その剣は誰がために 11
「おい、なんでみんな逃げるんだ? 顔がどうした?」
男が自分の顔に触れてみるが、特に気づくことはない。
鏡でも見ない限り気づくことは出来ないだろう。
黒髪の青年を含めた見習い達は後ずさりをしながらその場を離れていこうとする。
男が「逃げるなよ」と少しの焦りを持って近づいてくる。
しかし、それ以上に逃げようとしていた者達の危機感が強かった。
足早に近づいてこようとするその男を、一人が剣で唐突に切りつける。
「はえ?」
男が呆けた声を出しながら、傷口を眺める。
胸から腹にかけての一筋。そこから血が漏れ出てくる。
なんとか血を止めようと両手で押さえるが、指の隙間を縫って溢れてくる赤い液体。
黒髪の青年は、それが何かに似ていると感じ、王の亡骸の近くで転がっているコップを見た。
先程、王が飲んだ液体が微かに残っている。
――あれは血液か!
黙ってその場を離れようと立ち上がる。
そのとき、先程斬られた男が恨めしい目で三人を眺めた。
よくも、よくも、と呟きながら自らの剣を握り直すが、それより早く先程の一人が半狂乱で再び剣を振った。
胸を十字に切られた男は血を吹きながらその場に倒れていく。
「ゆ、許せ……。近づいてきたお前が悪いんだ」
声を震わせながらその一人が言う。
紫の線がどういうことを示すのか、その場にいる三人はよく分かっていた。
城下町に住んでいる者ならだれもが知っているだろうし、彼らはウオールに戦いを教わっていたのだから知っていて当然である。
それ故に、紫の線に対する恐怖感は強かった。
「俺、初めて見た……話には聞いてたけど、ウオール先生に近づくと移るとか言いながらウオール先生にはこの線はなかったし」
「俺は近所の奴がなってたから、すぐ分かった。移されたらまずい。仕方なく斬ったんだ」
自分に言い聞かせるように言う。その一人は剣を握る手が震えていた。
しかし、黒髪の青年がふと彼の顔を見たとき、首元から紫の線が、今まさに頬にたどり着こうとしているのが見えた。
その異常さに思わず悲鳴を上げ、青年はその場を走り去る。
階段を駆け下り、いち早く教会をでようとした。
残された二人にはそれが奇行に見え、なにしてんだか、と嘆息する。
しかし、二人で顔を合わせると、お互いの顔に紫の線が刻まれているのが分かり、一人が咄嗟に剣を構える。
「お、お前! お前もじゃねえか! 斬り殺してやる!」
「まて! 落ち着け! 自分の顔を見ろ!」
「自分の顔なんて見える訳ねえだろうが!」
半狂乱になった男によってまだ血が付いている剣が振り下ろされるが、今回は相手の剣によって防がれてしまった。
剣をぶつけ合ったまま押し合うが、力はどうやら相手の方が強いようだ。
「一旦落ち着け」と相手が叫ぶも、「口を開くんじゃない」と強い語気で言い返す。
落ち着いて話は出来ないようだと、相手の男は押しつけられた剣をそのままはじくように押しのけ、攻勢に出る。
しかし、その胸を剣で突こうとするも、素早く体勢を立て直した半狂乱の彼に避けられ、懐に入り込まれてしまった。
しまった、と自分の失敗を悟るより早く、脇腹を剣で切られた男は肉を裂かれる痛みにその場で蹲る。
手で押さえても血は止まらない。
痛みに耐えながら唸るが、再び剣を持って立ち上がろうとしたとき、背中から剣で貫かれた。
そのまま何も言えず、ただ冷たい感触を無縁に感じながら事切れる。
息を荒くしながら、一人になった男は階段をふらふらと降りていく。
その踊り場で、ふと窓から外を眺めようとすると、自分の顔が窓に映った。
紫の線が、ウゾウゾとうごめき、自分の顔を覆い尽くそうとしている。
首から伸びてきたその線は、いまや右頬を覆い尽くし、目元まで伸びてきていた。
恐ろしさに顔を掻きむしり、頬の肉が破れる。
それでも無情に紫の線が先に進もうとうごめくのが恐ろしく、もう男は正気でいることが出来なかった。
意味の分からないことを叫びながら剣を自分の喉に向けて構え、そこに体重を乗せながら倒れていく。
黒髪の青年は教会を出て、誰もおらず死体もない家を探して中に入った。
生活感のある部屋だったが、全く人の気配はせず、不自然に片付いている。
その小さな家の玄関で隠れるように青年は蹲る。
自分の前で人があの病気に感染した。
そして、おそらく感染の原因は血液だ。
自分にはかかっていない。
青年は自分の身体をあちこち見回しながら、そう考察した。
王が飲んだものが血液であるということに確信はないが、それ以外にきっかけはなかったと考える。
そうなれば、ウオールに近づくだけで感染するという話は、あまり皆も信じてはいなかったが根も葉もない噂か、誰かが意図的に流した嘘だと分かる。
ウオール先生は、本当に裏切ったのか?
何度も繰り返し疑問に思っていたものが加速していく。
才能のない自分に対して真剣に向き合ってくれた恩師が、裏切ったことをそう簡単に信じることは出来ない。
きっと、ウオール先生に会ったとき、自分は戦うことが出来ないだろう、と青年は想像した。
足を投げ出して静かな時間をボーッと天井を眺めて過ごしていると、地鳴りが聞こえた気がした。
玄関から顔を出して音の鳴る方を見る。
自分たちが入ってきた所からだ。
ついに本隊が到着したのだ。
先頭部隊が見える。
十人を超える馬に乗った国属騎士達が固まって通りを走ってくる。
もう終わりだ、この戦争も、ウオール先生も。
この軍勢に太刀打ちする事が出来るわけがない。
青年は、その軍勢に見つからないよう、家の奥にある窓から出ていった。
これからどうするか、頭を悩ませる。
このまま、ウオール先生を見殺しにするのか?
あの人はきっと、誰かにハメられたんだぞ。
そう心の中で自分に言い聞かせると、足が震えた。
ウオール先生を助けたいと、自分は思っているのだ。
でもどうやって? 自分に何が出来るというのか。
いくら考えても考えはまとまらない。
しかし、黒髪の青年はそのまま走り出した。
自分が入ってきた入り口とは真逆の方向へ。




