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蝙蝠怪キ譚  作者: 芙山なす
第3章《酔狂の鬼殺し》
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第3章5『餓鬼のいたずら』


 ──俺が会いたいのは、兄ちゃんかな。



「──────あ」


 目が覚めた。


 私は脳裏に落ちたその声を、静かに反芻する。白子は昨夜、首を傾げながらそう言ったのだ。その表情は、あまり、その人に会いたいと言えるものではなかった。意志ではなく、感情でもない。その言葉からは義務を感じた。


 死んだ兄に会うことが、自分の使命だとでも言うような。


 手元の目覚まし時計を見れば、朝四時を指していた。

 GW初日。そして、合宿初日。こんな早くに目が覚めてしまうなんて。

 白子と別れ、帰路に着いた後も、私は考えあぐねていたのだ。


 語りだした白子は不気味なまでに饒舌だった。彼は平時と何ら違わない茶化すような口調で、その生い立ちを話してくれた。


 白子は十歳の時に火事で家が燃え、母も祖母も兄さえも失ってしまったという。その中で、自分だけが生き残ったと。そして親戚の家を転々とした後に、この学園を見つけ、寮に住む運びになったらしい。彼は、ことごとく数奇な運命を辿ってきた男なのである。


「人は見かけによらないもの、ね」


 どこか虚ろなあの笑顔が、目の奥を離れなかった。

 白子が隠していること、言いたくないこと、そこに踏み込む権利は私には無い。それでもどこか、引っ掛かっていたのだ。ほつれ、はみ出した糸をそのままにしておくような可笑しな感覚が胸を彷徨っている。

 らしくない。他人の、それも白子のことばかり考えるなんて。でもそれは確かに、寝覚めの悪い朝だった。


 あの世に会いたい人がいるのか。

 会いたい人があの世にいるのか。


 顔を洗いながら眠ったままの頭を起こす。顔を上げれば、酷く淡白な自分と目が合った。私は鏡に手を這わせ、その幾重にも層を重ねるツノをなぞった。


 もし、向こう側に父が見えたら。

 もし、向こう側に母が見えたら。


 歪んだ水滴を落とし、指は鏡を離れた。



 ──気持ち悪っ。本当にいるんだ、ツノ生えてる子。


 ──待って、ツノ子がこっち見てるんだけど。


 ──あの子、お父さんもお母さんも死んじゃってるんだって!


 ──え、恋バナに混ざりたいの? 見た目化け物のくせに? 獣人でも恋とかするんだ、おもしろ。



「どうして、私を」


 頬を伝う雫は、まるで氷の様に冷たかった。ただ、今の私には父母の姿を見ることができないと、顕著に思った。会いたくないと、そう顕著に。


「──波色、起きていたのか」


 背後から響いたのは、よく知る兄の声だった。振り向けば、首元がゆったりと開いたグレーのパジャマ姿の兄が立っている。いつも第一ボタンまできちんと閉めているあの長谷川水燃が、家では朝に弱いただの青年だと、私以外に知る者は居ないのだ。

 父母が唯一残したこの家には、私と兄しか住んでいないのだから。


「兄さん、おはよう。もしかして、起こしちゃった? せっかくの休日なのにごめんなさい。しかも華のGWなのに」


 私はタオルで顔を拭いながら、そそくさと洗面台を空けた。まだ脳が働いていないのか、兄はいつもより柔らかい表情で、


「いや、僕は元から起きていた。ランニングにでも行くつもりだったんだよ、気にするな」


 と、伸びをしている。ランニングなんて行ったことも無いくせに。兄は生粋の運動音痴なのだ。体力だけはあるのだが、球技全般はほぼ空振り、走る姿はタコの化け物だとよく評されていた。おそらくランニングになんて出向いたら、通報されてしまうだろう。


「そう、健康的で素敵」


「ステキ? 僕がか?」


 徐ろに口を出たそんな言葉に、兄はいやに引っ掛かってきた。こんなことは昔から何回も起こっている。発作のようなものだ。だが、私はその度冷静に対処してきた。そう、こんなふうに。


「あ。いいえ、決して休日で眼鏡をしているレアな兄さんが素敵だと言ったのではないわ。ラフな服に垂れかかるその蒼い髪が美しいとか、兄さん立ってるだけで画になる素敵かっこいい好き、なんて断じて。全く思っていないから安心して」


 私は微塵も動揺せずに、口をぱくぱく動かした。微塵も動揺せずにだ。


「そうか、今日はやけに口数が多いな、波色」


「しまった、つい」


 焦ると口数が多くなるタイプなのだ。別に、今は焦ってないけど。


「何がしまったんだ?」


「さあね、私の首じゃない?」


「よく分からんが、妹が元気そうで何よりだ」


 兄は鈍感だった。さすが冷徹宰相、長谷川水燃。おそらく今、私は兄と同じ顔を作れているだろう。長谷川家必携の最強ポーカーフェイスだ。お互いに真顔だと鏡写しのようになっていて愉快である。真顔の兄さんも格好いい。

 ではなく。本当、兄に響いていないようで助かった。


「そういえば、生徒会の合宿は今日からか?」


「ええ、GW中は一応全て学校で寝泊まりするつもりよ」


「熱心で良いことだな、感心だ。確か、七不思議を解決するとか何とか」


「そうなの。この長谷川家の威厳を保つため、何としてでも不思議部より先に解決してみせるわ」


「さすが僕の妹だな。だが波色、これだけは約束してほしい」


「え、何? 兄さん、まさか独りが寂しいとか言うんじゃないでしょうね」


 そんなの初めて見る一面だわ。あとで手帳にメモしておかなくちゃ。だが、その必要は無いようだった。彼は、らしくもなくぐしゃぐしゃと私の頭をかき混ぜ、


「ちゃんと帰って来い、五体満足でな」


 と言ったのだ。何を大袈裟な。割と優しい兄ではあるが、ここまでされたのは初めてである。私はどこかむず痒くなり、すぐに髪を直した。


「そんな、私戦場に行くんじゃなくって、学校に行くだけなんだけど!」


「この学園の七不思議はどこか可怪しい。気を付けて行け、波色」


「兄さん。分かった、ちゃんと帰ってくるわ」


 言い返したところで変わらぬ兄の態度に、私は渋々微笑みを返したのだった。



 △▼△


「──おはよう、白子……って居ないじゃない!」


 GW初日、合宿一日目、朝九時。蛇鹿学園に登校し、合宿用の大荷物と共に生徒会室に到着した。のだが。

 がら空きの生徒会室には、怒声がよく響くものだ。

 生徒会室で待ち合わせると、彼が言い出したにも関わらず、白子オンドはまだ来ていなかった。廊下の窓から昇降口を覗いても、来る気配すらない。


「あいつ! まあそういう奴よね、そもそもナリが不良だもの。遅刻くらいで驚いてちゃ駄目ね」


 それにあいつは学園内の寮住みのはずだ。いざとなったら行けばいい。私は取り敢えず全てが詰まった荷物を下ろし、生徒会室の隅まで引き摺った。

 文化祭や入学式などの行事の物品や備品が雑多にひしめく生徒会室だが、役員それぞれのデスクだけは綺麗に整っている。

 白子のデスクは、もちろんお菓子だらけだが。いや、汚いなこいつ。ボロボロと零れたクッキーの食べカスやお菓子の袋で溢れたそのデスクに、私は絶句した。絶対部屋ゴミだらけだろ、こいつ。

 私はそれらをティッシュで取り、ゴミ箱に投げた。一角獣は清廉潔白の生き物なのだ。そう、あの男とは生理的にも気性的にも合わないのである。決して相見えない、平行線のように。


「え──」


 私はゴミ箱に、ゴミを投げた。デスクから少し離れた灰色のゴミ箱に。

 人間、ゴミを投げるとそれがしっかりとゴミ箱に入ったかを見届け、確認するものだ。どんなにゴミ投げに自信があっても、ゴミ投げ世界記録保持者でも、それは誰しもがすることだ。ゴミがゴミ箱を外れていれば、無様極まりない自らの醜態を周囲にアピールすることになるからだ。

 だから私もそうした。私も、目を向けたのだ。ゴミ箱がある、その位置に。


「な、に。何これ」


 "オンド、イマスグ逃ゲロ"


 そんな文言が。まるで血で書いたように、乱雑な筆跡で、ゴミ箱のすぐ上に記されていたのだ。血の気が、引く。ダイイングメッセージのようなそれに、私は数秒固まった。ここは生徒会室だ。何故、誰が。何故、白子に向けてこんな言葉を残したのか。近づこうとしたそのとき、


「おーっす! 長谷川来てるかー!? おは、って長谷川俺の机で何やってんだ!」


 何というタイミングなのだ。

 ガラガラと無作法にも戸を開けて入って来たのは、相変わらず能天気な白子だった。白子、オンド。このメッセージは間違いなく、白子オンドに向けられたものだ。


「遅い、五分遅刻よ白子オンド! だから説明なさい。これは、この落書きは一体何なの!」


 と、私はその真っ赤な文字を指した。こんなもの、悪趣味にも程がある。白子は二、三度こちらを見て、寝癖の付いた髪をわしゃわしゃと掻いた。


「何それ、俺も知らねぇや」


「誰の悪戯よ……」


 別に書かれているのは悪口や罵詈雑言ではない。逃げろ、という忠告だ。何から逃げろ、なのか。いつ逃げろ、なのか。分からない。

 ただ、態々おどろおどろしい赤色で壁に書くなんて、手の込んだ嫌がらせをするものだ。少しだけ場が凍ったが、白子は平然とティッシュを取り出した。


「ったく、これ絵の具で書いてあんな。取れっかな。あー、取れなかったら会長に怒られちまうかも」


 ごしごしと、その手が執拗に壁をこする。まるで他人事のようだった。逃げろというメッセージに対する嫌悪感というより、これを絵の具で書いたことへの嫌悪感の方が、明らかに勝っていた。

 いくら嫌がらせに耐性があると言っても、肝が座りすぎてやしないだろうか。私は引き気味で聞いた。

 

「七不思議、お前解決しないほうがいいんじゃない? これ、どう見たって手を引けって言ってるようなものよ」


 ゴミ箱の近くまで駆け寄れば、足元に蓋の空いた赤い絵の具が落ちている。だが彼はそれを人差し指と親指でつまみ上げ、禄に見もせず捨てた。


「俺は逃げねえよ。誰が書いたか知らねえけど、こんな忠告、余計なお世話だ。七不思議の一番は俺が解決する。誰に、何と言われようとだ」


「白子、どうしてそこまで」


 七不思議の一番にこだわるの。と、先を紡ぐ勇気は無かった。

 白子は、何かに執着している。他人が簡単に踏み込んでは行けない何かに。私と同じ、秘密を持っている。それは確実に、鮮明に。それは、底の見えない海のような大きさの何かだ。きっと少しでも踏み入れば、呑まれてしまう、そんな気がした。

 無神経な言葉が出る前に、無神経な言葉が被せられた。


「ま、ここに来れんのは生徒会員だけだし。案外はち丸なんかが昨日イタズラしてったんじゃね? それか、エトー先輩とか」


「江藤先輩はそんな無意味なことしないわ、お前と違って」


「何だよ、俺の存在が無意味だって言いてぇの?」


「いいえ、お前の存在が阿呆そのものだって言ってるの」


「GWなのに辛辣だな!」


「GWは関係ないわ。私たちに休日なんてないの。精々身を小麦粉にでもして働きなさい、白子」


「ホットケーキでも作るつもりかよ! なっ、もうちゃちゃっと終わらして残りの休みパーッと遊ぼうぜ!」


「ごめんなさい、遊べる程の友達がいないの」


「俺がいるじゃーん、長谷川!」


「帰れ、今すぐ。白子とGW遊ぶくらいなら、庭で砂利食ってた方がマシよ」


「俺は砂以下かよ!」


「おこがましい、泥以下よ」


「泥! じゃなくてだな。情報収集でもしようぜ、そろそろ」


「そうね。五日間学校にお前と拘束されるなんて、まっぴらごめんだもの」


「一言多いんだよなあ、長谷川」


 軽口も大分慣れたものである。別にこいつと仲良しこよしするつもりなんて無いが。

 このとき、私たちは今一時の平和を味わっていた。待ち受ける地獄に、耳も傾けずに。




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