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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛いはずがない
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閲覧ありがとうございます。


2025.05.29 誤字報告頂きましたので修正しました

 朝晩はまだ肌寒いけれど、日中の日差しは暖かくなってきた4月上旬。

 動物園の外縁に沿って植えられている桜も随分と散ってしまっている。

 新緑の柔らかい緑色と淡いピンクを纏っている葉桜を横目に私は通用門を潜った。

 今日は日曜日でシフトは昼番だったので、閉園時間から一時間ちょっと経った頃だ。

 冬に比べて日没は遅くなってきているので外はまだ明るい。


「沙恵さーん」


 動物園の外へ出ると、もうすっかり聞き慣れた声に呼び止められた。

 いつも元気でニコニコしている克己だけど、今日はいつもに増してニコニコで声まで弾んでいるようだ。

 普段は約束しないでフラリと現れる彼だけど、今日はこれから私の実家までバイクで送っていってもらうという約束をしていた。


 私は今日で二十七歳になった。明日は仕事が休みで今夜は実家でお祝いをしてくれる事になっているのだ。

 小中学校は軒並み春休み終わりで明日始業式だから、喫茶店(サテライト)の客足は少ないのは予測出来ていた。

 だから、今日はランチタイムが終わったら店仕舞をしてバースデーケーキを手作りしてくれるそうだ。

 きっと私の好物の苺たっぷりのショートケーキを作ってくれているだろう。

 誕生日とシフトと喫茶店の閑散期が丁度重なった結果なので、就職してからお母さんの手作りバースデーケーキで祝ってもらうのは初めての事だった。


 お母さんがケーキを焼く時期が秋冬に限られているから、春夏がとても永く感じる、と不満そうにしていた克己を思い出して思わず口の端が緩んだ。

 なんとなく惰性で続いている数日前の夜遊びでボルダリングに行った時に、そんな不満を聞いた記憶がある。


 その後で、お母さんから今度の私の誕生日にはケーキを焼いてくれるのが分かったときに、克己を誘おうかと思わないでもなかったが、由恵もいるから遠慮したのだ。

 しかし私の遠慮はお母さんによってあっさりと無きものにされた。さらりと「克己も呼んだ」と事後報告を受けた時には脱力ものだった。

 

 予備のヘルメットを受け取ると克己の後ろに跨る。

 身長が殆ど変わらないためか、コツンとヘルメット同士が軽くぶつかって音を立てた。

 その距離の近さに一瞬ドキリとした。


「大丈夫?」

「うん」

「じゃあ行くよ」

「よろしく」


 普段は電車通勤の克己は、平日にはバイクに乗らないので、乗せてもらったのはコンビニのケーキを奢ったあの日以来の事で約十ヶ月ぶりだ。

 あの時は近くのバッティングセンターに送ってもらっただけだからちょっとの距離だっただけど、今日はサテライト(実家)が目的地なので、お昼前に克己から『バイクで迎えに行く』と連絡を貰った時には、一瞬、由恵に見られたら……、と頭を過ぎってしまった。


 でも、あの子はもう友久君と結婚してお腹に子供もいるから問題ないだろう、と思い直して送ってもらう事にしたのだ。

 実際、由恵と別れた後からも克己は何度もサテライトへ遊びに来ているし、ついこの間の披露宴での様子を見ても由恵も克己もお互いを意識しているようには見えなかった。

 あまり実感が湧かないが、二人が別れてから一年近く経っている。


 それに、公共交通機関で行くと実家に一番近い駅からバスに乗り換える必要があるから、バイクに相乗りさせて貰えるのは非常に魅力的な提案でつい流されてしまった。

 未だに送ってもらう事に後ろめたさを感じながらも、こうやってうだうだと言い訳を考えてしまうのだから、自分はどちらかというとさっぱりとした性格だと思っていたけれど、存外女々しかったようだ。


 頭の中をそんなことが堂々巡りで悩んでいたが、悩んだ時ほど周りは気にしていない、というのはよく有ることで、この時もただの杞憂でしか無かった。


「克己、ご苦労様」


 実家の駐車場代わりの裏庭には由恵の軽自動車は無かったので、克己は迷うことなく駐車スペースの奥にバイクを停めていると、エンジン音が聞こえたらしい由恵がすぐに玄関から姿を見せて階段を降りてきた。

 家に居るということはどうやら車を使っているのは由恵では無いらしい。


「つわりは落ち着いた?」

「うん。お母さんがケーキ焼き出したくらいの時には大丈夫になったんだけど、ありがとね」

「うん」


 由恵と克己の会話に置いてけぼりになっていると、由恵がこちらを振り返る。


「お姉ちゃんおかえり!いつもならお姉ちゃんを迎えに行くの私でしょ?だけど、今朝は体調あまり良くなくって友久も休日出勤で呼び出されてしまったから、克己に迎えに行って欲しいってお願いしたの。どうせこっちに来るんだからついででしょ?」


 私の「ただいま」の声を掻き消す勢いで由恵が説明してくれた。

 由恵の軽自動車は友久君が駅まで行くのに使ったらしい。

 駅から少し歩けば友久君の実家があるから、そこに停めているのだろう。


 それにしても克己が迎えに来たこと自体、由恵に頼まれたなんて知らなかった。

 昼前に貰った克己からのメッセージには、ただ『迎えに行く』と書かれていただけで、一言『由恵に頼まれて』と添えてくれていたら、必要のない言い訳がグルグルすることも無かったのに。

 八つ当たりだと分かっているけど、思わず克己を睨みつけてしまった私に「何?」って顔して小首を傾げている仕草をする克己の可愛さに、腹立たしい気持ちはあっさりと霧散した。


「……お迎えありがとう」

「どういたしまして」


 ぶっきらぼうに伝えたお礼もニッコリ笑顔で受け入れられてしまう。

 ……可愛いは正義だ。いや、ただ私が面食いなだけなのかもしれないけど。


 家族三人に、由恵の旦那さんの友久君と克己が加わるから、四人掛けのテーブルしか無いダイニングでは無くて、一階の喫茶店で晩御飯を食べるようだ。

 裏口から店内に入ると、いつもは二席に分かれているテーブル席が一席に纏められていた。

 友久君はもうちょっと遅くなってしまうようなので、先に晩御飯を頂くことにした。テーブルの上に、鮭のムニエル、ラタトゥイユ、菜の花とベーコンのクリームパスタ、サラダと洋食が並べられた。


 私とお母さんは缶チューハイで乾杯したけど、今日中にバイクで帰る予定の克己と妊娠中の由恵はソフトドリンクだ。

 折角のお祝いの席に半数が飲めないのは残念だ、と思っていたら不意にお店の入口が開く音がした。

 遅れてきた友久君かと思って「お先頂いています」と口にしながらグラスを掲げると、予想が外れて入ってきたのは女性だった。


「沙恵、お誕生日おめでとう!」

「多美ちゃん!」


 一瞬誰だか判らなかったけれど、よく見ると小学生の頃から仲良くしている友達の多美子だ。

 高校からは違う学校だったけど、社会人になった今でも半年に一回くらいは会っている。

 久しぶりに会えたことが嬉しくて、席を立って迎えに行く。


「へへへ。おばさんに今日帰ってきているって聞いて押しかけちゃった」

「言ってくれたら良かったのに」

「サプライズ成功?」

「うん。めちゃくちゃビックリした」

「ところで、さっきから気になっているんだけど、こちらの彼は由恵ちゃんの旦那さん?凄いイケメン!」

「旦那さんじゃなくて由恵の……」

「大学の時の友達」

「へぇ〜」


 まさか『元カレ』とは言いづらくて言葉を探す私の後を引き取って、すかさず由恵が答えた。

 無遠慮に克己を見ている多美子に耐えられず、さり気なく克己と多美子の間に立つ。


「多美子も食べていくんでしょう?」

「もちろん」


 私の隣に一つ椅子を増やして案内しようとすると、多美子がまだ来ていない友久君の席を指差した。私の正面で克己の隣の席だ。


「あたし、あっちの席が良いわ」

「私の隣は不服?」


 なんだか気持ちが焦って慌てて引き留めると、多美子が「プッ」と吹き出して私の隣の席に座った。

 どうやら誂われてしまったらしい。


「冗談よ。安心して」

「本当に?」

「本当だってば。そもそもあたし結婚するから」

「え、いつの間に?おめでとう」

「ありがと。それでね、二次会に来て欲しいんだけど招待状出してもいいか確認してから出そうと思って」

「もちろん行くよ。招待状待ってる」

「あたし、小中学校の時の友達って沙恵しか居ないから、沙恵の知らない人ばかりになるけど、本当にいい?」

「うん。大丈夫」


 結婚式と披露宴は親族と会社関係の人になるから、それとは別に友達だけを呼んでカジュアルなパーティーをするそうだ。


「嬉しい。沙恵と同じテーブルになる友達にも声掛けてあげて欲しいって伝えておくね」

「そんなに気を使ってもらわなくたって大丈夫だって」


 そんな話をしていると、再びお店のドアが開いた。今度こそ由恵の旦那さんの友久君だった。

 全員揃ったところで、改めて多美子を紹介して乾杯し直して、久しぶりにはしゃいでしまった気がする。

 晩御飯を終えてケーキも食べ終わると、その場は解散となった。


 明日は月曜日なので、沙恵以外は仕事だ。

 由恵は、新人で一年経たない内に妊娠してしまったことやただでさえまだ覚えていない仕事の効率が悪阻で更に落ちてしまったことなどで退職を選んだ。正確には来月いっぱいで退職となる。

 小さな町工場の事務員なので、長く産休や育休を取られたら会社としても厳しいらしい。

 だから、退職までは短縮勤務になったとしても休むことはしたくない、と由恵は気力を振り絞って仕事に行っている。


 しばらくぶりに開催されたお誕生日会は、それがまるで夢だったかのように、あっという間に日常が戻ってきた。


 早番、昼番、夜番と不定休を繰り返し、早番や昼番の時に偶に動物園の外で待ち伏せしている克己と二時間程度の夜遊びに出掛ける。

 不定休が土日祝の世間のお休みとかぶった時には、サテライトで克己と会うこともある。


 そんな日常の中で、ちょっとした出来事といえば、世間から遅れて九月にお盆休みをもらって里帰りした時に、一度、多美子と二人で飲みに行った。

 ちょうど十二月に行われる結婚式の招待状が届いたタイミングで「多美子は本当に結婚するんだなぁ」と思った。

 一緒に飲んだ時も幸せいっぱいという感じでこっちまで頬が緩んでしまう。


「それで沙恵は出会い無いの?」

「ないない。職場は妻子持ち(おじさん)ばっかりだよ」


 そもそも私は恋愛には消極的だ。というか、動物達のお世話が楽しすぎて、彼氏という存在に魅力を感じない。


「……元彼のことまだ引きずっていたりする?」


 私の初めての彼氏は高二の三月に出来た。

 陸上部の仲が良かった一つ年上の先輩で、年上なのにちょっとドジで流されやすい人だったからついつい世話を焼いてしまったのだ。

 その先輩は引退した後も頻繁に部活に顔を出していたのだけど、世話を焼かれる先輩が嬉しそうなので、私に会いに来ているのじゃないかという噂になった。


 先輩の卒業式の日に告白というか、周りからお似合いだと囃し立てられて、私としては『そんなんじゃないよね』という気持ちだったけど、周りに流されて公開告白してきた先輩を断ることが申し訳なくて、つい肯いてしまったのだ。

 そもそも先輩が私のことを恋愛対象として見ていたかどうかも知らなかったのに。


 先輩が大学に入って三ヶ月。驚くくらい垢抜けた彼に拝み倒されて一度関係を持った後、連絡がつかなくなってしまった。

 風の噂で大学で彼女が出来たとも聞いた。

 有り体に言えば、ヤリ逃げされたということだ。


 恋していたかは分からないけれど、つい世話を焼いてしまうし告白を断るのは悪いと思うくらいには好きだった先輩の裏切りに、私は凄くショックだったのだ。

 それ以降、私は誰ともお付き合いをしたことは無い。


 多美子は、高校から進学先が違ったのでその先輩と面識は無いし細かい経緯は話していないので、彼氏と別れたくらいしか知らないはずだけど、先輩と連絡が途絶えた直後のどうすればいいのか分からなくて途方に暮れていた私を慰めて立ち直らせてくれた。

 思えば、あの時、多美子がアニマルセラピーだと言って、小動物と触れ合いの出来る施設に連れて行ってくれたのが、私が飼育員になったきっかけだったのかもしれない。


「全然。というか、そんなこともあったね。その節はお世話掛けました」

「そんなのいくらでも。あたし本当に沙恵にも幸せになって欲しいと思っているんだよ?この前の由恵ちゃんのお友達とかどうなの?沙恵は好意あるように見えたけど」

「え?克己?三つも下だよ?お世話しなきゃいけない人はもう勘弁。それにあんなイケメンが私なんかを相手にするはず無いよ」


 強がりではなくて、本当に多美子に言われるまで先輩の事は思い出しもしなかったのだ。

 もしかしたら両親が離婚していることが影響しているかもしれないが、恋人がいることや結婚が必ずしも幸せだとも思えなかった。

 そもそも先輩とも付き合う気は無かったのだから。


 もちろん克己とも付き合う気はない。

 綺麗な子なので見掛けたら眼福だとは思うし、一緒に遊びに行くのも楽しいけれど、恋愛だとかそういうのとは違う。


 多美子にはそういったけれど、よくよく考えてみれば、克己のお世話をしたことは無い。

 昼御飯を作ってあげた事はあるけれど、それはお世話というものとは違う。夜遊びに付き合うのも、良い気分転換になっている。

 それに、実家の庭仕事とかの雑用をしてもらったり、バイクで送ってもらったり、むしろ私の方がお世話をされているような気もする。

 克己と私の関係は、友達とも言えない言葉で説明するのは難しい関係だけど、名前を付けなければいけないのならやっぱり友達なんだと思う。


 もう一つ大きく変化があった事は、晩秋の頃に由恵が女児を出産した。ついに私も伯母さんになってしまった。

 実際に「おばちゃん」と呼ばれるのは何年か先だろうけど、大人になってからの数年はあっという間に過ぎるだろう。

 小柄な由恵に似て標準より小柄な目がクリッとした女の子だった。

 友久君と由恵と二人で話し合って詩花(しいか)ちゃんと名付けられた。

 初孫にお母さんは「しーちゃん、しーちゃん」とメロメロだ。

 由恵一家は友久君も含めしばらくはうちの実家で同居する予定らしい。新居は友久君の実家の近くで探していると聞いている。

 車があればそう違いは無いけれど、友久君の実家は駅が近くて発展していて、病院にしろ学校にしろ徒歩圏内にあるのでこれからの子育ての事を考えれば確かにあの周辺の方が良いだろう。


 二ヶ月前に多美子と結婚の話をした時には何とも思っていなかったけれど、姪っ子(しーちゃん)を抱っこした時には私も子供が欲しいと思った。

 職場で動物の赤ちゃんに接することはあるけれど、人の匂いが付くと育児放棄や、酷いときには我が子を噛み殺してしまう事もあるから、基本的に見守る事しか出来ない。

 匂いをつけても問題にならないのって人間の赤ちゃんくらいだろうな、なんて考える。

 由恵は我が子を抱いている私をニコニコと見守っていて、威嚇も警戒もしていない。

 人間なんだから当たり前だ。

 そんな当たり前が、凄く尊く感じた。

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