ジョアンとラスティは仲が良い
「大丈夫ですか、アリアケさん?」
「…………うるさい。あっち向いてて」
村を出て王狐の市の中を歩く最中も、有明は川のように目から涙を零し続けていた。気高い性格の彼女は当然ながらそんな姿は見せまいとそっぽを向くが、しかしその小さな背中は、必要以上にその心情を映しだしている。
「そっとしておいてあげましょう」
「うぅ。すいません」
空気を読むのが上手い天命は、そんな有明の心を察してか、花楽里に笑みを向けてそう云った。
花楽里の奴もまだまだ世間知らずではあるが、こうやって少しずつ経験を積んでいけばいい。山河の国はまだ遠いのだ。焦る必要などはない。
――なあ花楽里、少し買物をしていかないか? 草鞋とか、着替とか。持ってきたものはもうボロボロだろう?
「確かにそうですね。お金もアキナシさんから貰いましたし、少しだけなら」
路銀にしてくれと、アキナシから渡された巾着袋。中には数枚の小判が入っており、不足した物を市で見繕うには不自由ない金額であった。それ故に私は彼女に提案したのだが、間違っても、彼女らの心を気遣っての言葉ではない。
「ねえ、あたしにも袴を買ってくれる? 着物じゃ動きずらいし」
「はい! どうぞ好きな物を選んでください」
有明は金を持っていない訳ではない。これまで無賃金も同然で働かされていた彼女は、その損失を取り戻すかのような金額を大名から貰っている。それなのに彼女は私達にせがんで来た。流石はケチな王狐だとも思ったが、しかし花楽里は快くそれを承諾した。
「ほんとっ? じゃあずっと行ってみたかったお店があるから、案内するわね!」
先ほどまでの泪はどこへやら。彼女は何とも朗らかな顔ばせで花楽里の手を引いて走る。
――おい。むやみに走ると、また誰かにぶつかるぞ。
「ふふ。心配しすぎですよ、山ン本さまは」
つい先日に味わった王狐族からの差別的な眼差し。その時は今にも泣きそうだったのに、少し日にちを挟めばこれである。全く。この国の全ての獣人がアキナシのような奴ばかりだとでも思っているのだろうか。
「きゃっ」
――そら。言わんこっちゃない。
「だ、大丈夫ですか? アリアケさん」
「いてて」
今回は花楽里でなく、先陣を切って走っていた有明が人間の女と衝突してしまった訳だが、しかし相手の女はビクともせず、逆に尻もちをつく有明に手を指し伸ばしては、その顔にお面の様な笑みを満面に映し出した。
「あはははッ。ごめんねぇ。大丈夫だった?」
「ちょっとあんた、一体どこ見て歩いてんのよ!」
「あ、アリアケさん、先ずは謝らないと…………」
相手に対し謝罪するものだと思ていたが、しかし有明は、まさに追い込まれた狐のように牙を覗かせた。自分以外はまるでジャガイモとでも思っているのか、最早ここまで来ると流石なもので、誰に対しても直ぐに謝る花楽里が、まだ可愛いものに見えてくる。
「うッふふ。いいのいいの。悪いのはお姉さんの方なんだから」
だが相手の女はこれまた不気味であり、そんな有明に対しても嫌な顔を一つせず、むしろ一層その笑顔を激しいものにして、この手を取れと言わんばかりに有明に差し向ける。そしてどうやら、女は一人ではなかったようで、彼女の背後からはもう一つ、子供くらいの小さな影が飛び出して来た。
「だ、だだ、大丈夫っ、お姉ちゃんっ?」
「うん。私は大丈夫だよ。ありがとうラスティ」
「うううぅ。そっ、そっか、良かった」
「あッっはははははッ。ラスティは本当に優しいねぇ」
どこか異国の着物に身を包む金髪の女とは違って、格の高い黒い着物を纏う少女は、決して笑顔を絶やさない女に頭を撫でられ涙を拭う。
――なんだこいつら。
「なんか、普通じゃないですよね」
女はただ肩をぶつけただけなのに、それをまるで、母の死を嘆く子供の様に泣きじゃくる少女。そして、そんな少女に対して大げさな程に表情を綻ばせる女。――――どこからどう見ても、尋常とは云えない。
「ところで、キミ達がカラクリだよね?」
「…………え?」
絶えず笑顔を浮かばせる女は、しかし笑わない眼を見開いてカラクリの顔を覗き込む。そしてその瞬間、総毛立つような悪寒が私の体内を貫いた。
――コイツから離れろ花楽里ッ。
「カラクリ様ッ!」
刹那、天命が神通力を使用して私たちを風に変化させた。あと一歩遅ければ、間違いなく斬られていただろう。
「あッはははは! 外しちゃったぁ、きききッ」
「貴様ッ」
「でも安心してっ、私たちね、あなた達を殺しに来たわけじゃないんだよ!」
刀の様な得物を持って嬉しそうに笑う女。しかしながら、それをどこに隠していたのか、そしていつ鞘から抜いたのか、私には全く分からなかった。ただ鬼気迫るような女の殺気に中てられ反応しただけに過ぎない。
「うっふふふ。でもまぁ、試験的な意味で、少し戦ってみるのもアリかもしれないね」
「先ほどの太刀筋といい、ただの人間ではないようだな」
「バレてる? バレてるの? ねえ、私達が誰だか分かって言ってるのかな? きゃっはははははははッ!」
先ほどから異様に嗤う女である。いや、まさに狂人という言葉が相応しかろう。まるで無理やり表情を作っているような、あるいは作らされているような、絶えず涙を零しながら笑うその様は。
「ジョアンお姉ちゃん。この人たち、悪いお友達?」
「アッハッハッハッハッハッハッ!」
黒髪の少女は“じょあん”とかいう女に問いかけるが、しかし女は笑い声だけを甲高く響かせるのみであり、まるで言葉が聞こえていないのか、うんともすんとも云わなかった。
「なによコイツ。どっかおかしーんじゃないの」
「アリアケ殿、お主も、後ろに下がってくだされ」
「え?」
有明はいつも通りの悪態をつくが、しかしいつもに増して神妙な面もちを見せる天命に、彼女の余裕も綿毛のように吹き飛んで行った。そして花楽里も有明同様に不安定な表情を浮かべながら、天命の背後に隠れて云う。
「まさか、戦うんですか?」
「ええ。このままでは、皆様に危険が」
そう云ってテンメイは腰の刀をすらりと抜いて、あまつさえ変化の術すらも解き、背から四枚の羽根を伸ばして本来の姿を披露した。
「うっそー! すっごーいっ!」
限りなく神に近しい存在である大天狗の姿を見せても、女は物怖じ一つすらすることなく、それどころか猿のように手を叩いては、その不気味な笑みを一層激しくさせる。
「ずっと見て見たかったんだよ。本物の妖怪ってものを! あははッ、本当に居るんだねえ!」
「あ、あの、お姉ちゃん、大丈夫なの?」
「うん! よゆーしゃくしゃく!」
そうして女は一歩前に出ると、手に持った刀を両手で構え直したのだが、しかしその様はまるで、初めて刀を握ったかのような素人っぷりであり、どこから斬りかかっても一刀で切り伏せられそうな拙さであった。
「甘く見られたものですな」
「あははッ、安心してちょーだい。某なかなかに強いでそーろー」
王狐の大衆がざわざわと見守る中、その決闘は、そんな女の言葉から始まった。
私は楽観していた。いくら300年の時を経ようと、天命は牟蔵イチの猛将であり、そんな彼が久方ぶりに見せた本気が、私にそう思わせた。あんな小娘に、負けるはずがないと――――。だが、それは慢心だった。
「…………な」
「テ、テンメイさん!」
何が起きたのか分からなかった。女が下手な構えのまま刀を振り上げ、そして天命はそれを防ごうとした。あれしきの一刀なら片手でも防げるものだと思っていた。だが女の刀は彼の刀を溶かすように断ち、その速度を少しも緩めることなく、天命の腕を斬り落としたのだ。
「キャッハハハハッ。なんということでしょう!」
「お、おぉ。さ、流石お姉ちゃん」
「さぁさぁ。ジョアン太郎の鬼退治はまだまだこれからよー」
どこまでもふざけた奴め。
――花楽里、代れ。
「はいッ」
花楽里がここまですんなりと支配権を譲ったのは珍しかった。いつもならおろおろと時間を食っていたが、今回ばかりは、私と彼女の心が同調したらしい。
「お、おお、お姉ちゃん。特異点が」
「んっふっふ。出たなー、ラスボスめー」
不思議な事に、私が舞台に上がった途端、奴らは私の気配をいち早く察知した。そしてその瞬間、姉の影に隠れる少女と、“いざ勝負”と云わんばかりに構えを戻す金髪の女。
「お気を付けを。奴は恐らく、天賦をもっております」
「ああ。お前は少し休んでいろ。アイツは、私が始末する」
有明の治療を受けながらも、天命は依然として刀を握ったままそう云った。それにまあ、奴が天恵に浴していることは何となしに理解はしていた。あんな細い腕っぷしで彼の腕を斬り落とすなど、あり得た話ではないからだ。
「カラクリ、あんた正気なのっ? テンメイ様をこんな風にした奴よ。アンタが敵う訳…………」
「黙って見てろ」
今、舞台に立っているのが私だと分からせるには、それだけ云えば十分だった。
そして私は、久方ぶりの強敵に、絶えず襲い来る高揚感を抑えつつも、帯に差した刀を抜きだした。




