表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/40

未来が見えない 4

 静穏な朝。

 ウオールが目を覚ましても、妻の姿は隣にない。

 無意識に広げていた両手は、ベッドをまるで自分一人のものだと語っているようだった。


 身体を起こし、居室内を見回しても変わった点はなく、夜中、妻は帰ってきてないのだとウオールは察する。


 どこで何をしていても、別に構わないと心の中で呟きながらクローゼットを開いて上着を着る。

 冷え切った関係である。ウオールは顔色一つ変えず、部屋を出て行く。


 ウオールの朝は、騎士でありながらも書類処理から始まる。

 騎士の総責任者に与えられる城の一室にて、昨夜の城下町で起こった事件や、王国の領地内で起きた出来事の報告を確認するのだ。


 ウオールはこれが大変苦手であった。

 一枚一枚の紙に細かな文字が並び、これが一人一人書き方も違うときたものだからとんでもなく見づらい。

 時折額を指で押さえながら、なんとかすべての書類に目を通す。

 宰相などにも確認をとらねばならない書類は、王族の使用人たちに渡さなくてはならない。


 ウオールは思いっきり背もたれに体重をかけながらのびをして身体をコキコキと鳴らす。

 ふと窓の外を見れば、すでに日の光はほぼ一日の半分を終えたことを知らせる位置まで来ていた。


「ふむ。中々、頑張ったじゃないか」


 ため息交じりにそう呟くと、扉が数回たたかれた。

 「はいれ」と大きくウオールが声をかける。

 凜とした声で「失礼いたします」と言いつつ扉が開かれた。


 ウオールは表情を変えないように努めたが、どうしても口元が引きつってしまう。

 入ってきたのはジャスであった。

 しかも、規定の服は着ているものの鎧まではまとっていないウオールと違い、きっちり鎧を着ているのが意識の高さを物語っている。


「何の用だ?」

「御仕事はお済みですか? よろしければ書類をお受け取りいたします」

「ああ、それは助かるが」

「はい。それと、お暇であれば私に稽古をつけていただけませんか」


 そっちが本命か、ウオールは心中で突っ込む。

 頭をかきながらすこし悩むが、どうして断る理由が思いつかない。

 ちらりとジャスの顔を見れば、すさまじい圧を瞳から放っていた。

 断ることなど許さないとでも言いたげだ。


「わかった。じゃあ、中庭で準備をしておけ。書類はこれと、これを持って行ってくれ」

「はっ」


 直立し、覇気のある声で返答するジャスに、ウオールは深く呻った。

 冷や汗をかきながら、(きびす)を返して部屋を出て行くジャスを見送る。

 再び背もたれに体重を預け、深く息を吸っては吐く。


 しかし、ジャスの気持ちを邪険にすることあまり良いことではない、と気持ちを入れ替え、ウオールは置かれている自身の鎧を身につけ始める。


 娘のティアがあの病にかかって、誰も好んでウオールのもとを訪れる者はいない。

 昨日、国属騎士達から睨むような視線を送られたが、それは軽蔑の証だ。

 街の人々の態度も同じである。


 自分より遙か上の存在への期待、その理想化は、突然起こる落胆の可能性を内包している。

 ウオールへ向けられた期待とその強さへの崇拝は、ティアの病によって一気に崩れ去った。


 それ故に、唯一と言っていいほど、以前と全く変わらぬ態度で接してくれるジャスは貴重な存在なのだ。

 ウオールはそれを重々承知している。しかし、どうしても融通が利かない堅いところがある。


「ウオール先生!」


 今まさに鎧を着けようとしていたとき、突然ジャスが扉を開いた。

 余りに唐突なことで、ウオールはすこし驚くが、すぐに鎧の着付けを再開する。


「なんだジャス。どうした」

「本当にこの書類はすべて確認したのですか!?」

「もちろんだ」

「ならばなぜ、そのように冷静でいられるのですか!」


 ウオールが表情を変えない様子にジャスは語気を強める。

 とびらの向こうから使用人たちが数人、二人の姿を覗いていた。

 ウオールはゆっくり鎧を着終えると、息をつきながら当然のように言う。


「私がどう騒いでも変わらないだろう。なぜお前がそんなに怒る?」

「当たり前です! ウオール先生の娘さんのことですよ!」


 ウオールは気にする様子を見せず、開いたままの扉から出ようとする。

 再度ジャスが呼びかけるが、反応はない。

 「先に行ってるぞ」と小さく呟いて、その部屋を出て行ってしまった。


 ジャスは唇を噛みながら、つよく握りしめていたせいで皺がついたその書類をもう一度見る。

 そこには、『婚約解消と新規婚姻の報告』題され、ティアとその婚約者の関係は取り消され、元婚約者となった男が、ほかの女性と結婚することがまとめられていた。 


 長い廊下を歩きながら、ウオールは憔悴した顔で元婚約者の男について考えている。


――まだティアが幼い頃、ティアと遊んでいたときは、世話好きで真面目な少年だったのだがな。だからこそか。治るかどうかもわからない娘とは暮らせないだろう。


 理解を示しながらも、心に暗雲を感じながら中庭に向かったウオールは、自主訓練を始めている弟子や国属騎士たちを見ながら肩をすくめた。

 どこにもぶつけられない不満を抱えて、ただ呆然と立ちつくす。


「ウオール先生、こちら、木剣です」

「ああ」


 ジャスが顔色をうかがいながら剣を手渡す。

 ウオールは表情を変えず振る感覚を確かめていたが、その背後にある暗い何かを、ジャスは察しようとウオールの姿を見つめる。

 気にしていないように見えても、やはりウオールは娘のことをいつも考えており、はっきりと顔色を変えないのは、きっとジャス自身や皆に弱みを見せないようにしているのだろう。  


 そうジャスは予測すると、だんだん無意識のうちに顔がゆがみ、悔しさがにじみ出してくる。


「ウオール先生! 早くやりましょう!」

「あ? ああ」


 二人そろって中庭に立ち、向かい合う。

 二人よりも先に自主訓練をしていた者たちが自然に動きを止め、その動向を伺う。

 呼びかけあって見学にやってくる者たちまで出てきた。


 周囲のざわめきを、二人はもう耳に聞き入れない。

 目を合わせ、いつ相手が動いても大丈夫なように意識を集中する。

 しばらくするとざわめきも止み、全員が息をのむ。


 ジャスが剣を下段に構えた。


「ウオール先生、構えを」

「これでいい」

「……そうです、か!!」


 言葉の終わりとともに、ジャスが疾走する。

 10メートルほど開いていた間が一瞬にして詰められ、木剣がウオールの首元を捉えようとしたとき、ウオールの姿が微かな煙を立ててフッと消える。


――早すぎる!


 ジャスは姿勢を戻そうと身体をひねるが、周囲を見回してもウオールの姿はない。

 瞬時の判断で地面に影が落ちていることに気づき、見上げる前にその場を飛び退いた。


「ぬう、いい判断だ」


 ウオールが空から落ち、かすかな鎧の音を立てるだけで地面に降り立つ。

 周囲から見ている人間は、何が起きているのか目で追うことさえ難しかった。

 再びジャスとウオールは見つめ合い、今度は二人同時に相手に向かって駆けた。


 残り1歩と言う距離で、急激にジャスが体勢を低くする。

 ウオールからすれば、視界からジャスが消えたように見えた。

 瞬時に下を向くのと、ジャスの剣が再びウオールの首元を捉えるのはほぼ同時にだった。


――勝った!


 ジャスが少し唇をつり上げる。

 残り数センチ、剣は完全に当たると思われた。

 周囲の人々も興奮から歓声を上げそうになる。


 剣が当たる、その時、ウオールの顔が少し嘲るように笑った。

 ジャスが目を見ひらく。


 ウオールは踏み込んでいない足を軸として身体を半回転させ、一瞬で身をひいた。

 ジャスの剣は空を切る。

 ウオールの片手がジャスの肩をつかんで地面にたたきつける。

 そのまま、衝撃に喘ぐジャスの眼前に、ウオールは剣の切っ先を突きつけた。


 呆然とする人々。時間にして数秒の戦い。

 ジャスの動きもまさに神速であったが、ウオールは桁が違った。


「負けました……」

「うむ、やるじゃないか、ジャス」


 満面の笑みのウオールを見て、ジャスは嘆息する。

 勝てるわけがない、この図体で、どうやったらあのスピードが出せるのか。

 二人の戦いの様子を見ていた人々は、なぜか拍手をし始めた。

 ウオールとジャスは目を丸くして見回す。


 特に、ウオールは驚愕していた。

 

 彼らは確かに弟子や国属騎士たちであったが、娘が病気になってから、このような目を大勢から向けてくることはなかったと、ウオールは感動してジャスを見た。

 ジャスも、ウオールの顔を見て安堵の息をつく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ