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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛いはずがない
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閲覧、ブックマーク、いいねありがとうございます。

 由恵が友久君を見送って戻ってきたところを掴まえた。


「由恵、ごめんなさい。送ってもらっただけで本当に何もないから」

「ううん。わたしもごめんなさい」


 由恵はすっかり落ち着いたようで、遠慮がちではあるけれど、微笑みを見せてくれた。


「もし、まだ由恵が克己の事を好きなら……」

「わたし、友久と付き合う事にした」


 おずおずと「やり直してみたら」と提案しようとしたけれど、最後まで言わせては貰えなかった。

 しかも、友久君と付き合い始めたのだと報告される。


「未練なんてあるよ?勝手に浮かれて嫉妬して自滅して……馬鹿みたいでしょ?でも、それでもいいって友久は言ってくれたから。克己とはもういいの」


 まるで自分に言い聞かせるように由恵はきっぱりと宣言した。

 普段はホワンとして可愛らしい由恵には珍しく険しい表情だ。

 新しい彼も本当にそれでいいのだろうか。なんだか不誠実な気がしないでもないけれど、当事者でもない私がとやかく言う事でも無い。

 それに、遮られた私の言葉の無責任さに後悔した。やり直して、なんて気軽に口にしていい言葉じゃなかった。


 そんな決意を秘めたような由恵の引き締まった顔も、すぐに眉や目尻が垂れ下がる。


「あはは……誕生日プレゼント渡しそびれたのが一番の未練かも」

「誕生日?」

「そう。次の水曜日なの」


 泣き顔に変わるんじゃないかと構えたけれど、そんなことはなくて、深刻な空気を断ち切るように茶化した口調で由恵が言う。

 用意していたプレゼントが無駄になっちゃった、と力のない笑いを浮かべている。


「……克己は観賞用なのよ」


 それから、そう言い残して由恵は自室に引き上げた。

 由恵の中にもまだ迷いはあるけれど、それを断ち切る覚悟がみえた。


 妹の由恵と、義弟のように思っていた克己。

 私には、由恵がもう次のお付き合いを始めてしまった事も、克己があっさりと別れを受け入れた事も納得出来ていなかった。

 傍目にはとても仲の良いカップルに見えていたのだ。

 二人共良い子だから、きっとすぐにすれ違いは解消されるはず。例えば誕生日プレゼントを口実にして会いに行けばどうだろう?

 すぐに仲直りしてもう一度付き合えるんじゃないだろうか。

 由恵の決意を目にしながらも、まだそんな可能性があるんじゃないかと思ってしまう。

 結局のところ私は、ずっと克己と由恵が二人で笑っていて欲しかったのだ。


 二人が別れてから一週間が過ぎた。もちろん克己の誕生日も何事もなくあっという間に通り過ぎた土曜日の朝。

 その日は早朝からのシフトだった。動物園の営業時間は、朝十時から夕方五時までだけど、営業時間が勤務時間になるのは、チケット売り場や園内の売店で接客している人くらいだ。

 飼育員は三交代でシフトが組まれて、早番や夜番もある。


 その日は早番で仕事をしていたので、由恵からいくつもメッセージが届いていたのに気付いたのは、昼休みの事だった。


『克己が裏庭の草刈りに来るそうです』


『友久も手伝ってくれたので早く終わった』


『家の事は心配無いからお休みの日はゆっくり過ごしてね』


 『びっくり』のスタンプに続いて一件目。

 いつもはもっと砕けた口調なのに妙に畏まった文になっているのが、由恵の混乱ぶりを示している。

 それからしばらく時間が経ってから、二件目。

 これって、三人で草刈りしたっていうこと?元彼と今彼が一緒に?

 二件目からちょっとだけ遅れて、三件目。

 『ゆっくり過ごして』と言われても、なんでそうなったのか気になって、ゆっくりは無理だと思った。


 ここはやはり次の休みは実家に帰って話を聞いてみるか、と思う反面、次の休みは平日で由恵は仕事だからあまり話せないかも、とも思う。

 顔を見て話したいから電話ではなく直接会いたい。最悪、テレビ電話という手もあるけど応じてもらえるだろうか。

 返信する言葉が思い付かず『草刈りおつかれさま』と返すくらいしか出来ない。

 昼休憩を終えるとどこかにモヤモヤを残したまま仕事に戻るしか無かった。


「沙恵さん!」


 今日は早番だったので、閉園時間よりも前に通用口から出ると、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 サラサラの茶髪と柔和な顔に反して、ライダースルックで愛用の黄緑色のバイクを押している姿はミスマッチのようでいて実はとても似合っていたりする。要はイケメンは何を着ても様になるのだとつくづく実感する。

 近距離通勤の弊害か元々ファッションに興味が薄いのか、よれた長Tとジーンズ姿の自分とは雲泥の差だ。


「まだ閉園時間じゃないのに早いね」

「あっ克己……。早朝勤務だったから今日はもう終わりで……」


 妹と別れたばかりの彼にどう接したらいいのか分からず、まるで山猫のように相手との距離を慎重に測ってしまっていた。いつも通り話すなんて器用な事は私には出来そうも無い。


 確かに由恵は、お母さんや私と連絡取るのは自由だと言っていたけれど、実際に今までと変わらず交流するのは気持ち的になかなか難しい。

 だからといって、由恵からの連絡によると午前中に実家の用事をしてくれていたのに、無碍にも出来なかった。


「今からコンビニで買い物してから帰るとこなんだけど」


 私がそう告げると、克己も喉が渇いたらしく一緒にコンビニに行く事になった。克己の家はこの駅では無いのに、何の用事でこっちに来ていたんだろう?と疑問に思ってもそれを言い出すことは出来なかった。


「草刈りしてくれたんだってね。ありがとう」

「めっちゃ楽しかった」


 何にでも全力で楽しめるのは凄いなと思うけれど、やっぱり別れた彼女にすることでは無いと思う。

 だけど克己が気不味さとか全く感じている様子は無い。

 由恵も、メッセージの合間から吹っ切れたように読み取れたので、私がクヨクヨ悩むのはお門違いなのかもしれない。


 克己が何を思って由恵と会ったのか知りたくなって、わざわざイートインスペースがあるコンビニを選んでしまった。


「なんかケーキが食べたくなったから付き合ってよ。草刈りのお礼に奢らせて」

「うん。いただきます」


 草刈りの御礼と理由付けしたけれど、誕生日プレゼントを渡せなかったのが心残りだと言っていた由恵を思い出していた。

 冷蔵の棚から私が選んだのは一番バースデーケーキっぽい苺のショートケーキだ。


 由恵が祝えなかったのに、私がおめでとうを言うのは何か違う気がした。

 だから心の中だけでこっそりと『二十三歳のお誕生日おめでとう』と祝う。


 話を聞いてみたけど、草刈り機を触ってみたかっただけで由恵に会っても会わなくてもどっちでも良かったようだ。


 私の恋愛経験は、高校二年の末から付き合い始めた三年の先輩ただ一人だ。先輩が大学生活を始めてしばらくして、とある出来事の後から音信不通になってそのまま自然消滅した。

 恋愛偏差値でいえば底辺に近いので、別れてもこんなにあっさり割り切れるものなのかどうなのかも判断できなかった。

 そもそも答えを知らないのに悩むのが煩わしくなって、私は考えることを放棄した。


「なんか甘いものを食べたら体を動かしたくなってきた」


 私がそういって「バッティングセンターにでも行こうかな」と零すと克己も「一緒に行きたい」と乗り気になった。

 でも、克己のスマホがピロンと音を立てて、届いたメッセージを確認すると「あっ」という顔をする。

 メッセージは友久君からのもので、夜に友久君と由恵が克己の家に寄るという約束があるらしい。


「僕もバッティングセンターに行ってみたかった」

「次行く時には声掛けるから」


 仔犬のようにきゅうんとなっているのが可愛くて、ついそんな約束をしてしまう。

 でもまあ、土日祝はほとんど勤務の私と土日祝がお休みのサラリーマンの克己とでは予定が合うことも無いだろう。

 その約束に尻尾があればブンブン振っていそうな勢いで機嫌が治った克己は、「ちょっとなら時間あるから」とバイクでバッティングセンターまで送ってくれた。


 このままフェードアウトするだろうと思っていたのに、バッティングセンターに行った事が無かった克己は余程行きたくなってしまったようで、気が付けば五日後の夜には二人でバットを振っていた。


 飼育員の仕事は体力が資本なので、体が鈍らないようにするのはやぶさかではない。多少疲れていても、克己の美しいご尊顔を見たら癒やされるのだから、私はもしかしたら面食いなのかもしれない。

 そういえば、唯一付き合った先輩も割りとイケメンだったような気がする。


 克己は仕事帰りのためスーツにネクタイ姿なのだけど、ジャケットを脱いでカッターシャツの袖を捲くりあげて現れた腕は、女の私より太く靭やかな筋肉の存在が感じられた。

 その節だった関節を見ていると、女子と見間違えられる事もあるけど、やっぱり骨格は男の子だなぁ、と思う。

 本人は運動は体育の授業くらいしかやってこなかったと言うけれど、勘が良いから直ぐにコツを覚える。


 朗らかな笑い声で注目を浴びてしまっているけれど、克己は自分の容姿には無頓着で至って平常運転だ。

 いつもはこんなにお客はいない筈なのに、克己がカキーンと小気味の良い音を立てる度に、ギャラリーが増えていった。

 同じく仕事帰りの私はTシャツGパンの女子力皆無の格好なので、一緒に居ててもみんなの視界には入っていないと思う。


 三十分ほど続けてバットを置いた克己は、ようやくギャラリーの方を向くと「見てるだけじゃなくてやってみたら?楽しいよ?」と声を掛けていた。

 その姿があまりにも自然体だったので、注目され慣れているんだなと感じた。


 克己は、時間を決めてもその時間に合わせて行動するのは苦手らしく次回の約束はしなかったけど、その日以降、仕事終わりにフラリと動物園(職場)に現れ、軽いスポーツに誘われるようになった。


 三歳も年下の男の子に振り回されて、私は一体何をやっているのだろう。

 そう思いつつも、こちらを見付けるとにぱっと笑顔になって手を振ってくる克己にノーとは言えない自分がいる。一度身内意識を持ってしまったのが抜けないでいるからだろう。

 なんていうか、よく庭先に現れる野良猫に懐かれたみたいだ、と思った。懐いているけど気紛れで、姿を見せるかどうかは向こう次第だ。


 由恵は友久君と付き合って一ヶ月で婚約した。

 来年三月に結婚式場を予約した、と幸せそうに笑う由恵に頭がついていかなかった。

 早過ぎる婚約報告に、良かったね、と、良かったの?、が同時に頭の中に浮かんで、それでもなんとか掠れた声で「良かったね」と絞り出した。


 克己は由恵の好みのど真ん中で友久君は違う。

 それを知っているから、無理に吹っ切ろうとしているように思えて、由恵が幸せそうに笑う度に痛々しく見えていた。

 克己の方はといえば、土日によくサテライトに来ている話を聞く。それは未練とは違うのだろうか?

 由恵も克己も表面上は楽しそうだから外野がとやかく言う事じゃないかもしれないけれど、由恵は本当にこのまま友久君と結婚してもいいのか、と心配になってしまう。


 本人達には聞けなくて、二人を間近で見ているお母さんの意見を聞き出してみるけれど、お母さんには由恵が心から幸せそうにしていると感じるらしく、私と同じ懸念は持っていなかった。

 確かに友久君は由恵の事を一番に考えてくれるいい人だと思う。

 ただ会うことが増える度に克己は本当に良い子で、なんで別れたか分からない、と考えてしまうのだ。


 克己がフラリとサテライトや動物園に現れる事は、それからも続いた。

 一度サテライトで見掛けた由恵と克己はあまりにも普通に会話していて、逆にハラハラしたが、バッティングセンターやボーリング、ダーツなどに付き合ったり、サテライトでコーヒーを飲みながらおしゃべりしたり、回を重ねる事にそんなハラハラも薄れていった。


 そうこうするうちに年も明けてあっという間に三月の由恵と友久君の結婚式の日が訪れた。


 式は身内だけでだったので、克己は披露宴から出席していた。うちに泊まりに来た時に会ったことのある由恵の友人の水奈都ちゃんとその彼氏の三人で集まって喋っていた。

 お母さんには兄弟姉妹も居ないので、花嫁側の親族はお母さんと私しかおらず出席者の殆どは友久君の親族になるから、新郎新婦共通の友人の三人には新婦側で参列してもらったのだ。

 由恵は克己との交際を隠していたから、元カレだと知っている人もこの三人と身内しか居ないし、克己と友久君と由恵の関係は良好だからトラブルも無かった。


 克己はとても美人さんだし、水奈都ちゃんも凛とした美人さんだし、彼氏さんも黒い礼装をサラリと着こなしていて振る舞いがとてもスマートな雰囲気イケメンだし、で、とても眼福な一角になっている。

 その三人が高砂の新郎新婦の元に声を掛けに行く。私は永倉家(友久君)の親族に挨拶しながらこっそりと五人の会話に聞き耳を立てた。


「水奈都と侑士はいつ頃予定なの?」

「今のところ予定は無いな。もう少しキャリアを積んでからにするよ」


 由恵の質問に水奈都ちゃんが答える。


「でも、侑士のところは早く跡継ぎが欲しいんじゃない?」

「俺がまだ継いでないのにもう次の跡継ぎなんて気が早い」

「残念。同級生なら嬉しいと思ったのに」


 由恵の馬鹿。安定期まで秘密にするって言っていたのに。

 由恵の隣の友久君も「あっ」という顔を一瞬見せて何かを言おうとしたけど、それよりも早く克己が反応した。


「今年中が予定日なら兄ちゃんの子と同級かも」

「克己のお兄さんに会ったこともないよ〜」

「そうだったっけ?」

「えっ?由恵赤ちゃんいるの?」


 その克己の言葉で水奈都ちゃんも気付いたようだ。

 私は慌てて会場内を見回すけれど、お酒も入ってみんなそれぞれのお喋りに夢中になっているし、あの三人以外に聞いていた様子は無い。


 もうすぐ妊娠三ヶ月に入るところで、まだ妊娠初期なので体形に変化はなく予約していたドレスで問題なかったけど、最近発覚したので悪阻の症状がいつ出るかが心配だ。

 由恵の悪阻は波が激しいようだ。体調がいい時は本当になんともなさそうなんだけど、悪い時はかなりフラフラしている。

 今日は、妊婦だからお酒は飲んでいない筈だけど、場の空気に酔ってしまったのだろうか、テンションが高い。


 そんなささやかなハプニングはあったものの和やかに披露宴は終わって、由恵も私もお母さんもホッと一安心だ。


 明日から由恵と友久君は新婚旅行でフランスへ行く予定だったが、妊娠が発覚して由恵の悪阻に波があることもあり、旅行はキャンセルしてしまっている。

 二人共会社自体はお休みをもらったままなので、体調の良い日は実家の近くの河川敷公園にスケッチへ行こう、と相談していた。今の次期だとちらほらと桜が咲き始めているから、春らしい絵が描けるだろう。


 由恵は、友久君のような幻想的な色使いが出来ない、と嘆いていたが、昨年の晩秋辺りから写実的な光景の中にイラスト調でコロポックルのようなキャラクターを描き込む事が増えた。

 SNSで写真の中に毎回マスコットを一緒に写し込んでいるのを見掛けるが、丁度そんな感じだ。

 全部で五人いるらしいが一人だけの時もあれば五人とも描き込んでいる時もある。


 今はまだ星座盤が飾られているけど、お母さんもキャラクターが描き込まれた絵本のような世界観を気に入っているので季節が合うようになればサテライトで由恵の絵が飾られるようになるだろう。


 

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