未来は見えない 3
日が落ちるのはこんなにも早かったのかと、ウオールは色を失い始めている空を呆然と見上げる。
帰りがけでさえ患者や看護婦たちから奇怪な視線を向けられながら病院を出た。
ウオールとしては彼らの気持ちも察することもできるのだが、それでも自分の娘にかける思いは捨てられるものでは無い。
親なら当たり前だとウオールは思うが、それを理解してくれる人は数えるほどしかいないのが事実だった。
日が暮れてくると、外を出歩く人々はほとんどいなくなった。
ウオールとすれ違う人々は、光の灯ったランタンを持って歩いている。
並ぶ住宅たちも、窓辺にろうそくを立て、わずかな光のもとで過ごしていた。
暗い道を一人、ウオールほどの大きな身体をもつ男が歩いていれば変に目立つ。
窓からのぞき込んでくる民衆は、強大な図体の姿を見て顔を引っ込めた。
ウオールはそれに気づきながら表情一つ変えずに歩く。
鎧からカシャンカシャンと高い音が出て、通りを裂くように響いていく。
その音を聞きつけてか、ウオールがここを通ることを知っていたのか、住宅と住宅の間、路地につながる空間から5人ほどフードをかぶった者達が走ってきた。
彼らはウオールを囲み、それぞれ剣を構える。ウオールは落ち着き払って彼らを軽く見回しながら問う。
「何者だ?」
「国属騎士ウオールだな」
「質問しているのはこっちだが」
「黙れ、ここで死んでもらう」
まず、後ろの二人がウオールに斬りかかる。
余りの大振りに、ウオール軽く身体をひねるだけでそれを躱した。
さらにほかの面々も上段、突きと様々な方法で攻撃するが、ことごとく紙一重で躱されてしまう。
意外だったのか、フードの集団は息を切らしながらおたがいに顔を見合わせる。
「うちで剣術を学んでる奴ではないな。攻撃が下手過ぎる」
「なにぃ……!?」
「あと、全体的に身体が鍛えられていない」
「なめるな!」
リーダー格と思われる男が、正面からウオールに向かって走る。突きの構えだった。
ウオールは浅く息をつくと、鋭い眼光でその男をにらみつけた。
もともと巨大なウオールの身体が、男にはさらに大きく見え始める。
無理だ、と男は直感して、思わず腕に込めた力をぬいてしまった。
「駄目だな」
ウオールが軽く脚を振り、近づいてきた男の腕を蹴る。
握っていた剣が弾き飛ばされ、遠くの地面に突き刺さった。
男は自分が握っていたはずの剣を眺めて呆気の取られていたが、その胸元にウオールの手が伸びて、軽々と持ち上げられてしまう。
「やめろ!」
今まで見ることしかできなかった残りの男たちが、ウオールに向かって剣を構える。
しかし一歩も踏み込むことができず、剣を握る手が震えた。
膝が笑って、立っているのがやっとな男もいる。
その一人一人を眺め、ウオールはため息をついた。
瞬間、星が降ってきたのかと思えるほどの轟音とともに男たちの前からウオールの姿が消える。
突如吹き付けた風に彼らは目を細めた。
持ち上げられていたリーダー格が地に落ちていく。
そして、握っていたはずの剣先が、いつの間にか折られて無くなっていることに、リーダー格が地面にぶつかる瞬間、ようやく男たちは気づくことができた。
ウオールは地面に突きささっている剣の元までいき、今まさに、脚で軽く蹴り折っているところであった。
「どうするんだ、つぎは」
ウオールが彼らを見つめて言う。
すでに戦意を失っていたリーダー格は痛む身体を震わせ、脚を絡ませながら逃走した。
つられて、ほかの四人も背中を見せて次々に走り去っていく。
「よくわからんな。まあ、俺に不満がある民衆の誰か。侵略した国の兵士たちなら、もっとまともに戦うだろう」
折れた剣先を抱え、その場を後にする。
民衆が抱く不満の内容なら、ウオールには幾らでも心当たりがあった。
王国最強の騎士という暗黙の称号は、人々からかなり強い期待がかけられる。
それに比例して、不満も増えていくものだ。
そのすべてを解消することは、身体が一つしか無い人間であるかぎりほぼ不可能である。
ウオールはそれを仕方の無いこと、として考えないことにした。
しかも、ウオールには、他人に狙われる理由がもうひとつある。
あまりにも理不尽な理由ではあるが、ティアの存在によるものである。
仕方の無いこと、仕方の無いことなのだ、と何度も脳内で考えるが、完全に割り切れているわけではない。
しかし、こんなことが何度もあるようでは良くない。
城に帰ったら、町の警備隊に報告しておこうと、ため息とともに考えた。
ウオールの自宅は城の中にある。
本来であれば王族と役人しか住むことは許されない場所であるが、城の中庭で弟子たちの訓練をしたり自室にて騎士団の管理をするために都合が良いのだ。
鎧を脱いで軽くなった身体で階段を上り、豪華に装飾された長い廊下を堂々と歩く。
自室につくまでにいくつもの大きな扉があった。
ここは城内の居住スペースだ。宰相もこの階層で暮らしている。
通りかかった扉の向こうから、宰相が説教をしている声が廊下に漏れていた。
「なぜお前はあのウオールに指導を受けていながら剣が上達しないのであるか! 座学だけが出来てもこの国では意味が無いのである! 役人なんぞになったら、貴様の手足の指をそぎ落としてシャンデリアのようにつるしてやるであーる!」
ヒステリックな叫び声。
対して息子の声と思わしきものは全く聞こえてこない。
向き不向きはあるだろうに、とウオールは息子に同情した。
ようやく自分の居室へ入る。
ランプの明かりはついているがすこし暗い。
「ただいま」の声とともにとびらを開いたのだが、返事はなく、ともに暮らす妻のチークはベッドでくつろいでいた。
ウオールのことは見向きもせず、ただベッドで寝転がって天井を見つめている。
その冷め切った態度よりも、ウオールはその着ているものが気になった。
白を基調とするセクシーなドレスを着崩し、胸元は完全に露わになっている。
白く細い脚もかすかな光に照らされ、男を誘惑しているようだった。
ウオールはひと目それを見たのみで、興味を示すこと無くランプをつけて着替え始める。
その様子に憤慨し、チークは身体を起こした。
「ちょっと」
「……なんだ」
「おかしいでしょう」
「なにがだ」
勢いよくベッドから降り、ウオールに詰め寄っていく。
くるくると踊るように動き回りながら、チークは自身の身体の美しさをアピールした。
「私がこんなに綺麗にしているのに、あなたは見向きもしないのね。納得いかないわ」
「そうかそれはすまない。肌は白くてとても綺麗だ。」
「褒めてほしいわけじゃなくってよ。もう、焦らさないで。またあの子のところへ行っていたのね。もう、忘れて、次の子をつくりましょう?」
チークがウオールの巨大な身体に指を這わせる。
細長い指がなめるようにしてウオールの首から腰までを撫でていくのを、ウオールは顔をしかめながら振り払った。
そのまま何もいわないウオールに、チークは怒りを露わにして「もういい」と叫んで居室を出て行ってしまった。
どこに行ったのか、ウオールは知る由もないが、別にいいか、と着替えを済ませて寝床に入った。
娘が大変なのに、行為に及ぼうとする妻の気持ちがわからない。
忘れることなんかできない。あの女は信用ならない。
ウオールはベッドで目をつむりながらそう心の中で妻へ怒りをぶつけた。
チークは薄情な女であった。
ティアが病気にかかったときにも、自業自得だといって相手にしなかった。
特にティアになにかされたわけではないのに。
ウオールはそんな妻がどこに行こうと勝手だと考えていた。
気にすることはなく、そのまま眠りに落ちていく。




