空っぽに満たされる想い馳せ
「山ン本さま」
カラクリは虚ろな表情のまま、墓の前で静かに私を名を呼んだ。
――なんだ。
「牟蔵の国には行きます。でも、もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」
――ああ。
「ありがとうございます」
私とカラクリの会話はそれだけで終わり、それから七日間、彼女は何を喋ることもなく、墓の前で一日一日を過ごしていた。もう私でさえ、牟蔵がどうでもいいと思えてしまうほど、彼女の心はがらんどうだった。
あの夜から、私が舞台に上がることもなかった。
いや、上がりたいとすら思わなかった。
それほどまでに、今は何をする気も起きない。
「カラクリや」
いつも通り、カラクリが墓の前で座っていると、今日は珍しく声を掛けられた。振り返れば、そこにはあの薬師。
「ゲンゲン様」
「辛かったのぅ」
ゲンゲンはカラクリの隣に腰を据えると、この頭に手を置いてそう呟いた。乱れた情緒にその優しさが触れた時、カラクリは再び涙を流し始める。
「ワシも幼い頃に、大切な人を亡くしてのう。何をしても、どこに居ても、あの人の影を感じていた」
カラクリは口をつぐんだまま、老婆の言葉に耳を傾け、そしてゲンゲンもまた、どこか寂しそうな声音で言葉を続ける。
「今でも、あの人がどこかで生きているのではないかと思って、その影ばかりを探しておった。……じゃが、それは違うと気づいた」
「…………え」
カラクリは頭をあげて、ゲンゲンの方へ顔を向ける。いつもと変わらぬ声の調子でも、遠くを見やる老婆の、その表情一つでここまで印象が変わるので驚きだった。
「大切な人を亡くすと、その人が遠くへ行ったと思うじゃろ?」
「うん」
「じゃがな、逝ってしまった者らは、ずっとワシらの傍におるのじゃ。上でも下でもなく」
「じゃあ、おっ父も、おっ母も、ここにいるのかな」
「うむ。今も、お主の中にな」
ゲンゲンの言葉を聞いた後、カラクリの心に、僅かながら光が差し込んできたのを感じた。流石に長生きしているだけはある。斯様な言葉、私の口からは到底、出てこなかっただろう。
「それにな、カラクリ」
そして次、ゲンゲンの口から、思いもよらぬ事実が飛び出して来た。
「お前の父、流葉はまだ、生きておる」
「え!?」
――なんと。
それまで一定の律動で刻まれていた心の鼓動が、その事実に突き動かされ、忙しなく脈を打ち始める。そしてカラクリは、バクバクと高鳴る心の音のまま、膝を着いてゲンゲンにへと詰め寄って。
「ほ、本当ですか?」
「カラクリよ、あの夜、ナガレハに何か言われなんだか?」
「わたしのお爺ちゃんがいるから、山河へ行けって…………」
「なるほどのう。じゃとしたら、ナガレハはお主を追って、山河へ向かったのやもしれん」
しかし、あの夜から七日も経っている。今から追ったとしても、追い付けるわけがない。ゆえに、父と再会できるのは、カラクリが山河へ辿り着いた時だろう。なぜ、斯様な事実を今さら…………。
「わたし、今すぐ山河へ行きます!」
そう言ってカラクリは立ち上がるが、しかしゲンゲンは首を振る。
「駄目じゃ。山河は何千里と離れておる。使いの者を出すから、カラクリはここにいなさい」
「でも、私には――――」
「ひょっひょ。山ン本がお主を守ってくれるか?」
「…………な、何でそれを」
――お前は知らんと思うが、私とゲンゲンは、幾度か顔を合わせておる。
「えぇ、わたしの知らない間に…………」
「ひょひょひょ。山ン本に聞いたか」
ゲンゲンの奴め、いきなりカラクリに話すとは。
「しかしなカラクリよ」
「はい」
「山ン本の影に隠れるつもりでいるのなら、山河へは行かせられん」
「…………え」
老婆はしゃがれた声を重たくし、言い聞かせるようにして続きの言葉を述べる。
「今回の一件で知ったと思うが、この陽月には、危険な獣人や人間。そしてそれより遥かに邪悪な魔物もおる。今のままでは到底、山河は愚か、牟蔵までも辿り着けんじゃろう」
世迷言を。私が付いていれば、一網打尽だというのに。
「確かに山ン本は強いが、しかしその力は、お主の心体に直結しておる。現に時を止められる時間も、短くなっていたじゃろ」
その言葉によって私は気付かされた。先のシノベエとの戦いで、止めた時間が強制的に動き出した事実。私はシノベエの術によって解除されたものと思っていたが、しかしその要因は、カラクリの未熟さにあったことを。
「時間にして凡そ十秒。それが今の限界じゃ。もちろん剣術においても、お主の筋力や精神面によって、その鋭さは変わって来る」
カラクリの身体能力は驚異的だが、それも、十四だった頃の私に比べればの話。今のままでも十分に剣豪とは渡り合えるだろうが、しかしテンメイの様な強大な妖には、全く歯が立たないだろう。――面白いババアだ。まさかここまで見抜いておるとは。
「しかしまあ、ワシが止めたところで、行くのじゃろ?」
「…………はい」
「ならばカラクリよ。お主自身も、強くならねばならぬ。分かったか?」
老婆の脅しのような言葉に、カラクリは怖気づくものだと思っていた。しかし、そう思っていたのは私だけだったらしく、カラクリは確かな心で「はい」と頷き、ゲンゲンは最初から分かっていたのか、もの柔らかく微笑み頷き返した。
そして翌日。カラクリは旅に必要な物だけをまとめた風呂敷を背負い、これまで世話になったのであろう者達に、別れの挨拶をして回った。
そしてその最後に、この七日間の衣食住を世話してくれた郎女に、カラクリは山河へ行くことを伝えた。
「本当に行っちゃうの? カラクリちゃん」
「うん。今日までありがとう。キミコお姉ちゃん」
カラクリがそう云うと、キミコは何故だか安心したような顔でこう呟く。
「ふふ。なんだか、別人みたいね」
「どういうこと?」
「うーん。いつもはふにゃふにゃしてるけど、今は何かこう、芯がある感じかな」
「そ、そんなことないよっ。本当はね、今も怖いんだ」
先も見えない暗闇の中。まるで、底も見えない海原を一人漂っているような、そんな気分が、今のカラクリに覆いかぶさっている。私が父を殺そうと決意した日。あの時の私も、今のカラクリと同じ気持ちでいた。
「でもね、私は行くよ」
だがそれでも、私たちは歩くことを決意した。何も知らない白紙の世界に、ただただ希望を思い描いて。そうなるともう、自分自身でも止められない。
「…………そっか。やっぱり、別人みたい」
そういうキミコの顔は、うら寂しいと云った感じであった。
それ故か、カラクリは声を大にして彼女の名を呼ぶ。
「キ、キミコお姉ちゃん」
「ん、なあに?」
「あの、今日まで、お世話になりました!」
深く頭を下げて、カラクリはそう云った。まだ十四だからか、そういった言葉を云い慣れていないのか、たどたどしい仕草をもって。
「あっはははは! いいのいいの。困ったときはお互い様だよ」
七日間寝食を共にしたが、私はこの女の笑顔を、久しぶりに見た気がする。それはなんとも悲し気であり、どこか安心したかのような無様な笑顔。
――泣く前に、行った方がいいぞ。
「…………うん」
カラクリの両目に溜まった感情。それが零れたら、きっとキミコも泣いてしまう。せっかくの美人だ。この笑顔のまま、見送られたい。
「じゃあね、キミコお姉ちゃん」
「うん。気を付けてね」
そうして、カラクリはキミコの家を出で、しばらくはくぐらないだろう村の門から、その足を一歩前へ踏み出した。だがその瞬間、ここまで留めていた涙が一気にあふれ、目の前に映る世界が歪んだ。
――いい村に生まれたな。
「うんっ…………うんっ」
さて。一応前には進んでいるが、しばらくは泣き止みそうにないので、それまでは私も黙るとしよう。次の目的地である豊舞の国まで時間もある。それまでゆっくり、カラクリの気持ちが落ち着くまで。




