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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛くなりたい
12/20

3

閲覧ありがとうございます。

 部屋の中に甘酸っぱい香りが立ち込める。

 職場の先輩から、この前の休みに家族で行ったブルーベリー狩りのお裾分けを大量に貰ったので、それを使ったチーズケーキを焼いた。


 三、四人分の小さめなホールケーキを焼いて家族で食べて貰おうと思ったけれど、よくよく考えてみればパティシエールの妹さんが居るのに烏滸がましい。

 焼き始めてから気付くんだからつくづく自分は間抜けだと思った。

 プレゼントも色々悩んだけれど結局何が良いのか思い付かなくて用意出来なかった。


 克己の誕生日は今年も平日で仕事帰りに家に寄ってもらうようお願いする。

 職場の共用冷蔵庫は小さいので克己に渡すまではうちの冷蔵庫に置いておくしかないから、アパートまで来てもらう事は必須なのだ。

 うちを待ち合わせ場所にした理由を聞かれて、素直にケーキを焼くからと伝えた。

 隠して驚かせたいとちょっとは思ったけど、私にサプライズなんて器用な事は出来ない。


 わざわざ家まで来てもらって、玄関先で渡してバイバイっていうのも無いよね。

 ケーキを食べてもらって……晩御飯の用意が必要かもしれない。

 ケーキを焼くためにちゃっかり有休を取っていたので、時間はまだ十分にある。


 食べなかったとしても冷凍しておけるからビーフシチューでも作っておこうか。

 加えて、トマトとアボカドとモッツァレラのカプレーゼにバゲット。この二つならビーフシチューを温めている間に用意出来るし、克己が晩御飯を食べないなら、切らずにそのまま保存しておける。

 足りなければパスタを茹でてペペロンチーノでも作ろう。


 翌日の仕事は終業時間になると急いで帰宅した。

 梅雨明け宣言はまだの六月下旬。連日しとしと降っていた雨で泥になっているところも多く髪にも跳ねていたので、帰宅するなり急いでシャワーを浴びた。

 もうルームウェアを着てしまうか、でも、克己が来るからスカートでも履こうかとしばらく悩んで……いつものジーパンじゃなくてスカートと考えた事に気恥ずかしくなった。

 結局いつもの長Tとジーパンを引っ張り出して着る。


 インターホンが鳴った。

 慌ててドアを開けて、克己を家に招き入れた。

 克己は今日は折り畳み傘だったようで片手に畳みかけの紺色の傘をぶら下げている。

 チラリと見えた傘の内側には白っぽい点がポツポツと描かれていた。

 おそらく傘を開くと星空になっているのだと思う。男性用の傘は無地やワンポイントが多いのに珍しい。


「雨の中わざわざ来てもらってごめんね」

「ううん」


 玄関より先に通すのは初めてだ。

 身長は私が僅かに低いだけ。玄関の靴も私の方が一回り小さかった。私は身長の割に足が小さくて、ブランドによるけど十センチ程低いお母さんや由恵と共有して履けるものもある。


 短い廊下を抜けて部屋に招き入れた。

 椅子なんて一脚も無くて、ラグの敷かれた上にローテーブルがあるだけ。適当なクッションを敷いて座ってもらうと冷えた麦茶を出した。


 スーツの上着を受け取ってハンガーに掛けておくが、そのハンガーを引っ掛ける場所も寝室に繋がるドアのノブだったりする。

 胡座で座っていた克己は、ネクタイも外してシャツのボタンも二つ目まで外してカッターシャツの袖を肘まで折って、服装を緩めたことで一心地ついたようだ。


 テレビは見ないから置いていなくて、壁に沿って本棚がある。飼い方から写真集まで動物に関する本がほとんどを占めていて、わずかに由恵から借りた少女漫画や小説、後は料理本二冊。極端に偏りのあるラインナップだ。


 お腹が空いているかどうか聞いたら頷いたので、特に仕切りも何もないキッチンスペースで、鍋ごと冷蔵庫に入れていたビーフシチューを出して温める。

 克己は他に見るものも無いので本棚に並ぶ背表紙を眺めていた。


「気になるのあったら読んでて」

「んー。沙恵さんって本当に動物好きなんだなって」

「うん。好きよ」

「ふぅ〜ん」


 バゲットを適当にスライスしてトースターに放り込むと、トマトとアボカドとモッツァレラを順番に切ってお皿に盛り付ける。

 オリーブオイルと岩塩と黒胡椒をかけてバジルの葉を添える。

 狭いキッチンなので先にカプレーゼをローテーブルへと運んだ。

 てっきり本を見ていると思っていた克己がローテーブルに肘を置いて頬杖をつきながらこちらを見ていたので驚いた。


「どうかした?」

「見てただけ」


 見てただけって言われても……見られていると思うとなんでか緊張してしまった。

 トースターがチンと音を立てて焼き上がりを報せるので、軽くマーガリンを塗って乾燥パセリを振る。

 それも運ぶと沸々と音を立てている鍋の火を消して、深皿に盛り付けて運んだ――――――運び終わってしまった。

 用意したメニューを出し終えて私は恐る恐る克己の向かい側に座り込む。


「どうぞ。食べて」

「いただきます」


 いつものことだけど、克己はニコニコしていてとても楽しそうだ。

 克己の視線が料理に逸れて緊張が解れた私はスプーンを手にするとシチューを一口食べる。

 ほろりと崩れる牛肉にちゃんと出来てて良かった、と息を吐く。


「美味しい!僕も作ってみたい!」

「ん?克己は料理したこと無いの?」

「学校の調理実習でも食べる係だった」


 同じ班になった女の子達が張り切ってくれていたそうだ。

 ああ、みんな克己に良いところ見せたかったんだろうな、と思うと女の子達のその気持ちは分かる気がする。

 家でも両親や妹がご飯を作るから自分で作るのはカップラーメンくらいだという。


 食事をおえてデザートのブルーベリーのベークドチーズケーキを出すと、克己は一段と目を輝かせた。

 結局パスタは作らなかったけれど、ビーフシチューを残さず食べてくれたから、お腹はほとんど満腹だろう。

 ホールを小さめの六分の一にカットして横にホイップクリームとミントの葉を添えてブルーベリーソースでお皿の縁にスッと弧を描いて垂らす。


「まるで絵を描いているみたいだね」


 飾り付けを見て芸大卒の克己らしい感想を言った。

 克己も飾り付けてみたいというから、テーブルの上に残っていたチーズケーキ、ホイップクリーム、ブルーベリーソース、ミントの葉、更にチョコレート菓子やクッキーも並べて二人でワイワイ騒ぎながらデコレーションしていく。最後にはペロリと全部食べてしまった。

 最初の緊張が嘘のように楽しい時間だった。


「克己は欲しい物ある?プレゼント悩んじゃって用意出来なかったから」

「えっ?十分お祝いして貰ったけど……」


 しばらく欲しい物を考えていた克己は、料理を教えて欲しい、と言った。

 それから夜遊びの時間の何回かは、料理教室へと代わった。

 元々、器用で何でもこなす克己はすぐに覚えて、三回目以降はただ二人で晩御飯を作って食べるのと変わらなくなってしまった。


 気がつけば紅葉シーズンも終わりという頃、しーちゃんが一歳のお誕生日を迎えた。

 まだ離乳食のしーちゃんには、由恵が砂糖の入っていないケーキを作っていた。クリームはヨーグルトを代用し、甘さは果物だけのケーキだけど、しーちゃんは喜んで食べていた。

 参加者はしーちゃん、由恵、お母さん、私の四人で、女ばかりのパーティーだ。友久君が居ないのは平日だから仕方がない。

 次の土曜日に、友久君の実家でもう一度お誕生日会をするらしいからその時には参加しているだろう。


「二人目が出来ました」


 誕生日会も終わり、という頃合いで由恵からの重大発表があった。来年の五月が予定日になるらしい。


「おめでとう」


 由恵が友久君と結婚すると報告された時は心から言えなかったお祝いが自然に出てきた。

 由恵は結婚してからずっと幸せそうで、特にしーちゃんを産んでからは毎日が充実しているというのが傍目にもよく伝わってきた。


「お姉ちゃんも早く結婚して子供作ればいいのに」

「動物達が私の子供だからいいの」

「もう!ペットを飼って婚期を逃している人みたいな事言ってるよ」

「そうね。私も早く沙恵の子も抱っこしたいわ」


 由恵の悪気はない言葉に、普段はあまりそういう事を言ってこないお母さんまでもが便乗する。

 私は自分が家庭を持つことに消極的なので、苦笑いを返すしか出来なかった。

 本気で動物達が我が子だと思うし、飼育員が生き甲斐だとも思っている。それでは駄目なのだろうか。


「…………考えとく」


 愛想笑いを浮かべてその場を適当に流して、話を終わらせた。

 もちろんその場限りの返事なので実際考えることなんて無いままに、クリスマスも職場で(動物達と)過ごした。


 年始も実家で寝正月を送っていたら、お母さんから慈愛の眼差しで見られた。正直、小言を口にされるよりも辛い。

 四月になれば私も二十九歳になる。二十代最後だと意識すると一種の節目のようにも思えた。

 ここは曲げて、多美ちゃんに誰か紹介して貰った方がいいかもしれない、なんて思わないでもないけど、それで良い人に出会えるなんてまったく想像出来なかった。


 二月のある日、克己と一緒に鯖の味噌煮を作っていた時の事。

 克己が妙に浮かれていたのでどうしたのか聞いてみたら、「辞表を出した」という答えが返ってきた。

 入社してからずっと思っていた仕事と違ったと感じていたそうだ。

 それでも母親に「少なくとも三年は続けなさい」と言われ、やっと三年経ったと嬉しそうに話してくれた。


「仕事辞めてどうするの?」

「フリーランスでデザインの仕事をするつもり」

「デザインって絵は専門じゃないでしょ?」


 芸大を出ていると言っても、克己は由恵と同じ学科だから造形の方が専門だ。

 確かにシン君のスタンプを作っていたから絵も描けるのだろうけど、仕事にするなら話は違うと思う。


「あと、照明とか作ってフリマアプリやネットオークションで売ったりもしてる」

「そうなんだ……」


 絵だけじゃなくて造形の方もしているようだが、正直、気軽に考え過ぎじゃ無いかと思ってしまう。

 だけど、克己が言うと上手くいくような気がするのだから不思議だ。

 その後会った時もしばらくはスーツ姿で、辞めるというのもピンと来ていなかった。

 三月になって有給休暇の消化を始めると私服姿で頻繁に来るようになって、ああ、本当に辞めたんだな、と思った。


 私の二十九歳の誕生日が過ぎてしばらくした頃、その日も克己がうちに来ていて、一緒に晩御飯のカルボナーラを作っていた。

 そこにお母さんから一本の電話が掛かってきた。


『なんかね帯状疱疹っていうのが顔に出来ちゃって、気持ち悪がるお客さんもいるから、しばらく店を休もうと思うのよ。誰か手伝ってくれる人がいるならいいんだけどね』


 料理しながらだったからスピーカーにしていたので、克己も一緒に聞いていた。


「由恵は?」

『水疱瘡と菌が同じらしくてしーちゃんに移ると駄目だから、治るまでうちに来ないでって言ってる。それにそろそろ臨月だしね』

「ああ。しーちゃんに移るかもしれないんだ。寂しいけど我慢だね。それで、どれくらい休むの?」

『長くても十日くらいらしいんだけど、症状次第ね』


 本当は私が店を手伝うべきなんだろうけど、飼育員の仕事をそんなに休むなんて出来ない。


「僕が接客する」

『えっ?今の克己の声?沙恵と一緒に居たの?!』

「お客さんが居ない時はパソコン触ってていいなら、僕が接客するよ」

『それは全然構わないし助かるけど』


 お母さんにも由恵にも私がサテライトの外で克己と交流を持っていることは特に話していなかった。

 もしかしたら、丁度一年くらい前に克己への誕生日プレゼントの相談をしたから、なんとなくは気付いていたかも知れないけど、それでも仕事終わりの平日の夜に一緒に居るのは、びっくりさせただろう。


 お母さんの声はちょっとの間困惑していたけれど、すぐにいつもの調子に戻って、克己と条件やバイト料などの話を詰めている。

 元々、何回もお手伝いしてくれていた事もあって特に揉める事もなくすんなりと話が纏まった。

 なんかこの為にフリーランスになったんじゃ無いよねって勘繰りたくなるくらいだった。


 お母さんの病気が予見出来たのだったら、占い師にでもなった方がいいんじゃないだろうか?

 克己の見た目なら、布ひらひらの服装して水晶玉に手を翳しているだけで、お得意様が付きそうだ。

 二人が会話している傍らで、こんなバカな想像をしてしまって慌てて打ち消した。


 その日のカルボナーラは延びて柔らかく、味もボヤケてよく分からなかった。

 それよりも時間が経つほどにお母さんの症状が気になって、今度の休みは絶対に帰らなければ、と強く思った。


「明日から僕が行くから大丈夫だよ」


 克己にポンポンと頭を撫でられて力が抜けたから、自分は強張っていたらしいと気付いた。


「とりあえず明日。お店終わった後でいいからお母さんの様子を報せて」

「わかった」


 翌日の夜、お母さんからビデオ通話があった。

 声だけじゃ無いのは、克己にそう言われたからだそうだ。

 

 画面越しに見てもはっきりと赤いブツブツが左耳の下辺りから首まで出ていた。赤の中に白い水膨れもあった。

 お母さんは一言もそんなこと言わないけれどかなり痛みも有りそうだ。

 服では隠せない場所のため確かに接客は難しいだろう。


 おそらく予兆はあっただろうに、こうなるまで誰も気付かなかったなんて……私は長女なのに側に居なくて申し訳ない。

 実家から職場まで車で四十分前後。全然通勤圏内である。

 一人暮らしを辞めて実家に帰った方がいいかもしれない。


「私、家に……」

『大丈夫よ。克己が手伝ってくれるし。初めは接客だけと思っていたんだけどあの子調理もやってくれるし、私、店の厨房で座って指示しているだけよ』


 そうじゃなくて、今回の病気は偶々命に関わるようなものでは無かったけど、この先の事を考えると……なんて口に出せなかった。出したら本当に何か起きそうで。

 結局、お母さんには伝えられないまま、楽しそうに話してくれるのを「うんうん」と聞くしか出来なかった。


 去年の克己の誕生日の時からだから、この十ヶ月程のお料理教室の成果が見事に出ていた。

 私がサテライトの手伝いで覚えた味を教えていたのだから、店の味を損なう事も無いだろう。

 顔と人当たりがいいから、さぞ女性客に人気だろうと思っていたら、元々何回か給仕の手伝いをしていたのを覚えられていて常連のおじさん達にも可愛がられているそうだ。


 そうなると、明日からお客は増えそうで、克己の本来の仕事に支障が出てくるのではないかと心配になった。

 メッセージアプリで『フリーランスの方は大丈夫?』と送ってみても『大丈夫』と返されただけだった。


 うちの家庭の事情に巻き込んでしまって申し訳ない。

 でも、よくよく考えてみれば今までも随分と手伝ってもらっている。

 お母さんも由恵も私も、本人が楽しんでいることに甘えて頼りっぱなしで頭が上がらない。

予定ではこの12話で完結する筈だったんですけど、終わりませんでした。

明日8/22(火)の0時に最終話をお届けします。

よろしくお願いします。

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