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「ちょっと沙恵、主役差し置いて話題を掻っ攫わないでくれる?」
あの二次会から十日後、新婚旅行でオーストラリアに行ったお土産のコアラのぬいぐるみを抱えて、多美ちゃんがアパートに突撃してきた。
言葉じりだけだと批難っぽいけれど、多美ちゃんの表情は、やっぱりね、と言わんばかりにニヤニヤしていて面白がっているのは一目瞭然だった。
「まさかダーリンの同期が沙恵の高校の先輩で元カレって思わないじゃない?」
恥ずかしげもなくダーリン呼びしている事に慄きながら、私も会うとは思ってなかったと頷く。
改めてお詫びとお礼を―――と思うのだけど、多美ちゃんは口を挟む隙が無いくらい次から次へと喋り続けた。
二次会の後で旦那さんと二人で先輩に、私が元カノだったといかに苦労して聞き出したかの経緯を事細かに話してくれている。
その大半は惚気だったような気がする……。
多分先輩も、何を見せつけられているんだ、って気分になっただろう。
多美ちゃんとは学校が違ったこともあり、先輩と付き合い始めた時もわざわざ話していなかったし、伝えた頃には完全に別れを受け入れた後だったから、先輩の名前も言ってなかった。
せめて当時名前くらい伝えておけばトラブルにならないように出来たかもしれない。
「それにしてもあの時のエンジェル君凄かったよね」
「エン、ジェ……ル、くん?」
「そうそう。沙恵のお誕生日に居た彼」
確かに私も克己が迎えに来てくれた時に天使だと思ったけれど、エンジェル君って呼び名は自分が呼ばれた訳でも無いのになんだか小っ恥ずかしい。
「で、沙恵んとこの式はいつなの?」
「へ?」
勝手に恥ずかしがっていたら何やら誤解されたみたいで、思いもよらぬ質問に変な声が出た。
「へ?じゃないわ。今カレよね?」
「前にも言ったけど克己は由恵の友達で、彼氏とかそんなんじゃ……」
「は?!それじゃなんであんなに計ったようなタイミングで迎えに来るのよ!しかも、招待されてもいない貸切の店って、友達の姉なんてそんな希薄な関係で迎えに来るとこじゃないでしょ」
計ったようなタイミングに関しては、結果的に私が克己にSOSを出していたからだけれど、先輩が話しかけて来なければ送信していなかった筈だから、限りなく偶然に近い。
だけど、確かに言われてみれば友達の姉という関係性は違うのかもしれない。
敢えて言うなら、夜遊び友達……それもなんか字面が不良っぽくて違う気がする。
「そういわれても……なんていうか、そう、弟とか親戚の子とかみたいなもんだよ」
「ふうん。それでいいの?」
「いいも何もそれしかないって」
それが一番しっくりくると思ったのだけど、多美ちゃんは残念な子を見るような目で見てきた。
「それじゃあさ。ダーリンの友達紹介してもらおう!」
「いや、いいって、そういうの」
「えー、年取った時独りとかって寂しいよ」
「案外気楽かも」
私の返事に、多美ちゃんは此れ見よがしにため息をついた。
そして、年が明ける。
お正月にサテライトで新年の挨拶をした克己は特に何か変わったという事もなく、相変わらずニコニコと懐いてくる。
そんな克己を見ながら、やっぱり弟みたいなものよね、と考える。
「シン君の写真が欲しいんだけど」
「いいよ。どの写真?」
「あるやつ全部」
実は年末に、フォルダーいっぱいのシン君の画像を見ながら追悼していたのだけど、まるでそれを見透かされたようなおねだりだった。
唐突なお強請りに先を越されたけれど、次に会った時には必ず伝えようと思っていた言葉があった。
「その節はありがとうございました」
「何の話?」
お礼は既に言ったかもしれないけれどあの時は酔っていたし、素面の状態でちゃんとお礼をしたかった。
それに、時間が経てば経つほど、あの時、克己に助けられたという思いが強くなっていたのだ。
だけど、克己にとっては大した事では無いみたいで、お礼を言われる心当たりは無いらしい。
二次会にお迎えに来てくれた時の話とすぐに言えたら良かったんだけど、それをお母さんや由恵に知られたくなくて、この場で聞き返されても困るなぁと曖昧に笑って答えなかった。
「分からないなら気にしないで」
「えーっ。なんだろう?」
私にとっては本当に救われたのだけど、克己にとっては何でも無い事だったのだろう。
普段から妹さんの送り迎えとかしているから、特別なことではなかったのかもしれない。
「ヒント頂戴」
小首を傾げて澄んだ瞳でジッと見られた。多美ちゃんがエンジェル君と呼ぶのも納得のビジュアルだ。
「ヒントね。ヒントは…………う〜ん……やっぱいいわ。忘れて」
頭の中を過ぎったヒントは、シン君、多美ちゃん、二次会、先輩、ブーツ……どれを言って思い出されても、気不味さしかない。
慌てて、これ以上は喋りません、という意思表示で両手で自分の口を塞ぐ。
克己の視線が私の口元……を塞いだ両手に注がれている。
それから目を細めて「フッ」と笑った顔が、いつものエンジェルスマイルとは違って小悪魔だった。
よりによって一番思い出して欲しくないことのヒントになってしまったようだ。
「……そんな可愛い顔をしているとチューしちゃうよ」
克己は顔を私の耳に寄せて、声を潜めて囁いた。
言葉は以前と同じでも、明らかにからかいが含まれている声音。
「ち、ちがっ…………」
私も気にしないようにしていた事を思い出してしまって、かぁ~っと全身が熱くなる。
同時に、お母さんや由恵が気になってチラチラと視線が泳ぐ。幸いお母さん達はしーちゃんを中心に話が盛り上がっているみたいでこっちを見ている人は誰も居なかった。
「そういうのは、将来奥さんになった人にお願いしなさい」
こちらに注目されていないことが確認出来たから、内心のドキドキを隠して私も声を抑えて負け惜しみを言った。
それからそっと離れて距離を取る。
チラリと克己の顔を見るとなんだか拗ねているような顔をしていた。
「そうだ!由恵」
別に勝負事とかでも無いのに妙な敗北感を感じて、私はその場から逃げ出す事を選ぶ。
「今年の家族への入場無料券。由恵と友久君でどうぞ。しーちゃんはまだ無料だから家族でおいでよ」
年末に職場から配られている福利厚生の一環だけど、色々あって渡せなかったからこの場に持ってきていた。
動物園は冬場に訪れる人が少なく、閑散期となるクリスマスの翌日から春休み直前までの期間に身内を招待しているのだ。
「ありがとう」
封筒に入ったそれを受け取った由恵はニコニコしている。
寒い時期で申し訳ないが楽しんでもらえたらいいな。
それから私と克己も自然としーちゃんを囲む輪に参加した。
後日、ファイル共有サービスを利用してシン君の写真を厳選して克己に送りつける。
克己は全部欲しいと言っていたけど、それじゃあ流石に多すぎる。
似たような構図や写りが良くないものを弾いても百枚を超えてしまった。
克己は相変わらず気まぐれで仕事帰りに遊びに誘ってくるけど、就職して三年目に入るからか前より忙しくなったみたいで、その回数は減っていた。
久しぶりに『今日行く』と連絡があったのは、私の誕生日だった。
昨年とは違って平日だし、仕事もあるし、お誕生日会みたいな事はしないけど、お母さんと由恵と友久君からは誕生日プレゼントを既に貰っているし、今朝も『おめでとう』のメッセージが届いていた。
克己からは無かったけど、昨年はお母さんのケーキに釣られて私のお誕生日会に参加しただけで、私の誕生日をはっきりと覚えてはいないのだろう。
家族も友人も『おめでとう』と送られてくる中、いつもの通り昼休みに一言だけな克己のメッセージが少し寂しく思えてしまう。
定時から一時間程してから通用門を潜る。
仕事帰りの克己は電車で来るから、何時に来るかはだいたいわかっている。
だから、日報を書いてタイムカードを押した後でも事務所の中の掃除とかをして時間を潰した。
通用門を出るといつものように「沙恵さーん」と呼ばれるかと思ったけれど今日は声が聴こえない。
電車が遅れているかもしれない、とジッと駅の方を見つめた。
不意にスマホから短い通知音が鳴った。
やっぱり電車が遅れているのかな、と画面を確認すると、克己からメッセージアプリ内のプレゼント機能で贈り物が届いていた。
「あっ」
プレゼントを開くとアプリで使えるスタンプだった。
『おはよう』『いいね』など定番メッセージのものもあれば、『今日行く』『迎えに来て』なんてあまりスタンプでは見ないメッセージもある。
そして、それらの文字に添えられているキャラクターは、デフォルメされたシン君だった。
その特徴を捉えたイラストに顔が歪む。
嬉しいけど喪失感を思い出して、笑いたいのか泣きたいのかよくわからない顔になってしまったのだ。
「誕生日プレゼント。どう?」
急に後ろから耳の近くで囁かれた。それからまた通知音が鳴る。
後ろに居るのは間違いなく克己だろう。おそらく駐輪場あたりで身を潜めていたに違いない。
すぐに振り返るにはなんだか気不味くて、まずはメッセージを確認する。
送ってきたのは『おめでとう』のスタンプ。
今プレゼントされた中にも含まれているシン君のイラストのものだ。それに私は今貰ったばかりの『ありがとう』のスタンプを返した。
「克己、絵上手だね」
「専門じゃないからそれなりだけどね」
「えーそれなりじゃないよ。本当に上手」
それだけ会話すると、ようやく私は振り返ることが出来た。
「ありがとう。メッセージ来なかったから誕生日知らないと思ってた」
「会ってから言おうと思ってたから……お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
捻くれた私の言い回しにも克己は素直にお祝いしてくれた。
ニコニコしている克己を見ていたら、それに釣られたのか嬉しい気持ちに満たされて私も笑顔になった。
それから二人で動物園前の広場にあるベンチで並んで座って、どのスタンプがどの写真から作られたのか、克己が写真から読み取ったストーリーを教えてくれる。
年末に一人でシン君の思い出に浸った日、悲しむだけ悲しんで、それで私は終わりにしたつもりだった。
今までにも別れはあったのに、いくら私を慕ってくれていたとしても、シン君との別れを一番引き摺っている自分が飼育員としてよくないと思っていた。
だから、そんな気持ちにきっちり蓋をしたつもりだったんだ。
今、二人でシン君との想い出を話す行為は、その蓋をもう一度開けて、記憶という箱に詰め直す作業だった。
体調が悪いのにもっと早く気付いていればとか、長く苦しめただけじゃ無いかとか、晩年のシン君の事ばかり考えて終わりにした私は、克己と話す事でシン君との楽しかった想い出がたくさん溢れてきた。
辛い記憶だけじゃなかったから―――だから、もう、蓋は必要無い。
その日はいつものようにスポーツをする事もなく、ただおしゃべりをしてから、お互いの家に帰宅した。
由恵が克己は『話が通じない』とか『空気を読まない』とか愚痴っていたけど、私からすると全然そんな事はなくて、克己はとても人の感情に敏感だと思う。
他人の気持ちを全部察して行動するのは無理だから、鈍感を演じているのかもしれない。
私が勝手にそう思っただけで実際は分からないけれど、今日も克己に助けてもらったと感じた。
だから今日のお礼を含めて二ヶ月半後の克己の誕生日には、喜んでくれるものを用意したいと思った。
私が知っている中で克己が大喜びしていたのは、お母さんの作ったケーキだ。
私が手作り出来る中で唯一喜んでくれそうなものだった。
実家に住んで居た頃は喫茶店でもお手伝いしていたから、お母さんに教えられて何度も焼いた事がある。
一人暮らしを始めてから自炊くらいしかしていないから、何年も作ってはないけど、子供のうちに習得した事は何年経っても忘れないものだ。
でも、ケーキだと食べればおしまいだから、何か残るものもあげたいけれど、克己の欲しい物とかはまったく知らなかった。
本人に直接は聞き辛いし、元カノの由恵やあまり個人的な話をしたことのない友久君にも聞き辛い。
それに由恵の一家は、友久君の実家の近くに家を買っていて、しーちゃんの六ヶ月健診が終わった後に引っ越すことになっている。
しーちゃんが十一月生まれだから、丁度引っ越しの準備で忙しいだろう。
周りの人に聞くとしたら消去法でお母さんだ。
そんな訳で今度の仕事の休みには実家に帰って、まずはお母さんに克己が特に好きなケーキを聞いてみることにした。
念の為、レシピも再確認したいと思っている。
帰省すると由恵達は友久君の実家で過ごしていると聞いて、由恵と顔を会わせなくてよかったことにホッとした。
友久君の実家の方が、新居が近いのでちょっとずつ部屋の間取りを測りに行ったり掃除をしたりして、引っ越しを進めているらしい。幸せそうで何よりである。
お客さんの居なくなった店内をお母さんと掃除しながら、さり気なく話を振る。
「最近、人手が少なくない?大丈夫?」
「そうね。由恵のとこは新婚さんだししーちゃんも居るし、克己は仕事が忙しくなってきたから……でも、大丈夫よ」
ここ数年ちょっと手伝いが多かっただけで、元々一人でやってきたから、とお母さんは続ける。
「まぁ、沙恵にもまた植木の手入れとか頼むかもね」
「うん。出来るだけ帰ってくるようにする」
「頼りにしてるわ」
なかなか聞きたいことに繋がらない。
そもそも私に遠回しで聞き出すなんて器用なことは無理な話だったのだ。ここは素直に聞くしかない。
「克己にケーキ焼きたいんだけど、どんなのが好きか分かる?」
自分でもビックリするくらいド直球だ。
私より低い位置にあるお母さんの顔を覗き込むと、由恵と同じ大きな目をパチクリとさせている。
「克己にだけ?」
「あーちょっとお世話になってお礼に」
「お世話になったの?どんな?」
「あー、えーと誕生日プレゼント貰いました」
「それはお世話になったて言わないわね」
ちゃんと話さないと私の質問には答えてくれそうに無い圧を感じた。
「貰ったのコレなんだけど」
私はスマホを手にとって、克己作のシン君スタンプを見せる。
「シン君が年末に亡くなって……でも、克己が一緒に居られるようにしてくれたの」
全部は話さない。二次会の話はバッサリ切って、誕生日プレゼントに関係していて更に『お世話になった』でも問題無さそうな言い回しを選んだ。
「カワイイ!へー克己から貰ったんだ?」
どうやらお母さんが納得出来る理由を言えたようで、それ以上の追及が無いことにホッとする。
「ケーキっていうか焼菓子全般好きみたいよ。何でも喜ぶわ。でも、そうねぇ、ベイクドチーズケーキはどうかしら?克己の妹ちゃん、製菓学校に行っているらしいんだけど、チーズケーキはスフレばっかり作るって不満そうだった」
ベイクドチーズケーキは私が初めて一人で焼いたケーキだった。
中学生の時、多美ちゃんの誕生日に作ったけれどホールでは渡せなかった。
失敗していないかが気になって、味見せずにはいられなかったのだ。
懐かしくて少し恥ずかしい想い出に思わず小さな笑いを溢してしまう。
そんな私にお母さんもにっこりと笑った。