第2章10『シンデレラに成れなかった男』
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チリーン、チリリリーン
倒れてしまって。また、同じことばかり繰り返すんです。目を瞑れば、耳に痛いくらいの風鈴の音。消えない音。音が。音が。音が。
清田さんにも、また、迷惑をかけてしまうなぁ。毎回、進歩が無いのに。何をやっても、無駄なのに。
そういえばあの人、今日は来てくれたんでしょうか。申し訳なさそうに、花なんかを持ってきてくれて。彼の笑顔に、沈んだ心がいつも救われている、だなんて。
口を割かれても言いたくありませんけど。
まだ、ずっと。
ずっと、ずっと、あの人の隣で、笑っていたいなぁ。
絡みつく糸さえ、解けてくれれば。そんな淡い夢も、現実になるかも知れないのに。
「んん……ふぁ」
重いまぶたを上げれば、そこは見知った天井で。潔白で、純潔の、高潔な、保健室で。
また、倒れちゃったんですか。
私は、ふかふかの枕から頭を起こして。そして、目があったのです、その人と。隈の酷い、くすんだ灰髪の男の子と。
「やっと目が覚めたか。この手紙の差出人さん」
「は、え………」
知らない人が言いました。いいえ、知っている人ですけれど。口を聞いたこともない男子が、見たことしかない彼が、そう言って。その手には───、
「あ、ああああっ! それ、そ、それは……! わ、わわわ私が捨てた、はずなのに、なんでなんで、なんで!」
「ん、見覚えはあるみたいだな」
捨てたはずなのに捨てたはずなのに捨てたはずなのに!!
彼は、ニヤニヤと気味の悪い笑顔を作りながら手の中の、ソレを見せつけてきました。
便箋。
封筒。
見覚えしかない、それを!
捨てたはずなのに!
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◆◆◆◆
「ふふん、やっぱり君だったか」
見覚えしかないであろうそれを見せつければ、彼女は予想以上の狼狽を見せてくれた。
あああ、と嗚咽を絞り出しながら。顔を真っ赤にしながら。純白のシーツにかぶりつきながら。まるで、秘密の花園を荒らされてしまった年頃の乙女のように。
容赦も手心もかけはしないさ。
ボクはそのまま畳み掛けた。
「こんな風変わりの依頼を出したのは、3年A組の寝上シオンちゃん。君で間違いないよね?」
「う、わああああああああ! どうしてそんな、う、ごほっごほ……」
ボクの問いさえ聞き流し、半狂乱になりかける彼女が唐突に咳き込み始めた。やっぱり、である。
「っ、はぁ、げほっげほっ……」
病人にここまでさせるのは、さすがのボクでも申し訳なかったが。脆弱に咳き込むその背を撫ぜ、
「答えあわせ、してみたいんだ。良いかな?」
返答を聞くまでも無く。ボクは口を開いた。あの手紙を、開きながら。
「君がこの手紙を書いたって、その決め手は三つある」
「………」
「一つ目は、君があの《眠り姫》先輩の妹だってことだ」
寝上カノン図書委員会委員長の、実妹。
彼女の名は、寝上シオン。名前からも、頭上の花飾りからも、姉妹味が溢れている。彼女の方は清楚な黒髪で、どこと無くしっかりしている風にも見える。まぁ、あの姉を持つと、危機意識でしっかり者の妹が出来上がってしまうのかもしれないが。
「この手紙、インクが黒く滲んでて雨にでも濡れたのかなって思ってたけど。これ、あの羽ペンで書いたんだな」
「………」
「委員長しか持つことを許されない、特殊インクの羽ペンで。おかしいと思ってたんだよ。代議で《眠り姫》先輩を見たとき、彼女だけ胸にペンが刺さってなかった。君がたまたま使ったペンが、手の届くところにあったそれが、羽ペンだったんだよな」
「っ……!」
そう、彼女は今の今まで気がついていなかったのだ。自分が羽ペンを使ったことなど。
「床とか机とかにそれは落ちてて、君はそれを咄嗟に拾って使ったんだ。物の管理がルーズなあの先輩なら、あの人と姉妹の君なら、うっかり使ってしまったってことも有り得る」
家族で。いつも近くに居て。一緒に暮らしていて。仲のいい姉妹なら、一緒の部屋を使っているなんてこともあるかもしれない。
「──もしくは、ここ、保健室で」
「………!」
シカトを決め込んでいた少女の瞳が、大きく揺らいだ。その細い体まで、震えていたかもしれない。
「三つ目の決め手にも関わってくることだけど。つーか、つくしに確認して分かったことだけどさ。シオンさん、君は、今年の初めから保健室登校してんだよね」
「それが、それが、何だって言うんですか! 体調が優れないから、だから、保健室に」
「臼居くんと知り合ったのは、会計の仕事で彼が図書室に来たときからだって言ってたな。図書委員だった君は、同学年の彼と度々言葉を交わすようになって、親しくなった。今年初め、君が体調を崩してからも臼居くんは保健室に足を運んでくれていた」
「どこで、そ、そんなことを……!」
「そんなの決まってるじゃんか──なぁ、臼居くん」
「ひ」
少女が布団に顔を埋めるのと同時、カーテンの隙から現れたのは、
「──シオンさん、こんにちは」
「二つ目の決め手は、臼居くんの証言だ」
幸の薄そうな彼は、いつも通り、消え行きそうな笑みを浮かべてそこに立っていた。
薄いシーツの内からは、泣くような悲鳴が絶えずこぼれている。合わせる顔が無くて、消えたくて、消したい。掻き毟っても消えない、そんな想いに、少女はもがいていた。
差出人と、臼居くん。
「ねえ、シオンさん」
彼は、シーツに手を沿わせ、
「ねえ、シオンさん、顔を見せてくださいよ」
そう繰り返す。
拗ねた子どもをあやすように、それはどこか心地のいいくらいに柔らかな声音で。
「聞けば、臼居くんは二年のときから生徒会会計をやってるみたいじゃないか」
ボクも、動かずのシーツをつつく。まるで雰囲気をぶち壊しているみたいで、いささか気は進まなかったが。
「三年生に続投となれば、期待も大きい。その分、仕事だって多くなる、毎日休む暇すらないくらいにな。もちろん、業務的なこと以外での人間関係は希薄になっていた。それが、君の言う“モテない”状態に見えたんだろう。そんでもって、もっと沢山の人に臼居くんの良さを知って欲しかった。皆に彼を好いてもらいたかった」
そんなことも、動機の一つなんだろう。それは純真無垢の、少女の抱える不思議なのだ。シンデレラに魔法をかけてくれる、シンデレラを輝かせてくれる、そんな魔法使いを探して。
「それで、不思議部に手紙を出したんじゃないのかな」
ボクらに頼めば、臼居くんを輝かせてくれると思ったんだろうが。
「────────」
「き、きゃあ!」
ボクは、無言で、その布団を剥ぎ取った。病人の、ましてや少女の腕力に負けるボクではなかった。ボクが唯一敵わない女子は、白野つくし、その子だけだ。
もう、駄々をこねるのは、やめろ。
羞恥なんてとっくに誰もが周知している。この手紙だって、深夜テンションで書いたものかもしれないし、うっかり出してしまったものかもしれないけれど。
「世に出しちまった以上、ボクらの目に留まった以上、後始末に携わる責任ってもんがあるだろうが!」
うじうじ後ろめたくやってんのには、大分痺れが切れてきて。だが、荒げた声は、他でもないその人によって制される。
「寝上、シオンさん」
「臼居くん、ご、ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさいぃぃぃぃ!」
相当に、先の叱責が聞いたらしく。彼女は飛び上がって寝台でちょこんと土下座しだしたのだ。
震える声を張り上げて。落ち着かない呼吸音に、ボクの心はかなり痛んでいた。
「シオンさん、どうして謝るんですか?」
「え、だって、私。変な、手紙を、出して──」
「──手紙を出してくれて、ありがとうございます」
彼は、笑った。臼居くんは初めて、疲れた目尻を優しく下げたのだ。
「僕を心配してくれて、ありがとうございます、シオンさん」
少女のために。彼女を解放するように。
「そ、んな。そんなこと……」
半泣きの彼女の口から、続きは紡がれなかった。
「照れくさくて、否定したくて堪らなかったのは、僕も一緒ですから。でも、嬉しかったのも本当です。こんな僕のために、手紙を書いてくれて」
「そんな、こと」
「あなたが見ていてくれたから。僕はもう、魔法なんて必要ないんです」
「──え」
「案外、そんなに心配しなくっても平気で。大丈夫で。僕はシンデレラに、なれなかったけれど。シオンさん、これを見てくれますか」
照れくさそうに頬を掻いてから、臼居くんは胸ポケットから黒いものを取り出した。
薄い液晶画面。出てきたのは、シンプルな色合いの携帯電話で。
画面に軽く触れてみれば、脈打つように、それが振動し、
『あー、あー! マイクテス、マイクテス。たーたー。タオ先生、私映ってます?』
耳にうるさいような、不思議部部員の声が、姿が映し出された。




