【SS】それは一本の電話から始まった〜煙草
閲覧ありがとうございます。
未だにアクセス数が伸びており偶々私が見た時がゾロ目だったので、智恵視点のショートストーリーを書いてみました。
スゥーっと立ち昇った煙が目線を越えるにつれて薄れ、やがて見えなくなる。
目には映らなくなったけれど、それが天国まで届けばいいなと思った。
「智恵さんが煙草を吸うとこ初めて見た」
丁度、お客さんも途切れて遅めの昼御飯に送り出した娘婿が、こんなにすぐに戻ってくるとは思わず驚いてしまう。
「まぁ偶にはね」
これは厄祓いみたいなものだ。
ランチタイムの忙しい時間にも関わらず店に元夫から電話が掛かってきたのだ。
受話器から聴こえた「もしもし」という声だけですぐに判った。別れてから二十三年くらい経っているにも関わらず判ってしまった―――。
その声が一度は名乗ったことのある名字を紡ぎ出すと反射的に切ってしまったけれど、きっと近いうちにまた連絡してくるだろう。
元夫は嫌煙家だから、営業時間中の喫茶サテライトには近寄らないはず。
そう思っていても、お客さんが誰も居なくなって今更さっき電話越しに聞いた元夫の声を思い出して手が震えてしまう。
店内で種類は少ないがいくつか販売している新品の煙草を思わずつかんで開封していた。
火を着けてから父が好んでいた銘柄だと気付いた。
ユラユラと白い煙が立ち昇るのを見つめていると、吸わないまま灰だけが伸びていく。
「灰落ちるよ?」
克己に指摘されてただ持つだけになっていた煙草を慌てて灰皿に灰を落としてから縁の窪みに置いた。
さっき電話に出たのは私だったけど次に電話に出るのは克己かもしれないし、営業時間外に家へ来るかもしれない。
だから克己には伝えておかないと。
「……さっき店にかかってきた電話だけど、別れた夫からだった」
「そうなんだ」
「離婚してから一切連絡が無かったのからびっくりして切っちゃった……またかかってくるかもしれない」
「わかった」
私だったらもっと根掘り葉掘り聞き出してしまいそうだけど、克己はただ頷くだけだった。
いつもと変わらない様子に少しだけ気持ちが落ち着いた。
「用件がわかるまで沙恵と由恵には秘密にして」
「いいよ」
煙草の火は灰皿の縁に触れていつの間にか消えてしまい匂いも薄れているというのに、克己と話しているうちに手の震えは治まっていた。
おもむろにカランカランとドアベルの音が響く。
「「いらっしゃいませ~」」
克己と私の声が重なった。
それから私は応対を、克己は混み始めるまではフリーランスの仕事をするために片隅に置かれたノートパソコンを起動する。
カチカチとマウスを鳴らす音が、注文されたコーヒーを淹れる私の耳に届く。
お客さんの分と一緒に克己にもコーヒーを淹れた。
甘党の克己には予め砂糖とミルクを入れたカフェオレだ。
「ありがとう」
作業の手を止めてお礼を言う克己に、私も心の中で「こちらこそありがとう」と伝える。
次に連絡があったとしても、今度はきっと震えずに話す事が出来るだろう。