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1-10

「こっちの服とこっちの服だと、どっちの服が似合うと思います?」


 右手と左手にそれぞれ一着ずつ白のワンピースを持った千波さんは、本日八度目となるその質問を俺に投げかける。


「うーん……こっちかな?」


 ぱっと見同じにしか見えない二つのワンピースは、よく見ると片方は袖口のところにフリルがついており、もう片方は胸元に花柄の刺繍が施されていた。とりあえず、直感でフリルの方を推す。


「こっちですね! ちょっと試着してきます」


 千波さんは俺が推した方のワンピースを手にして、試着室へと入っていく。女性もののみを取り扱う衣料品店で一人取り残された俺は、途端に場違いな気がしてなるべく目立たないように隅にへと移動する。女性の買い物は長いというのが定説だが、千波さんも例外なくそれに当てはまるようで、洋服を選び出してから二時間ほど経過していた。色とりどりの中から洋服を選ぶ千波さんはとても楽しそうで、そんな千波さんを眺めているだけで、不思議と充実した時間が流れていった。


 千波さんが入った試着室のカーテンがゆっくりと開く。慌てて、試着室の前に移動する。


「どう……ですか?」


 そこには、大げさでも誇張でもなんでもなく、地上に舞い降りた一人の天使がいた。


「…………」


 千波さんには一ヶ月後なんて告げられていたが、実は今この瞬間俺は死んでしまったんじゃないだろうか。そうでなければこの状況の説明がつかない。

 地上に舞い降りた天使は、フリーズした俺を見て優しく微笑む。


「関くん……?」


 慌てて我に返る。そして、


「えっと……あの……すごく、似合ってる」


 そう伝えるのが精一杯だった。……うん、これでも頑張った方だよな、俺。


「ふふ。ありがとう、ございます。……じゃあ、これにしますね」


 千波さんは少し照れたような顔で笑うと、再びカーテンを閉めた。


 何を今更と笑われるかもしれないが、俺は今――間違いなくデートをしているのだ。俺と千波さんの関係性はよくわからないけど、こんなにも胸の内をぽかぽかと暖かいもので満たしてくれるこの時間をデートと呼ばないのであれば、きっとこの世には初めからデートなんてものどこにも存在しないに違いない。


 ――名前の知らない〝それ〟に、心の中がゆっくりと時間をかけて支配されていく。けれども不思議と、不快感はなかった。


 試着室から出てきた千波さんは、そのままレジで会計を済ます。ポイントカードを出しているところを見ると、どうやらこのお店の常連だったらしい。


「お待たせしました」

「んーん、全然。気に入ったのがあってよかったね」

「関くんが選んでくれたおかげですよ。……次のデート、楽しみですね?」

「……おう」


 にやけてしまいそうになるのを必死で堪えて、精一杯クールぶって答える。そんな俺の姿を見て「ふふふ」と静かに笑う千波さんは、きっとすべて見透かしているのだろうけど、今だけは、格好付けたい気分だった。


 その後、文房具コーナーに移動してシャーペンを選ぶ。少し見ないうちに色々と新商品が出ているようだったけど、結局これまで使っていたものと全く同じものを購入した。製図用のため軸は細いが、それがまた絶妙に握りやすくてとても気に入っている。千波さんはというと、例の〝たぬき〟がデザインされた期間限定の複合ペンの購入を最後まで悩んでいたが、「文房具にこの金額は払えないです……」と泣く泣く苦渋の決断を下していた。つーかこの〝たぬき〟、期間限定デザインに選抜されるくらいには人気があるんだな……。


 〝たぬき〟印の復号ペンを買わなかったことを露骨に後悔している千波さんと共に、店内をぶらぶらと歩く。途中、カジュアルな店構えの眼鏡店を見つけると、千波さんのテンションはわかりやすく高くなり、「かけてみてください! 絶対に似合いますって!」と言われたときにはすでに試着用の眼鏡を握らされていた。勢いに押されて、とりあえずかけてみる。


「おおう……想像以上に……似合いますね……!」

「そうか? まぁ、元々視力悪くて中学まではずっと眼鏡かけてたしね。鬱陶しく感じるようになって、今は千波さんと同じでコンタクトに変えたけど」

「あ、そうだったんですね。私もずっと眼鏡だったからその気持ちすごくわかります。でも、たまにこうやって遊んでみたくなっちゃいますよね」


 そう言って千波さんはいつの間にか手にしていた赤ぶちの眼鏡をかける。眼鏡をかけた千波さんの方が見慣れているはずなのに、赤ぶち眼鏡の魔力なのか、その姿はなぜかとてもエロく感じる。……やはり俺は欲求不満なのだろうか。


「赤ぶち眼鏡、どうでしょう?」

「うん、すごく、いいと思う」

「……あ、今なんかやらしいこと考えてないです?」

「ぐはっ……そ、そんなわけないだろ」

「ほんとですかー?」

「――俺はいつだって賢者タイムの男なんだ」

「……賢者タイム??」


 必死に誤魔化そうとするも、全然誤魔化しきれずに窮地に追いやられる。俺を追い詰める千波さんの顔は、とても楽しうにイタズラっぽく笑っていた。


 千波さんとのたわいもないやりとりが、想像していたカップルのそれと全く同じで、俺にもいつか彼女ができたなら――いや、「できないだろ」という突っ込みはこの際無視して――千波さんではなくその女の子と、こんな風なやりとりをするのだろうかとふと想像して、少しだけ、胸が苦しくなった。


 それから、雑貨屋、楽器店、本屋などを適当にぷらぷらと二人で歩く。楽しい時間というものはいつだって過ぎていくのが速く、気がつけば時刻は十七時を回っていた。


「時間も時間ですし、あそこのカフェですこしお茶して帰りましょうか」


 千波さんが指をさした先には、最近この地方でも目にすることが多くなった全国チェーンのカフェがあった。前に家族と来たときはなかった気がするので、最近オープンしたのだろうか。


 いらっしゃいませ、と声をかけられて、そのまま席まで案内される。ゆったりと流れるジャズと、優しく漂う珈琲の香りが上手いこと調和して、心落ち着く空間を演出していた。


「ここのスフレパンケーキ、すごく美味しいんですよ。二枚で一つなので、一つ頼んでシェアして食べましょう!」

「うん、そうしよっか」


 千波さんは満足げにうなずいて、呼び出しのベルを鳴らす。スフレパンケーキの他に、アイスコーヒーを二つ注文する。


「関くんはコーヒーをブラックで飲めます?」

「うん、飲めるよ。むしろブラックでしか飲まない」

「う……大人ですね。私はどうしてもミルクが欲しくなってしまいます……」

「その見た目でブラック大好きですと言われる方が驚くから、千波さんはそのままで良いと思う」

「うー……馬鹿にしてますね?」


 ぷくーと膨れる千波さん。本心を言ったまでだけど、よくよく考えるとブラックを飲める千波さんもそれはそれでギャップがあっても良いかもしれない。


 そんなやりとりをしている内に、注文した品が席まで運ばれてくる。スフレパンケーキを見た途端、不機嫌そうにしていた千波さんの顔が見る見る明るくなっていく。……可愛いやつめ。


 結果から言うと、スフレパンケーキはとても美味しかった。ホットケーキではなく、パンケーキという代物を初めて食べた俺は、筆舌しがたいふわふわ感ととろけるような甘さに五感のすべてを持って行かれた。そして言うまでもなく、パンケーキを食べる千波さんの顔もそれはそれは筆舌しがたい極上の笑顔だった。


 スフレパンケーキを食べ終え、アイスコーヒーをだらだと飲み干す。このままずっと滞在していたくなるほど居心地が良い空間だったけど、電車での移動や、駅からの帰宅時間を考えると、ぼちぼち帰り支度をした方が良い時間になっていた。


「……そろそろ、帰りましょうか」

「うん、そうだね」


 心なしか、お互いの口数が少なくなる。


 スフレパンケーキ分のお金は俺が出すよと言ったのに、二人で食べたので割り勘ですと言って譲らない千波さんに負けてしまい、きっちりと割り勘で会計を済ませてからカフェを後にする。


「駅に出るには……あっちの出口からのほうが良さそうですね」


 そう言って出口へと歩き出そうとする千波さんに、慌てて声をかける。


「……ごめん、ちょっとトイレに行きたいからここで待っててもらってもいい?」


 ……なかなか言い出せなかったこの言葉を、最後の最後でようやく吐き出すことができた。


「わかりました。ここで待ってますね」

「ありがとう。さくっと行ってくるわ」


 そう千波さんに告げて、駆け足でその場を去る。……もちろん、本当にトイレに行きたくてなかなか言い出せなかったわけではない。こんなことされても千波さんは喜ばないんじゃないかとか、余計なお世話なんじゃないかとか、何勘違いしてるの死ねば? とか、そんなネガティブなキーワードばかりが頭に浮かんできて、なかなか決断できなかったのだ。


 ――でもまぁ、受け取ってもらえなければ自分で使えば良いか。


 とりあえず、今日一日付き合ってくれたお礼を伝えられればそれでいい。


「待ってろよ――〝たぬき〟印の複合ペン」


 そう呟いて、俺はトイレ――ではなく、文房具コーナーへと続く道を急いだ。

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