第■■章7『不思議部であること』
「おーいアリボトケ、何か情報掴めたか?」
「今のところは……」
と。 不思議部部室に入ってきたアリボトケはゆるゆると、首を振った。
放課後である。ボクも首を振り返し、二人して肩を落とした。机代わりのガラスケースの上には、一束の紙。そこには大きく“連続方翼神隠し事件記録詳細”の文字が記されている。中はまだまだ白紙同然、これから黒く染まっていく予定である。
「ボクさぁ、こういうのの表紙書くのは好きなんだけどさー。中身はなぁ、専門外」
そういえば、活動記録だって主にはるかが書いていたし。それで、情報収集はタオ先生とつくしの担当で。あれあれあれ。こうして考えてみると、ボクって実は何にもしてなくないか。仏頂面でドカーンと座ってただけなんじゃなかろうか。今まで頼りっきりだったとは。ついにボクは、仲間すら失った肩書きだけの部長になって。
「ああああっ! ボクの存在意義って何々だあぁ」
忽然として自分のアイデンティティを失ってしまったような気がする。あれあれあれあれ。こんなただのロリコン不思議中毒者に語り手を任せていいのか。世も末どころじゃない。ここが黄泉平坂でも許されない横行だ。
「レイ先輩、そんなこと言わないで下さいよ」
「うう、アリボトケ……」
アリボトケは朗らかな表情で両手を広げていた。こいつって、いつから聖人君子になったんだろう。実はキリストだったんじゃなかろうか。
ああ、なんだろう。夕日が後光に見える。
「大事なのは中身より表紙っすよ。表紙が素晴らしければ、誰だってその作品に惹かれるじゃないっすか」
「そ、んな」
「それに、先輩の存在意義? アイデンティティ? そんなの気にしないで下さい。氷雨レイという男は、そこに居るだけで万人を惹きつける力を持ってるんです」
「ボクに、力……?」
「はい。あなたが何もしていなくても。そんなつもりでも。実はたくさんの生徒が先輩の言葉に助けられてるんすよ。俺だって、ツクシ先輩だって、ハルカ先輩だって。アンタに出会ってきた人たちは、皆その一人なんすから」
「アリ、ボトケ……」
正直、こんなにコイツに語彙力があるなんて思っていなかった。そのせいで、ボクの瞳が、心が震えているなんて、奮い立っているなんて口が裂けてもいえないけれど。はにかんだ少年は、当たり前のようにさらりとそんなことを言ってのけて。
「笑ってください。前を向いていてください。こんなありきたりなことしか言えないっすけど。──レイ先輩は、俺の自慢の先輩なんすから」
それは、あまりに厳しい言葉で。厳しすぎる言葉で。
実に、嬉しかった。
迷っていた僕の背中を、アリボトケは、しっかりぶん殴ってくれた。やっとけじめが着いて、やっと腹をくくる準備ができた。
「ほんとは、アイツらが起きるまでやらないつもりでいたんだけど……二人バージョンでやるか、アレ」
全身まるごと洗濯機で洗ったような爽快感に、ボクは勢い良く立ち上がった。アリボトケも気づいたらしく、ニカっと歯を見せた。
「ええ、アレがないと、不思議部は始まんないっすから!」
「おう! じゃあいくぜっ! エフ!」
「ユー!」
「シー!」
「アイ!」
「ジー!」
「アイ!」
『二人合わせて、不思議部参上!』
そうなんだ。
“くだらない”を全力で追いかけるのが青春だ。
◆◆◆◆
さて、今ある情報のおさらいをしてみようか。
「アリボトケ、犯行の目撃情報は?」
「一切ないっすね。そもそも一人の女子生徒が、授業中にふと窓の外を見たら、カラスがぼてぼて転がってたって話っすから。これが丁度、今日の三時限目の情報っすね」
「ちなみにその女子生徒って」
「はい、三年D組の東条ササコ先輩っすね」
あいつかよ。授業中にもかかわらず、ポカンと外なんか見てんのは彼女しかいないと思っていたけれど。いや、授業受けろよ風紀委員会副委員長! 学校の風紀乱してんのはお前じゃねえか。なんて、そんな荒々しい口調も、いつだってパンダのように垂れた瞳にかき消されてしまうのだ。良くも悪くも、マイペースを貫くササコちゃんに。
「……で、今日は驚くべき快挙達成、全校で無欠席。その時間も、サボってたのはボクだけか。まずいな、これボク疑われるんじゃないか?」
そのとき、ラブレター開封騒動を繰り広げていたから一応アリバイはある。言い訳を……では無く、弁解をしようとしたときには、アリボトケはもう次の情報に進んでいた。
「その時間、体育も含めて、外で授業を行ってたクラスは一つもありません。ただ、三時限目の前には、そのロータリーを清掃業者さんが掃除してて……。犯行は三時限目内に行われたとしか考えらんないんすよ」
「生徒の誰もが完璧なアリバイを保有してるってことか」
しかし、仮にこの学園の生徒が犯人だったとして。三時限目の間に、生きたカラスを捕まえて、13もの羽を一気に切り落とすことなんて可能だろうか。
血痕も残さずに。音も立てずに。誰にも見られずに。
あんな綺麗に、生きたカラスの羽を。部外者の侵入には清掃員さんたちも気づくだろうし、ここは入口のセキュリティも抜群。その線は薄いな。ついでに、監視カメラでも設置しておいてくれたらもっと捜査がはかどったのに。
誰がいったい何の目的で。愉快犯じゃないとしたら。それも解明不能だ。じゃぁいったい何なら分かる。何なら言える。ササコちゃんはなんと言っていた。
「カミカクシ。かみかくし。髪か櫛。紙を駆使。神か串」
「羽は切り落とされたんじゃないんすよ」
「ああ、隠されたんだ」
だから何なんだ。
神隠しは、“神”が隠した。じゃあ今回のは? 羽を隠したのは誰だ。これは一体、何隠し? “羽”? 何だろう。この、心の中になにかが取っ掛かってる感じは。かゆいところに手が届かない。すんでのところで、届かないこの感じ。ボクらはずっと、何かを見落としているんだ。もっとも大事だった、“始まり”を。
────先輩、好きです。
───コウコウ、サイハネ?
彩られた羽を持つ少女。
ボクに告白してくれて、ボクに好きだって言ってくれて、ボクにあのラブレターをくれた、香々彩羽ちゃんのことを。彼女の存在を。ボクはすっかり忘れていた。
「なあ、アリボトケ。イロハちゃんてさ、どこにいるか、見当つくか?」
「もちろんです。おそらく、今日も美術室に居るんじゃないすかねぇ」
疑っているわけではない。証明するために向かうのだ。ボクらは、旧校舎二階の美術室に急いだ。この、不思議部部室の丁度真上にある、美術室に。
◆◆◆◆
「“本日の活動は終了しました! またのお越しを待ってます”って。……はっ、そうか美術部は帰宅部だ」
つっこむ寸前で閃いた。
美術部の扉に張られていたのはそんな文面の紙で。おまけに超かわいい女の子のイラストまで足されていた。
残念、居ないらしい。
放課後の美術室は、どこかもの悲しい雰囲気にあふれていた。ドアの隙から覗ける上半身だけの彫刻も、ボタンの目をしたツギハギの猫も、すべてがボクを見張っているような、そんな気がした。圧縮された空気感に、いまにも押し潰されそうである。何かが居る。何かが。何かが。何かが。何かが。何かが。
ボクを───。
「……い……先輩! レイ先輩ってば!」
「う、わ、アリボトケか」
野球部男子の握力に肩をゆすられ、ボクは我に返った。心臓の鼓動は、いまだに鳴り止まないまま。無理やり記憶に蓋をする。今の感覚は、一体。
「もう居ないみたいっすね、美術部も、イロハちゃんも」
「あ、ああ」
「じゃあ、次んとこ行きましょ」
ボクの前を行くアリボトケに、
「二Eの教室とかか?」
と、声を投げる。彼は、両手を頭の後ろに組んで、こう言った。
「行きましょうよ、《プリンスツインズ》さんのところに」
窓の外には、本校舎に隣接する弓道場が見えたのであった。




