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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛いってむずかしい
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閲覧、いいねありがとうございます。

アクセス数伸びてきていて嬉しいです!


2023.07.28 文言修正

 企画部に異動したからといって、いきなり提案が出来る訳ではなく、まずは既存商品のモニタリングとか市場調査とか、することは販促と似ていた。


 最初は、同じ会社内の同じような業務なのに別々の部署でそれぞれがやっているというのが無駄に思えた。

 だけど、たとえ工程が似ていたとしても、片方は既存商品の売上を伸ばすため、もう一方は新規商品の開拓のためで、同じようにみえて着眼すべき点が異なる。


 芸大の卒業制作をした時に、侑士がコンセプトやターゲットなどをちゃんと明文化するようにと話していたが、気の向くままに物作りをしてきた僕には苦手な工程だ。

 それでも、販促をしてきた経験があるから方法が全く分からないとかは無かった。


 とはいえ、インスピレーションの勢いで作った方が今までに無いものが生み出されるチャンスなのに、市場調査、企画書作成、企画会議と決まった手順を踏まないと作れないのは勿体ないと思う。

 そんなことやっている内に、売れ筋なんてあっという間に変わってしまいそうだ。

 バッと試作品作って社内で反応見て良かったら製品化しちゃえばいいのに。


 異動してきた直後こそ、ずっと企画部にいた同期や今年入った新卒にも「一からのスタート大変だね」としたり顔で、何かと世話を焼いてくれていたけれど、この一年半で営業として色々な売り場を回って顔を覚えてもらっていた僕は、エンドユーザーの動向や要望を店舗から聞き出すのは慣れた作業で、直ぐにみんな口を挟むのを止めた。


 それを「顔がいいやつは得だよな」とやっかんだり、「マーケティングが上手くても企画の仕事は出来ないだろう」と嫌味を言ってきたりもされたが、調査だけで終わらせる気もないから「そだね〜」と適当に流していれば、そのうち勝手に飽きて静かになっていった。


 企画部の雰囲気にも慣れた十一月も後半の頃、由恵が無事出産した、と友久から連絡があった。

 由恵に似た小柄で目がクリッとした女の子で、名前は詩花(しいか)と名付けたそうだ。みんなしーちゃんと呼んでいると言っていた。


 しーちゃんよりいち早く兄夫婦にも赤ちゃんが生まれていたけど、義姉さんが貰って困る出産祝いはサイズの合わないオムツだとボヤいていた。

 甥は常に成長曲線の上部をキープしている大物だ。

 早々と新生児用サイズのオムツは卒業してしまったから、貰い物のオムツは使えずじまいだったようだ。


 そんなわけで友久と由恵のとこには、義姉さんのアドバイスに従ってお祝いにおしり拭きを一箱買って持っていく。

 オムツと違って赤ちゃんの大きさに関係ないし、なんならウェットティッシュ代わりに使えるし、消耗品なのも有り難いと熱弁していた。


 由恵と別れてからは初めて、サテライトの二階に行った。

 この二年半弱の間に変わったところといえば、棚の扉にはチャイルドロックが付けられたとか、机や棚の角には緩衝材が貼り付けられているとか、ベビーバウンサーが置かれていたりとか、それだけでも前の記憶から随分と様変わりしているように見えた。


「抱っこしてみる?」


 由恵がそう言うので遠慮なく赤ちゃん(しーちゃん)を抱っこしたら、その小さな手でギュッと僕の服を掴んで笑うのをみて、由恵があからさまに眉を顰めた。

 しーちゃんはご機嫌なので変な抱き方はしていないと思うけど、なんで由恵はご機嫌ナナメなんだろう。


 うちの甥っ子は抱っこ嫌いという赤ちゃんらしくない奴で、抱っこしようとすると仰け反って抵抗する。

 他に手が空いている人が居なくて僕がオムツを替えようとすると、まるで「お前しか居ないのか?!」って言い出しそうな不満気な顔で、でも背に腹は代えられないとばかりに渋々されるがままになっているのは面白くてついいじめたくなってしまったりする。

 そんな甥とは違ってしーちゃんは、つられて頬が緩むような笑顔で大人しく抱かれていた。


「しーちゃんはよく笑うね〜」


 僕が声を掛けると、更に楽しそうな声を上げた。


「うわぁ。乳児まで(たら)し込まないでよ」

「別に誑していないけど?」


 もうおしまいと言わんばかりに由恵がしーちゃんに手を差し出した。しーちゃんもすぐに由恵(ママ)に手を伸ばし返す。


「でも、実際今日はご機嫌だよ」


 由恵に抱かれている娘の顔を覗き込みながら友久がそう言った。

 友久が人差し指でしーちゃんの頬を軽く突くと、しーちゃんはその指を小さな手で捕まえようとしている。

 友久の人差し指としーちゃんの鬼ごっこはそんなに長くはなく、あっさりと捕まっていた。


「詩花は今日も可愛いなぁ」

「お腹空いてきたみたい」


 娘にデレデレになっている友久は、されるがままに指をチュパチュパと吸われ始めた。

 その様子を見て由恵が、授乳の為に別室にしーちゃんを連れて行った。


「友久、さっきの可愛いってどんな意味?」

「さっき?可愛いって言ってた?」

「うん。しーちゃんに」


 友久と二人になったので、なんとなく疑問をぶつけてみた。

 友久は無自覚だったようで「言ったかな?」と首をひねってる。


「改めて聞かれると難しいな。詩花に対してだと……愛しい、愛くるしい…………それと、構いたい、何かしてあげたい、守ってあげたい、と思う気持ち?」

「僕よく可愛いって言われるんだけど、それって守ってあげないと駄目だって思うくらい弱っちいって思われてる?」

「いや、それは……。どちらかというと、見ていたい……萌えってやつかも。魅力がある、キュンとくる、みたいな?どちらにせよ、好意があるから可愛いと言うんだよ」

「そうなんだ……」


 友久はいきなりの質問に戸惑いながらも自分の考えを言葉にしてくれた。

 確かに、甥っ子やしーちゃんは構いたくなる。その気持ちが可愛いというなら理解できそうだ。


 昔、辞書を引いた時は確か『小さいものや弱いものに心惹かれるさま』というような事が書かれていたように思う。

 その意味だと僕がチビだとか弱いだとか言われている気分になるから、いまいち褒められている気にはなれない。

 だけど、友久の言うような意味なら分かるような気がする。


 ―――なんだか可愛いものが作りたくなった。

 企画の仕事でもいいし大衆受けしなさそうなら趣味で作ってもいい。まるで卒制をしていた時のようにワクワクしてくる。


 赤ちゃんは、多くの人が可愛いと思うのだろうか?

 そういえば前に動物園へ行った時は、豹の赤ちゃんが大人気だった。

 動物の赤ちゃんが産まれたというだけで、あれだけたくさんの人が集まってきて、一様に可愛いと言っているのだから好きな人は多いってことだよね。

 あの時は可愛いと騒がれることに辟易していたからちゃんと見ていなかったけれど、今思うと惜しいことをしてしまった。


 ここしばらくは、度々動物園の前までは行っていたけど、それは沙恵さんを誘う為で殆どは閉園時間が過ぎていた事もあり、動物園の中には入っていなかった。

 もう一年以上経っているので、あの時の豹の赤ちゃんは大きくなっているだろうけど、小動物なら成獣でも可愛いのはいるだろう。


 今は十一月で冬季時間だから暗くなるのが早く夏季と比べて閉園時間も少し早めの四時半だったはずだ。

 時計の針は午後三時の手前。今すぐに行けば一時間弱くらいなら中へ入れる。


「今日はもう帰るね」

「……ああ。またな」


 智恵さんのご飯を食べてから帰る予定だったけど、気分は完全に動物園になったのだから仕方がない。

 友久も一瞬『ご飯は?』って顔をしたけど、付き合いの長さで何かを察してくれたようだ。

 しーちゃんが寝ていたら起こしてしまうから、小さな声でドア越しに由恵にも帰ると伝えてから、すぐに動物園へと向かった。


 幸いにも道は空いていたので一時間は確保出来た。

 駐輪場にバイクを駐めてチェーンロックを掛けていると、偶然にも通用門から沙恵さんが出てきた。


「もしかして連絡くれていた?」


 普段、前もっての約束はしていないけれど、当日に「今日行く」とメッセージを送ってから来ているので、沙恵さんが慌てて手提げ鞄からスマホを取り出そうとしている。


「ううん。動物園に行こうと思って」

「……時間あんまりないね」


 沙恵さんがようやく探し出したスマホにはもちろん連絡など入れておらず、でも、時計を確認するにはちょうど良かったようだ。


「そうだ!沙恵さんも一緒に動物見ない?」

「へっ?」

「可愛い動物教えて欲しい」

「可愛いってみんな可愛いけど?」


 一時間という時間を効率よく回ろうとしたらプロに教えてもらうのが一番だと思い付いてお願いしたら、沙恵さんにも絞れないようだ。


「じゃあ、園内案内のツアーを組むとしたら沙恵さんならどう周るか教えて!ね?」


 そもそも動物全般可愛いと思ってなかったら飼育員になっていない、って言われたら確かにとは思うけど、理由なんて何でも構わない。顔を見たら一緒に遊びたくなっただけなんだから。

 手を引いてチケット売り場の方に連れていけば、仕方無いなぁって言いながらも引き受けてくれた。


 自動販売機で大人二枚を購入してゲートを通ると、チケット確認のお姉さんがマジマジと僕と沙恵さんを見比べている。


「知り合いの子に案内を頼まれて……」


 沙恵さんが聞かれても無いのに慌てて今の状況を説明した。

 ゲートのお姉さんが面白そうにニヤニヤ笑っているような気がしたけれど、それよりも今はあまり時間が無い。


「沙恵さん、どこから行ったらいい?」


 沙恵さんの手を繋いで急いでゲートを通り抜けて、近くの案内板に引っ張っていった。

 ゲートのお姉さんがブンブン手を降って見送ってくれている。

 これ以上同僚に見付かりませんように、と沙恵さんが口の中で小さく唱えているのが聞こえた。

 沙恵さんの職場を周るのだからそれは無理そうだと思うけど、口にして逃げたら困るからそれは黙っておく。


「豹は見たいなぁ」

「克己の可愛いに豹は入るの?」

「見ないと分からない」


 もう大きくなっている筈だけど、あの時の赤ちゃんを見ておきたかっただけで、可愛い動物として見ようとしていた訳では無い。

 ただ可愛いとかの感想を持つほどじっくり見た事は無いので見たら可愛いと思うかもしれない。


「一般的に可愛いっていうなら齧歯類(げっしるい)ね。リスとかハムスターとか小動物が多いから。後はキツネとかレッサーパンダとか。んんー、豹を見るなら最後の方で……左周りにこう園内をまわろうか?」


 沙恵さんが案内板を見ながら、繋いでいない方の手の人差しをくるりと回してコースを示す。


「うん。分かった」


 もちろん異論はないので、言われた通りに左のルートに足を進める。


「ちょっと待って。手は離そう。ね?」


 そのまま手を引いて進もうとすると指をピンと突っ張って解いた沙恵さんに、少し残念な気持ちになった。


「最初は鳥類コーナーよ。ここにいる鳥は全部で十八種類で……」


 気を取り直して、と区切るようにさっきよりも少し高い声で沙恵さんが説明を始める。

 次々と進みながら、最初に名前を教えてくれてから、動物の本能的な特性やその子の個性を教えてくれる。

 沙恵さんにとっては「孔雀」では無く「孔雀のラムネ君」と、終始そんな感じで動物というよりは友達を紹介してくれているようだった。


 だから説明も「一般的にこういう特性があるのにラムネ君はこうなんだよね」って話が多い。

 中には前に話を聞かせてもらった子じゃないかな?って子もいて、僕が先回りして説明すると、沙恵さんは目を細めて嬉しそうに笑った。

 既に知っている話なのにウンウンと相槌を打ちながら遮ること無く僕の説明が終わるまでちゃんと聴いてくれる。


 最後から二番目は僕が見たいと言った豹のウメちゃん。やっぱり一年四ヶ月近くも経っていれば成獣と遜色ない大きさに成長していて、赤ちゃんには見えなかった。

 ウメちゃんのおでこの真ん中より少し左寄りの模様が花のように見えたからウメちゃんになったそうだ。

 言われてみれば花弁のように見えるような……と凝視していたら、沙恵さんが声を上げて笑った。


「確かに今は判りにくいよね」


 そう言って、スマホの中の赤ちゃんの時の写真を見せてくれる。確かに今よりも梅の花のような形に見えた。

 大きな瞳を潤ませてこちらを見ている豹の赤ちゃんは確かに愛らしいと思った。


「この写真頂戴」

「いいよ」


 実際何枚も写真を撮っていたけれど、赤ちゃんのウメちゃんは今更撮れないのでメッセージアプリで送ってもらう。


「まだちょっとだけ時間あるわね」


 園内にはもうすぐ閉園のアナウンスが流れて来たけど、まだ一回目のアナウンスなので、そこまで焦らなくていい。閉園の二十分前だそうだ。


「私が一番可愛いと思っている子」


 そう言って沙恵さんが案内したのはリスザルの檻だった。

 豹の檻から振り返って道を渡ったところ。そんなに離れていない場所だから、移動時間は大して掛からない。


「みんな平等に可愛いって言うべきなんだけど、やっぱり好意を返してくれる子には情が沸いちゃうよね」


 早速沙恵さんの姿に気付いて、檻のそばに寄ってきたシン君に沙恵さんは目を細めて笑い掛けた。

 心なしかシン君も笑っているように見える。

 確かにリスザルは一般的にも可愛いに入るだろうけどそれでも大衆的には"一番"にならないだろう。

 それを沙恵さんの中で一番に押し上げているのはシン君との想い出だ。


「そろそろ出ようか」

「うん」


 ぼんやりとしていた何かが形になりそうでうわの空になった僕を、沙恵さんは手を引いて出口へと促す。

 沙恵さんから繋がれた手は、僕が歩き出すとスルリと離れてしまった。

 それだけでまた足が止まりかけたけど、再度流れた閉園のアナウンスに僕達は駆け出した。


 閉園時間を一分過ぎてゲートに辿り着くと、入園の際にチケットを確認してくれたお姉さんは「走らなくて大丈夫ですよ」とニコニコ笑顔で送り出してくれる。


「はぁはぁ、ちょっと過ぎちゃったね」

「ありがとう。沙恵さんに会えて良かった」


 息を整えながら、ガイドとして失格だと反省している沙恵さんに今日の御礼を伝える。

 走ったせいで頬が紅く染まった沙恵さんがニッコリと微笑んだ。


「私も楽しかったよ。ありがとう。……ははは。でも、明日出勤してくるのが怖いかな」


 微笑みが苦笑いに変わった沙恵さんの視線を追ってゲートの方を見ると、ゲートのお姉さんに加えて飼育員の作業服を着たおじさんが二人、売店のおばさんが一人……閉ざされた門の向こうからこちらを伺っている。

 初めから無理だと思っていたけどやっぱり、沙恵さんの同僚に見つかりませんように、という願いは叶わなかったようだ。


 僕は動物園に入った時にゲートのお姉さんがしてくれたように四人へ向かって腕をブンブンと振った。


「……っ!帰るよ」


 沙恵さんが慌てて僕の振っている手を抑えて降ろさせると、同僚達に小さく会釈してから駐輪場に向かって早足で歩き出した。


「明日、何て説明するの?」

「何てって最初に言った通り、知り合いに案内頼まれただけ」

「そっか」


 そっか、やっぱり知り合いでしか無いんだ。

 僕にとっての沙恵さんは、なんていうかこう……僕に対して『こう有るべき』という幻想を見ない人で、僕が自然に呼吸出来る場所。

 『みぶろう』(卒制グループ)近藤家(サテライト)も―――由恵は一時期危なかったけど、友達に戻った今の距離感がいい―――気楽な場所で、その中でも沙恵さんの隣が安心できる。

 親友とまではいかなくてもせめて友達と言ってもらえるようになりたかった。

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