第■■章15『偽物の羽を宿して』
ぱ、しっ。
「や、ったあああ! 腕ついたあ! あっは、動く! 動くぜボクの腕!」
よっしゃ、よっしゃよっしゃあああ!
ボクは何度か左手をグーパーして、ガッツポーズを連発した。切断面にぴったり重ねてきっちり5秒待てば、腕は元通りにくっついた。なんとも心晴れやかである。
ボクの隣で唇を尖らせる少女は、どこか不服そうだったけれど。
「まったく~、レー君先輩ってば幸せものなんだから~。いきなり片腕のまま窓から飛び降りて、なんにもなかったみたいにイーちゃんを助けて帰ってくるんだもん。も~何がなんだか分かんないし~、心臓が五回くらい止まった気分だよ~」
「ごめんごめん、でも、信じてくれてたから目瞑ってたんだろ? ササコちゃん」
「も~ばっかじゃないの~!? このすけこまし~」
そう、無事にボクがイロハちゃんを連れ戻った際、律儀に目をつむっていてくれたササコちゃん。
実は彼女、ボクが腕を失ったことの重大さに気付いたらしく、さっきまで大泣きして取り乱していたのだ。それこそ、帰ってきたイロハちゃんにつかみかかるくらいの勢いで。
氷雨レイはあなたが軽い気持ちで未来を奪っていいような人じゃない!
とか。そこまで言ってくれて。恥ずかしいやら誇らしいやら。ボクは本能の赴くままに彼女の頭を撫で続けていた。
「最悪ぅぅ~! セクハラで訴えてやるから~」
「はいはい、かわいいかわいい」
「ばかばかばかばか、ほんとにばか! ホントなら、もっと怒って取り乱すのが正解なんだからねぇ!? だってあのとき、ササコが、イロハちゃんを放しちゃったからっ……」
「大丈夫大丈夫、ボクは生きてる。イロハちゃんも生きてる。万事解決、万々歳だよ。ごめんってササコちゃん」
「あやまんないで、先輩のばか! お人好し! 向こう見ず! ど変態! ロリコン! ロリコン!」
「ロリコンだけ二回言うなよ」
黒帯とは思えないほどに軽いぽかぽか音が響いた。止まったはずの涙は、腕の戻ったボクを見た瞬間に復活したらしい。
怒って、泣いて。
そんな子供のようなササコちゃんを見れたことに、どこか心まで軽くなった気がした。自分なんて責めさせない。それは、ササコちゃんにも、イロハちゃんにもだ。
だが、聞かなきゃいけないことはまだまだ残っている。
「イロハちゃん、なんで今回の事件を起こしたか、聞いてもいいかな?」
「────はい」
白髪の少女は静かに顎を引き、やけにはっきりとした声で話し始めたのであった。
「分かりました。香々イロハの全てを、お話します」
××××
彩羽っていう名前、すごく素敵ですよね。
誰がつけてくださったんでしょう?
彩羽ちゃんのおとうさんでしょうか。
彩羽ちゃんのおかあさんでしょうか。
それとも、二人の優しいお兄さんたちでしょうか。
私は知りません。知ることもできませんでしたし、これから知ることもできないでしょう。
思えば私は、ずっと『羽』に憧れていました。
羽、翼、翅。
『はね』とは、力です。
歩く力、話す力、考える力、知ってしまう力。
自分に身に付いた力だと、私は思っているんです。
その『羽』が、いずれ大きな『翼』になって、皆自由にはばたいていくんです。『羽』は、普通ならいつの間にか身についていくものです。ええ、健康な人間なら、まっとうな過程を積んでいけば、自然に備わっていくものなんです。でも、私にはそれが一つも備わっていかなかった。
月日を重ねても、歩けませんでした。
時が進んでも、話せませんでした。
何年経っても、私に『羽』が備わることはありませんでした。その理由は何より明確で、一目瞭然ですね。だって私、“健康”でも“人間”でもありませんし。“香々彩羽”ちゃんでもなければ、お兄さんたちの“妹”ですらないんですから。
先輩たちだって、デパートなどで私を見かけたことがあるんじゃないですか。正確に言うと、私の“同僚”ですけどね。
動けなくて話せなくて歩けない、そんなただの着せ替え人形を。
────“マネキン”と呼ばれる、その人形を。
ご察しの通り、私はマネキンなんです。トルソー型ではありませんよ。
ちゃんと頭部と両足があって、その分ほかのマネキンさんにひがまれることも多かったんですけど。
ただ、両腕が無いのが十分に悲しくって。特に、五体満足で幸せそうに笑う人間を見てからは、ひどく羨ましかったんです。
××××
最初から『羽』を、腕を持っている皆さんは良いですよね。腕があるのが当たり前、なんて思えるみなさんは相当恵まれているんですよ。
私的に言いますと、リストカットする人なんて反吐しか出ないんです。自主的に大切な大切な大切な御腕を傷つけるなんて。腕はストレス発散の道具なんかじゃない。
────ふざけるな。
なんて。マネキンの言葉は届かないんですけどね。
私は、つくりの甘いマネキンでしたから、背中もおなかもぺったんこ。だから、露出なんて一切無い色のあせたうさちゃんのフリフリお洋服なんて着せられて、子供服売り場に立たされていたんです。
ある日のことでした。
私のことを一心に見つめる男の子たちと目があったんです。頭のてっぺんから爪先まで、鏡に写したようにそっくりな、二人の男の子。
私は確かに、女児用の服を着せられているはずなのに。幼い男の子の興味を惹くお洋服ではなかったように思えます。しかし彼らは潤んだ瞳で何十分もマネキンの私を見つめ続けるんです。丁度、四時間くらいが経ったころでしょうか。二人のうち一人が、口を開きました。
「イロハ、こんなところにいたんですのですか」
二人のうち一人が、口を開きました。
「イロハ、すぐに兄ちゃんたちといっしょにかえっていらっしゃるんです」
二人は背伸びをして、私を抱きしめてくださいました。
「「おうちにかえろう、いろは」」
聞いたことも無い名前で、私のことをそう呼んで。
二人のお兄さんたちは、私のことをずりずり引っ張ってくださったんです。
どうして、なんでしょうね。
お兄さんたちを止める店員さんは居ませんでした。
誰一人、彼らを止めてくれませんでした。
×××××
お兄さんのうちお兄さんなのは、ロッカイさんの方です。お兄さんのうち弟さんなのは、ロッケイさんの方です。
二人のお兄さんたちは、その年で八歳になるそうです。お兄さんたちが通してくださったお屋敷には、お二人しか住んでいませんでした。私が来る一ヶ月も前に、飛行機と一緒に、ぐちゃぐちゃになってしまったんですって。お父さんもお母さんも、本当の“イロハ”ちゃんも。ふたりの、まだ幼い心も。
ずたずたになってしまったから。
私が“イロハちゃん”に見えたんですよ。そうでもしないと、彼らは生きていけなかったから。それに、マネキンとの生活を、おかしいなんて言ってくれる大人なんて、彼らの周りに一人もいなかったんですから。
幸せでしたよ。
香々イロハちゃんとして、育てられることは。
大事なものが無かった私と。
大事なものを失くしてしまったお兄さんと。
互いが互いに、失くしたものを埋めあう生活が、私はたまらなく好きでした。
××××
人形とのおままごとが、“本物”に近づいたのは、そのすぐ後のことでした。




