その剣は誰がために 9
王国軍の本隊が、今まさに森を抜けようとしている。
そうすれば、もう数時間もしないうちにグリーフ国に到着してしまうだろう。
しかも、その動きは王国を出立したときよりも速くなっていた。
最前部隊の指揮を執るエネの進行に合わせているためである。
「くそ! くそくそ! ジャスめ! よくも俺の腕をぉ!」
ジャスの最後の一撃によって腕を切り落とされたエネであったが、包帯によって応急処置が施され、その体調を心配する地方騎士達の言葉も無視して指揮を続けている。
馬はウオールに奪われてしまったので、一人の年配国属騎士が騎乗する馬にまたがらせてもらっていた。
背中で騒がしく恨み節をぐちぐち言う彼に、その国属騎士は辟易している。
「少し、騒ぎ立てるのをやめんか。肉食動物に襲われてしまうぞ」
「うるさいうるさい! いいか!? ウオールにとどめを刺すのは俺にやらせろ! そうでないと気が済まない!」
懲りないエネに、皆がうんざりとした表情をする。
軍隊の士気は下がっている。
ジャスの鬼神のごとき戦いっぷりは後方部隊にまで伝わり、一人一人が感服していた。
敵でありながら褒め称える者までいる。
もちろん、それを良しとしない国属騎士もおり、話をする者を殴りつける様子も見られた。
先へ先へ進んでいく軍隊の前に、一匹の大きな熊が突然飛び出してくる。
地方騎士達はひっ、と小さな悲鳴を上げて一瞬ひるむが、国属騎士達は流石の落ち着きようで、エネを守るように馬を並べる。
すぐに飛びかかってくるかと思われたが、その熊は目の焦点が合っていないようで、ふらふらと身を揺らしている。
その様子に違和感を覚えながら、国属騎士達は顔を見合わせるが、エネがしびれを切らして、叫びながら馬を下りた。
「何をもたもたしている!? おれがやる! こんな熊。一人で十分だぁ!」
エネは言葉の終わりと共にその熊の首を切り落とす。
瞬速の剣に、騎士達は舌を巻いた。
首の切れ目から覗く赤黒い肉から血しぶきが上がり、エネの顔に少しかかる。
以前であればそのシャワーを気持ちよく浴びていただろうが、今は苛立ちの方が勝り、血を浴びる暇も無く剣を何度も振ってその熊のあちこちに切れ込みを入れた。
あらゆるところから血を流し、熊は絶命する。
エネは顔に少しかかった血しぶきを拭いたり舐めたりしながら馬に再度騎乗した。
獣臭さに、後ろに乗られた騎士は少し顔をゆがめる。
森の出口は、熊の死体の向こうに見えている。
エネは後ろを振り返って兵士達を激しく鼓舞し、馬を先に進ませていった。
騎士達が思わず剣の柄を握る。
もうすぐ、グリーフ国に到着するのだと分かって。
人気の無い、血なまぐさい道を背に老婆を乗せて走る。
芸術的に彩られていた町の壁画は血に染まり、道で出会えば笑顔を交わす人々が倒れていた。
身体の欠損具合は人それぞれで、五体満足で斬り殺されている者もいれば、四肢を切断されて惨殺されている者も見かける。
その様子が視界に映る度に、ウオールの不安は大きくなっていった。
「まだつきませんか」
「もうすぐじゃ! 見えるじゃろう、あの高い塔が。あの塔は教会の一部。この国の王が住まう場所じゃ。そして、その隣にある比較的大きな施設が病院じゃ!」
老婆の指し示す先を見据える。
確かに空を貫く塔が見える。
ウオールは走るスピードを上げ、ついに病院の前にたどり着いたが、そこには一頭の馬が待機されていた。
装具の付け具合から、おそらく国属騎士の馬であることが見て取れる。
ウオールは老婆を下ろし、病院の暗い入り口を見つめた。
「なんじゃ、なぜこんな所に馬が」
老婆が馬に軽く触れながら呟き終わると同時に、病院内から女性の悲鳴と思われるものが聞こえてきた。
恐怖に怯える声と言うよりは、命を失う前の絶叫、断末魔。
ウオールは顔をこわばらせ、急いで病院内に入っていく。
老婆もなんとか身体を動かして後を追った。
ティアは悩んだ末に自身の病室を選んで隠れた。
薄い扉を閉め、ベッドを必死に動かして開かないようにバリケートとして使用する。
この場所は病院内でも最奥の場所。
もしかしたらここまでは来ないかもしれない。
息を切らしながら部屋の端っこで危機が過ぎ去るのを子供と共に待つが、聞こえてきたのは他の患者の女性であろう者の断末魔だった。
その後、また微かに悲鳴が聞こえてくる。
殺されているのだ。
敵に、みんなが殺されている。
子供が泣きそうな顔でティアを見つめる。
その顔を見て、自分が不安そうな表情をしていることが分かって、無理矢理笑顔を作った。
「大丈夫、大丈夫よ。お姉ちゃんがついてる」
言い聞かせるように言う。
そして、泣き出しそうな顔を自分の胸に抱きしめた。
子供も必死に鳴き声を押さえているのが分かる。
昨日知ったばかりの神の存在へ祈りを捧げ、どうか助けてくださいと心で呟く。
しかし、無情にも鎧の揺れる音が扉の向こうで聞こえてきた。
一つ一つの扉を開けて回っているようだ。
無理矢理扉を蹴破る音が聞こえてくる。
だんだん近づいてくるそれに、ティアは恐怖を隠しきれず、身体を震わせた。
この場所に来るのが早すぎる。
まだみんな生きてるのかもしれない。
ティアは咄嗟の判断で子供を抱え、窓に座らせて言う。
「ここから飛び降りて、逃げるのよ」
「え、高いよ……」
「高いけど、この高さならちょっといたいだけよ。きっと大丈夫、信じて。そして、すぐ逃げるのよ」
「お姉ちゃんは?」
不安そうに聞く子供に、ティアは笑って答える。
「時間を稼ぐのよ」
さあ、と何度も急かして子供の背を優しく押す。
子供は何度も振り返りながら、やっとの思いで飛び降りた。
ティアの言うとおり、子供は足を曲げてしっかり着地し、無事に逃げ出すことが出来た。
その様子を見て、ティアは声を大きくして叫ぶ。
「今ー! 病室の一番奥の部屋に敵がいます! 逃げてくださーい!」
その言葉が終わると同時に、ティアの部屋の扉がたたき割られ、屈強な腕が姿を現す。
ベッドを軽々と倒し、鎧に身を包んだ男が部屋に侵入してきた。
返り血の着いた鎧と、不気味に笑いながら舌なめずりをする男をティアは睨み付ける。
「君、勇気あるねえ? 囮になってみんなを逃がそうって? その作戦に乗ってあげようじゃないの。君を切り刻んでから、逃げた人たちを追うことにするよ。時間をかけて殺すよ。せいぜい、鳴いてね」
男がティアの片腕をつかみ、その身体を吊るすように持ち上げる。
痛みに顔がゆがむが、ティアは男を睨み続けた。
男が振り下ろそうと剣を掲げるが、次の瞬間にはティアの手を放して後ろを振り向き、剣で横なぎした。
ヒールが駆けつけてきたのだ。
咄嗟の判断で身を屈め避けることができたが、反撃をすることができず蹴りを見舞われる。
腹に足先が刺さるような感覚に、ヒールは思わず吐き気を覚えながら、天井までたたきつけられた。
為す術なく床に落ちる彼の頭を、国属騎士の男が嘲笑と共に踏みつける。
「勇気ある人は一人じゃなかったみたいだね。なに?死にたがりばっかじゃん」
「く、くそ……」
「まず君が死ね」
男が剣をヒールに突き刺そうと剣を掲げ、その先がまっすぐ眉間に向かっていく。
眼前に死を感じながら、ヒールは悔しそうに歯を食いしばった。
ティアも思わず目を閉じて絶叫する。
助けを請う。
その声にこたえてか、轟音とともに、壊されていた部屋の扉と、その周囲の壁を突き破って、大男がその騎士に突進した。
騎士は呆けた表情でその巨体に衝突され、吹き飛ばされていく。
部屋の壁にぶつけられるが、それでも勢いは止まらず、その壁を破り、隣の家の屋根に落ちていった。
ピクピクと体を震わせ、何が起こったのかわからないまま絶命する。
ティアとヒールも同じく状況が把握できずにいたが、目の前に現れた巨体に目を凝らす。
その顔が、ティアに向けられた。
目を合わせる。
「お父……さん?」
ウオールは黙ったまま呆けた彼女に近づき、その小さな体を強く抱きしめた。
その、与えられた温もりから、ティアに生きているという実感がうまれた。
思わず涙が頬を伝う。
そして、もう会えないのではないかと思っていた父との再会に、必死に鳴き声を上げないように口をつぐみながら、その巨体を抱きしめかえした。
「……よく頑張った、ティア。さすがは俺の娘だ」
「お父さん……お父さんお父さん、お父さん!」
何度もその名を呼ぶ。
今まで満足に呼ぶことのできなかったものを。
強く強く、抱きしめあう。
名残惜しそうに身を引き、ウォールはティアの柔らかい髪を撫でながら告げる。
「あまりゆっくりはしていられない。避難する場所があるならそこまで送ろう。そこのお前も」
「あ、はい」
ヒールは咽ながらなんとか立ち上がる。
よろめく彼に、ティアは寄り添って肩を貸した。
その様子を、ウオールは訝しげに見つめる。
「ティア、その男は?」
「私の病気の薬を作ってくれてる先生だよ、お父さん。病気を完全に治す薬の研究をしてるの」
「そうか……」
何か言いたげなウオールだったが、まあいい、と小さくつぶやくのみで何とかその場は割り切った。
ティアは不思議そうな顔でウオールを見つめている。




