第2章終話『劣等組の特別授業』
五月初旬。
シオンさんたちの事件から、早一週間も経った今日このごろ。GWも今週末に迫り、人々が浮かれ狂っている最中。ボクは、
「うーん」
悩んでいた。
昼間からこのダンボールまみれの部室で、ボクは脳を悩ませていた。
「あら、サボりですかレイ君。まだ三限ですよ」
「いやお前もサボってんじゃねえか、つくし」
一緒にサボタージュしてんじゃねえか。
ボクの斜め前のダンボールに腰掛けたのは、つくしだった。つくしの言う通り、今は休み時間でも放課後でもない。退屈な数学の授業の時間である。ボクと、つくし以外の真面目な生徒たちは。彼女は、その短い脚をちょこんと組んだ。くるぶし丈の黒い靴下が白い足によく映えている。
「やだ、同級生の生足で欲情するなんて!」
「お前の脚には情も欲も湧かねえよ!」
「まあどうでもいいことですけど、何か悩んでるんですか?」
「前置きが要らないな。いや、この間のシオンさんの事件のことだよ」
そう、ボクは蜘蛛事件について考えていたのだ。授業をサボってまで。それだけ、腑に落ちないことが多かった。つくしは、目をぱちくりとさせた。
「あれならすっきり解決したじゃないですか。シオンさんだって今は元気に走り回ってますよ、臼居くんを連れ回して」
「まあ、そうだな。毎日楽しそうで何よりだ」
「何か煮えきらない言い方ですねえ。解決の報酬にミニ風鈴まで貰っちゃったのに」
チリーン、チリリーン。
と、涼しげな音色が部室に響いている。青々とした木々の手前、窓のカーテンレールには、二人から貰った風鈴が吊るしてある。臼居くんに開いた土手っ腹の傷も足の傷も、キヨタの治療によりすっかり塞がったと聞いている。これで万事解決、不思議は解消されたはずなのだが。
ボクの頭の中はいつまでも暑苦しかった。
「まだ五月、夏は遠いですね」
「つくし。ボクって、何々だろうな」
「急に哲学モードですか」
「糸目が言っていた"ラギョウコウセツ"、あと"異種"。あいつは、ボクを知ってたのかな」
ボクはボクのことを知らない。
これは冗談ではなく、クールキャラを作る為の設定でもない。本当に自分の出自を知らないのだ。
誰から産まれたのかも。どうやって過ごしていたのかも。ユリィといつ出会ったのかも。蝙蝠ちゃんたちといつから仲が良いのかも。知らなすぎることが、今回の事件で一層明るみになった気がした。つくしは立ち上がり、
「そんな、無知に羞恥を極めるレイ君に、今日は特別講師を呼んできちゃいました!」
「は?」
ぱちぱちぱち、と拍手の真似をしてみせるつくしに、ボクは眉をひそめた。特別講師? まだ、この時間にサボタージュを構している奴がいると言うのか。新たなサボり仲間にわくわくしながら、扉を見ていると、
「──無知なお前のために態々足を運んでやったの、感謝しなさい氷雨レイ」
「うわっ、ツンデレユニコーン!? お前って言った方がお前なんだぞ!」
長谷川波色。
ボクと同じクラスの風紀委員、授業をサボることには誰よりも敏感なはずの彼女が、入ってきたのだ。爽やかに真ん中分けされた前髪、その中央にそびえる青いツノは、いつ見ても真っ直ぐだった。誰にも曲げられない、精錬されたものがある。彼女はボクを見下ろし、
「何を言っているのか分からない。あと、私にその変なあだ名を付けないで」
「嫌だなあ、これも立派な愛称だぜ」
「悪いのは相性だけにして。しょうもないことは嫌いなの、いいから席に着きなさい」
「いやいや、まだ状況がよく読めない」
波色が特別講師だと。何が悲しくて同級生に指導されなきゃならないのだ。補導するのは朝の手荷物検査だけにしてほしい。席に着かされたのはいいものの、ボクの心を追撃する者がもう一人。
「や☆ ぼくも来たよー☆」
「何でだよ! 清田かよ!」
「えー☆ 失礼だなあ、命の恩人なのに☆」
「恩着せがましいわ!」
「恩は売るもの着せるもの☆」
「最低の心得だ!」
特別講師、清田。
よりにもよって二人中二人がボクの苦手な人間だ。どちらも違うタイプの苦手さを誇っている。なぜ呼んだ、つくし。正直、この二人と水燃先輩以外なら誰でも良かったのである。まさかここまでピンポイントに当ててくるなんて。この人選に悪意すら見えてくる。
「悪意なんてとんでも。この前、タオ先生が言ってたじゃないですか。波色ちゃんか清田さん辺りに、この世界のことを聞けって。普通の授業よりは、断然タメになると思いますよ」
「あー、そういえば言ってたな。だから呼んだのか」
「そう☆ ぼくとミイロちは、この分野の専門家☆ 言うなれば、劣等組ってやつだね☆」
「この分野ってどの分野だ?」
しかも劣等組って。波色は学年の中でも教師陣に一目置かれるほどの成績優秀者である。もちろん自他共に認める優等生。劣等組なんて蔑称を付けられることなど、プライドの高い本人が一番許さないだろう。
だが、清田の方は胸を張り、いやに堂々と波色の腕を組んでいる。彼には男女も年齢の関係も無いようだ。可愛いからなんでも許されているのだ、この男。その顔に産んでくれたお袋さんに感謝するんだな。
「ボクは清田が羨ましいよ」
「まあさ、気になってるんでしょう☆ ぼくの能力とか、どうしてミイロちみたいな獣人が居るのか、とか☆」
彼はそう言って、波色と共にホワイトボードを引きずってきた。コロコロと軽快に運ばれるそれだが、
「普通サイズのホワイトボードじゃねえか。ボクは授業サボってまで授業受けるのかよ、馬鹿らしいな」
「馬鹿らしいのはお前の存在だけ。教師に許可は頂いているわ、安心なさい」
「ちなみに、倒生先生の許可だけどね☆」
「あんなトンチキ教師の許可を当てにすんなよ!」
教師という肩書きだけで信用するなんて、とんだ優等生たちだ。
「だから、劣等組だって☆ ぼくたちは、誰よりも劣っているの☆」
「雑談はここまでにして。さあ、氷雨レイ、授業を始めましょう」
予鈴の無い授業が、幕を上げた。
◆◆◆◆
「まずは、この世界の仕組みについてよ」
波色は、コンコンッとホワイトボードマーカーで縁を叩いた。
「この世界には三種類の人種がいるの」
「ボクか、ボク以外か……?」
「それじゃあニ種類だよー☆」
「そこ、静粛に」
制された。ちなみに、特別講師の清田は当然のようにボクの隣に机を並べている。
「一つ目は、異能者。例で言うと清田ね。生まれた頃から優れた異能の才を持つ、この世の高等人種」
「気になってたけど、清田君の力って、何なの?」
舐めたら治るアレである。ボクは綺麗に塞がった脇腹に目をやった。
「ぼくの能力は、《天神の垂涎》☆」
「名前付いてんのかよ」
「家柄上しょうがないの☆ ぼくの体液は傷を治す効果がある☆ 相性が良ければ、この前みたいに舐めるだけで一瞬で治るんだ☆」
「じゃあ、腕とか折れても清田君に舐めてもらえば治るんだな。怪我し放題じゃん! よし、三階から飛び降りてこよっかなー」
「馬鹿だねえ、レイっち☆ 骨折とかは治せないの☆ 平たく言えば、傷口が剥き出てるものしか治らないし、舐めても舐めても治らない傷だってあるもん☆」
それに、ぼくだって舐めたくない傷もあるしね☆
と、彼は唾を吐いた。高等人種、という言葉も、劣等組なんてワードには一つも結びつかない。ミイロは淡々とホワイトボードに文字を書いていく。
「それに次ぐ二つ目は、人間。例は出すまでもなく、つくしちゃんや、遥佳君みたいな普通の人間のことよ」
「うんうん、そうですよ。異能者と人間はほぼ見た目では分かりません。生まれたときに検診を受けて、異能が見つかる人も居れば、大人になって異能が現れる人もいるんです。だから、差異もないし差別もない。強いて言うなら、異能者は憧れ、ってくらいですかね」
「差別、あるってことか。その二つの人種と、あともう一つには」
ボクの言葉に、全員の表情が曇った。おそらく、ボクもそれに属するのだろうと、なんとなく察していた。差別の対象。これぞ、劣等組。最後の人種は、
「三つ目は、獣人。例によって、私のような人間のことを言うの」
人とは言い難いもの。
だけど人型のもの。
異物。
何と言ってくれても構わない。
ホワイトボードの文字が、黒く滲んだ。
「獣人は、獣と人のハーフってこと。獣と人から産まれた子、もしくは突然変異で獣の特徴が身体に現れた者のこと。獣人は、この世界で一番の下等生物になるの」
「人じゃないから、それだけで差別するのかよ……!」
「甘いわ。獣人は暴走の可能性があるの。いくらハーフだからって、中に獰猛な獣を秘めているのよ。人より足が速い、力が強い、それだけで十分ってこと」
「つまり、殺処分が可能なんだ☆ 襲われたら、殺しても良い☆ 獣人を殺しても、基本的には罪に問われない☆ それが獣人っていう身分☆」
獣と同じ扱いを受ける。人権のない人間。その存在は、中途半端だ。白にも黒にも成り切れない、ボクみたいに。
殺人なのに、殺処分になる。
「殺人じゃないもの。熊に殺されそうになったから、猟師に撃ち殺してもらうのと同じ。私の父も、殺処分されたわ」
「は────?」
「人間である母に危害を加えた。だから殺処分された。正確には自害だけど。それだけのことよ」
ゾッとした。
顔色も変えずにそんなことを言う波色に。自分のことを他人事のように語る彼女に。彼女の父ということは、同様に水燃先輩の父に値する。
父が、殺処分されたのか。
いつ処分されるかも分からない。言いがかりでも付けられれば、不利になるのは獣人側だろう。そんな世界に、彼女らが立っていることに震えが止まらない。
生まれながらの劣等生。
「何百年も前、獣人は元々奴隷だったの。これは教科書でも習う常識ね。これは、中々変えられない認識なの。それが今は異能者も人間も獣人も、机を並べて学友として共に在る、これほど滑稽なことはないわ」
と、口ではそう言っていても、彼女の表情には一切の笑みもない。糸目ハルサメの言葉も、今になってよく理解出来るような気がした。
いつ殺されるか分からない恐怖に怯え、見下され嘲笑われることに怯える生活。ずっと引き籠もっていたボクには、想像もつかない壮絶な時代を過ごしているのだ。
よく覚えていないが、ボクが《幽霊館》に籠もるようになったのも、差別のせいだったのかもしれない。ただそんな世界が、怖かっただけなのかもしれない。尖った耳に、自然と手が行く。
「怖がらないでください、レイ君。この町は、比較的に獣人の生きやすい町なんですよ」
「そう。差別も、昔みたいに酷いわけじゃない。獣人の町長だって選出されたこともある。殺処分の法律は無くならないけど、代わりに人権は保証され始めている。改革の影響ね」
「それでもやっぱり、獣人への偏見は無くならない☆ 異能者による獣人いじめなんてものも、他の学校じゃザラだよ☆」
ここの学校でも、もしかしたらあるんじゃないかな☆。と、彼は萌え袖に顔を埋めた。
「この学園には、親が殺処分された子、身寄りのない子、それに苛めを受けていた子向けに寮まであるんですよね」
「じゃあ、訳あり生徒も多いってことか」
「そうそう、レイっちみたいにね☆」
「…………」
「レイっち?」
「ボクは、異種なのか?」
聞き流すことができなかった。母も父も居ないから、この身体が異能なのか獣なのか。それとも、全く別の何かなのか。
糸目はボクの血液の味とにおいを嗅いでから、ボクを異種と呼び始めた。他にも、本物の命とか何とか。
あの時、ボクにはさっぱり分からなかったが。もし、ボクの血液がおかしいなら、普通じゃないのなら。
「ボクの傷を……血を舐めた君なら、分かるんじゃないのか?」
雲ひとつない青空のような瞳は、まるで汚いものを一つも映さない。名前の通り清く、美しかった。彼は、困ったように笑った。優しく、誰も傷つけないように、笑った。
「これは別に、君のことを言うわけじゃない☆ あくまで推測で噂話で、都市伝説だから☆」
「ああ、いいから、言ってくれ」
「蝙蝠の欠片って言うのが、何で出来てるかは知ってる?☆」
「きらきらしてたし、宝石とかじゃないのか?」
たしか、糸目から回収したそれはつくしが持っていたはずだ。清田は、首を振った。
「異種と呼ばれる人間の、心臓から出来てるんだって。一概にはそう言われている☆」
「それは、どういう……」
「ぼくも実際に会ったことがないから分かんない☆ 誰がどうやって心臓を加工して、どうして造ろうと思ったのかなんて分からない☆ ぼくも糸目さんを見て、初めて蝙蝠の欠片の存在を信じたんだ☆」
常軌を逸している。
一人の人間の心臓から、人体蘇生の欠片を作るなんて。つくしから聞いた話だと、欠片はまだ世界に十二個しか無いという。つまり、十二個全て集めたら、人の心臓が一つ出来上がるという事なのか。それとも、犠牲になった異種は何人もいるのだろうか。
「異種は早々見つかるものじゃないから異種なの。特殊な血液であること以外の特徴も、分からない。まだ一人しか見つかっていないって聞くし。その一人も、実験台にされて、蝙蝠の欠片に使われてるらしいけど……」
「てことは、ボクが、二人目……?」
バレたら、即実験台……?
そう考えると、滝のように冷や汗が溢れ出た。
「やだやだやだやだやだ、ボクは他人の欲望の犠牲になんかなりたくない! 死にたくないよう!」
「大丈夫ですよ、異種には高値がついてるみたいですけど、誰もレイ君を売ったりしません」
「ボクのことを異種って言うな! 高値って言うな!」
「清田、血液からして氷雨レイが異種である確率、見立てではどのくらいなの?」
波色が冷静にもそう聞いた。
「ほぼ百パーセントかな☆」
「うわあああああ、終わったああああ!」
これからボクの高額転売生活、人身売買、解剖生活が始まるのか。短い間だったけど、楽しかったぜ、学園生活。
「悲観することはないわ、氷雨レイ」
「悲観以外に何すりゃいいんだ、痴漢か!?」
「犯罪者にならないでください、レイ君」
「じゃあ何すりゃいいんだよ!」
「大丈夫、君が注意するのは血だけだよ☆」
「血?」
「うん、まずは血を見せないこと☆ ぼくみたいに、においだけで分かっちゃう人も稀にいるしね☆ あとは、やたらに言いふらさないのが大事だよ☆」
「言いふらしたら、捕まえられて売り飛ばされちゃうかもですからね」
不思議部は部費に困らなそうですね、とつくしは言った。もう、こいつに売られそうで怖い。取り敢えず、秘密はこのメンバーと、タオ先生とはるかにだけ伝えることにした。さすがに、こんな狭い空間じゃ、ボクを売り飛ばす奴もいないだろう。
「いないと信じたい……。お前絶対言うなよ、つくし」
「言いませんとも、放送委員の名にかけて!」
「学園中に言いふらす気かよ!」
「それか、蝙蝠の欠片を作っている奴を、倒せば良いんじゃない?」
波色は、空色のツインテールを鬱陶しそうに振ってみせた。それは彼女にしては安直で、実に無謀な案だった。
「そうしたら、お前以外の異種だって、住みやすくなるわ。お前だって、怯える必要は無くなる」
「か、簡単に言うけどな、蝙蝠の欠片だって都市伝説レベルなんだろ。主流じゃないならどうやってその根源を探せばいいんだよ」
「ラギョウコウセツを、殺してしまえばどうでしょう」
そう言ったのは、つくしだった。挙手をして、授業に積極的な優等生みたいに、彼女はあっさりとそう言ったのだ。清田は、
「誰それ、その人が蝙蝠の欠片を造ってるの?」
波色もマーカーを置いた。これは他でもない、糸目ハルサメの言葉だ。蝙蝠の欠片を誰にも使って欲しくないという彼女の。
「ボクらも、詳しいことは知らないんだ。でも、蝙蝠の欠片を集めていけば、会える気がする」
「ラギョウ、コウセツという人に。ですか?」
「これは勘だけどな。ボクは不思議部として、蝙蝠の欠片を集める。そして、ラギョウコウセツを、殺す。きっと、殺さないといけないんだ」
シオンさんの言葉が長年、糸目を縛っていたように。ボクもまた糸目の言葉に縛られるのだろう。
ボクの過去を奪った男。
ボクにトラウマを植え付け続ける男。
ボクとユリィの大事なものを奪った男。
糸目ハルサメを生き返らせた男。
コウモリの欠片を、分け与える男。
──ラギョウハカセに、怒られる。
──ラギョウ、コウ、セツ……を、殺し、なさい。
嫌な予感がしていたのだ。
いつだってボクらの後ろには、酷く大きな影が潜んでいる。切っても切れないのが、影。やがて、向き合う時が来る。少なからず、ボクは彼に、因縁があるのだ。
「合縁奇縁、巡り絡むもいとをかし、ってか」
終礼が、鳴り響く。
目的新たに決意を固め、これより始まる怪奇譚。
ボクがボクについて知るのも、彼に会うのも、また別のお話で。
蜘蛛の意図編はこれにて終幕です。
次回は酔狂の鬼殺し編! ハードな展開が猛スピードで駆け抜けていくので、目を離さないでお憑き合いいただきたいです。




