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可愛いと言わないで。  作者: 加藤爽子
可愛いにはうんざり
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 風が吹けばまだ暑さを凌げる初夏の頃。

 それでも外回りでじわりとした暑さに包まれた体が、外気より僅かに冷やされたオフィスの空気に癒やされる。

 

 今年、大手玩具メーカーに就職したばかりの僕は、希望していた商品開発部ではなく営業部三課に配属された。

 思い付くままに玩具を提案していくなんて面白そう、と就職を決めたけど、蓋を開けてみれば、既に商品を取り扱ってくれている店頭に赴き、より売れるように見せ方の提案をしたりする、アフターフォローが主な仕事内容だ。今のところ。


 三月まで芸大生だった僕が企画や開発ではなく営業に配属された理由は知らない。

 ただ自分が考えてもなかった部署だけに「へーこんな事するんだ」という新鮮さはある。

 売り場のディスプレイや販促グッズなど、企画提案っぽい事が出来ないわけでも無い。だけど、やっぱり新商品を企画出来ないのは残念だ。


 今は二年先輩の下村さんと午前中に客先へ顔を出し、少し早めの昼食後に帰社してきたところだ。

 自社ビルの二階にある営業部の入口横の壁に貼り付けられた、在席を知らせるホワイトボードの『原田克己(はらだかつみ)』と自分の名前の横に書かれた外出先と帰社予定時刻を消して自席に着いた。


「原田、今日中に報告まとめて出して」

「へーい」


 外回りはともかく書類仕事があまり好きでは無い僕は、乗り気では無い返事をしてパソコンを起ち上げる。

 僕に指示を出した下村さんは、そんな気の無い返事でも特に気にした様子は無い。

 成果さえあげればタメ口でも気にしない人で、むしろ堅苦しいのを嫌うところがある。その点は同じく堅苦しいのが苦手な僕と相性が良かった。


 しばらくパソコンの画面に集中していたが、フロアの空気が妙にざわついているのに気が付いて顔を上げると目が合った女性から「可愛い〜」と歓声が上がった。

 なんだろう?と首を傾げるとその仕草に反応したのか外の廊下からこちらを覗いていた女性達が更にザワついている。

 社員証を首から下げているのでうちの社員だというのは分かるけど、何れも知らない顔ぶれだ。


「ああ、総務の山中だな」


 隣の席の下村さんが最初に声を上げた女性の名前を教えてくれた。下村さんの同期らしい。

 廊下に沿って硝子張りになっている向こう側には、山中さん含めて三人程女性が集まっていた。


 僕は日本人にしては色白で髪も地毛なのに茶色く、背が百七十センチに満たず成人男性にしては小さめだからなのか、『可愛い』と言われる事は非常に多かった。

 正直な話、女に生まれていれば良かったかもしれないが男の僕には『チビ』とか『女みたい』とか言われているように聞こえてそう言われるのはあまり好きでは無い。

 世間的には褒め言葉かもしれないけれど、僕にはうんざりとする言葉なのだ。

 兄の晴司(せいじ)はもっと男らしい見た目なので、僕もあの遺伝子が欲しかったと思う。

 そんな内心を出したところで理解を得られないのは、これまでの経験で分かっているので、こういう時は聞かなかったことにするのがお互いのためだ。


「多分あれだろ。写真撮られていたやつ」


 そういえばゴールデンウィーク明けの下村さんと行った東京出張で、雑誌のコーナーに写真を載せたい、と声を掛けられた事があった。


「あれは関東ローカルの筈」

「だから時間差じゃねーの?」

「時間差……あっWEBにも載ってるって」


 大学時代の友人である沖田水奈都(おきたみなつ)が東京の広告代理店に就職しており、偶然にも彼女の会社がその雑誌のWEBを下請けしているのだと言っていたのを思い出した。


 関東圏のみで発売されている雑誌の『街で見かけたイケメンくん』というコーナーの写真を撮らせて欲しいと言われてノリで引き受けたけど、全国紙じゃ無いし販売圏外のこっちで反応があるとは思わなかった。

 隔月で偶数月の五日(いつか)に発売されると聞いていたが、カレンダーは既に六月の最終週になっている。時間差にしても遅い気もするが案外そんなものなのかもしれない。


 そういえば東京に出張した際、水奈都と同じく大学時代の友達の斎藤侑士(さいとうゆうし)に偶然東京駅で出会った。

 父親が社長だと言う侑士は、学生時代もずっと家業を手伝っていた事もあって高そうなスーツを普通に着こなし、新卒っぽさが全然無かった。

 ちなみに僕も不遜な態度が新人っぽくないって下村さんに言われている。

 侑士と僕は同じ新幹線に乗っていたのに降り立った東京駅のホームでばったり出会って、初めて一緒の新幹線だったんだって笑い合った。思わず記念に二人で写真を撮ってしまったくらい浮かれた。

 それでちょっとテンションが高くなっていたのだろう。勢いで雑誌に載ることに同意してしまった。


 「どれどれ」と呟きながら下村さんがブラウザで検索してみると、程なくして目的のサイトが出てきた。

 表示された自分の写真は、外で撮影された為か生まれつきの茶髪が家で鏡を見ている時よりも明るく、僕ってこんなんだったかな?、と思う。


「うへぇ。なんだよ『彼女いますか?』って質問に『秘密』って…こんなの絶対居るだろ」

「うん。由恵(ゆえ)に『付き合っている事はみんなには秘密にして』って言われたから」

「え?それ言ったら秘密にならなくないか?」

「ん。先週別れたから……時効?」

「別れたって……しかも最近じゃん」


 聞きたくなかったとばかりに下村さんが頭を抱えてしまったのでどうしようかと思ったが、彼は徐ろに顔を上げるとブラウザを閉じた。


「今は仕事だ仕事するぞ!とりあえずお前はアレを蹴散らしてこい」

「分かった」


 アレと指された先は、廊下にいる三人から五人に増えた女性社員達。

 席から立ち上がってそっちに向かうと、一様に興奮しているのが分かる。

 僕がにっこりと造り笑顔を浮かべて「就業時間外にお願いします」と言うと、みんな顔を赤らめて口々にモゴモゴとお詫びを言いながらもすぐに立ち去ってくれた。

 高校の時なんか結構食い下がってくる子とかいてチャイムが鳴ってしまった事も何回かあったから、すぐに引いてくれたここの先輩方は「大人だなぁ」と思った。


「このタラシめ」


 席に戻ると何故か下村さんに悪態をつかれたが、指示通りにしただけなのに腑に落ちない。




「ただいまー」


 僕のお願い通り定時を過ぎてから更に増えた女性達の可愛い攻めにあって、いつもより遅くに帰ったその日、玄関の靴が随分と渋滞していた。見慣れない女物の靴が三足。

 リビングの方から、キャッキャッとはしゃいでいる声が聞こえる。妹の瑞穂が友達を連れてきているようだ。


「カツ兄おかえり〜」


 早くスーツを脱ぎたいとそっと自室に行こうとしたら勢いよくリビングから出てきた妹に捕まって部屋の中に引き込まれた。

 瑞穂は、僕よりも兄の晴司に似ているが、晴司が側に居ない時は僕と似ていると言われる事もある。

 この時も玄関の見慣れない靴の数から予測出来た通り三人のお友達に「お兄さん似てる〜」と言われた。


「髪の毛綺麗に染めて……えっ?地毛なの?信じられない」

「うわぁ!まつ毛長いのにカールしてて羨ましい」

「瑞穂も可愛いけど、お兄さんは更に可愛いね」


 出た!『可愛い』。それ男としてどうなの?言われるなら『格好いい』がいい。


 そういえば元カノの近藤由恵にも『可愛い』と言われた事はあるけど、感動屋の彼女はその三倍くらい『素敵』『格好いい』『凄い』『綺麗』『美人』と多彩な褒め言葉を口にしていたな、と思った。

 逆に僕が由恵を可愛いと言った事は無い。僕にとって褒め言葉に思えない言葉を誰かに言えるわけがなかった。

 だけど、百五十前後の小柄な身長で大きな目でじっと見上げてくる由恵は、小動物みたいで可愛いと大学で評判だったことは知っている。


 そんなことを思い出している間も馬鹿みたいに『可愛い』と連呼されて、愛想笑いで実のない会話を右から左に聞き流した。

 今年から製菓の専門学校に通い始めた瑞穂の同級生なのだからみんな四つ下の筈だ。

 会社でも散々言われた後なのだ。それなのに年下の女の子達にまで可愛いを連呼される事にうんざりした。

 この調子でイジられるのは楽しくないので、早々に自室に引き上げて着替えると、帰ってきたばっかりだけど外に出る。


 愛車の黒と黄緑のバイカラーのバイクに乗って、食べそびれた晩御飯を適当なチェーン店の牛丼で済ませると、この後どうするのか悩んだ。

 今日は金曜日で瑞穂の友達は泊まるみたいだ。あの中には戻りたくない。

 いつもなら由恵の家に泊めてもらうところなのだけど、流石に別れたので泊めてもらえない、という事くらい僕にも分かる。

 で、思い付いたのは、大学時代の友人の永倉友久(えいくらともひさ)だ。

 ひょろりと長身で銀縁眼鏡の友久は、一見インテリに見えたが、実は僕と同じくバイクが趣味だというのを知って一気に仲良くなったのだ。


「今日泊めて」

『……いいけど、明日は午後から約束があるから長居は無理だぞ?』

「わかった」


 速攻電話して言質を取るとバイクで三十分程の友久の家を目指す。

 友久も実家なので親も住んでいるが、バイク友達である友久には早朝からツーリングへ行く時に何回か泊めてもらったので、親とも面識があるから問題ない。

 ―――問題ない筈なのに、電話での友久の声には戸惑いを含んでいるように感じた。

 でもまぁ了承を得たのだから行っても良いのだろう。


「なんかあったのか?」

「いや、妹の友達が泊まりに来ただけ」

「ふうん」


 玄関先で軽く質問されただけで深くは聞かれなかった。友久は元々、話を聞いてくれるけど聞き出すタイプでは無いから、いつも通りだ。電話での様子は特に気にしなくても良さそうだ。

 夜遅くだったのでシャワーを借りて友久の部屋で布団を二組敷いて並んで寝た。


 翌朝、起きたのは僕が先だった。布団の上で上半身だけ起こして伸びをしていると、目を覚ましたらしい友久が声を掛けてきた。


「……これから家に帰るのか?」

「いや、まだ瑞穂の友達が居ると思うから、サテライトに行くつもり」

「は?」


 寝ぼけ眼で枕元の眼鏡を探していた友久が、目を見開いて驚いている。

 サテライトは、友久の家からバイクで十三分の山間にある喫茶店だ。


智恵(ちえ)さんに裏庭の草刈り頼まれてたし」

「草刈り……ちょっと待て。オレがするわ」

「何で?」

「何でって、由恵に会うの気不味いだろ?」

「何で?」

「いや、今、由恵はオレと付き合っているんだけど」

「うん。良かったね」


 友久がどれだけ由恵を気に掛けていたか知っているので十分あり得る話だったから素直に良かったと思ったのに、友久は絶句してしまった。


 智恵さんは由恵のお母さんで、喫茶サテライトを経営している。一階がお店で二階が居住スペースになっているので、元カノの由恵に会う可能性が高いのは分かる。

 でも、智恵さんに草刈りを頼まれたのは、別れる前だったし、別れる時も由恵に「智恵さん(お母さん)沙恵さん(お姉ちゃん)に会うのは構わない」と言われたから、サテライトへ行くのは問題ない筈だ。

 由恵にとって彼氏彼女の関係は要らなくなったみたいだけど、別に連絡先がブロックされた訳でもない。


「何で克己が平気でオレの家に泊まりに来たのか分かった気がする」

「ガソリンで動く草刈り機があるんだって楽しそうだろ?」

「反応に困ること言うなよ。まぁそういうとこ嫌いじゃないけど」


 お互い言いたいことだけ言って会話になってない会話をすると、ようやく眼鏡を手に取った友久が本当に困ったように小さく笑った。


 僕も友久のことは嫌いじゃない。

 いや、友久だけではなく昨年一年間に一緒に過ごした人達はみんな好きだ。

 卒業制作がグループ制作だったのでその時のグループメンバーである、水奈都も侑士も由恵も友久も。それから、由恵の家族である智恵さんと沙恵さん。

 二年の時に仲良くなった友久以外、昨年知り合った人達ばかりだけど、このメンバーの中はとても居心地が良かった。


「オレも一緒に行く」

「午後からの用事は?」

「元々由恵との約束だから」


 そんな感じで友久も一緒にサテライトへ行く事になった。


 友久のバイクは赤と黒の大型でどっしりとした風格がある。実際に何度かタンデムさせて貰った事があるが、その安定感は実体験として知っている。

 が、今日は自分の愛車があるので別々に乗り込んだ。


 駅前を通り抜けて川沿いの道をしばらく行くと、河川敷公園がある。まずは駐車場が見えてきて続いてカラフルなタイルに舗装された広場、そして遊歩道が伸びている。その遊歩道が切れたら反対側に喫茶サテライトが見えてくる。

 サテライトにはお客様用の駐車場が無いので、店の前を通り過ぎて最初の道を曲がり店の裏手に回る。

 そこが裏庭になるのだけど、コンクリートで固めていないむき出しの土のまま智恵さんの軽バンと由恵の軽自動車が停められていた。

 車の轍部分は草も生えていないがそれ以外の部分はスクスクと雑草が育っている。


「克己、本当に来たんだ」


 一階がお店の為、由恵の家の玄関は二階にあるのだが、バイクの音を聞きつけて、その外階段を由恵が降りてきた。


「今後お母さんに何か頼まれても断ってね。……わたしがするし」


 これまで女三人の近藤家の力仕事は、長女の沙恵さんの仕事だった。智恵さんと由恵は小柄で高い所とかの作業はかなり苦労している。特に由恵の運動神経は壊滅的なので電球の交換とかはさせない方がいい。

 その点、沙恵さんは僕より少し低いくらいの身長で体力も運動神経もある。

 ただ、彼女は三年前の就職と同時に職場の近くのアパートを借りて一人暮らしをしているため、気軽にお手伝いを頼めなくなったのだ。

 ちなみに動物園の飼育員をしているので、体力と運動神経は今もなお鍛えている。


「いや、一緒にオレがするから問題ない」


 由恵が……?という僕の心の声が届いてしまったようで、友久がフォローした。

 今の由恵の彼氏は友久で、家も僕より近いし、体格も良いし、適任だとは思う。だけど―――。


「楽しみにしてたのに」


 昨年経験した植木の手入れやら、喫茶店の天井にある換気の為のファンの掃除やら、喫茶店の食材の仕入れやら、兎に角、由恵の家のお手伝いはやった事が無いことばかりで面白いのだ。

 それに店に来た常連の顔で成果がよく分かるので遣り甲斐も感じる。


「じゃあ、智恵さんにバイトで雇って貰おう」

「克己の会社(とこ)、ダブルワーク禁止でしょ?」

「んー。給料無しで賄いだけでいいよ。智恵さんのご飯美味しいし」


 僕としては名案だったのだけど、友久と由恵は渋い顔でお互い視線を交わしている。


「二人は出掛ける予定だったんだよね?車が在ると草刈り機が使えないから今から出掛けたら?一台分でも空くと作業し易いし」


 黙り込んだ事を良いことにして追い出しにかかってみた。


「……元カレに家の用事を押し付けてデートに行けるわけ無いじゃない」


 じとーんと恨みがましい上目遣いで見てくる由恵を友久が宥めた。


「二台とも河川敷の駐車場に置かせてもらって三人で一気に終わらせよう」


 由恵が友久の提案に渋々頷いて三人で作業する事に決まった。

 河川敷公園の駐車場は、夜は封鎖されるけど昼間は無料開放されている。

 駐車場からなら少し距離があるけど、遊歩道を通ればめちゃくちゃ遠い訳でもない。

 僕と友久が一台ずつ運転して行って、由恵には作業で使う道具を出しておいてもらった。

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