【SS】それは一本の電話から始まった〜来訪者
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一つ前のショートストーリーの続きで克己視点になります。
閉店時間が過ぎて最後の客を見送ると表に出している立看板を店の中に入れて、扉に掛かっている『OPEN』という札をひっくり返して『CLOSE』に変える。
ふと建物の陰からこちらをジッと見ている黒いキャップを被った青年の姿が見えた。
彼は客として店に来ていたが、もう何分も前に出たはずだった。
ただでさえランチタイムの終わった平日に常連以外の男性が一人で来るのは珍しいのに、店に入っても帽子を目深に被ったままだった事や男性が一人ではあまり頼まないメロンクリームソーダを注文した事からも印象深かったのだ。
忘れ物でもしたのかと声を掛けようとしたら、慌てて身を翻した。
よっぽどのシャイなのか、それとも智恵さんに用事なのだろうか。
でも、彼が店に来た時間帯の接客は智恵さんだったから、その時に声を掛けることも十分に出来たはずだ。
店の戸締まりを終え、着けていたエプロンを外すと智恵さんに「ちょっと出掛けてくる」と伝えて裏口から青年の背後に回る。
彼は今日初めて店に来たはずなのに、何故かどこかで見かけた事があるような気もしている。
「ねぇ、ちょっと僕とおしゃべりしない?」
ちょんちょんと肩を叩いて軽い口調で声を掛けた。
学生時代はよくバイクで一人旅をしていて、見知らぬ土地で見知らぬ人にオススメのスポットやお食事処を尋ねたものだ。
その時の経験から僕自身そんなに人に警戒されないタイプだと思っていたけど、青年があまりにも大きくビクッと肩を揺らすので僕まで一緒に肩を揺らしてしまった。
「店に忘れ物でもした?」
まだビックリしたのが落着かないのか口を開かない。僅かに頭が横に振られただけだ。
「えーと、河川敷公園でいい?」
重ねて訊くが場繋ぎ的な発言で、特に返事は期待していない。
由恵が『人好きのする顔』と評する顔でニッコリ笑うと、青年からは戸惑う気配がした。
ここぞとばかりに更に質問を重ねる。ベンチに座るか遊歩道を散歩するかを尋ねると、彼はようやく「ベンチで」と声を出した。
彼は、必然的に僕とおしゃべりすることが確定してしまったのに気付いているのだろうか。
与えられた二択から選ぶのだから随分と素直な人だ。他人ながら詐欺に引っ掛かりやすいんじゃないかと心配になる。
でも、このやり取りだけで、少なくとも悪い人じゃないと感じた。
数週間前に夏至を超えたばかりなので、閉店後のこの時間でも空はまだ青い。
僕は遊歩道沿いに間隔を空けて並んでいるベンチの一つに腰掛けて、目の前を流れる川を見ながら青年が隣に座るのを待った。
ベンチの端に近付いてきた彼の顔を見上げるとやっぱりどこかで見かけたような気がする。
「アンタあそこのバイトは長いのか?」
最初の驚きから立ち直ってしまえば随分と砕けた言葉使いなので、もしかしたら同い年くらいに思われたのかもしれない。
チビのせいか実年齢より若く見られてしまうのはよくあることだった。
青年の質問について顎に手を当てて考えてみるが、しっかり時給を受け取ったのは四月に智恵さんが帯状疱疹になった時くらいだろう。
他にも季節のイベント時の装飾とか植木の剪定とかも金一封を貰ったりしたけど、雇われている訳ではなかった。
そもそも僕はアルバイトと呼べるのだろうか、と思うものの、おそらく青年が聞きたいのは僕の事では無いだろうから事細かに説明する必要もない。
「それなり?」
「なんだそれ」
疑問形で答えた僕に彼は不思議そうな顔をした。
「まぁいいや。店長ってどんな人?」
「明るくて頑張り屋さん」
「そうなのか?」
パッと頭に浮かんだ事をそのまま答えたけれど、青年は眉間に皺を寄せて訝しげな表情になった。
見ようによっては泣きそうにも見えるその顔に、僕は思わず手を伸ばしそうになってしまう。手は僅かにピクリと動いただけだけど、気持ち的には頭を撫でていた。
「あっ!」
「何?!」
思わずあげた声に青年の体がビクリと揺れた。
どこかで会ったことがあると感じていたけど、ようやく分かった。
―――彼は口と耳の形が沙恵さんに似ているのだ。
由恵は智恵さんをそのまんま若くした感じだけど、沙恵さんはそこまで智恵さんに似ていない……それに気付いて僕はもう一度マジマジと彼の顔を見た。
「店に電話した?」
「……したけど?」
やっぱりそうだ。
智恵さんの早とちりに気付いて思わずクスクスと笑いを溢してしまった僕に、青年は気を悪くしたのか赤くした顔をふいっと背けた。
「用件言う前に切られた?」
「ああ」
「声、お父さんに似てるって言われるんじゃない?」
「よく言われるけど……父を知っているのか?」
「ううん。そう思っただけ」
一連の質問で確信を得た僕の用事は終わった。
彼はキュッと口を結んで川を見つめる。何か思案しているのか、そのまましばらく川を見続けた。
青かった空はいつの間にか赤く色付いていた。
「俺、この前二十歳になったから、親父と呑んだんだけどさ」
このまま話さないならそろそろ戻ろうか、と僕が視線をサテライトの方に向けた時、青年がポツリポツリと話し始めた。
「酔っ払った親父が俺には腹違いのきょうだいが居るって言ったんだ」
親父がバツイチなのは元々知っていたけど、前の奥さんとの間に子供がいるなんてそれまで聞いたことは無かった。
ずっと一人っ子だったから、きょうだいに憧れを持っていたこともあり純粋に嬉しかったのに、翌朝には「そんなことは言ってない」と否定されてしまった、と青年は寂しげな笑みを浮かべた。
親父はそれ以上語らなかったし、おふくろに聞くことも出来なかった。
だけど、ふと三、四歳の頃におふくろと二人でどこかの川の近くの喫茶店に行ったことを思い出した。
普段はアイスや炭酸を口にしないように、とうるさいのに、その時だけはメロンクリームソーダを頼んでも怒られなかった。
ご機嫌なのかと思えば始終難しい顔をしていて「ここに来たことはお父さんには秘密ね」と言われたのだ。
幼かったからどこの駅だとか川だとか覚えていなかったけれど、今から考えてみるとあの時こっそりと前の奥さんを見に行ったのではないかと思った。
今まですっかり忘れていたけど、それに気付くと居ても立ってもいられなくなった。
親父が仕事に行っている間に日帰り出来る距離にある川で、近くの喫茶店をネットと電話帳で調べてそれらしいところに片っ端から電話を掛けたところ、反応があったのがサテライトだった。
勢いだけで来たから、いざとなるとなんて声を掛けていいのか分からなくなったそうだ。
「その、こんなこと言っちゃなんだけど『明るくて頑張り屋さん』ってのがビックリしたんだ。なんていうかさ、もっと気が強そうなイメージだったから」
「……店で君が見た通りだと思うよ」
『頑張り屋さん』っていうのは気の強さだと思うけど彼の中ではイコールにならないらしい。
今度こそ話す事は無くなっただろうと僕は立ち上がった。
電話の相手を智恵さんに伝えて早く安心させてあげたい。
日はすっかり沈んでしまって街灯の光を川面が反射している。
「じゃあやっぱりあの人がそうなのか?」
「直接聞いてみたら?」
僕はまだ座ったままの青年に右手を差し出した。
彼が僕の手を握ると引っ張って立たせる。
「……迷惑じゃないかな」
河川敷公園の遊歩道を引き返していると、青年がふとそう溢した。
「そういう人じゃ無いことは僕が保証する」
彼の父親が何を思って口を閉ざしているのかは分からないけれど、近藤家のことなら自信を持って言える。
智恵さんは絶対迷惑なんて思わない。
並木の間からサテライトが見えて来ると僕は智恵さんに電話した。
「お客さん連れて行くから、店の鍵開けといて」
遊歩道が終わると歩道に移りそのちょっと先、道路を挟んで反対側にサテライトが見える。
先ほど僕が消して出てきた電気が灯っている。
先に道路を渡って青年が渡り終えるのを待った。
彼は意を決したように被っていた帽子を脱いだ。