目指すべき在り方
ヤナギの屋敷で思う存分暴れた日の翌。空はあいにくの鉛色であり、晴れ晴れしく旅立つには少し足りない気持ちにさせてくれるが、それでも今日はアリアケの門出ということもあり、余多の村人たちが私たちを見送るべく集まってくれた。
「行ってしまうんだね」
「うん」
これは後になって分かった事なのだが、有明はもとよりこの村を出るつもりでいたらしく、そのための路銀を稼ぐために自らの天賦を商売道具としていたらしい。だが、そこをヤナギ一門に目を付けられてしまい、思うように旅立つことが出来なかったそうだ。おまけに奴らは、人間の村に住んでいる事実を有明にとっての弱みにさせ、辞めれば制裁を下すと云って脅していたそうだ。
仙霊薬もその一環で生まれた話らしく、それを見つけて来れば自由にしてやると、何とも卑劣な手まで使っていたことも知った。
「まぁ寂しくなるが、アリアケの夢だから止める訳にもいかねえもんな」
「はぁぁ。あたしゃ孫のように可愛がっていたんだけどねえ」
「まぁまぁ長老。そう言わんでやってくださいよ」
村人らはそう冗談めかして云う老婆を宥めながら笑い合うが、その楽し気な空間にはどこか侘しさも織り交ぜられているのを感じる。恐らく二十年弱、アリアケは村の者らと共に過ごして来たのだから、この和やかな空気の中にそういった感情が生まれてくるのも分かる。
「お弁当は持った?」
「大丈夫。ちゃんとカラクリの風呂敷に入れてあるから」
「はい。私たちの分まで作ってくださり、ありがとうございます!」
今朝、村の女が私達の為にこさえたと云って、大きな握り飯を笹の葉に包んで持ってきてくれた。誰かに命令されて作った訳ではなく、自ら進んで握ったそうだ。この身体に封されてからと云うもの、そういう事が多くなったような気がする。
「お礼なんてよしてちょうだい。むしろ感謝するのは私の方なんだから」
「そうだぜカラクリちゃん。君らのお陰で、俺たちの暮らしは見違えるくらい変わったんだからよ」
「王狐族が急に優しくなるもんだから、最初はビビったけどな」
「そうそう」
昨日、私達が老将ゴウドウを叩きのめし、そして大名ヤナギに拳骨を食らわせたことが一つの要因となり、これまで課せられていた過剰なまでの取り立てについて、狐の役人どもが謝辞を述べるべくこの村にやって来たのである。だが、そこまでに至った大きな原因は私達ではなく。
「いえ。これまで皆様にお掛けしたご不便に比べれば、まだまだ事足りませぬ」
私が打ち負かした狐の士アキナシが、ひとえに率先して動き、頭の固い町奉行たちのケツを叩いたらしい。そして結果、この村を悩ませていた問題が綺麗に片付き、アリアケは憂うことなく旅立つことが出来るようになったのだ。
「まぁ、これからはお互い、上手くやっていきましょう」
「はい。よろしくお願いいたす」
村の村長と獣人の士が、共に純粋な笑みを浮かべて握手を交わす。歴史的な観点から見ればその身分の差は歴然だが、それでも今ここで展開された出来事は、僅かにではあるが暗黒の時代に光を差したのだ。
――お前が目指す風景だ。
花楽里の口角が上がってゆく。そして同時に心が跳った。非常に狭い範囲ではあるが、彼女が望む国の在り方が、たったいま、この眼前にて広がっているのだから。
そしてアキナシは今度こちらへ顔を向けてくると、小さな花楽里に視線を合わせるべくかがみ込んで、こんなことを云ってくる。
「山ン本殿。この豊舞の国は、我らに任せてください」
「え?」
「陽月を統一するという大いなる野望。若輩者ながら、手伝わせていただきたく存じます」
種族間の隔たりが無い国を造るというのが花楽里の目標ではあるが、私が陽月を治めると云ったばかりに、どうやら少し勘違いをされている様だった。しかしどちらにせよ国境なんてものがあれば壁は生じる訳であり、望みを果たすには陽月統一が近道であることは明白なのである。
「こちらこそっ、よろしくお願いします!」
力強い笑みで私たちを見上げるアキナシに、花楽里は腰を曲げて深々と頭を下げた。これではどちらが目上か分からんが、それでも商売上手な狐どもを味方に出来たのは心強い。まだまだ人間と獣人の溝は埋まってはいないが、この豊舞において危惧する問題は、彼らに任せてもいいのだろう。
「カラクリ様。そろそろ出立しましょう。陽が落ちる前に、出来るだけ前へ進まなければなりませんから」
「そうですね。もう野宿は嫌ですし」
天命の言葉に頷いた花楽里は改めて村人たちに頭を下げると、「今日までお世話になりました」と、笑みで満たされた顔のままに礼を云った。そうすれば村人たちも似たような言葉を私たちに掛け、旅の無事を願うような笑顔と涙を我らに見せた。
「それじゃあ皆、元気でね」
「ああ。気を付けてな、アリアケ」
「行ってらっしゃい」
「たまには戻って来いよ」
「うん。今日までありがとうございました」
そんな言葉と共に私たちは出発するが、村人の優しき言葉に涙を流した有明は、この村で過ごした今日までを慈しむように、何度も振り返っては彼らに手を振り返した。
花楽里の時もそうだったが、生まれ育った国を出るというのが、こうも複雑な感情を作り出すことを、私はこの時初めて知った。




