第■■章1『はじめての告白』
これはボク、蝙蝠少年と呼ばれた氷雨 唳の、儚い青春の実録である。
今日語るこの話は、数少ないボク自身の偏愛怪奇譚だ。その中でも特に、まるで出っ歯のような愛の形を貫いた、そんな少女の話をしよう。肌も凍りつくような、羽を失ったボクたちの、二つの事件が渦巻いた。
あの二人の欠けた暑い夏の話を、しようか。
◆◆◆◆◆
「────先輩、好きです」
と。
ある夏の放課後。セミも、鳴くのが嫌になるほど熱気に満ちた放課後のこと。十七の夏、ボクはついに告白されてしまった。美術室前の廊下で。ボクの胸ほどくらいしか背丈のない少女に。まるで、“おはよう”とでも言うように声をかけられ、何の経緯もなく。何の情報も無いまま。突如、告白されてしまったのだ。
告白だ。
告白なんてものは。
特に、愛の告白なんてものは。
自他共に、今後の人生を狂わせかねない、重要なイベントとも言えるものだ。
それはこのボクだって、そんな甘酸っぱい告白を乙女のように待ちかねて夢見ながら、生きてきたワケだけれど。一度でいいから他人からはっきりと愛を伝えられてみたいものだけれど。
初めての告白は何だか、微妙な結末を迎えそうな始まりだった。待ちに待ち続けたワクワク感や、年頃の男女の、そういった空気感は、一切無かった。当然、照れもない。期待はずれというべきか。告白という一世一代の大イベントがこんなもの、で終わってしまいそうなこの状況にいささか喪失感まで感じ始めていた。
存外、ボクは恋に恋してただけなのかも知れないな。
別に、眼前のこの子が、可愛くないって訳でも、嫌いな奴だって訳でもない。どちらかと言わずとも美少女だし、年下だし、ボクのタイプにドストライクだ。肩まで伸びたやわらかな白髪も、銀河を閉じ込めたかのような煌めく瞳も。頬を染めて恥じらう姿も。
全部、かわいいとは思う。
ボクには勿体無いくらい、かわいい子だと思う。でも、思うだけ。かわいいが好きに変わることは無かった。今も、きっとこれからも。
「氷雨先輩?」
「……あ、ごめん」
彼女の言葉に、我に返った。
そうだ。
ボクは今、告白されていたんだった。ノーリアクションは、流石にまずかったか。一言の謝罪も一瞬で沈黙に溶ける。改めて向き直れば、少女は真っ直ぐにボクだけを見つめていた。ボクなんかを見つめていても何にも良いこと無いだろうに。
ずっと見られていたかと思うと少しだけ照れくさいが、今は恥じている場合じゃない。早急に、彼女がすんっと受け入れられるようなそんな回答を考えるのだ。考えるのだ。考えるのだが。
「(思いつかない!)」
窓から入り込む灼熱の光に、汗が堪らず吹き出していく。
何だ。
何を言えば良いんだ。
握りしめた手のひらからもじんわりと汗が滲んでいくのが分かる。こういうとき、キザな紳士は何と言って世の女性たちを黙らせるんだ。キスか。キスで黙らせるのか。思考回路は疾うの昔にこの暑さでショートしている。
ゆえに、いつも通りに軽快な切り替えしを考える脳はもう微塵も残っていなかった。ただ、目の前の美少女に対する理性だけはかろうじて残っていた。キスは却下だ。
「あ、あの、返事は」
「へっ、返事は後日で構いません! それで、あ、あとは、えーっと」
「あ、あー……うん」
「あとは、こっ、これを!」
ボクのこれから飛び出したであろう超カッコいい台詞に被せるようにして、彼女は高い声を張り上げたのだ。耐え切れなくなったらしい。挙げ句、彼女は、わたわたと懐から何かを出し、それをボクの胸に押し付けて、行ってしまったし。
廊下、走るなよー、と小声で言ってみたものの、聞こえたかどうかは定かではない。とりあえず、難は去った。胸を撫でおろすのと同時に、ひらりと何かが廊下に滑り落ちる。
「ふ、封筒? 便箋って言ったら良いのかな」
去り際に彼女が渡したのは封筒のようなものだった。告白ときたら、これこそラブレターなのだろう。世に言う恋文だ。
「……開けるか」
爽やかな海色の封の口に、手をかける。何故かゾクゾクと鳥肌が立っているが、ボクは構わず、その封筒を、
「む、むむむ無理だあ! ボクには、出来ないぃぃっ!」
部室で開けよう。そうしよう。決して。断じて、勇気が出なかったわけではない。ただ、楽しみは最後に取っておく派なだけである。
セミたちはまだ、そんなボクを急かすように、じりじりと鳴き続けていた──じりじりと。それは待ち受ける運命を、軽く嘲笑っているようだった。