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2023.07.31 加筆修正
もうすぐクリスマス。
街中は赤と緑のディスプレイに溢れ、どこもかしこもクリスマスソングが流れている。
初めて作った企画書は思いのほか評判が良かったけれど、まだどうなるかは分からない。
とりあえず動き始めるのは年明けになるだろう。
クリスマス・お正月戦線のため、会社としては今は新商品の開発よりも既存商品の売上に力を入れる時期なのだそうだ。
更に忘年会と称した飲み会も多い。まだ営業部だった頃の名残のお誘いもあるから尚更だ。
仕事は定時に終わるけどその後まっすぐ帰れない日が増えた。土日に誘われないだけマシと思うしかない。
十二月上旬の土曜日。サテライトの中をクリスマスの装いに替えた。その日の営業を終えてからなので夜の作業だ。
店の壁に飾られた由恵の描いた冬のイラストは、雪の中の白いクロッカスで全体的に白い中に葉っぱのグリーンが差し色になっている。いつも描き込んでいるコロボックル達も緑色の服を着ていた。
普段のサテライトならそれでいい感じだけど、赤と緑のクリスマスカラーでディスプレイすると完全に埋没してしまうだろう。
昼の内に友久と由恵と僕の三人で相談して、いっそうのこと赤は使わず、緑、白、金で飾り付けようとなったのでコンセプトに合うものを色々と買い込んできている。
実際に飾り付けをするのは僕と友久の二人だ。由恵はしーちゃんのお世話で忙しいから口だけ出していく係なのだ。
白いクリスマスツリーに緑のオーナメントと金色の星。
テーブルには深緑のテーブルクロスを掛けて、カウンター席にも同じく深緑のランチョンマットを用意している。
窓に雪の結晶をスプレーしたり壁を飾ったりもする。
最後に白い陶器で出来た小さな天使のオブジェを、カウンターの隅とかレジの横とかあちこちに置いた。まるで由恵のイラストのコロボックルみたいだ。
サテライトは喫煙出来ることもあって、あまりメルヘンにすると常連のおじさん達には入りにくい空間になってしまうから、飾り付けも控えめで時間もそんなにかからなかった。
「ただいま」
飾り付けがちょうど終わった頃に、沙恵さんが帰省した。
駅へのお迎えは智恵さんが行っていた。
「凄い!もう終わったんだ?!流石、芸大卒が三人も居ると早いね」
「それが個性のぶつかり合いで時間がかかりそうだったの」
智恵さんの感嘆の声に、由恵がツッコミを入れている。
あまり突っ走ったら常連の敷居が高くなると、僕の意見のほとんどは由恵に却下されたのだ。
制限の元になっている由恵のイラストは外したいとも言ったし、天井から布垂らしたり、各席にキャンドルを置きたいとかも言った。
それに対する由恵の反論は、小さい子が触ると危ないし衛生的に良くないと完全にママ目線だった。
由恵は別れてから僕に対して遠慮をしなくなった。
容赦なく反論してくる由恵も珍しいし、僕に嫌われる事を恐れて言葉を飲み込んでいた時よりはずっと良いと思う。
でも、由恵の「素敵」が少なくなったのはちょっと寂しい。
卒制の時は僕と水奈都が特にぶつかったけど、理路整然と言い返す水奈都と違って、由恵はどちらかというと僕に似ていて直感で喋るから、揉めていたら本当に結論が出ない気がする。それか、友久が由恵の味方する形でまとめて結論となるのかもしれない。
それに実作業をしない由恵なんて、半分クライアント扱いだ。一年半営業部で揉まれて、散々『顧客満足度』と下村さんに自分の意見を飲み込むことも必要だと言われ続けて、自分のやりたい事を抑えるのにも学生の頃よりは慣れてきていた。
飾り付けの出来上がりは悪くない。由恵のイラストもちゃんと共存しているし、クリスマスの雰囲気も出ている。
そもそも由恵はデザインの知識があるから、無難ではあっても悪くなりようが無い。
クライアントがみんな由恵みたいな感じだったら僕も飲み込みやすいのに。
「お手伝いご苦労様。克己もありがとね」
沙恵さんが友久を労って、僕に御礼を言ってくる。
「ん。楽しかったよ」
僕がやりたいと思うからやっているだけで、別に御礼を言われるために作業していた訳では無いけれど、言われて悪い気はしない。
少し由恵と言い合った事も含めて本当に楽しかった。
「そういえば克己に聞きたかったんだけど」
「なに?」
「―――――って店なんだけど知ってる?」
「うん」
それは僕の地元にあるちょっと高級感のあるレストランだった。
「多美ちゃんが来週ここで結婚式の二次会するんだけど、どうやって行こうか悩んでいて」
多美ちゃん……多美子さんは沙恵さんのお誕生日会に来ていた幼馴染だったはずだ。
四月に一度会っただけなので、どんな顔だったか全然おもいだせないけど、確かに二次会の話をしていたのは覚えている。
その会場が偶々僕が住んでいる町にあるレストランだった。
沙恵さんの住んでいるアパートの側の電車は私鉄で、このレストランの最寄り駅はJRの方だ。
僕の家は私鉄とJRの間にあるけれど、乗換駅と言える程この二つの駅は近くではなくて、歩いて二十分くらい離れているのだ。
沙恵さんの家の方は私鉄しか無いので微妙に行き辛い場所になる。
「私鉄の駅からJRの駅まで頑張って歩くかバスかタクシーを使うか、それとも少し反対方向になるけど私鉄でこの駅まで行ってJRに乗換か、かな」
「やっぱりそうなるのね。遠方から来る人からしたら贅沢な悩みかもしれないけど悩ましい」
「あっ、そういえば動物園前からJR駅前までバス出てるよ」
僕が動物園に行くときは私鉄かバイクなので、バスは使った事は無いけど、確かあったはず。
「……バスか。それが一番楽かも」
「僕が送り迎えしようか?」
「ありがとう。でも、当日はワンピースだし髪型もそれなりにセットして行く予定だし、バイクは遠慮しておく」
土曜日で会社も休みだからいい案だと思ったけど、確かに髪をセットしておいてフルフェイスとか無い。
そんな話をしていたから、翌週、二次会に参席しているはずの沙恵さんから、泣き顔のスタンプが届いた時には心配になった。
『何かあった?』と返信しても未読のまましばらく経っても反応がなくて、僕は迷わず母さんの車を借りた。頭の何処かにバイクは駄目だと残っていたのだと思う。
先週行き方を聞かれたレストランの駐車場に車を停めて『本日貸切』というプレートを無視して店内に入った。
入口に居た店員さんらしき女性にも貸切だと呼び止められたけど、僕がそっちを見ると顔を赤くして固まったので構わず中に入っていく。
店内は何かあったようで多くの視線はそちらに注がれていた。
僕も自然とそちらを見ると注目されているのは一組の男女だった。
黒いスーツを着た男性とシャンパンゴールドのAラインのワンピースを着ている女性だ。
いつもと全然違う恰好だったけど僕にはすぐにその女性が沙恵さんだとわかった。
沙恵さんの横に座った男性は、沙恵さんの手を取ると熱心に何かを話していた。沙恵さんも何か言葉を返している。
なんかそれだけで息が詰まって男の言葉も沙恵さんの言葉も耳には入っているはずだけど、会話の内容を理解することは脳が拒否していた。
一瞬、迎えに来ない方が良かった、と思いながら近付けば、沙恵さんの顔色が随分と悪い。
握られた手もそれとなく逃げようとしては何度も捕まえられている。
目もどこか虚ろで体調が悪いということは明白だった。
事情なんて全然知らないけど二人の間に割り込んで沙恵さんに声を掛けた。
「沙恵さん、迎えに来たよ?」
「なんだお前っ」
沙恵さんが目を見開いて僕を見る。
後ろで男が何か言っているけど、近くで見ると沙恵さんは微かに震えていて、とても辛そうだった。
「誰だ!」
「しっ」
大きな声を出すから一瞬だけ振り返って口の前に人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーをする。
僕に気を取られてなのか、沙恵さんの手を掴む男の手が緩まったので、そっと手を抜いて僕の手の中に隠した。
暖房が効いたレストランの中だというのに、沙恵さんの手は指先まで氷のように冷たくなっていた。
「沙恵さん、水もらう?」
もしかしたら頭痛なのかもしれないと、ゆっくりはっきりとそれでいて大きな声にならないように気を付けながら、沙恵さんに尋ねると小さく頷いたので、店員さんに水を持ってきてもらうように頼んだ。
いつの間にか近くに多美子さんも来ている。
「多美子さん、おめでとう。お祝いの席に勝手に入って来てごめんね」
「ううん。ありがとう。……沙恵、体調悪いの気付かなくてごめん」
「私が隠していたから多美ちゃんのせいじゃないよ。それより克己はなんで居るの?」
僕が多美子さんに挨拶しているうちに店員さんからお水を受け取って一息ついた沙恵さんは、少しだけ顔色がマシになっていた。
沙恵さんの質問に僕がスマホをポケットから出して軽く振ると、沙恵さんはパーティー用の小さな鞄から自分のスマホを取り出して、僕とのメッセージを確認した。
おそらく僕からの『何かあった?』というメッセージに今、既読が付いたことだろう。
「…………来てくれてありがとう」
スマホの画面を見ながらはにかんだ沙恵さんを無性にギュッとしたくなった。
思わず伸ばしかけた僕の手を制して、立ち上がろうとする沙恵さんの邪魔にならないようにちょっとだけ後ろに下がる。
そこに居たはずの男性はいつの間にか新郎らしき人に別のテーブル席へ連れて行かれていた。
「……克己」
「何?」
掠れた声で呼ばれたので慌てて沙恵さんを振り返る。
「飲み過ぎちゃった。手貸してほしい」
「うん」
本人の申告通り、踵のあるショートブーツを履いた沙恵さんは足元が覚束無いようでフラフラしていたので、腰を抱いて補助をする。
「多美ちゃん、本当におめでとう。最後まで居れなくてごめんね」
「何言ってんの。もう、早く帰って寝るんだよ」
多美子さんは殊更に明るい声で、沙恵さんが帰るように促した。
入口で沙恵さんが預けていたコートを受け取って着せると外に出る。
外はピリッと痛いくらいの寒さで、沙恵さんを風から守るように身を寄せて駐車場に向かった。
「車で来てるから駐車場まで頑張って」
「うん。大丈夫」
なんとか車まで歩いてもらうと助手席に座らせる。
由恵の好きな少女漫画だとこんな時に颯爽とお姫様抱っこして運ぶのだろうけど、現実でそんな事をしたらまず間違いなく駐車場までは運べない。
下手をしたら店内を出る前に限界になって彼女に恥をかかせてしまうだろう。
背もたれを適度に倒して楽にしてもらうとシートベルトをして助手席のドアを閉めて、僕は運転席へと回り込む。
フロントガラス越しに彼女を見ると両腕で顔を覆っていて表情は分からなかった。
「……サテライトに送るね」
今日は誰かが近くに居た方がいいだろうと思い、そう言ったのだけど、沙恵さんはアパートに送って欲しいと言った。
「……今朝早くにシン君が亡くなったの。多美子のお祝いなのに泣きそうでついお酒を飲みすぎちゃった。笑顔でお祝いしたかったのに」
辛そうに告げられたシン君のことも衝撃だったけど、こんな姿を智恵さんにも由恵にも見せられない、と言うのも衝撃だった。
とても仲の良い家族だと思っていたのに、沙恵さんはこんな時に家族を頼れないというのだ。
一人にするのは心配だったけど、沙恵さんの希望だからアパートへと向かう。
ハンドルを握っていなかったら彼女をギュッと抱きしめたかった。
沙恵さんは、リスザルのシン君の為に泣くことも、結婚したばかりの多美子さんを心から祝うことも、どちらも出来なかった自分を責めていた。
その上、偶然にも新郎の友人として元カレである先輩が来ていてお祝いの場を騒がせてしまった。
アパートに着くまで、どれも沙恵さんが悪い訳ではないのに自分ばかりを責めていて、慰めたいのに何と言葉をかけていいのか分からなかった。
沙恵さんが住むアパートには駐車場が無いので建物の前に路駐する。
駐禁の標識は無いし、部屋に彼女を送ったらすぐに戻って来るから問題ないだろう。多分。
コインパーキングは駅前の方に戻らないと無いし、まだお酒が抜けておらずフラフラしている彼女を長く歩かせたくなかった。
玄関で眠り込まないようにせめて靴を脱ぐまでは、と玄関先で見守っていたけど、先程からショートブーツのファスナーが変に噛んでしまって脱げなくなったようでんんッと声を上げている。
玄関に座り込んでショートブーツと格闘している沙恵さんの前にしゃがむと今にも靴を引き裂くんじゃ無いかという勢いでファスナーを引っ張っている沙恵さんの手をそっと剥がした。
「僕がするからじっとしてて」
そう声を掛けると自分ですることを諦めて素直に両手を床に置いた。
沙恵さんがいくら開けようとしても開かなかったファスナーだけど、軽く閉めてからゆっくりと開けるとあっさりと脱がすことが出来た。
流れで反対のブーツも脱がせて、揃えて玄関の端に置く。
「ほら。脱げたよ?」
沙恵さんの顔を見て伝えれば、急に耳まで真っ赤にして後ろに仰け反った。
「危ない!」
思わず右手を後頭部に差し込んで床にぶつける前に頭を支える。
何とか勢いよくぶつけることは防げたけど、気が付けば沙恵さんに覆いかぶさっているような体勢になっていた。
すぐ近くにある顔は真っ赤なままで、視線は僕の唇を凝視していた。
コクリと沙恵さんが小さく喉を鳴らした音が聞こえて、無性にキスをしたくなった。
その衝動をグッと抑え込んで、僕はそっと沙恵さんの頭を降ろした。
「……そんな可愛い顔をしているとチューしちゃうよ」
沙恵さんの頭から離して空いた右手の人差し指で彼女の唇を軽くツンと突くと、彼女は両手で唇を隠しながら目を伏せる。
僕は再び込み上げてきた二度目の『可愛い』を咄嗟に飲み込んだ。
「可愛いなんて、嘘」
「可愛いよ」
「それはない」
愛おしい、構いたい、キュンとする……あと何だったっけ?
友久が言っていた言葉が頭の中をグルグル回る。
言ってたの全部って感じなんだけど、そうか可愛いって言う人、こんな気持ちだったのか。
目は逸したままなのにムキになって否定してくるとこさえも、ずっと見ていたい。
これ以上「可愛いのに」なんて言っても信じてもらえないだけだから、言い争いを切り上げるために僕は口を噤んで起き上がると、手を貸して沙恵さんも起こしてあげる。
どうやら今ので酔いは完全に吹っ飛んだようでフラフラせずに普通に立てている。
沙恵さんの髪の毛が跳ねているのが気になったから思わず手を伸ばして手櫛で整えた。
「ありがとね」
このタイミングでずっと逸らしていた目を合わせて来るなんてなんか狡くない?
このまま居座る理由を考えてみたけど、体調も良くなったみたいだし僕がここに居る理由は思い付かなかった。
「また遊びに行こうね。今日は本当にありがとう」
「うん。また」
沙恵さんが何度目かの御礼を口にしてへにゃっと笑った顔で見送られて玄関を出た僕は、車に戻ってもすぐにエンジンをかけることもなく、しばらくぼんやりとしていた――――――。