【SS】それは一本の電話から始まった〜家族
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ラストは由恵視点です。
カランとお店のドアベルが鳴って、黒いキャップを被った男性が店に入ってきた。
その男の人は友久と同じくらいの身長で友久よりも日焼けした腕が見えて、わたしの体は勝手にブルリと震えてしまう。
思わず清花を抱く手に力が入った。
うとうとしていたさっちゃんが「ふゃぁ〜」と上げた声に気付いて力を緩め、顔を覗き込んで声を掛ける。
泣き止んだところで膝に降ろして片手で支えて足を揺すってあやした。
さっちゃんは横に揺らすよりも今のように縦に揺らした方が好きなようで、再びうとうとし始める。
泣き声を上げた赤ん坊を見ただけだと思うけど、こちらを見る青年の視線が痛い気がする。
思わず空いた片手を隣に座る友久の筋張った大きな手の甲にそっと重ねた。
友久はすぐにくるりと掌を返すとわたしの手を恋人繋ぎで握ってくれる。その温もりをそっと握り返して気持ちを落ち着ける。
友久の反対の手にはわたしの緊張につられたように詩花がしがみついていた。
しーちゃんも誰だろうと思っているのか、見慣れない男性をじーっと見つめている。
既に二度ほど顔を合わせていたお母さんからすれば、別れたお父さんに顔も声も似ているらしい。それをさっきサテライトに着いた時に聞いた。
先に聞いていれば、会うなんて言わなかったかもしれない。後悔する気持ちとどんな人だろうという好奇心が折り混ざってわたしの胸の内はなかなか忙しい。
「いらっしゃい」
お母さんが青年を招き入れて入口に『定休日』の札がかかっていることを確認している。
青年が店内をさーっと見渡して一瞬目が合った気がして、繋いでいた友久の手を思わずギュッとしてしまった。
多分、向こうからはテーブルの陰で見えなかっただろう。
友久は『大丈夫』と言うように微笑んだ。
「こちら正史君」
お母さんが場を取り仕切って紹介を始めた。
正史君と呼ばれた青年はキャップを脱ぐと頭を小さく下げて会釈する。
少し強張った感情の見えない表情に、お父さんってこんな顔だったのだろうか、と思った。
まだ小さい頃だったので恐かった印象しか残っていない。顔の造作なんて何も思い出せなかった。
青年は隣の県にある大学の経済学部二年だという。この辺だと一番偏差値の高いところだった。
勉強がイマイチなわたしからすると、なんだか話が合わなそうで益々表情が固くなる。
正直、わたしには今日初めて会った人を弟と思うのは難しい。
「まず近い方から……次女の由恵とお婿さんの友久。それから孫の詩花と清花」
お母さんの紹介に従ってわたしが頭を下げると、しーちゃんも真似してピョコンと頭を下げた。
ただただ条件反射のように「よろしく」と言葉を交わす。
「それで奥の二人が長女の沙恵とお婿さんの克己」
「えっ?」
お姉ちゃんと克己を紹介されて青年は戸惑った声を上げた。
連絡役をしていた克己とは既に何度か会っているはずなので一体何に驚いたのか、みんなもそう思ったのだろう、視線が彼に集中する。
口を開かないとその場が収まらないと感じた青年は、顔を赤くしてモゴモゴと言い訳をした。
「あの、克己さんって……その、ただのバイト、だと思ってました」
「ツバメじゃないよ」
とうに驚いた理由に気付いていたらしい克己がそう言ってケラケラ笑った。
青年は居た堪れないようにますます顔を赤くしている。
しーちゃんが「つばめしゃん?」と克己の顔を見ているが、わたしも友久も意味が分からずお互い顔を見合わせるだけだった。
そっと近付いてきたお姉ちゃんがこっそりと教えてくれる。
「克己、お母さんを名前呼びしているし敬語を使わないでしょ?……アルバイトらしくないから、一部のお客さんが冗談でお母さんの愛人なんじゃないかって言ってたみたい」
お姉ちゃんも果物屋さんの頃からの常連客から知らされたらしい。
彼はその冗談を耳にして真に受けてしまったようだ。
「あはははっ。克己らしい……」
克己と付き合っていた頃のわたしだったら冗談だと分かっていてもモヤモヤウジウジしたけど、お姉ちゃんは『克己らしいよね』とわたしにつられて笑う。
もし噂の相手が友久だとしたら、わたしは友久にしがみついて「わたしの!」って常連さん達に主張して周っちゃうくらいには嫌だと感じるけど、お姉ちゃんはよく平気でいられるものだ。
「嫉妬しないの?」
小さな声でこっそりと聞いてみたけど、お姉ちゃんは困ったように微笑むだけだった。
今回はあまり良くない噂だったけど、裏を返せば人見知りのわたしとはとことん真逆な性格で克己が羨ましい。
「克己は誰からも好かれるからねぇ」
正史君に慰めの言葉を掛けるのはまだわたしには難しくて、代わりに羨望混じりの皮肉がつい出てしまう。
「ん?由恵もだよね」
「そんなこと無い」
「そう?ここに居る人みんな由恵のこと好きだよ?」
付き合っていた時はわたしから訊かなければ「好き」とは言ってくれなかった克己が、サラリとそんな事を口にした。
思わず口を尖らせて変な顔になっていると思う。
「克己も?」
「うん。好き」
「……そーいうのお姉ちゃんだけにした方がいいよ」
わたしはわざとらしくため息を吐きながら嘆いて見せたけど、実は少しだけドキリとしてしまった。
もちろん克己の言う『好き』は友達……あるいは身内の『好き』だとは分かっているけど見た目が好みなのは今も変わらないのだから許してほしい。
付き合っていた当時はとても望んでいた言葉だったけど、熱を含まないその言葉にわたしは安堵した。
今一番近くに居るのは誰よりも優しい目でわたしを見ている友久で、その言動で雄弁に『好き』と伝えてくれている。
友久にしがみついているしーちゃんもわたしの腕の中で眠るさっちゃんもわたしを必要としてくれる。
お母さんもお姉ちゃんもいつだって暖かい。
ぐるりとみんなの顔を見回していると、唐突にストンと『幸せ』という言葉が降りてきた。
本当に克己の言う通りこの場には好意しか無かった。
唯一初対面でまだよく知らない正史君も、今は克己とお母さんに消え入りそうな声で「すみません」と謝っていて、今更ながらにおよそ六つも年下の普通の男の子なのだと思うと、可愛く見えてきた。
「どうせ克己のことだから、お母さんにケーキ作ってもらって人目を憚らず『智恵さん大好き〜』とか言ったんでしょ。正史君気にすること無いよ」
気が付けば、正史君に自然と声を掛けていた。
お母さんと克己は「そんなこともあったかも」と話している。
そんな雰囲気に正史君は少しは安心出来たようで、僅かに表情が柔らかくなった。その表情は好ましく思えた。
わたしは「もう大丈夫」と友久に握られていた手を離して、向かい側の席に座るよう再び正史君に声を掛けた。
これから先、姉弟らしくなれるかは分からないけれど、会ってみて良かった。
本当に心からそう思った。
完結です!
お付き合い頂きありがとうございました。
本当はこのSS、三つ目の『変化』で終わりだったんですけど、知人から「続きは?」って催促されたので、婿二人を含めた近藤家リレーになりました。
楽しんでもらえたら幸いです。