第■■章8『冷静担当』
矢を引く音。後輩たちの精一杯の掛け声。きっと、腹から声を出さないと先輩に怒られるんだろうなぁ、なんて。足に吸い付くような、冷たい裸足の感覚に、ボクはそんなことを考える。洗練されきった空間に、場違いにもボクとアリボトケは居た。
ここに来たのは、ある少女に会うためだ。
学園ポリスのうち、唯一の二年生。ササコちゃんの後輩であり、ボクの後輩でもある少女。
「ちょっと背の高い弓道部期待の新星!」
「その名も!」
「──茂山オトリ。自己紹介くらい自分でできるんですけどね、先輩」
「あら~、今日も今日とて」
「冷静っすね、オトリは」
冷静沈着無頓着。そんな彼女こそが、ボクの可愛い可愛い可愛い可愛い後輩の、茂山オトリちゃんだった。
「今日は何の用事があってきたんです? まさか、連日に渡って用事も無いのに来たんですか、先輩。あんまりしつこいと通報しますよ、先輩」
「おいおいおいおい、ボク、そんなにここに入り浸った覚えは無いぞ。毎週一回、部活が終わったくらいのタイミングで、君を迎えにここへ来ているくらいじゃないか」
「レイ先輩、そんなことしてるんすか!?」
通報か。オトリちゃんは学園ポリスなんだから、そこは“逮捕しますよ”と言ってほしかったのだが。
お迎えの話だって、“たまたま”タイミングがあったときに一緒に帰っているだけであって何の問題も無い。
それは、先輩後輩同士の軽いスキンシップの域を出ないものなのだ。ああ、断じてやましい目的があるわけではない。彼女はその凜とした立ち姿を崩さず、的の方だけを見て、
「先輩が変態級に寂しがりな変態だってことは知っていますけど、今日は違う用事ですよね、先輩」
透き通った瑪瑙のような瞳には、もうお見通しらしい。ボクが変態であることも。それ以外も。
「なあ、オトリちゃん、《プリンスツインズ》って知ってるかい?」
◆◆◆◆
「ツインテイルに、プリン……? 何です、その美味しそうな女の子の名前は」
「オトリちゃん、そういう小ボケは嫌いじゃないけど今はいいから」
「そうですか、先輩。じゃあ、敬語もやめるね、先輩」
弓道部期待のニュースターは、そう断って何故か敬語までも取り払ってしまった。
茂山オトリ。学園ポリスの《冷静》担当。
ちなみに、カコミちゃんは《熱湯》担当、ササコちゃんは《温厚》担当である。《熱湯》が何を意味するものなのかは、不明である。
「まあいいや、先輩はあれでしょ、双子先輩について知りたいんでしょ」
と、《冷静》は言った。袴姿のまま。ボクらに相対する形で正座をして。そして、より一層、不機嫌そうな顔をして。
「今ごろ皆は、お茶を飲んでお喋りして、希少で貴重なブレイクタイムを満喫してるっていうのに。私は二学年も上の先輩と、正座で尋問タイムを過ごすことになるなんてね、先輩。……あーあ、私の前世は親殺しの殺人鬼だったのかなあ。この先輩との時間は、その報いってやつなのかなぁ」
「そんなにイヤか、ボクとの会話が」
「だって、コミ姉もサコ姉も居ないんだよ。二人が居ないんじゃ、私なんて、ただの乳歯みたいなもんだよ」
「なんなんだ、流行ってんのか。その歯ネタ」
呼び方といい歯ネタといい、やはりコイツも根っからの学園ポリスの一員らしい。にしても今回はやけに学園ポリスの出番が多いな。
「え、だって《学園ポリスは天使》みたいな章題だったでしょ?」
「ちげえよ」
「そうっすよ! 勝手に改題しないでください!」
後輩二の割り合いに対して先輩が一なのに、全員同学年みたいなノリの会話だな。
「そんなんで、カコミちゃんたちにも敬語使えてんのかよ、オトリちゃん」
「は? 当たり前でしょう、先輩。コミ姉こそ偉大な存在。あの人になら敬語を使っても良いと思えますだよ、先輩」
「口調不安定すぎんだろ」
「それだけじゃないよ、私はクシ姉にも、ルカ兄にも敬語を使おうって思ってますなんだよ」
「その心は?」
「尊敬できるから。ただ、それだけだよ、先輩」
オトリちゃんにとっては、つくしもはるかも、尊敬できる先輩なのか。そんな事実が、今のボクには誇らしくも、自分のことのように嬉しくあった。
「じゃあさ、オトリちゃん、ボクのことはイー兄って呼んでくれないの?」
クシ姉にルカ兄と来たら、ボクはイー兄だろう。さぁ、彼女の口からそんな甘ったるい呼び名が飛び出すことはあるのだろうか。
「はっ、呼ぶ価値すら見出せないしね、先輩。先輩は先輩で、先輩以上にも先輩以下にもなれない先輩っていう生物なんだよ、先輩」
なかった。
案の定ばっさりと。訳のわからない持論を展開されてしまった。彼女の中では、ボクはどうやら"先輩"という新種の生物だと認識されているらしかった。
「君さ、"先輩"って何回言ったよ? むっちゃ言ってるよね。必要以上に言ってるよね。あっ、もしかしてボクのことが好きなのか。そうかそうか、いいんだよオトリちゃん、これで晴れて相思相愛。ああでもボク、ちょっと告白とかされちゃってさあ。いやあ、困ったなあ、じゃあ最後の思い出にハグだけでもしてあげるよ」
「き、も、ち、が、わ、る、い」
ずっ、ぐちゃっ。
「ぇ、痛っ!? ぎ、ぎゃあぁあっ」
「うるさいよ、先輩」
と、卵の潰れるような音とともに、ボクの両目はくいこんだ。美少女の、しなやかに伸ばされたその二指と共に。かろうじて入ってくる光の中には、まるで床に落ちた汚物でも見ているかのような顔をした、オトリちゃんの姿があった。
ひどい顔である。ボクが(いろんな意味で)悶えてる間も、彼女は蔑視を続けていた。
失明手前までの痛みと、彼女の爪の手入れ具合に救われ、なんとか復活。目の前の少女は涼しい顔をして、自分の行動に何の疑念も抱いていないのだから不思議である。
「先輩先輩言っちゃうのは、こういうキャラクターだからなんだよ、先輩。あと、弓道場ではある程度静かにしてないと──その脳天ぶち抜くよ、先輩」
「罪が重すぎる! というか、それってどういうキャラクターなんだ!?」
「もちろん、《冷静》な美少女だよ、先輩」
「自称すんな!」
◆◆◆◆
「双子先輩のことだったよね。……そうだね、先輩。同じ空間に居る人のことをあまり大声で話したくはないけど、先輩の命令は絶対だからね、できる限りの大声で話すよ」
「いいからいいから、絶対とか無いから!」
「そう、いわゆる《プリンスツインズ》であり、双子先輩であり、三年C組三年D組の片割れであり、シスコンビであり、イロハちゃんのお兄ちゃんである、香々先輩のことを話せば良いんだよね、先輩」
「うん、そうだったけど、今のでかなり伝わったよ」
「あー。先輩にシスコンビは言い過ぎだね。とりま、兄妹3人ともアホみたいに仲がいいってことだよ、先輩」
「とりま、ねえ」
無表情にJK語を使われてもなあ。しかも、オトリちゃん、九割くらいはボクの言葉をスルーしているのだ。会話のキャッチボールなんてできたもんじゃない。これじゃあ会話のドッジボールである。寂しいなあ、先輩。先輩は非常にさみしい。ぴえんだよ。
「え、何? 鼻炎? へえ、それは“ぱおん”だね」
「うん、オトリちゃん。ボケた上で新しい言語を出すのをやめようか。ぱおんてなんだ、ぱおんって」
「ああ、とりまむちゃくちゃ悲しいって意味だよ、先輩。表現的に言えば、ぴえんの最大級だね、とりま。そうそうモストモスト」
「オトリちゃん、あんだけキャラとか言ってたくせに、口癖侵食されてない?」
「とりま、流行には乗っていくタイプなんだよね、先輩」
「“とりま”めちゃくちゃ古いけどね!?」
「あ」
「あ?」
「とりま、一向に話が進まないから、ボトケが呆れ返っちゃったみたいだよ」
「うっわ、まじか。アリボトケあいつ帰りやがったのか」
在仏タツク! 途中から話に入ってこないとは思っていたが、というか話に熱中しすぎてあいつの存在は眼中に無かったが、アイツ。帰ったのか。
「とりま、呆れ帰っちゃったみたいだね」
この子、珍しくしたり顔なんてしやがって。今、この子のこの表情を見ているのがボクだけだと思うと堪らないぜ。
「あ。また鼻の下を伸ばしきって。そんでもってさっきから事あるごとに私の態度に文句言いやがって。先輩は一体何様のつもりなの、先輩? もっともっとひれ伏すのが正解でしょ、先輩」
「とりまボクは君の先輩なんだ。その言葉、そっくり君に返すぜ、ひれ伏せオトリちゃん!」
「あーやだやだ、そうやって地位と権力とかを振りかざす人。しかも私の口癖まで取っちゃって。──今度こそ、その永久歯全部抜き取ってやろうか? 先輩。あ、そうだ。上下の歯を上手く引き抜いてテトリスを作ろうか」
「名案だね? みたいな顔しやがって。頼むから続きを話してくれ」
「えーつまんないなあ、先輩。そんなんだから後輩にロリコン先輩だなんて言われるんだよ、先輩」
「マジ、で?」
「割とマジだよ、先輩」
◆◆◆◆
「三年C組、シスコンビ、双子の兄の方。香々ロッカイ先輩、ポジションは大前。三年D組、シスコンビ、双子の弟の方。香々ロッケイ先輩、ポジションは落ち前。これは三年生に限った話だけどね、双子先輩はどちらも一番の腕前なんだよ」
弓道は五人で五ポジション、だった気がする。大前は一番手、落ち前は四番手、どちらも重要なポジションだ。それにしても、
「えらく変わった名前じゃないか」
ロッケイにロッカイだなんて。そこまでいったなら、ロットもあって欲しかった。オトリちゃんはともなく筆と半紙を取り出して、
「漢字を見たらもっともっと驚くと思うよ、先輩」
さらさらと筆を滑らせた。服装が服装なだけに、筆を持つオトリちゃんはいかにも“和”だった。しかも達筆。白くたるんだ袖にも墨が付かぬよう、彼女は最速でそれを書き上げ、ボクの前に突き出した。
「香々六戒と、香々六刑。兄が戒め、弟が刑を下す。すんごい双子だよね、先輩。どっちも警察官志望だってさ、先輩」
黒で示されたその文字は、より、重く感じた。どちらかといえば裁かれる側の人間だからか、それに畏怖さえ感じてしまう。怖い。なんてひよったことを考えてしまう。ボクは拳を握っていた。
「ロッカイに、ロッケイにイロハか。なんか、皆キラキラネームっていうか、特殊っていうか……きっと、すごい両親なんだろうな」
ちらっと横目で彼女を見る。
と。
「──亡くなってるんだって、もう何年か前に。飛行機だかの事故でね、両親をどちらも、亡くしたんだって。……あの、大規模な墜落事故、先輩は覚えていないかな。香々一家は、ちょうど家族五人で旅行中に。運よく助かったのは、双子先輩たちも含めて、数名しか居なかったらしいんだ」
「そっか、事故で」
「助かったのって、運が良かったのかな、先輩」
「そりゃ……」
出かかった言葉の続きが、発せられることは無かった。
「永久歯みたいな存在が、目の前でぐちゃぐちゃになっていくのを目の当たりにして。……それでも尚、大切な人の居ない世界で生きなきゃいけない」
───これって本当に幸せなのかな。
彼女は言う。
「運が良かったって、生き残れて良かったねって、言えるのかな、先輩」
ねえ、先輩。
と。呪いの言葉のように、そう繰り返す。ボクだって、いまだに答えが出ていないのに。どこか別人のように彼女の口は動くのだ。ボクにはそれを。その質問を、他人事のように答えられるような勇気が無かった。
自然と喉が渇き、張り付いていく。
大切な人の居なくなった世界に耐えられる?
二人が眠ってしまったあの日から。
何度も頭が壊れそうになって、嫌で嫌で嫌で、いっそ狂ってしまった方が楽なんじゃないかとか、死にたいだとか、そんなことはもう何千回も、考えて、思って、思った。
───思ったんだ。
思ったけれど。
実行はできなかった。
そんなことは、しなかった。
「だからボクは、良かったとも言えないし、悪かったとも言えないと思う」
「─────」
「大切な人が居ない世界でも、死なない限り生きてるんだから。死ぬほど辛いし、死ぬより辛いけど、生きてりゃなんとなく、また大切な人が増えてくじゃんか」
「それは、キャッチ&リリースに近いものなのかな」
「違うよ、キャッチモアキャッチだぜ。失っちまった大切な人だって、忘れなきゃ大切なままなんだからな」
「現実から、逃げたくならないの?」
「いつだって、ボクは逃げの一手だ。逃げることしか考えてないよ」
「強いね、先輩は。逃げれるなんて、強いね。──イー兄は」
「?」
最後の部分がよく聞き取れなかったが、彼女の無表情がかすかに緩んだきがしたのでよしとしよう。オトリちゃんは、なんでもないよ、と姿勢を正した。
「そういえば、先輩。イロハちゃんに、………あのイロハちゃんに、告白されたんでしょ?」
何故わざわざ言い直して、強調したのかは不明である。あの、とか言わないで欲しい。余計、危険人物味が増すじゃないか。
「ねえ、先輩。ときにこんなお話を知っているかな。あるところに、同棲している男女、いわゆる夫婦がおりました──」
そうして彼女は、脈絡も前置きも飛ばして語り出したのであった。




