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脅かされた平穏①

「カラクリ、さっさとお風呂に入って来なさい」

「うん。分かった」


 あれから二日後の夜。私はカラクリの家の居間にいて、ふうふうと熱い煎茶に波を立てていた。否、それは体の支配権を取り戻したカラクリ。結局私はこの二日間、入れ替わりの仕組みをカラクリに説明できずにいた。


「んーんんんーんー」


 6畳もないせせこましい脱衣所。そこでカラクリは、どこかご機嫌な様子で鼻唄を奏でながら、泥だらけの衣服を丁寧に脱いでゆく。しかし貧相な身体だ。ロクなものを食べておらぬから仕方が無いのだろうが、なんとも抱き心地の悪そうな肉付きである。


――そそらん身体だな。


「ひッ!?」


 しまった。つい声に出してしまった。


「ど、どっ、どっ、どこ見てるんですか……っ」


 脱いだ袴を手に取って、恥部を隠しながらへたり込むカラクリ。その表情は窺えないが、心臓が忙しなく脈打っているところを感じるに、相当の羞恥に見舞われている様。


――お前の目と私の目は繋がっている。故に、嫌でも見えてしまうのだ。

「…………そんなぁ」

――云っておくが、ガキに興味は無い。お前のように貧相なものは特にな。


「そ、それはそれで傷つきます」


 そう云ってカラクリが肩を落とした時だった。

 まるで、身体の内側から内臓を掴まれたかのような、なんとも不快な気分が芯から滲み出てくる感覚を覚えた。ゲンゲンが云うには、私とカラクリは五感だけではなく、感情などといった、目に見えない部分までもが繋がっているらしい。


 もし、今感じているこの不快感がカラクリの心なのだとすれば、私の言葉が刺さったことに違いはないのだろう。


――悪かった。非道い事を云ってしまった。


 私は思わず詫びてしまった。歳も背丈もかけ離れている少女に、何を想う事があるか。ゲンゲンからは少女の機嫌を取れと釘を刺されたが、そんな気はさらさら無いと云うのに。


「いえ…………気にしてませんから」


 そう云ってカラクリは風呂場へと足を入れるが、その言葉が強りだという事も知った。全く奇妙なものである。他人の心内が、まるで濁流のように流れてくる様は…………。


「ところで山ン本さま」


 ひのきで仕上げられた湯船に肩まで浸かったカラクリは、全ての物事がどうでもいいと思えるくらいの安楽の溜め息を吐きながら、歌うように私の名前を口ずさんだ。


――なんだ?


「わたし、一昨日の記憶がスッポリと抜けてるんですけど、山ン本さまは何か知ってますか?」


 一昨日の昼間。その時のカラクリは、私が支配権を強奪したことで意識を失っていた。故に何も覚えていないのだろう。私がこの手で、つまりカラクリの手で二人の獣人を殺めたことも。――知らぬが仏。それをカラクリに云うつもりは無いが、風呂場という落ち着いた空間。入れ替わりの仕組みを説明するのに、丁度いい機会かもしれない。


 そう考え至った私は、ゲンゲンから教えられた一切を彼女に説明した。先ず一つ目に、私が舞台に立つにはカラクリの了承が必要である事。そして二つ目、私を奈落にせり下げることに、何の条件も必要としない事。――他にも、人間は本来天賦を持たないが、しかし半妖である私が舞台に立つことで、それが使用可能となること等々。


「ばぶぼぼ…………」


 ほぼ全ての説明を終えた後、カラクリはブクブクと湯面に泡を立てながら「なるほど」と呟いた。行儀の悪い奴である。


――つまり私は傀儡かいらい。何をどうしようがお前の自由という訳だ。


「じ、じゃあ、わたし達の村が妖怪や盗賊に襲われても、撃退してくれるという事ですか?」


――その代わり、一つ条件がある。


 カラクリはどことなく嬉しそうな調子でそう聞いて来たが、しかし私はつい魔が差してしまい、彼女にそう云った。すると彼女の声音には神妙さが含まれる。


「条件…………?」 


――この目で直接、今の牟蔵むさしの有様を見たいのだ。私が一から作り上げた、その国の終わりを。


「でも牟蔵むさしって、千久宕ちくごから何千里と離れてますよ…………」


―――そうだな。まあ、機会があればでいい。


 そう。機会があればでいいのだ。

 きっと、私はどこかで欲しているのだと思う。もう二度と、立ち上がる事すら出来ないほどの諦めを。目の前に広がるのが草原だろうと。名も知らぬ国々で埋め尽くされていようとも。かつて栄えた我が国の最期を、心が打ち砕かれる様な現実を目の当たりにして。


「わかりました。いつか必ず、連れて行きます」


 その言葉は、もはや安楽に浸かっているとは思えぬほどの真剣さを孕んでいた。そして、それに嘘偽りがないことも理解できた。心が繋がっているがために。――全く。溜め息が出るほど優しい奴だ。


「なんの音だろう?」


 するとここで、パチパチと何かが弾ける音が、湯気を逃がすための小窓から入って来る。続いて鼻をうつような焦げ臭さ。間違いない…………これは。


――早く着替えた方がいいぞ!


「え?」


 その瞬間、耳の奥を引き裂くような炸裂音が鳴り響き、大木で横腹を殴られたかのように、建物が大きく揺れた。


「な、なにっ?」


 カラクリは短く甲高い悲鳴をあげた後、衝撃によって波立つ湯船から身を乗り出した。


――夜襲だな。奴ら、意外と準備がいいらしい。


「奴ら……?」


――早く建物から出ろ。丸焼きにされるぞ。


 私の言葉を聞いたカラクリは、早かった鼓動をより一層早くして、産まればかりの小鹿のように震えながら袴を着込んだ。そしてここで、風呂場の戸が勢いよく開き、一つの大きな影が私たちの目に飛び込んで来た。


「カラクリ、大丈夫かッ?」

「おっ父。なにが、何が起きてるの?」

「よかった。無事だったか」

「ね、ねぇ、一体どうしたの?」


 戸の奥に立っていたのは父親だった。だが息を荒げ、蒼白な顔ばせで腕を抑える姿は、尋常と云える様ではない。そして茶色い着物の右袖は大量の血によって黒く染まり、力尽きた蛇のように垂れさがった指先からは、燃えるように赤い血が滴っている。


「おっ父、すごい怪我だよッ!」

「心配するな。おっ父は大丈夫だ…………」


 カラクリから掛けられる心配を跳ねのけて、彼は不格好な笑みを作って答える。そうすればカラクリも幾らか落ち着きを取り戻し、気管に残った空気を押し出した。だがこの出血だ。立っている事さえままならなぬ筈。


「お、おっ母は? おっ母は大丈夫なの!?」

「いいかカラクリ。落ち着いて聞きなさい」

「…………え?」


 カラクリの小さな肩に片手を添えて、父親は震えた声で云う。


「村の皆は、正気じゃない。…………おっ母も」

「……どういうこと?」


 涙と共に言葉を零す父の姿を見て、カラクリの心は大きく揺らいだ。それも暗い夜の底へ堕ちててゆくような、深い絶望感。そして父親は、とめどなく流れていた涙を殺し、真っ直ぐとカラクリの目を見据えて。


「お前だけでも逃げるんだ」


 そう云って、父は娘の手を取った。決して離さないように、強く。


「おっ父、何がどうなってるのか分かんないよ!」


 手を引かれながらカラクリは父に問うが、しかし彼は何も云わず、少女には決して合わない歩幅で、ただただ家の寝室へと向かう。


「ここから家の外へと逃げるんだ」


 寝室にたどり着くと、父親は畳の一枚を持ち上げ、そして床板を剥がしてカラクリに云った。


「軒下からなら、誰にも見つからず森へと行ける。さぁ、行きなさい」

「い、嫌だよ。おっ父も一緒に」

「大丈夫。おっ父も後で行くから。な?」


 そうして父親は、ここまで決して切らなかった娘との繋がりを、自らゆっくりと解いてゆく。その温もりを感じられなくなる刹那まで、切なげな表情を浮かべながら。


「さぁ早く」

「約束だよ、おっ父。わたし、森で待ってるから」

「ああ、必ず行くから、早くお行き」

「…………うん」


 子供一人がやっと通り抜けられる程の隙間。カラクリはそこに足を入れ、家の床下へと身を沈める。


「カラクリ、これを肌身離さず、持ってなさい」


 カラクリの体が完全に床下へと潜った時、父親はカラクリへと手を伸ばした。その手には、美しい藍色の鞘に収まった、一振りの打ち刀。


「これって」

「お前の爺ちゃんが握っていた刀だ」

「お爺ちゃん?」

「そうだ。お前には言ってなかったが、爺ちゃんは今も、山河さんがという国で生きている。いいか。ここを出たら、山河へ行け」

「…………え、でも。おっ父は」


 刀を手に取ったカラクリは涙で滲む視線を父親に向けるが、しかしナガレハはカラクリの言葉を聞かずして、畳を降ろして入り口を塞いだ。そうすれば光は途絶え、先も見えぬほどの暗闇が私たちを覆う。


「ど、どうしよう。どうしようどうしようどうしよう」


 床下のカビ臭さと湿気に包まれながら、カラクリは受け取った刀を抱えて小さく蹲る。


――今は父親が云った通りに、ここを出て森へと急ぐんだ。


「けて…………ください」


――何と?


「助けてください。おっ父を、おっ母を、村の皆を…………」


――人を、殺すことになるかもしれんぞ。


「それでもいいから……早く皆を」


 それは怒りなのか、あるいは哀しみか。もう判別も出来ぬほど、捻じれて歪んだ感情だった。幼い少女が抱くには、まだ早すぎると云えるほどの黒ずんだもの。

 

 だが私は、その心に従った。

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