深夜の侵入者
夜の闇がバルデ城を包み込み、ほとんどの者が寝入った深夜、黒きものが開け放たれた高い塔の窓の外から侵入してきていた。それは普通の人間の眼には見えない存在だった為、気づく者はほとんどこの城にはいなかった。
その黒き闇は夜ごと囁くのだった。
(お前はこの世に生まれてきてはいけない人間だったのだ。お前の居場所はすでにどこにもない。恨め、憎め、我ならお前の望みはなんでも叶えてやれるぞ。どうだ、我と手を組もうではないか、ここの奴らを皆殺しにしても良いのだぞ。お前を疎んじる奴らを見返してやろうとは思わぬか。お前が本来手にすべき地位を手に入れたいとは思わぬか、まずは見せしめに、あの王女を始末してやろうか)
どこから聞こえてくるのか、その低く震えるような声は一晩中囁き続ける。目を閉じても耳をふさいでも、頭の中に直接語りかけてくるその声は時には夜が明けても続く時がある。
「やめろ…やめろ…やめろー!」
セルダスはそう叫ぶと枕元のテーブルの上に置かれていた水の入った陶器の水差しを掴むと思いっきり床にたたきつけた。
陶器が割れる大きな音が開け放たれた窓から響いた。その物音に近くの通路を歩いていた二人の侍女が部屋に駆け込んできた。
「セルダス様、どうかなされましたか?」
「あっ、むっ虫が入りこんでいたみたいで、驚いて割ってしまったんだ」
そういってセルダスは水浸しになった床にしゃがみ込んで割れた陶器を拾い始めようとした。
「セルダス様、あぶのうございます。そのような事は私達がいたしますので、セルダス様は食堂の方にお行きくださいませ。すでに皆様お揃いでございます」
そういうと、侍女達はなれた手つきで、掃除を始めた。
「わかった。後片づけお願い」
セルダスはそういうと、侍女達に頭を下げると、急いで着替えを済ませると部屋から出た。部屋を出ると、息を切らせたレニアが仁王立ちで立っていた。
「レニア姫…」
「はぁ…はぁ…あなたの声が私の部屋まで聞こえたわ。また疫病神が現れたの?」
「疫病神って…僕は…」
セルダスが何か言おうとした瞬間それを遮るかのようにレニアが再び喋り出した。
「本当にしつこいわね。もう朝なんだから闇の中に消えればいいのに。あいつったら私がいない所でいつもこっそり姿を表すんだから、セルダス、だからこれを付けていなさいって言ったでしょ。あいつの言葉なんかまともに聞いちゃいけないのよ。嘘ばっかりなんだから」
そう言うと、レニアは自分の首につけている赤の宝玉のネックレスを首から取り出してセルダスに突き付けた。
「駄目だよ、それは君のものだろう」
セルダスは首を横にふりながら、差し出されたネックレスを再びレニアの首にかけた。
「あら大丈夫よ。ここにくる前にお母様に言ったらセルダスに貸してもいいっていっていたわよ。これはフィシュス神様の宝玉だから、きっとフィシュス神様が守ってくださるわ」
「それならなおさらだよ。君にもラデュル神が何かしかけてくるかもしれないんだから」
「あらその時はこの粉で追っぱらうから大丈夫よ。それにイクーリア神様の宝玉はアーノルが持っているから、私たちは双子だからこれは私が持っている必要はないのよ」
レニアはポケットから小さな巾着袋を取り出しながら言った。
「とにかく、それは君のものなんだから、僕なら大丈夫だよ、今更ラデュル神に何を言われても、僕は僕を辞めるつもりもこれ以上の高望みを望むつもりもないから、そのうち諦めてくれるよ」
「あなたのダメな所は優しすぎる所ね」
「君の方こそ気をつけないとラデュル神につけ入れられてしまうよ」
「あら私は大丈夫よ、だってほしいものは自分で何とかするし、神様だか何だか知らないけど、手伝ってもらおうとも思わないわ。それに私はこの国の女王の娘よ。ラデュル神なんか入りこむ余地なんかこれっぽちもないわよ」
「僕もそうだよ」
そういったセルダスをまだ心配そうに見つめるレニアに向かって笑顔を向けた。
「大丈夫だよ、君がいる限り僕は闇にはならないよ。たとえ望まれて生まれてこなかったとしてもね」
最後の方の言葉は小さく呟いたセルダスだった。
「えっ? 何か言った?」
「なっなんでもないよ。さあ急ごう。もうみんな食堂に集まっているみたいだよ。その髪の乱れようだと服を着て直ぐに飛び出してきたみたいだね。ダメだよ君は仮にも王女様なんだから身だしなみはきちんとしなきゃ。今頃君の侍女が青い顔して捜しているんじゃないかな 食堂に行く前に君の部屋に寄るのが先だよ」
「髪の毛なんて一つに結んでおけばいいわよ。ドレスには着替えてあるんだから。これで十分よ。それにあなただって後ろ髪はねているわよ。昨夜はずっとあいつがきてうるさかったんでしょ」
「うるさかったって…待って…もしかして君にも聞こえていたのか…ごめん…僕だけに聞こえるのかと思っていたからずっと止めなかったんだけど、次からは気をつけるよ」
「どうしてあなたが謝るのよ、お母様が夜の間はあなたの寝室には何があっても忍び込んじゃダメっていうから私ずっと我慢していたのよ。そうでなきゃ、ランナ師匠からもらったこの金の粉で追い出してあげたのに、あなたにも渡してあるでしょ。寝る前に飲む用に聖水も渡してあるでしょ。どうして使わないの?」
「ラデュル神は何か言いたいことがあるから僕の所にくるんじゃないかと思うんだ。金の粉を振ると、ラデュル神が闇の中に逃げ込んでしまって聞き出せないだろう」
「はあ? 意味わかんないわ。あんなゴミを助けてあげる価値なんかないじゃない。自分でどうすることもできなかったからってしつこく人間を利用しようとするなんて、助けてほしければ、自分から素直に言えばいいのよ。いい、人間じゃない闇神のいうことなんて聞いてあげる必要はないんだからね」
そういうとレニアは先に歩きだした。
『だけどレニア姫、僕が生まれた意味はきっとラデュル神の未だに消えない思いにあると思うんだ。だけどもし、ラデュル神が君を傷つけようとしたなら、僕は戦うよ。君は僕のたった一つみつけた光だから』
セルダスは扉に視線を向けながら苦笑いを浮かべながら心の中で思うのだった。
(セルダス、お前は必ず我のいのままになる。あやつの息子であるお前の中にはすでに闇が存在しているのだからな…探すのだ、この城にあるフィシュスの証を)
床に流れ出た黒き水がセルダスの部屋の窓から城の外へと伝って消えていった。