少女アリアケ①
桃色の花弁が蒼穹を泳ぎ、溶け残った雪からは緑が覗く季節。向かって左側には清流が奔り、その反対側では幾本もの桜が美しく佇む並木道。
父を追って山河へと向かう花楽里たちは、谷間にあるその道をひたすら歩き、ついに千久宕の隣国である豊舞の国へと足を踏み入れていた。
「綺麗な場所ですねー」
――あまりうろうろするな。私は泳げないから、川に落ちても助けてやれないぞ。
「あっ、カラクリ様。あまりうろつかないでくださいまし」
「うぅ、ちょっとくらいいいじゃないですか」
――駄目だ。この身体はお前一人の物じゃ…………。
「なりませぬ。第一、あなた様のお体は…………」
「―――――あっ、蝶々だ!」
さながら云う事を聞かない駄犬のように、カラクリはそこかしこへと好奇心を注ぐ。そして、そんな少女に振り回される私とテンメイは、息を合わせたかのように深い溜め息を吐いた。
カラクリが村を出て早ひと月。初めの三週間は静かでよかったのだが、それ以降はこれだ。全く先が思いやられる。
「ところで、山ン本様とテンメイさんは、どういったいきさつで主従関係になったんですか?」
道端に咲く美しいタンポポに止まった蝶々を眺めながら、カラクリはそんなことを尋ねてくる。よもや、私とテンメイについて聞いて来るとは思わなかったが。
「そうですなぁ。あれはもう、300年以上も前の話です」
「テ、テンメイさんって、何歳なんですか?」
刹那の内に話題は、私とテンメイの出合いから、テンメイの実年齢に早変わりした。あちこちへ興味が移る様を見るに、どうやらカラクリの好奇心は、猫より強いらしい。
「うーむ。人間の寿命に合わせると、五十歳といった所でしょうか」
「へぇぇ。獣人は人間の倍も長生きするって聞いてましたけど、妖怪ってもっと長生きなんですね」
――五十か。死したころの私と、同じ歳になったのだな。
「あ、サンモト様が、死んだ時の私と同い年だなって言ってますよ」
「ええ、私もようやく、あなた様に追いつけました」
そう云ってテンメイは、どこか嬉しそうに笑みを浮かべた。
――とは云っても、今の私は十四だが。
「けど、今の私は十四歳だって言ってます」
「た、確かに。つまるところ私は、山ン本様を追い抜いたことになるのでしょうか」
「うーん。そうなるんですね」
テンメイと一緒に考え耽るカラクリだが、しかし彼女は、次に恐ろしい事実を口にする。
「あれ、てことは、わたしと山ン本様は、同い年ってことですか?」
「…………そうなりますな」
――確かにそうなるか。
なんとも妙な心地である。人間の天寿は長くとも60年。地獄に片足を突っ込んでいた私も、今では小便臭い小娘。どうせなら、男に転生したかったものだが。
「なら、サンちゃんって呼んでもいいですか?」
――ならん。
真に、先が思いやられる…………。
「―――――誰だッ!」
突如、テンメイが私たちの前に立ち、腰の鞘から刀身を覗かせた。そしてその直後に、辻沿いに生い茂る森林の影から一つの影が飛び出して来た。
「っひ!」
その小さな影は短く甲高い悲鳴をあげるが、私はそれをテンメイの気迫に気圧されたが故だと思っていた。
だがテンメイは依然として刀に手を添えたまま、茂みの方へ睨みを利かせ続けている。
「…………獣人?」
カラクリがテンメイの巨体から少しだけ顔を覗かせると、頭に狐の耳を生やした一人の少女が目に入った。おまけに腰からは黄色い尾が伸びており、少女は怯えながら自らの尾を抱きしめている。
――気を付けろカラクリ。何か来るぞ。
「何か?」
カラクリがそう云って首を傾げた直後、狐の少女が飛び出して来た茂みから、少女とは比べ物にならない程の巨大な影が唸り声と共に姿を現した。
「く、熊だ!」
「カラクリ様、私の後ろに居てくだされ」
「ひぃぃぃぃぃい!」
テンメイはカラクリに対して隠れろと云ったのだが、しかし狐の少女までもが、情けない叫び声をあげながらテンメイの後ろに隠れる。
「獣はあまり殺めたくないが、致し方ない」
|10尺(3メートル)以上はあるテンメイよりも遥かに巨大な大熊が、小刀の如し牙を剥きだし迫って来る。
だが、たかが獣に後れを取るほど、彼は弱者ではない。
「テンメイさんッ、来ますよ!」
「ちょっとノッポ! あんた何してんのよ!」
うるさいガヤは最早気にも留めず、テンメイは未だ抜かない刀に手を添えたまま、大地に根を張る大木の如し、その巨体を深く落とす。
そして。
「【抜刀・凬車】」
山を描くように抜かれた白金。その物打ちは終ぞ熊には届かなかったが、しかし産み出された風が弧を成して、地面を粗々しく削りながら邁進する。
「うわ!」
「きゃっ」
背後にいた私たちでさえも、嵐の如し風力に背を押されて体制を崩す。
そして、打ち放たれた疾風は大熊の巨躯を豆腐の様に両断すると、そのまま奥の桜を幾本も薙ぎ倒して散っていった。
「うわぁぁ」
テンメイの放った一撃にカラクリは目を輝かせて声をあげるが、対する狐の少女も、言葉にはしないものの、目を丸くして彼の残心を眺めていた。
「お怪我はありませんか、カラクリ様」
刀を鞘に納めた後、テンメイは片膝をついてカラクリの安否を確かめる。
「はい! テンメイさんのお陰で!」
「左様で。して、そちらのお方は?」
「ふぇっ」
不意に声を掛けられたからか、狐の少女は顔を赤くして声を上ずらせる。どうやら、彼に魅せられたようだ。
「あ、ああ、あたしは大丈夫! それより、助けてくれて…………ありがとう」
「いえ。礼には及びませぬ」
そうしてさらに、仏の様なテンメイの笑顔によって、少女の顔はますます赤みを帯びていった。一体、あの笑顔でどれだけの女子が落とされたことだろうか。
「ところで、こんな所で何してたんですか?」
するとここで、猫より強いカラクリの好奇心が、とうとう少女へと向く。
「あぁ、あたし?」
「はい。こんな山奥に一人で、何してたのかなって思いまして」
「別に、何しようがあたしの勝手でしょ」
「なっ」
なんと生意気なクソガキか。私だったら拳の一発は食らわせている所だった。
「ま、まぁ、そう言わず、其方の事を教えてはくれぬか」
「はい!」
思わぬ返しによって涙目になってしまったカラクリを庇うように、テンメイがここで話に入る。すると少女は、先ほどまでの態度が嘘だったかのように目を輝かせ。
「あたしは有明って言うの。見ての通り、人族の血が混ざった狐の獣人よ」
控えめながら、胸を張って自らの名を語るキツネの少女。
人間の様な肌を持つものの、黄色い髪から生える狐の耳と、粗末な袴から飛び出た尾を見るに、アリアケとか云う少女が半獣人であることは分かっていた。




