第3章7『嘘つき疑心暗鬼』
「私、心が狭いから、自分を酷い目に遭わせた相手をすぐ許せないの。ごめんなさいね」
「きゃああああっ!!」
私は聞こえないふりをして、肩に重心を掛け、彼女の腕を反対方向にねじ上げた。やられたことはやり返すタイプなのだ、百倍に。
「脱出の方法はもういいかしら、馬鹿力で扉を蹴破っただけよ。まさか、扉の向こうで犯人が待機してるとは思わなかったけど」
まあ、犯人に薄々見当は付いていたので、一石二鳥だったが。おそらく、この少女が気になってるのはそこではない。
「蔓延させた塩素ガスをどう対処したか、でしょう。あなた、混ぜるな危険って学校で習わなかったの? 塩素ガスは、塩素系の漂白剤と酸性の洗剤を混ぜると発生するもの。さっきも言ったけど致死性だってある立派な毒ガスよ?」
「し、知らない。誰か実験でもしてたんじゃないですかぁ?」
「白を切るのは愚かだけど、目を瞑ってあげる。毒ガス、あれ結構濃かったから十分苦しかったわ。塩素ガスって気づかなかったら、多分死んでたわね」
あなたの望み通り、と囁けば、彼女は小刻みに首を振っていた。
「それなら、一体どうやって」
「塩素ガスは水に溶けやすいのよ。化学室の机って、ほら、水道が付いてるでしょ? あの結構勢い出るやつね。あれを複数個上に向けて乱射した。お陰で服が少し濡れたわ。でも、大分空気が良くなった。それで扉を蹴破って脱出ってわけよ」
勿論化学室の床は水浸しなので、後々お叱りが入るかもしれないが、それには目を瞑ってほしい。
「えーっと、あとは何だったっけ。あなたが犯人だって証拠が欲しいんだったかしら」
「そ、そうですよ、波色先輩。だって私、波色先輩を襲う理由なんて一つも無いじゃないですかぁ! 昨日だって助けて貰ったし、それに何より私、昨日七不思議? に襲われてるんですよ。私が犯人なんて、そんなめちゃくちゃな」
弱気そうな顔を作る彼女は、被害者、という言葉がよく似合う。そうなると私は加害者になるのか。悪くない。
「廊下でこんなことをやって! しかも生徒会が純真な生徒に! いいんですかぁこんなことぉ!」
「あまり大きい声を出さないでもらえる? その可愛い顔をグーで殴りたくなっちゃうから」
「ひっ」
「じゃあ、早速答え合わせをしましょうか。床も冷たいものね」
かといって彼女の身体を解放する気は微塵もないが。大人しくなったアカリの顔を見、私は昨日のことを思い出した。
「あなた、旧校舎の二階の化学室から裏山に逃げてきたのよね」
現場はここである。ここで七不思議の絵画から飛び出した女に襲われ、裏山に逃げたと言っていたのだ。だが、おかしいところなんて幾つも見つかる。
「は、はい、怖くて、必死で!」
「そう、必死だったの。なのに、逃げている最中は声すら上げなかったのね」
「え、それ、は」
「声だけじゃない。私と白子はあのとき旧校舎の一階に居た。それなら、逃げるあなたと追う七不思議を一度も見かけなかったのはどうして? 足音すら聞こえなかったのはどうして?」
普通、襲われたのなら第一に声を上げて助けを求める、その場でだ。だが、彼女の声が聞こえたのは裏山から。同じ旧校舎に居たにもかかわらず、その過程を私たちは目撃しなかったのだ。
だが、彼女もそんなことでは怯まない。
「化学室は、あなたたちが居た位置とは真反対にあります! 私は、反対側の階段から下りて、そのまま玄関の方へ行ったんですよ!」
確かに、階段は複数ある。絵画がある階段と真反対から下りたのなら、まあ、音が聞こえない可能性も無くは無い。
「ふぅん。面白いこと言うじゃない。それから裏山に逃げたんでしょう? 玄関の位置とは真反対の裏山にね」
「なっ」
「あのとき。玄関が遠いから、私と白子は窓から出たのよ。あらあら、それじゃあ一体どうしてあなたは、わざわざ遠くの人気のない裏山の方に逃げたのかしら? ちゃんと玄関から出たのなら、本校舎に助けを呼びに行けば良かったのに。答えは簡単、最初から裏山にいたんでしょ、あなた」
口を開けばボロが出る、私でも分かるこの手口はまさに素人。だが、素性が明らかにならない限り、侮ることは出来ない。
「……っ!」
「図星みたいね。あとは何? 何て言ったら降参してくれるの。ああ、あなたの立ち位置、とかかしらね」
「立ち位置?」
「そう、立場よ。私の推論だけど、七不思議を絵の中から逃したの、あなたでしょう。あと、絵を外して隠し持っているのもあなたなのかしら?」
それも図星のようだ。彼女は、七不思議の一番に関わっている。考えようによっては彼女を真犯人にも仕立て上げられるが、その可能性は低い。彼女の立ち位置は精々共犯者、誰かに雇われたか依頼された可能性が高い。
「あなたはそうして、化学室から七不思議が出て来たと、化学室にあの絵画があるのだとミスリードさせようとした」
「違いますよ、生徒会さん! 私は本当に、化学室から逃げてきて」
「あなたは、私たちをこの毒ガスの蔓延した化学室に誘き寄せて消そうとした。七不思議を解決しようとしている、私たち生徒会をね。まったく嫌になる、探偵の真似事だなんて。これはもっと憎いやつの真似なんだけど。さて、ここで長谷川クエスチョン」
ぐうの音も出なくなったアカリの額を弾いて、私は笑ってみせた。至極、極悪人のような凄惨な顔で。
「あなたの目的は、七不思議の解決の阻止? それとも、不思議部?」
「っ!」
「あなたとしては昨日、私たち生徒会が裏山に駆けつけたのは想定外だったんでしょう。本当なら、不思議部が駆け付ける予定だった。不思議部部室も旧校舎、しかも一階にあるものね。でも残念、昨日不思議部は帰ってしまったのよ、GWの合宿届を出して早々にね」
「私は、本当に襲われて……!」
「駄目でしょう、まだ聞いて。あなたは不思議部を裏山で仕留めようとしていたんじゃないかしら。不思議部部長、氷雨レイを」
「どうして、あんたも知ってるのよ!」
突如、アカリが豹変した。
矢張り、といったところか。彼女はおそらく、異種である氷雨レイを捕えに来たのだ。だが、その情報は身内しか知らない極秘のもの。私やキヨタ、それに不思議部の面々も最近知ったばかりの情報だ。一体、どこから。
一瞬嫌なことが頭を霞めたが、私は続けた。
「氷雨レイが昨日、合宿届を出しに来たとき、ペラペラ話していったのよ。今日は、つくしもはるかも居ないんだってね。あなたがどうやって情報を掴んだのか知らないけど、これで目的は氷雨レイにあるってことになる」
「一つだけ聞いて良い、生徒会役員さん?」
「ええ、長谷川波色先輩と呼んでくれてもいいのよ」
「なんであなたは、異種を庇うの長谷川波色先輩?」
朝焼けに照る彼女の髪が、まるで修羅の如く揺らめいた。化けの皮の剥がれた表情に自然、頬が強張る。
「氷雨レイが異種である、なんて情報。あなたはどこで聞いたのかしら、アカリさん?」
「きゃはははははっ! バレちゃった! そうだよぉ、全部アカリがやったの! 先輩の読みも花丸満点、ちゃんと合ってる! 七不思議を逃したのも私! 毒ガスで生徒会殺そうとしたのも私! でも死ななかったねぇ、先輩」
「質問に答えて」
質問にも答えず、笑ったり怒ったり、まるで狂ったように情緒を変えるアカリは、劣勢にも関わらず笑っていた。気弱な少女は全て演技、当たり前のように血走った瞳に私が映った。じたばたと両足を跳ねさせ、捻り上げたままの腕もぎちぎちと音を立てている。
子供だ。駄々をこねる子供そのものだ。話の通じない相手に、鮮明な恐怖を覚えた。
「どうして! 何で! 私は、ただお金が欲しいだけなのにぃ! アカリまた怒られちゃうよぉ!」
「暴れないで! 静かにしなさい!」
すると一変、彼女はその瞳に大粒の涙を溜めたのだ。
「長谷川波色? 私は、あなたが! 分からない! 分からないよぉ。異種を捕まえて売り飛ばせば、一生遊んで暮らせる程の大金が舞い込んでくる! 友達とか、そういうの全部関係なくさぁ! あの氷雨レイを売り飛ばすだけで、私たちいっぱいお金がもらえるんだよ!?」
「そうね、その通り。人身売買に興味はないけれど、氷雨レイという男に莫大な価値があるのは分かっているわ」
「ねえ、長谷川先輩。私に出来た初めての先輩。取引しない?」
耳を舐るように粘着質な声で、彼女は言った。
「取引?」
「どんなに異種であることを隠しても、やがて限界は来る。必ず私みたいなのが現れて、氷雨レイなんてあーっという間に売り飛ばされちゃうよぉ? だからね、先輩。ここで見逃してくれたら、手に入れた金の分け前、三割あげるわ。どう?」
「──黙りなさい。私、不毛なやり取りが一番嫌いなの。異種を快く捕まえるために、邪魔な生徒会を消そうとした。本筋が見えてきたわ。さあ、誰に依頼されたの、異種の捕獲と七不思議の一番を逃がす役目を」
「そう、先輩も結局は友情とかそういう青臭いのを優先するんだぁ。私また羅暁様に怒られちゃうよぉ」
「ラギョウ……? まさか、あなたは」
"ラギョウ"は"蝙蝠の欠片"をばら撒いてきた元凶の名と同じだ。
まさか。
その羅暁が異種の捕獲を目的としているのなら、氷雨レイが危ない。しかし、何故七不思議にまで手を出すのだ。こんな、手下を使ってまで、一体何をしようとしているのだろうか。
冷や汗が、背中を刺すように降っていく。嫌な予感がする。そこはかとなく、嫌な予感が。
アカリは笑った、壊れた道化のように、吹っ切れて。
「"蝙蝠の欠片"。私があれを入れたの、絵に! だからぁ、もう欠片を抜かない限り、あの女を絵の中に完全に戻すことはできないんだよぉ! 波色せんぱぁい!」
「どういうこと? 絵の中に……欠片を入れた? それで七不思議が絵の中から逃げ出したとでも言うの?」
ぺらぺらとその口から出る言葉は、どれも耳を疑いたくなるようなものばかりだった。こちらを惑わそうとしているのか。だが、この少女が羅暁の手下だとすれば、"蝙蝠の欠片"を持っていても不思議はない。押し寄せる情報の波に頭が痛くなりそうだった。
「伝説は蘇った。伝説の鬼殺しは、必ずあなた達を殺しにやってくる。私が何にもしなくても、必ず、氷雨レイは羅暁様に捕らえられる」
「鬼殺し。あなた、隠したって言ったわよね! 一体、どこに──」
「うふふ、死なないで欲しいなぁ、波色先輩。私、波色先輩にまた会いたい。だからいーっぱいお喋りしすぎちゃった」
「あ、っ」
彼女はそう言って、私の頬を撫ぜた。悪寒と同時、違和感が駆け巡る。その両手は、私が掴んでいたはずだ。今も、こうして、
「これは……泥? まさかあなた異能を!」
「う、ふ。うふふ、うふふふふふふ」
私の手を、泥の塊がすり抜けていった。
大量の泥。肌色にぬかるんだ泥が、溶け落ちていく。私が押さえていた彼女の手も、胴も脚も、残らず泥化していく。アカリの笑い声だけが廊下に響く。常に劣勢だったアカリが、道化を保っていた切り札はここにあったのか。
「あなたは、一体」
「私の名前は泥沼アカリ。生き残れたら一緒に恋バナしようねぇ、長谷川波色先輩!」
きゃは、という笑いを残して。
彼女は床に溶けて行ったのだった。
「やられた。獣人の耳も泥で作っていたわけね。羅暁の手下は強力な異能者、一体何を始めるつもりなの?」
得られた情報は数知れず、だが、敵の目論見には見当も付かないままだった。氷雨レイのことが羅暁に露見するのが、こんなにも早いとは。
「また、忠告と警戒をしないと駄目ね」
「──おーい長谷川! 化学室の鍵どこ探しても無かったんだけど……って何で泥んこなんだよ!」
冷静に今あった出来事を俯瞰していると、能天気な声が耳に飛び込んできた。案の定、手を振りながら廊下を駆けてきたのは見知った間抜けヅラ、白子オンドだ。
「白子遅いわ」
「遅いからって泥遊びすんなよな! それに俺だって必死に探してたのに。つーか、扉開いてね? いや、それ以前に、なんか壊れてね?」
「白子は本っ当に……! いや、いいわ。全部話すから、片付けを手伝ってほしいの」
「そりゃ良いけどさあ、大丈夫か? 怪我してない?」
「そういう、妙に人に甘い所も考えものね」
「褒めるならもっと分かりやすく褒めろよ!」
「そんなんじゃ、伝説の鬼殺しに勝てないわよ」
鬼殺し。
未だ見えないその脅威に、私は泥だらけの頬を拭った。




