第■■章5『左・左・左』
「────レイ君、変態だっ!」
そんな大声とともに、猛々しく部室のドアを蹴り壊したのは。ものの見事にぶっ壊したのは。
「タオ先生、修理代に部費はつかいませんからね」
「そ、ん、なぁ」
「普通の教師は、ドアを蹴破りません。自腹でお願いしますよ」
粉々になった木片の上に、その人──タオ先生は崩れ落ちた。額には光の粒が輝いている。その光景を、ボクらは微動だにすることもなく。まずは、一つずつ、丁寧にツッコんでいくことにした。
「変態ですか、大変ですか?」
「え、我、なんて言ったっけ?」
「がっつり、変態っつってたっすよ」
「やぁ、アリボトケ君、こんにちは」
「はぁーい! 倒生先生こんにちはーっ!」
幼児向け番組よろしく、アリボトケくんが無邪気に手を上げた。いまだに、肩を上下させるタオ先生に、ボクは容赦なく、畳み掛ける。
「えーっと。何がどこで、どう大変なんですか?」
「はっ、ふぅ! そーだ、そうだった、大変なんだ、レイ君聞いて聞いてっ!」
弾けたように、タオ先生はボクの肩を掴み、ぶんぶんと振り出した。会話は毎秒ごとに振り出しに戻っている気がする。
この人、髭さえ整っていればマシな顔なのに。正面から見ると、その残念さが色濃く分かる。背も低くって、ヒゲまで剃ったら本当に生徒に紛れられるかもしれない。
廊下を爆走してきた教育者は、大変なんだ!と、あのね!と、──脳に酸素が回っていないのか──繰り返し続けていた。
「れ、れれれれ、っ、レイ君!」
「タオ先生、落ち着いてください。ほら、深呼吸してー」
「すぅーっ、はー」
「お名前をどうぞ」
「倒生 蘭二、 御年、28歳になる化学教師ですっ。ふーはー」
「はい、よくできました。で、タオ先生、何があったんです?」
「し、……あの、心して聞いてね。これは、君が不思議部部長だから、言うんだ。本当は、生徒にあまり聞かせたくないけど……あ、アリボトケくんは、怖かったら耳を塞いでいて」
「え、あぁ、リョーカイっす」
アリボトケ少年は、素直に耳を塞いだ。タオ先生は、もう一度深く、肺に息を溜め込んだ。そして長く、それらを吐き出し、
「く、靴箱の前のロータリーに」
「はい、ロータリーで何が」
「と、っ鳥が」
冷めやらない激情に、ボクの半袖を握りしめて。焼き付いた驚愕に、言葉を詰まらせながら。
「片羽の無い鳥の死体がっ……たくさんあるんだよ!」
◆◆◆◆◆
それは、7月の猛暑日でも、体温を一度下げてしまうような、惨状だった。無造作に転がる、半目を開いた鳥の体。思ったよりたくさん足の踏み場が無いくらい、ごろごろとそれは転げていた。
肩翼を失った、鳥の死体が。
「怖っ」
「ぴゃいっ!」
「怖いよねぇ……」
各々が各々の悲鳴を上げ、
「……アリボトケ、お前が一番かわいい声を出してどうする」
「すいません、これ、俺こういうのマジムリなんすよ! ギブッす! 吐くっす!」
「吐くなよ! 飲み込め!」
「この状況すら飲み込めていないのにっ」
彼の言うとおり。ボクらはひとつも状況が飲み込めていなかった。傍で苦い顔をするのはタオ先生、及び駆けつけた風紀委員。そして呆然と立ち尽くす不思議部。まさに学園の安全を守る者たちの集い。
「って、アレ、今日、学園ポリスは?」
いつもならここで三つ巴になるはずだが。ボクがキョロキョロとあたりを見回していると、がしぃっとタオ先生に頭をつかまれた。
「さて、今日は何曜日でしょう?」
「あー、そっか。今日、火曜日」
「せいかーい」
思い出した。今日は活動日外なのだ。おいおい、こういうときにこそ活動しろよ! ボクは脳裏にうつる美少女トリオを睨みつけた。
説明しよう。学園ポリスとは、ボクの後輩の天追カコミ、東条ササコ、茂山オトリの3人の女生徒で構成される、学園ヒーロー集団のことである。
《学園ポリスの歩く道はすべて正しい》という捻じくれた正義を掲げており、不思議部とも幾度と無く衝突を繰り返しているのだ。
だがまぁ、所詮、それらはただのごっこ遊びに過ぎない。体力も、技力も、知力も、何もかもが、センパイのボクらより優れているのに。どんな難事件が起ころうと、彼女らは基本、月・水・土曜日にしか活動しないのだから。もったいないと言うかなんと言うか。
「そんなヒーロー居てたまるか」
ちゃんと毎日活躍しやがれ。
ボクは風紀委員に許可を得て、カラスの回収作業を手伝うことになった。いつもは何かと邪険にされる不思議部だが、今回はあちらの方から頭を下げて、協力を依頼して来た。人手不足なのだ。
うちも十分人手不足なんだけれど。
「け、警察には連絡したんすかぁ?」
両目をギュっと瞑ったままのアリボトケが、おそるおそるそう聞いた。案の定、タオ先生からは、
「いーや、してないよ」
と返ってきた。死体の回収も、事件の捜査も、何もかもを生徒たちの手でやらせる。学園内で起きた事件は、学園内で解決する。それが理事長先生の掲げるこの学園のアドミッションポリシーだ。
おそらく、殺人事件なんかが起きたとしても、あの人は生徒たちの手で解決させようとしてくるだろう。端から見れば、教育者にあるまじき、最低の理事長だが、ボクらにとっては、それがどこかやりやすくもあった。型に納まった手法では、ニンゲン誰しも成長などしない。それに、生徒に捜査を任せるなんて、それだけ信頼されている証拠なのだ。あの人が口を出さないということは、
「これは、学園内の誰かが起こした、事件ってことだな」
これぞまさしく、不思議な事件。湧き上がるゾクゾクとした興奮に、体中が震えていた。いけないことだと分かっているが、やはりボクは、たまらなく不思議が好きなのだ。
小動物、鳥類の大量殺傷は、十六、七のすさんだ学生が犯す猟奇殺人の、入口とも言えるだろう。思春期特有の、“死”や“殺人”に興味を持ってしまう傾向。未成年で人を殺めてしまったものの中には、以前に、まず身近な動物を傷つけている事例が多い。例えば、猫とか、ハトとか、ニワトリとか──今回のように、カラスなんかも。まるで予行演習とでも言うように。
「カラスだって、ヒトだって、皆一つの命なのにな……」
「レイ先輩! もう締めに入らないで下さい!」
まだ、首すらつっこんでないっす、と。あのアリボトケに言われてしまった。世も末だ。ボクは今、ブルーシートを凝視していた。無論、包まれるのはカラスたちである。付き添いのアリボトケは背を向けていた。そんな状況でも、ボクは何故だか、目を背けられなかった。
“怖い”とは思ったけれど、“気持ち悪い”とは思えなかったのだ。
手を、合わせる。何秒か沈黙を落として、ボクはそっとブルーシートを剥いだ。一列に並べられていたのは、差異の無い、一般的なカラスたち。どっちから数えても十三羽。羽の数的にもそれは、十三しかなかった。
触れる。
まだ、温かい。そして柔らかい。発見から時間が経っているというのに、硬直すらしていなかった。切断されたと見られる羽の断面からも、出血すらしていない。腐ってもいない。
「だから、キモく感じないのかな」
ゴミ箱を漁ったばかりのような臭いと獣の臭いが入り混じり、くさいには臭かったが、死臭のそれとは違うような気がした。切断されているのは、すべて左翼。断面はまっすぐで、どれもぴったりとしていて。包丁や鉈でやったとしても、こんなに機械的な直線を生物から生み出すことは不可能なんじゃないだろうか。
まるで、左翼だけを、透明なマントで包み隠されたかのような。そこまでして、ボクはある違和感に下を向く。
「──ん?」
ぴくり。
「お、おい、アリボトケ!」
か、さ。
かさっ。
かさかさかさかさかさかさっ。
まさか。
おい、マジか。
仰け反り、振り向き、ボクはいまだに目を瞑る彼をばしばしと叩いた。
「あ、アリボトケ!! このカラスたち、生きてる!」
そして、黒々とした十三もの羽が、いっせいにじたばたと跳ね、暴れだしたのだった。