終わると、私は一番気になっていたことを尋ねた。
「ところで。なぜ、国王陛下の……マックスが、他国である私の家に居たのでしょうか?」
人間の姿の、それも飛切り美男子の国王陛下を、マックスと呼ぶのは流石に抵抗がある。
国王クラスの獣人は、完全な人の姿と獣姿を使い分けるらしく、ケモ耳とシッポは無い。
だから、どうしても緊張してしまう。
けれど、マックスと呼ばなければもうモフらせないと言うので、仕方なく呼ぶことにした。
私が呼ぶ度に、満面の笑みを浮かべるのでドキドキしっぱなしだ。
「ああ、それは……。シャロン家に、本物の聖女が生まれたと、情報が入ったからだ」
「本物ですか?」
「語弊があったな。本物の聖女の力を持った者が生まれたということだ」
「私に聖女の能力はありませんよ?」
「いいや、ある。現に、エリアーヌがこの国に入ってから、ずっと晴れている」
意味が分からない。
「私が、ただの晴れ女だからでは?」
「それが凄いことなのだ。この国は、常に厚い雲に覆われていて晴れ間は出ない。エリアーヌの天気を操る力で、ようやく太陽が顔を出した」
「ま、待ってください! 私にそんな力はありませんよ」
慌てて否定する私に、マックスは執事に何かを持って来させた。かなり年季の入った本。
「それを読めば、全てを理解できるだろう」
◇
私は部屋に本を持ち帰り、じっくりと目を通していく。これは、誰かの手記だった。
その中には、初代聖女について記されている。
――初代聖女は、異世界から召喚された、黒髪黒目の少女。
初耳だ……。
アルヴィエ王国の歴史書には外見は記載されていない。むしろ、お父様のような髪色や珍しい瞳の色が、聖女の血筋であると信じられていた。
――聖女は人々を治癒する力があり、その他……最も大きな能力は天候を操れる。
やはり、これもアルヴィエ王国では知られていない。
読み進めるうちに理由が分かった。
この手記を残したのは、聖女に仕えていた犬獣人。
聖女とその夫となった国王に、とても良くしてもらったとある。
なんでも、聖女が召喚される前に家族だったという『黒ラブちゃん』に自分がそっくりだったからだと。
しかし。
他の王族によって聖女の真実は隠され、いつしかシャロン家に聖女の血筋を管理させるようになった。
天候を操れる聖女の存在が知られれば、どの国もこぞって聖女を手に入れようとする。良く言えば、それから守るためだが……。
長命な犬獣人は、聖女と国王が崩御した後も仕え続けたが、次代以降のアルヴィエ国王は私利私欲に満ちた君主になって行ったのだと。
その後……獣人迫害にあい、国を去ったのね。
その先に記されているものは、あくまでも外から見た憶測だった。
たぶん、王家はその代の君主によって、シャロン家と共に聖女についての解釈を、自分たちに都合よく少しずつ歪めていったのだろうと。
――未だ、初代聖女ほどの力を持つ者は、生まれていない。
最後にそう記されていた。
パタリと手記を閉じ、頭を悩ます。無能と言われた私に……本当に天候を操れる力があるのだろうか?
すると突然、扉がノックされる。
やって来たのは、国王陛下のマックスだった。
「どうされたのですか?」
「それに書かれていない、俺の真実を伝えようと思ってな」
「あの……出来ましたら、黒豹の姿でお願いしても?」
夜着のマックスの姿に目のやり場に困る。それに……私は純粋にモフりたいっ!
プッと笑うマックスは、希望を聞いてくれた。大きなベッドにゴロンとするマックスに、もたれ掛かるようにして、ふかふかの毛並みを堪能する。
『真実と言うのはだな……おいっエリアーヌ、触り過ぎだっ』
「あ、すみません」と少しだけ離れる。
ゴホンと咳払いした黒豹マックスは、シャロン邸を訪れた理由を教えてくれた。
一番は、執事デュークのため。手記の犬獣人は、デュークの祖先で代々引き継がれて聖女を見守っているのだとか。仲間の動物の手を借りて。
そして、私の存在を知りマックスに報告した。
マックスとライオネルは、それを確かめに来たのだ。
そこで私の境遇を知ったと。
『聖女として王宮で大切にされ、エリアーヌが幸せになっていたら……俺たちは見守るだけに留めておいたのだ』
なのに婚約破棄。その上――
この国へ嫁げなかったら、シャロン家で――私は謎の病死を遂げるはずだったらしい。
継母とルシーの顔が脳裏に浮かぶ。そこまで憎まれているとは思いもしなかった。
「マックスは、私を助けてくれたのね」
『ああ。それに……』
少しだけマックスは口ごもる。
「あ! もしかして、聖女の力が必要だから?」
『な、違っ! それはだなっ、俺が……エリアーヌとずっと一緒に居たかったからだっ』
「それって……まさか、私のことを好」
マックスは照れたのか、言葉を遮るようにベロンと私の顔を舐めた。
『そうだっ、俺はお前を愛している! だから、幸せにしたい』
「うそ………」
『本当だ! たとえ聖女じゃなくても、俺はエリアーヌのためなら何でもする』
国王陛下であるマックスが、長期にわたり国を留守になんて出来ない。
だから、マックスは……黒豹とはいえ、この離れた国から何度も何度も走って、私に会いに来てくれていたのだ。庭に住みついていたのではなかった。
目頭が熱くなる。
お母様が亡くなってから、これほど私自身を想ってくれる人などいなかった。
『エリアーヌ……人の姿に戻っていいか?』
「……それは、だめ……です。もうちょっとだけ、人の姿に慣れてからに」
『な、なぜだ!?』
「だって……」
一目惚れして上手く喋れないと伝えると、マックスはこの上なくご機嫌でモフらせてくれた。
◇
結婚式も無事に済み、私がドナシール国で過ごすようになると、聖女の力が本当に顕現した。
ただの晴れ女だと思っていたが、水が必要だと祈れば雨が降り、日差しが必要であれば太陽は輝く。
北部の寒い地域であっても、恵まれた環境は土や植物を育て、食糧もたくさん取れるようになり国は潤った。
シャロン家を監視し続けているデュークによれば――。
ドナシール国とは反対に、アルヴィエ王国ではずっと雨季のような雨が続いているそうだ。川は氾濫し、日は全く差さず、食糧難に陥ったと。
国王は病に倒れ、パトリックが即位したが……。
国民のためを思い、ドナシールから支援の打診もしたが、プライドからかパトリックとルシーは断ってきた。
当然、国民の不満は王家と聖女に向く。
聖女で王妃のルシーは、役立たずの聖女どころか、厄災の聖女と呼ばれているそうだ。夫婦仲は最悪で、常に喧嘩が絶えないらしい。
――国の崩壊は目前だった。
「ルシーには天気を操れる能力はなくても、聖女の力はあったのだから不思議ですね?」
なぜ元国王の病は治らず、祈りも届かないのだろうか?
聖女のいない時代でも、こんな災害は起こっていない。
『ああ、ルシーは聖女の血筋ではないからな』
日向ぼっこをしながら、マックスは答える。
「え? でも、癒しの能力とか……」
『魔法の長けた国であれば、かすり傷を治す程度、聖女じゃなくとも使える者はいる』
えっ! ……かすり傷!?
それでは病気は治らなくて当然だ。
「けれど、ルシーの髪や瞳はお父様にそっくりですよ!?」
『アルヴィエ王国には少ないが、他国では珍しくもなんともない』
この国の獣人は、様々な国から集まっているため、他国について詳しかった。
更に、獣人の王であるマックスの情報網は、獣人に限らず普通の動物までと広い。
マックスが、ルシーが聖女の血筋でないと言うならそうなのだろう。
浮気相手の継母が、更に浮気していた可能性。したたかな彼女は、似た外見の相手を選んでいたのかもしれない。
「だからといって、ここまでの雨は酷いですね」
『本物の聖女を害そうとし、祈りに邪心があれば天も怒るだろ』
「では、ルシーが民のために祈りを捧げれば」
『ああ、可能性はなくもないと思うが』
そして、マックスはアルヴィエの国民ために、いつでもドナシールは受け入れる準備はあると言った。
現に、アルヴィエ国から獣人を差別しなかった民が移住して来ている。
「ありがとう、マックス」
その心遣いが嬉しくて、黒豹のおでこにチュッとするつもりだった。――がっ!
私の唇の着地地点は、人間マクシミリアン陛下の唇。
――――ひやぁぁぁぁっ!!?
「いいかげん、慣れてもらうぞ!」
「は……はいぃ」
黒豹陛下は私を抱え、もう一度唇を落とした。
おしまい