少女カラクリ③
「何が何だか分からぬか?」
「あぁ」
小さな用水路を流れる茶褐色の泥水を眺めながら思案する。掛けられた言葉はもはや気にも留めず。
「無理もない。今お主に起きている事象は、神の御業としか言えぬからな」
「そうだな…………」
神の御業か。確かに、陽月は神代が終わってまだ日も浅いと云う。神仏の息吹がまだ残る大地であれば、死という概念が私の知るそれより、はるか超越した何かである可能性も捨てきれぬ。
「まぁ、解というのは、手を伸ばして届くような代物ではない。焦りは禁物じゃ」
ふむ。かの者の云う通りだ。何も分からず、手探りで国を造っておった頃に比べれば、これしきの事は可愛いもの。
「礼を云うぞ、名も知らぬ御仁」
そう云って、先ほどから私に掛けられていた声の主に目を向ける。――するとそこには、あの薬師が気色の悪い笑みを浮かべて立っていた。
「なっ」
「ひょっひょ。喋れぬ老人とでも思うておったか?」
「…………あ、ああ」
“う”と“む”の、たった二言しか発さぬ老婆だと思っていたが、しかし先ほどまでの言動が嘘だったかのように彼女は流暢に喋り始めたのだ。
そしてゲンゲンは声の調子を重くさせると、私にこんな事を聞いて来る。
「業深きお主が最期にとった選択。覚えておるか?」
「否、皆目わからん」
「…………そうか。まぁ無理もない」
「私は、今わの際で、何かしたのか?」
「うむ。死にゆくばかりだった赤子に、自らの生を与えたのじゃ」
「はっはっは! 私がか?」
馬鹿な事を云うものだ。他者の事なぞ気にも留めて来なかった私が、名も知らぬ誰かに、――ましてや赤子なんぞに、髪一本すら分け与えるはずがない。
「あり得ぬ」
「ひょっひょ。そうか、ならば死に際とは、いと面白い物じゃ」
しかしゲンゲンの口ぶりには、ある種の真実味が含まれているように感じた。
「待て、私は真に、斯様に愚かな行いをしたというのか?」
「ああ。その結果が、今のお主じゃ」
「…………であれば、このカラクリという童が、かの死にかけた赤子ということか」
「左様。まぁその代償に、お主は今日まで眠っていたがな」
もし、この薬師の云う事が真であれば、一つだけ腑に落ちない事がある。
「だとすれば、この状況はどう説明するのだ」
「というと?」
「私は命を捨て、カラクリとやらを死の淵から救いあげた。百歩譲って、それは信ずることにしよう。――――だが、現にこの身体を支配しておるのは、この私ぞ」
私が口調を強くして聞けば、薬師は白一色の白髪をいじり始め、しばらく考え込む様な仕草を見せた。
そして。
「そうじゃな…………。最後に与えられたチャンスとでも言うべきか」
「今なんと?」
「徳を積め、という事じゃろう」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。今さら善行したところで、天都へ迎えられる訳でもなかろうに」
「ひょひょっ、鬼神の道を選んだお主でさえ、天の都を信ずるか」
「やかましい」
私はつい口に出してしまったが。それでも何を信じようが私の勝手だ。
だがしかし、分からないことばかりでつい受け入れてしまっていたが…………。
「ところで薬師よ、そなたは一体何者だ?」
私の過去、そして死に際。
私が知らないことまで知っているこの老人に、私はとめどない興味を抱き、それについて視線を上げて彼女に問うた。
しかし婆は。
「ひょっひょ。ただの年老いた薬師さね」
「ふん。そうは思えんがな」
この様子だと、自らの正体を明かすつもりはないらしい。
痛めつけて吐かせてやってもよいのだが、私には老人を虐める趣味はない。
まぁ、人間でない事だけは確かだ。
「まぁそれはそうとして、お前、牟蔵の国がどうなったか知っておるか?」
今、一番気に掛かっている事を問うてみる。だが婆は一切の顔色を変えずこう云う。
「申したであろう。解を急ぐなと」
「この田舎で、余生を送れとでも云うのか?」
「そうさねぇ。まずは、この村が抱えている問題を片付けるのも面白いじゃろ?」
「やはり何かあるのか。この村には」
そう思わせるは、この村の風景である。
村落を囲っておるのは、所々で桃色が美しい山々。
冬が終わり、どこまでも透き通った雪溶けの水が山脈から流れるであろうこの季節に、なぜか濁色の泥水ばかりが、この村を傲慢に奔っているのだ。
「うむ。凍てつく雲が雨に変わるこの時期に、なぜかこの村には一滴とて雫が堕ちぬ。村の者らも、もう限界じゃ」
先ほどの郎女も、カラクリの母も、畑仕事に精を出す男たちも、みな一様に顔色が悪い。恐らくここ数年は、ろくなものを食べておらんのだろう。
「見たところ呪詛の類だな。しかし誰ぞに呪われる事をしたのだ。自業自得だろ」
「この世に憚る事実とは、お主の知る全てではない。“解を急ぐな” じゃ」
この老婆が話す言葉は、イマイチ掴みどころが無い。
「はっ。解呪なぞ面倒な事はしないぞ。やるならお前が…………」
嫌味な笑いを乗せて老婆へと目を向けたが、しかしそこには、既に老婆の姿は無かった。
私に気取られることなく姿を現し、そしてまた、同じように消えた老婆。まるで煙のような人間である。
「真に、掴みどころの無い薬師だ」
かくして、再び独りになった私。
婆にはああ言われたが、私にそんな気はさらさら無く。腰を据えたあぜ道も丁度いい具合に暖まって来たので、私はそのまま寝転んだ。
「牟蔵もない。山ン本の名も廃れておる。あれほど頑張ったのに、口惜しいのう」
そうして、襲い来る睡魔にまぶたを閉じて、私はそのまま眠りに就いたのであった。




