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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛くなりたい
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閲覧、いいねありがとうございます。

ここからは沙恵視点になります。

 その日は天気予報でも随分と冷えると言っていた。昨日は十二月にしては暖かかったから、寒暖差で余計に寒く感じた。

 明日は僅かに寒さが緩むみたいなのでそれは良かった。


 幼馴染の多美ちゃんが最近結婚式を挙げたのだ。

 結婚式と披露宴は、親族と会社関係の人だけでして、仲のいい友達は日を改めて二次会という形になっている。

 その二次会に出席するので、明日は終日お休みをもらっていた。今日は日勤で夕方には仕事を終える予定になっていた。


 リスザルのシン君はここ数ヶ月ちょっとずつおかしいなと思うことが増えていて、それが今朝はとうとう寝転がったまま起きなかったのだ。

 もちろん、様子がおかしいと気付いた頃から獣医には診てもらっている。


 シン君は、私が飼育員になった年に保護されたのだけど、その時で既に成獣だと言われていた。

 当時、二十三だった私も二十七歳になっている。

 四年も経ったのだからシン君ももちろんそれだけ歳を取っている。

 獣医さんに寿命だと言われてしまえば、確かにそうなのかもしれない。

 だけど、シン君は私が初めて担当した子で、私にとっては特別だ。

 だからこそ、勤務時間を終えても帰るなんて出来なかった。最期まで側に居たかったのだ。


 シン君が穏やかに息を引き取ったのは明け方三時半くらいだった。

 早朝すぎて園長になかなか連絡がつかず、六時過ぎにようやく連絡がついて動物園に来てくれたのは七時頃。

 色々あって家に帰ったのは九時を過ぎていた。


 眠れないながらもなんとか二時間ほど仮眠をとってから、お風呂に入って多美ちゃんの二次会に行く準備をした。

 親友のお祝いなんだから辛気臭くなっちゃ駄目と自分を鼓舞し、普段はしない化粧をすることで哀しみは覆い隠す。


 いざ出掛ける段になって履いていく靴が無い事を思い出した。

 日常ではスニーカーしか履かない私はおしゃれ靴を殆ど持っていない。

 唯一持っていたパンプスは気づかぬ間に踵に大きなキズがついていた。

 昨日の仕事帰りに買って帰らないとと思っていたけどシン君の事があって完全に頭から抜けてしまっていた。


 二次会は十五時から。正直、今から買いに行ってる余裕は無かった。

 持っている靴で履けそうなものというと、あとは黒いショートブーツくらいだ。

 親族の居る披露宴だとマナーが良くないけれど、友人のみの二次会でならそこまで言われないだろう。

 それに、多美ちゃんからもカジュアルな恰好でいいよ、と言われているし、お目溢ししてもらうしかない。


 バスの本数があまり多くないから、次のバスを逃したら電車で行くことになる。

 電車だと遠回りをしなくてはならなくて、料金も高くなってしまうのだ。

 私は慌ててショートブーツを履くと歩き慣れた動物園への道を辿った。


 シン君がいなくなって胸にポッカリ穴が開いてしまっていたけど、慶事の場でそれを表に出すことは出来ない。

 多美ちゃんから予め聞いていた通り、小中学校時代の友人は私だけで、特に会話が続く相手もいなかった。


 それで間が持たなくて、ついお酒に手が伸びてしまう。

 失った哀しみとちゃんと笑わなきゃという相反する気持ちが反発して、感情はどんどん鈍くなっていく。

 ザルという訳でも無いのに飲んでも飲んでも全然酔えないでいる。


 一度、多美ちゃんの席へ行ってお祝いを伝えて、写真を撮らせてもらった。

 私はちゃんと笑っておめでとうを言えたのだろうか。

 スタッフに撮ってもらった私と多美ちゃんと新郎さんの写真の中では笑えているような気がする。


 誰かに助けて欲しい―――手慰みにメッセージアプリを起動し、メッセージ欄に泣き顔のスタンプ。

 祖父母が亡くなった時から家族(母と妹)には甘えられない、と思った。

 だから、スタンプをメッセージ欄に表示したのは、その二人ではない。

 友人とも呼べない……だけど、ここ最近、家族と同僚以外の中では一番会っている人。

 指は送信ボタンの上を彷徨うけれど、送れるはずは無かった。


 スマホを見ていたから、私は随分と視野が狭くなっていたようだ。

 多美ちゃん以外知り合いは居ないと思っていたのに、よりによってこの人がいるなんて誰が予想出来たのだろう。


「まさかアイツの嫁さんの友人に沙恵がいるなんてな」

「先輩……」

「世間って狭いな」


 突然声を掛けられて慌ててスマホを鞄の中に押し込んだ。

 あまりにも驚いたせいで画面のどこかに触れてしまった気がするけど、気のせいだと信じたい。


 まさか新郎の友人に、元カレがいるなんて酷い偶然だ。

 しかも、他に彼女を作って音信不通になったくせに、悪気なんて微塵もなく話しかけてくる。


「あの新婦さん、うちの高校には居なかったよな?いつの友達?」

「……小中です」

「へー幼馴染ってやつだ」

「ですね」


 早くどこか行って、と思いながらも相槌の域を出ない返事を返していた。


「俺は新郎の同期なんだけど」


 私の意図なんてちっとも伝わらず、隣の席を譲ってもらって聞いてもないことをペラペラと話し始める。

 勤め先は誰でも聞けば分かるような大企業だ。

 唐突に始まった自慢話に戸惑いつつも、お祝いの席で騒動を起こしたくなくて無難な相槌を打ち続けた。


「この後、二人で飲みに行かない?」


 そう言って膝の上に置いていた筈の私の手を握って机の上に引っ張り上げる。

 散々、自分は凄いって話をしていると思えば、終着点はそこなのか。


 先輩の卒業式の後で陸上部のみんなの前で告白されて断れなかった。大学生になった先輩に押し切られてハジメテを捧げてしまった。

 きっと流されやすいと思われているのだ。こんなに俺は凄いんだぜ、と強気に出て押し切れば、私が頷くと思ってる。


 そっと手を抜き取ろうとしたが、ギュッと掴む力が強くなった。

 なんとか手を離してもらおうと手前や横に動かすけど、完全に引き抜く前に掴み直されてしまう。


「いえ……帰ります」

「俺達、あんなに仲良かったじゃん」


 確かに昔は仲良かったかもしれない。少なくとも告白されて絆されて付き合うくらいには、一緒にいて楽しかった。

 せめてお詫びの言葉の一つでもあれば、もう少し話を聞けるかもしれないのに、私達が何故別れたのかを忘れてしまったようだ。


 こんなのただただ無駄な時間だ。

 私は多美ちゃんを祝う為にここにいるのに。

 そうじゃないなら、シン君を悼む時間にしてほしい。


 今になって酔いが回って来たのかもしれない。

 なんだか頭がドクドクと脈打っている。気持ち悪い、手を離して欲しい、鬱陶しい、そんな負の感情が高まってどうしようもなくなった時に、先輩を隠すように誰かが横に立った。


「沙恵さん、迎えに来たよ?」

「なんだお前っ」


 ふわりと笑った克己に、天使がそこにいるのかと思った。

 睡眠不足と飲み過ぎで、ついに幻覚を見始めたのかもしれないと疑ったけれど、それは先輩が焦った声を上げたことで否定された。


「誰だ!」

「しっ」


 更に声を上げた先輩を克己は一瞬振り返って一言だけで黙らせる。

 きっと先輩も克己の綺麗な顔に見惚れたのだ。ほんのり頬が赤くなって固まっていた。

 さっきまで熱いくらいのゴツい手に握られていた私の手は、いつの間にかほんのり温かい克己の手の中に収まっていた。

 渦巻いていた負の感情はあっという間に消え去っていく。


「沙恵さん、水もらう?」


 穏やかに聞いてくる克己の声は先輩と違って心地いい。

 言われてみれば喉がカラカラになっていたから頷いた。

 お店のスタッフに水を持ってきてもらって、重ねられた克己の手が離れた。

 両手でグラスを持ちながら、目は克己を追う。


「多美子さん、おめでとう。お祝いの席に勝手に入って来てごめんね」


 克己の言葉に見渡せば、いつの間にか多美ちゃんがこっちに来ていたようだ。

 それに随分と注目を浴びている。


「ううん。ありがとう。……沙恵、体調悪いの気付かなくてごめん」

「私が隠していたから多美ちゃんのせいじゃないよ。それより克己はなんで居るの?」


 前半は克己に、後半は私に向かって多美ちゃんが頭を下げた。こちらこそ騒がせてしまって申し訳ない。

 水を飲んで落ち着きを取り戻した私はようやく頭が回ってきた。

 それでも、克己がここに居ることがまだ理解出来なくて、思わず質問してしまう。


 克己は、コートのポケットからスマホを取り出して、コレコレと言わんばかりに振ってみせた。

 ―――もしかして。私は慌てて自分のスマホを確認する。

 送るつもりは無かった悲しい顔のスタンプに既読が付いていた。

 更にその後に克己から『何かあった?』というメッセージが来ている。

 先輩が声を掛けてきた時、やっぱり手が当たって送信してしまったようだ。

 たった一個のスタンプを送っただけなのにわざわざ迎えに来てくれたのだと思うと、胸が熱くなった。


「…………来てくれてありがとう」


 椅子から立ち上がるとフラリとした。

 頭がはっきりとしたことで、酔いは醒めたと思ったのに体は思ったより動かなかった。


「……克己」

「何?」

「飲み過ぎちゃった。手貸してほしい」

「うん」


 素直に甘えて手を借りようとすると、腰を支えられてしまった。

 確かにフラつかなくなったけど既に注目を浴びている中、これはかなり恥ずかしい。

 早く帰りたい気持ちがますます強くなってくる。


「多美ちゃん、本当におめでとう。最後まで居れなくてごめんね」

「何言ってんの。もう、早く帰って寝るんだよ」


 私の気の所為でなければ心なしか多美ちゃんがニヤついている気がする。

 入口でコートを受け取って外に出ると、外の寒さから守ってくれようとして克己が益々私を引き寄せる。どうせ自分の足じゃまともに歩けないのだから遠慮なく体を預けた。


「車で来てるから駐車場まで頑張って」

「うん。大丈夫」


 助手席に座らせてもらってしかも座席の調整とシートベルトまで手伝ってもらう。

 克己が離れると両腕で顔を覆って兎に角、自分の視界から彼の姿を隠した。

 克己に赤くなった顔を見られたくなくて自分の目を塞いでいる。

 自分の目を塞いでも相手から見えているから意味は無いのにそれでも(ささ)やかな安心を得ている私をどこか遠くから見ているもう一人の私が、浅はかで滑稽だ、と嘲笑っていた。


 ふと、まだ幼い時に由恵とかくれんぼした時を思い出した。

 目の前でしゃがみ込んで自分の目を隠して「由恵ど〜こだ」と言った時の由恵は、私と違って可愛さしか無かった。

 いい大人が四歳児と変わらない行動をしている事に気付いて益々滑稽だという気持ちが強くなる。


「……サテライトに送るね」


 克己は気を使ってそう言ってくれたけど、私には近藤家の精神面を支えていた自負がある。

 こんな情緒不安定な姿を家族に見せるわけにはいかない。

 更に、明日は仕事だ。実家から通える距離ではあるけれど、通勤時間が長いのは億劫だ。


「……今朝早くにシン君が亡くなったの。多美子のお祝いなのに泣きそうでついお酒を飲みすぎちゃった。笑顔でお祝いしたかったのに」


 そういうと克己は納得はしていなさそうな顔をしながらもアパートへと向かってくれた。


 送ってもらっている間、今日初めて胸の内を話すことが出来た。

 抑え込んでいた気持ちがどんどんと溢れ出してしまって、私はシン君を悼む気持ちと、多美ちゃんを心から祝福したいのにお祝いしきれなかった気持ちと、なによりもどちらも中途半端になってしまったことを、克己に聞いてもらった。


 気が付けば、まるで神父さんに告解するように私は何度も謝っていた。

 ルームミラーに映る克己の視線が何度も私を見ているので、とても心配をかけてしまっていると思う。

 それでも、余計なことは言わずにただ聞いてくれる克己に私は懺悔し続けた。


 車がアパートの前に着いても、お酒は抜けきっていなくて情けないことに足元は覚束なかった。

 そんな私を見捨てること無く、アパートの前に車を停めて部屋まで送ってくれる。

 早く克己を解放してあげたいという焦りからかショートブーツのファスナーが上手く下げられない。

 なんで私はパンプスを買いに行かなかったのだ。本当にツイていない。

 私が苦戦していると、克己が急に足元にしゃがみ込んだ。


「僕がするからじっとしてて」


 顔の近さに驚いて少し後退(あとずさ)る。そのために両手を体の横についたので、自然と克己にファスナーを預ける形になってしまった。


 克己がファスナーを下げると、さっきまでの抵抗が嘘のようにジーッと軽快な音を立てて一番下まで降ろされた。

 もう片方のブーツも同じ様にファスナーを降ろして足から引き抜いてくれる。

 さらにブーツをちゃんと揃えて置いてくれた。

 その流れるような一挙一動に魅入られる。

 髪の毛と同じで茶色味がかった長いまつ毛が綺麗にカールしていて思わずじーっと見てしまった。

 

「ほら。脱げたよ?」


 克己の近くで見てもシミのない綺麗な顔を見つめていたら、彼の目が急にこっちを見てきて動揺が隠せない。

 赤くなった顔を隠したいけど、体が追い付かない。

 結果、上半身が勢いよく後ろに倒れ込んでしまう。


「危ない!」


 頭を床に打つと思ったけど、克己の手がギリギリのところで支えてくれた。

 克己の顔から離れようとしたのにさっきよりも近くなっていて、ドキドキが隠せない。

 目の前にあるのは、ほんのり薄紅色の形の良い唇だ。

 少し乱れた呼吸が感じられるくらい近かった。


 恥ずかしさとドキドキで全身真っ赤になっている。

 妙に口の中に唾液が溜まってきて無意識に飲み込んだら、思いの外、喉が鳴る音が響いた。

 お願い、気付かないでと心の中で祈らずにはいられなかった。

 克己の手がそっと私の頭を床に置く。


「……そんな可愛い顔をしているとチューしちゃうよ」


 ツンと指で私の唇を突いてくる。

 唇を凝視していたことがしっかりバレている。

 今日はちゃんとメイクしたからリップも塗っているとはいえ、きっとガサついている。それにきっとお酒臭い。

 今日は駄目!咄嗟に両手で自分の唇を隠した。目も完全に泳いでいた。


「可愛いなんて、嘘」


 もっと他に言うことはあったかもしれないが、可愛い顔という言葉に過剰反応してしまった。

 スタンプの誤送信から始まって、酔っぱらって懺悔して靴も自分で脱げなくて、挙句の果てにいきなりひっくり返って、醜態しか晒していない。

 可愛い要素なんて一つも無いのになんでそんな事を言うのか信じられない。


「可愛いよ」

「それはない」


 もう一度可愛いと言ってくれた克己の声はとても優しい。

 だけど私は、それはいらない。そんなのより家族を支える精神力が欲しい。「流石お姉ちゃん」「頼りになる」って言ってもらえるように―――。


 何か言いたそうにしながらも口を噤んで立ち上がった克己は、頑なに反論する私に呆れただろうか。

 そんな心配が胸を過ぎったが、すぐに差し出された手に否定された。

 恐る恐る克己の手に掴まれば引っ張り起こしてくれる。


 それから更に克己が手を伸ばしてきた。

 私の乱れた髪を撫でつけて整えてくれた。


「ありがとね」


 出来たと言わんばかりの笑顔に自然とお礼が言えた。

 たった一言だったけどその中には色んなお礼が含まれていた。

 髪を整えてくれたことだけじゃない。

 迎えに来てくれてありがとう。

 先輩から助け出してくれてありがとう。

 話を聞いてくれてありがとう。

 今、一緒にいてくれてありがとう。

 あれだけ苦しかったのに、心が軽くなっているのは克己のお蔭だよ。


「また遊びに行こうね。今日は本当にありがとう」

「うん。また」


 今日初めて、意識しないで笑えた。

前回の克己視点と今回の沙恵視点、シン君が亡くなってからアパートに送り届けるところまでのシーンが思い浮かんだのでこの続編を書き始めました。

やっとこのシーンに辿り着けて自分的には満足です!

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