第1章2『夢を見てまた夢を忌む』
「──これが、同じ“人間”の姿に見えるか?」
「そ、れは」
一気に、その場は静まり返った。そこには明るい茶髪をハーフアップにした少女が、申し訳なさそうに立っていた。
「こんなに尖った耳が、汚い灰色の髪の毛が、意味もなく鋭い牙が、こんな奴が、同族だなんて思いたくないだろうがっ! 心の中じゃ、きっと気持ち悪いって思ってる。ボクを“特別”にしたのも、ボクのことを避けたのも、全部、君たちの方じゃねぇか」
耳も、髪も、少し長い八重歯も、見せられるところは全て見せ付けてやった。だから、ずっとここに居たのに。誰の邪魔にもならないように、ここに居たのに。
外に出るだけで気味悪がられて、勝手に都市伝説にされて、唯一の趣味もやめろだなんて。
「そんなこともしちゃいけないのか!? もういいだろ、もういいだろうが。これ以上話したってなんも変わんねえんだよ」
「そんな、こと」
「帰れよ。落し物なら諦めて、ボクのことを放っておいてくれよ!」
「そんなわけには──」
「──しつこい」
言いかけて、少女は口ごもった。それで良い。彼女は方向を変え、歩き出す。とぼとぼと、少女は帰っていった。
「そういえば、名前も聞いてなかったな」
名前なんて、どうでも良いくせに。
叫びすぎて掠れた声。足元には、十数個のバッジが転がっている。十分すぎる今年の収穫に、ボクは何故だか喜べなかった。
◆◆◆◆
同じ。
同じことの繰り返し。
ヒトと違ったボクは、同じことを繰り返す。
朝寝る。
夜起きる。
カーテンは開けない。
顔は洗わない。
シャワーを浴びる。
眠る。
食べる。
カーテンは開けない。
鏡の前で、コレクションを眺める。
よく見ると、裏に名前みたいなものが彫ってある。
あの少女のものは無い。
当然だ。
眠る。
もこもこのスカーフに顔を埋める。
埃と鏡しかない部屋。
地べたで、ゴミのように眠る。
時計はない。
四月中旬。
月は分かった。
ただ、日を知らなかった。
今日も、一言も発さずに終わる。
何もなく、終わる。
何となく、終わる。
何気なく、終わる。
終わる。
終わる。
そして。
終わった。
「──そんなこと、ありませんよ。さあ、起きてください」
「────は?」
懐かしい、声がした。だがそれは、この前よりも温かく、目に染みるような光の中で聞こえたのだ。
夢だ。
同じ日々に、ボクの毎日に、亀裂が入るはずなんて無い。日が差すことなんて、有り得ないんだ。だから。
これは夢。
夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢。
都合の良い、悪夢。
「せっかく来たんですから、夢なんかで片付けないでくださいよ」
「なん、で……? 何でここに、いるんだよ」
未だに、なにが起きているかなんて、わからない。
ただ、今度は最後まで言うことが出来た。心臓の跳ね方に比べれば、この間の比にはならないが。目と鼻のすぐ先の、少女の目と鼻に、頭がくらくらした。また、傷だらけだった。
階段のすぐ下で、ボクは眠っていたらしい。食事を取りに応接間まで行って、その帰り道に力尽きたのか。眼を擦れば、少しだけ起きていたときの事を思い出せた。井戸水とトカゲと蛙で保つと思っていたが、どうやらガタが来たらしい。今は、腹の中が気持ち悪い空気で埋め尽くされていた。
抵抗は出来ない。
バッジを取り返すなら今なのに、彼女は目もくれず話し始める。
「私はあなたを、“特別”だなんて思いません。気持ち悪いなんて思いません。だからって、私と同じだとも思いません」
「なん、なんだよ」
「ねえ、学校に行きませんか? 一人でこんなところに居るより、私と部活に入りませんか。何より不思議なこの世界を、楽しまなきゃ損じゃ無いですか」
分からない。
学校。部活。
分かりたくもない。目を、背ける。
「普通に、楽しむことなんて、できねぇよ。回覧板だって、回してもらったこともないんだぜ? それに、学校に通う金もない。そんなの、無理だ」
「理事長に協力して貰ったので、お金の件は心配ご無用です。だから」
「分かるだろ。こんな髪の毛を、耳を見て、皆何て言う? 学校に行ってまた虐げられて、どうなるってんだよ」
「意気地なし! 怖がられることが、怖くて、逃げてるだけでしょうが!」
「ああそうだ、怖いから逃げるんだ。何より怖かったから安全なところに居るんだ! 今までも、これからも!」
「灰色の髪? 良いじゃないですか、そんなの蛇鹿学園にはいっくらでも居ますよ。尖った耳? 私のお友達には猫耳の子がいるんです。それに比べたら、キャラ負けしてますからね。羽が生えようが、蝙蝠だろうが人間だろうが良いじゃないですか」
「皆が皆、お前みたいな考えなわけないだろ」
「当たり前じゃないですか! いろんな人が居て、いろんな人生があるんです。自分と同じ意見しか持たないクローンが何人もいたって、つまんないでしょうが!」
「く、ろーん」
「ヒトと“同じ”になりたい? みんな案外違うんですよ! 全然違うんですよっ。ここに来た人の悲鳴だって、一つも同じものが無かったでしょう。皆、違うんですからね」
「何で、それ知ってんだよ」
「何か、そんなこと考えてそうだなぁって。それに──」
蛇と鹿。
彼女の取り出したバッジには、何故か。
「これ、名前無いな」
「当たり前ですよ。だってこれは」
そして無理やり、ボクの手に、それを握らせた。にこにこと、お日様のような笑みを浮かべながら。
「だってこれは、あなたのものなんですから」
「ははははっ、冗談だろ。こんな不良品、貰わねぇよ」
「遠慮なんて、もうしなくていいんじゃないですか?」
詰まんない虚勢なんて、張らないでください。そう、言った。笑って突き返したボクの手に、もう一度それを持たせて。ボクは、震える奥歯を噛み締めた。
「欲しかったんですよね、ずっとずっと。だから毎年、こんなちっちゃいものをわざわざ拾っていたんでしょ? 真のコレクターなら、自分のものもしっかりコレクトしてくださいよ。あっ、名前が無いのは、自己紹介してなかったからで……ええ、はい」
「じゃ、しようぜ、自己紹介」
「そうですね。申し遅れました、私の名前は白野つくしです。蛇鹿学園の三年生、華の十六歳です」
「ボクの名前は、氷雨レイ。学校にも通って来なかった、家族の居ない灰にまみれた、多分十六歳くらいだろうよ」
「それじゃあレイ君、これからもよろしくお願いしますね」
皮肉めいた自己紹介さえ、今の彼女には届いていないらしい。バッジと握り締めたのとは反対の手で、差し出された手を握った。
「よろしく、つくし」
どうやらボクは、この少女に捕まってしまったみたいだ。まるで逃げられる気がしない。
こうして、ボク、氷雨レイの新しい春は、幕を上げたのだった。




