未来は見えない 2
町の中を多くの騎士達が闊歩しているが、ここは王国の中心部である城下町。
見かける騎士の多くは、少し豪華な装いをしている国属騎士で、地方騎士はあまり見かけない。
ウオールが通りを歩いている際、国属騎士数人が、一人の地方騎士を取り囲んでいる様子を目にした。
怯えた様子の地方騎士に、気味悪くニヤついた国属騎士。
ウオールは進む方向を変え、彼らのいる方へ巨体を揺らしながら歩いて行く。
その姿に気づいた国属騎士達は顔をゆがめ、面倒くさそうな表情をする。
「何をしている」
「ウオール先生、あなたには関係のない話です」
「私は国属騎士を統括する身だ。君たちが何かトラブルを起こしたなら解決せねばならん。そこの地方騎士、お前は何かしたのか」
「へ、へえ。あの、あっしが前方不注意で……ぶつかっちまいまして」
ウオールは彼の手元に視線を落とす。
その胸には商店で購入したのであろう果物などが入った袋が抱えられていたが、その中身が地面に数個転がっている。
ぶつかって落としたのだろう。
「ぶつかったくらいでなぜお前らはリンチのようなことをしているのだ」
「リンチなどと、別に、そのようなつもりは」
「国属騎士ともあろう者が器の小さいことをするな。見なかったことにする、散れ」
ウオールの言葉に、国属騎士らは不満げな顔をしながらその場を後にした。
一人はウオールを最後まで睨んでいる。
その口元が「きたないおっさんだ」と呟いたことを、ウオールは気づいたが何も言わなかった。
おそらく彼は、精神性の話ではなく、衛生的な面から述べたのだ。
国属騎士による、その立場を利用した事件は後を絶たない。
厳しい訓練などを乗り越えてきた者達なのだから自信にあふれているのは結構なのだが、ウオールにとっては悩みの種の一つであった。
ウオールも、地方騎士に一言謝罪してからその場を後にする。
町を歩き進んでいけば、国属騎士に憧れて訓練用の剣を振るう子供の姿も目に入る。
それさえもウオールには皮肉のように映る。
城下町の病院。
これまた広大な空間をもつ建物であったが、そこは綺麗に並べられたベッドで埋め尽くされている。
空き床は見渡す限り無く、床に伏すほとんどの患者は酷い傷を負っていた。
目元を包帯で覆われ見えないと喚く者、腕の深い切り傷が化膿している者、幻覚を見て泣き叫ぶ者。
医者と看護婦はそれぞれ出来るだけ独立して患者の世話を行っているが、どうしても騒ぎ立てる者がおり、それは医者と看護婦が一緒になって押さえつけて落ち着かせようとしている。
それでも、小さな不満を垂らす口も多く、それらが積もって阿鼻叫喚を産んでいた。
ウオールが病院の入り口から顔を覗かせると、それを見た看護婦の一人が顔をしかめ、口元に布を当てながら彼の横を抜けて外に出る。
他の医者達も、また来たのかと言わんばかりに辟易した顔をウオールに向けた。
しかし、そんなものは気にせず、ウオールはベッドに囲まれた道をまっすぐ進んでいく。
「きたねえ!きたねえ!」
ウオールを見た一人の患者が叫ぶ。
痛みを訴える声が多い中でも、皆がはっきりと聞き取れるほど大きなものであった。
ウオールがちらっと声の主を見ると、男は罵倒するように声を荒げて言った。
「お、お前のせいでうちの息子もあの病気にかかったんだ!お前が、地下に何度も行くから!お前も、もう感染してんだよ!きたねえ野郎が!」
ウオールは何も答えず、男の前を通り過ぎる。
男に便乗して、口々にウオールへ不満を垂らす患者達に、医師が「静かにせんか!」と呼びかけるが、言うことを聞く様子は全く見られない。
この患者たちは、この国が戦争を好むが故に出してしまったけが人たちだ。
しかし、そのほとんどが地方騎士、または更に下の身分の者たち。
ウオールは患者一人一人の顔を何度も見ているが、一人の名前も知らない。
戦争への意識の差が、明らかに身分の差によって異なっている。
足を一度も止めずに進んでいくウオールの前に、一人の医師が患者の対応を一時中断してやってきた。
疲弊している様子で、目元に濃い隈が出来ている。服も血で汚れ、見るに堪えない様である。
「ウオール」
「先生、娘の見舞いに来ました」
「……大きな声で言うんじゃない」
恥ずかしげも無く告げるウオールに、先生と呼ばれた医者は吐き捨てるように言う。
そして手招きをしながら後ろを向き、更に奥に進んでいった。
大きな鉄の扉を開き、ウオールだけを中に入れて医者が扉を閉じる。
重厚な音が辺りに響いた。
「さて……」
扉の向こうには、長い下りの階段がある。
ウオールは扉の横に置いてあるろうそくを手に取り、雑に作られた階段の一段一段をゆっくり降りていく。
奥から冷たい風が吹いてきて、その風は異臭を運んできた。
「臭いな」と小さくつぶやきながら、ウオールは階段を下っていく。
降りた先には、牢屋のような作りの鉄格子が見え、それがいくつも並んでいる。
一つの部屋に一人か二人の患者がぐったりと横たわっている。
声を上げず、呼吸しているのかどうかも怪しい。
彼らの共通する外見的特徴は、肌に表われた紫の線であった。
ウオールはその一番奥の部屋の前で止まる。
中を覗き、一人、少女が横たわっているのを確認するとその名を呼んだ。
「ティア」
名を呼ばれた少女は、顔のみをウオールの方へ向ける。
力を振り絞ったような動作に、ウオールは息をのんだ。
ようやくその顔の全容が見える。
整った顔立ちの少女であったが、その顔の半分には、恐ろしい紫の線が幾重にも重なりながら刻まれていた。
「お父、さん……」
ウオールは無理に笑う。
自分の顔が本当に笑えているのかどうか彼自身も分かっていないが、娘に向けて暗い表情など見せるべきではないという心持ちは保った。
娘は、父の表情を見て少し顔を緩ませた。
ボーッと開かれていた口がわずかに笑う。
一体なぜ、自分の娘がこうなってしまっているのか、ウオール自身にも分からない。
この病気と思わしき症状の源泉は、いったいどこにあるのか誰も知らないはずなのだ。
しかし、わからないものは恐ろしいと、街の人々は自分の身を守るためにウオールの娘を監禁した。
それでも止まらない感染に医者も頭を悩ませたが、ひとまず人々の不安を取り除くため、感染した者を完全に隔離し、人目に付かないようにしているのだ。
ウオールは鉄格子を掴み、その震える手に力を込めた。
ティアが何をしたというのか、と誰でもない何かを心の中で責めた。
ティアが手を伸ばしてくる。
それを見て、ウオールは歯を食いしばって、手を引っ込めた。
自分まで感染してしまっては、元も子もない。
「お父さん……」
「すまん、ティア。だが、絶対に、なんとかしてやる」
娘は、頷くこともしない。
それは、体力が無いからなのか、それとも、期待していないという意味なのか、ウオールはどっちとも言えぬ娘の態度に、「また来る」と告げて唇を噛み、その場を後にした。
残されたティアは、人知れず涙を流す。しゃくりあげながら、そのたびに痛む背中を地面にこすりつけ悶えた。
嗚咽か、痛みに耐える声が閉じた口から漏れる。
それでも涙は止まらず、ティアは目を瞑って痛みを堪えた。
重い扉が開き、再び閉じられる音が鉄格子の遙か向こうから聞こえてくる。
もうこの場所に父はいない。ティアがこの孤独に気を狂わせそうになって、もう5年が過ぎていた。




