久しぶりの再会?
「家に居てもいいけど、あたしは寝るから静かにしてなさいよ」
「はーい」
「御意」
そうして村へ戻ると、余ほど疲れていたのか、アリアケは倒れ込むように布団へ入り、見事にものの数秒で寝息を立て始めた。
「寝ちゃいましたね」
「起こしてはなりませんし、我々は外に出ていましょう」
「そうですね」
カラクリはアリアケの寝顔を覗き込み、そしてどこか安心したような溜息を吐くと、天命に続いて抜き足差し足で家を出る。そして家の戸を閉めたところで、天命が私たちにこんな事を云ってくる。
「カラクリ様、わたくしは村の仕事を手伝いに行って参りますので、何かあれば大声で叫んでくだされ」
「え、私達も手伝いますよ」
「いえいえ。斯様な事は私めにお任せください」
なんともあいあいとした表情を私たちに見せる天命。もとより農作業やらが好きな性分ゆえ、そこまで苦ではないのだろう。
「そうですか」
「ええ。ですので、カラクリ様と山ン本様は、旅の疲れを癒していただければと」
「分かりました。何かあったら呼びますね」
「畏まりました。ではではこれにて」
そうして、まるで雲のように軽そうな足取りで畑へと向かう天命。その背中は、戦に向かう時とはまるで違い、遠目からでも彼の楽し気が窺い知れる――――。しかし、色々な事が続けざまに起こり忘れていたが。
――カラクリ、いつまでもこの村におっては、山河へ向かった父には追い付けんぞ。
そう。この旅のもともとの目的は、カラクリの父であるナガレハを追いかける事。確かにアリアケは気の毒な娘だが、首を突っ込めば益々足止めを食らう事になる。故にこれからの計画を定かにしたく、私はカラクリにそう問うた。
「うーん。でもアリアケさんの事が気になりますし」
――なれば、しばらくこの村に滞在するつもりか?
「はい。そうしようかと…………」
――そうか。まぁ、私はどちらでも構わんが。
「ごめんなさい。我がまま言っちゃって」
――ごめんなさいはやめろと云うておるに。
カラクリは申し訳なさそうに詫びるが、しかし私は只の傀儡人形。何をどうしようが口を出す権利はないが、カラクリの心が半端にならないよう、時おり正していかなければならない。この先の旅において、カラクリが道に迷わないように。
「おいアンタら!」
「ん?」
ここで私たちは声を掛けられる。振り返ると、そこには農具を担いだ一人の男。
「何でしょうか?」
「アンタらにお客が来てるぜ」
「お客さん?」
根無し草の私たちに客人とは何とも怪しいものではあるが、仮に敵意のある者だとしても、それはそれで面白い。
「なんか、怪しくないですか?」
――確かにそうだが、会わない理由も無いだろう?
「うぅ。山ン本さま、面白がってませんか?」
得体の知れぬ客に会うか会わないか話し合う私たちだが、傍から見ればカラクリが独り言を口ずさんでいるだけであり、それを訝しむ村人は首を傾げて聞いて来る。
「……お嬢ちゃん、さっきから何をブツブツ言ってんだい」
「あっ、何でもありません! 直ぐに行きます!」
「おう。奥の家に入って貰ってるから、後はよろしくなあ」
「はいっ。ありがとうございます!」
カラクリが頭を下げると、男は小手をかざして農作業へと戻ってゆく。しかし、私たちに用があるとは、一体何者なのだろうか。
「お邪魔しまぁ……す」
村の最奥に佇むあばら家の戸をカラカラと開けて、カラクリは覗き込むようにしてこわごわ中の状況を窺う。すると見えたのは、囲炉裏の傍でお茶を啜る二つの影。
――これは一体、どういうことか。
「…………なんで、ここに」
あまりに突然の出来事だったので、私達はほぼ同時に声を発した。
「ひょひょひょ。久しいのう。一年ぶりか?」
何を隠そう、私たちを待っていた客人とは、カラクリの村の老人薬師、ゲンゲンだった。なかなかの歳ゆえにボケてるのか、一か月を一年と心得違いしておるが。
「お久しぶりですゲンゲン様! でも、どうしてここに?」
「なぁに。少し買物のついでに寄ったのじゃ。王狐の作る稲荷寿司は美味いでのう」
「なるほど。でも、なんで私達がここにいると分かったんですか?」
「人間の村が近くにあると聞いてのう、ワシらも相伴に与ろうと足を運んだら、丁度お主らがここにおったという訳じゃ」
嘘を吐くのが下手な老婆だ。
そもそも奴の足では私たちには追い付けんだろうし、なれば、ずっと私たちの後を追って来たという事になるのだろうが、しかし尾けられていた気配は無かった筈…………。
「そうだったんですねー。でも久しぶりに会えて嬉しいです!」
「ひょひょ。ワシもじゃよ」
人を疑うという事を知らないカラクリは、あろうことかゲンゲンの話を鵜呑みにし、それどころか二人で一緒に笑い合う始末。その辺りの教育も必要になるか…………。と、息が漏れる。
「ところで、そちらの方は?」
「うむ。この子は夏天。見ての通り狐の獣人じゃ」
老婆の向かいで茶を啜るキツネの少女。ゲンゲンの云う通り獣人ではあるのだが、しかし少女もまた、アリアケと同じく人の血が混ざった半獣人であった。
「申し遅れました。ご紹介にもありました通り、手前、王狐族のナツメと申します」
正座を崩すことなく静々と頭を下げるナツメとやら。
歳は二十前後といった所だが、しかし獣人ゆえに真の年齢は四十ほどであろう。だからなのか、挨拶をする際の礼儀も作法も目を見張るほどの美しさだった。
「お綺麗な方ですね。ゲンゲン様にこんな知り合いがいたとは知りませんでした」
「ひょっひょっ。褒めたところで何も出んぞ」
カラクリは食い入るように彼女を見るが、対する私も同じ心であった。
これまで幾人もの女と出逢ってきたが、しかしここまでの麗人は久方ぶりだと思わせるほど、冬の如し凛とした雰囲気が漂っている。美しい黒髪を高く結い、白いうなじは息を呑ませるほど。先ほどの挨拶も相まって、少女の育ちの良さが窺い知れる。
「女子のお前でさえ見ほれるてしまうか?」
「えっ、ええっ? そ、そんなことはっ」
煙を払うかのように身振り手振りで否定するカラクリだが、誰が見ても笑ってしまうようなその慌てぶりは、真のことを申しているようなもの。
「ちなみに、ワシも若い頃はコレくらい佳人じゃったんじゃぞ?」
――嘘を申せ。
「…………あ、あははぁ」
「なんじゃお主ら、ワシを疑っておるのか?」
「あ、いや、そうではなくて」
紙のように薄っぺらかった口調を今度はうんと重くして、ゲンゲンはこちらに顔を近付けてくる。“ワシの顔をよく見て見ろと”云われているような気もするが、しかし伸び放題の白眉が目に被さっているため、その素顔は七分ほどしか窺えない。
「はんっ。昔のワシを知らんからそんな顔が出来るのじゃ。のう、ナツメ」
「はいっ。ゲンゲン様のお素顔は、このナツメでさえ見とれてしまうくらいですっ」
両手を頬に添え、うっとりとした面持ちで云うナツメ。はっきりとした歳の差は分からんが、ナツメの真の齢は四十くらいで、ゲンゲンが七十くらい。まあ、辻褄は合うか。
「へー。わたしも見てみたかったです」
「ひょっひょっ。お主にはちと刺激が強いかもしれんのう」
「へ、へぇ。凄かったんですねぇ」
釣り針が引っかかったかのように口角を引きつらせるカラクリは、声までも後ずさりさせて相槌を打った。何事も正直に申す彼女にここまで気を使わせるとは、ゲンゲンもよほどの恥知らずと云えよう。
「ところでお主ら、いつまでこの村におるつもりなんじゃ?」
ここでゲンゲンが茶を飲むついでに話を変えてくる。
「うーん。それはまだ決まってないのですが、すぐに発つつもりも無いんです」
「そうかそうか。なにやら没我になるものを見つけた様じゃの」
「え、ええ。まぁ」
まだ湯気が立ち昇る茶飲みを傾けてズズっと茶を含むと、ゲンゲンは少量の息を漏らして言葉を続ける。
「夢中になるのはいいが、この村にはあまり長居せん方がよいかもしれんぞ」
「え、なぜですか?
「年の功ってやつ哉。何やら胸騒ぎがするのじゃ」
「胸騒ぎ? それって、良くない事が起きるって事ですか?」
つまりはそう云う事なのだろうが、しかしゲンゲンはやはり煙の様な奴であり。
「まぁ、あまりアテにはならんがのう」
と云って言葉を濁す。こやつと話すと、まるで身体から魂が抜き出てゆくように力が抜けてしまう。
「は、はぁ。そうですか」
「カラクリ殿。ゲンゲン様が仰る事は、真摯に受け止めるべきかと存じます」
うわごとの様な言葉しか口に出さんゲンゲンとは違い、付き人のナツメは貫くような目つきでカラクリを見据えて云う。
「うーん。そう言われましても…………」
だが温度の違う言葉が混ざれば、まさに水と湯のような関係になる訳であり、カラクリはそこまでの緊張を彼女たちには見せなかった。
「まぁなに、お主らはお主らの好きなように行けばいいさ」
やはり此奴の云うことは真に受けん方が良さそうだ。
「ゲ、ゲンゲン様」
「ナツメ、これは彼女らの道じゃ。先を歩むは無粋じゃろうて」
「…………はい。貴女様が、そう仰せられるのであれば」
さながら、不味い話を子供に聞かせぬようにする親のような言葉つきと、その顔ばせ。まるで気に食わんが、しかしこれから何が起きるか知っている様な有様でもある。
「さて、そろそろ夕刻じゃ。ワシらもお暇するかの」
「もう行っちゃうんですか?」
「うむ」
自身の体勢を支えようとするナツメを手つきだけで断り、ゲンゲンは悪そうな腰を庇いながら立ち上がる。そしてカラクリは、どこか懐かしむような顔をしてゲンゲンに云う。
「ゲンゲン様、村の皆に、わたしは元気だよって伝えてくれませんか」
「ひょひょひょ。無論、そのつもりじゃ」
婆の言葉に表情を明るくさせたカラクリは、まるで言霊を込めるかのように、ただ「ありがとうございます」と一言笑った。




