その剣は誰がために 1
赤い、炎がもうもうと燃えている。
全てを焼き尽くすそれが、ウオールの眼前まで一瞬で広がってくる。
見たことのない家々。その全てが、崩れ去っていく。
戸惑いながら見回すうちに、足下へ髪の長い何者かが倒れ込んできた。ジャスだ。
慌てて起こそうと抱えるが、その身体が異常なほどに軽い。
全身から、血が流れている。
数多の傷跡と、細腕に握られた折れた剣が、戦いの過酷さを物語っていた。
ウオールは言葉が出てこず、彼女をただ抱きしめる。
自らの身体も血で汚れていく。
ジャスの身体から流れたものが、膝を伝って、地面まで広がる。
ウオールは慟哭した。
眼前の炎の中から、数多の騎士達がその姿を現し始める。
完全武装で、二人を囲んでいる。
鎧から見るに、国属騎士だ。
ウオールは彼らを睨み付け、その身体を動かそうとするが、同時に事切れたと思っていたジャスが両腕を広げ、すさまじい力でウオールを押さえつけてくる。
地面に押し込まれるのかと錯覚するほどに圧力を感じるジャスの腕を、ウオールはふりほどくことが出来なかった。
「ジャス、よせ! 逃げるぞ!」
「……逃げる? 私は、あなたのせいで死んだのに!」
ジャスの力が強くなっていく。
その目は憎悪を表すような、赤黒色に染まり、血を吹き出している。
みしみしときしむ自身の身体に、思わず苦痛を訴えそうになるが、ウオールはなんとか立ち上がろうと足に力を込める。
しかし、王国一の力を持ってしても、ジャスの腕を払うことは出来ない。
国属騎士達が迫り、もう彼らも持つ剣の間合いとなった。
もう逃げられはしないと、ウオールは歯を食いしばりながら必死の形相で騎士達を見回す。
ヘルメットに隠された顔は全く伺うことが出来ず、彼らが誰なのか全く分からない。
すると、ウオールの正面に立つ一人が、ヘルメットを外した。
ウエーブのかかった金髪が現われ、炎のように赤い瞳がウオールを冷たく見据えた。
「エネ……!」
「ウオールゥ、今までお疲れさんだぁ。あんたのせいでジャスもこんなになっちまって、かわいそうになぁ。かわいそうだから、殺してあげよう」
エネが剣を振り上げ、ジャスの首を切り落とす。
斜めに赤い直線が入り、血がぽつぽつと滲む。
やがてジャスの腕から力が抜け、首が滑るように地に落ちていった。
「エネェ!」
ウオールが腕を伸ばし、その首をつかもうとしたとき、周囲を囲んでいた騎士達が剣を振る。
ウオールの全身は深く切りつけられ、伸ばしたはずの腕は切り取られた。
血が迸る。
地面が、炎よりも赤く染まっていく。
力が抜けて倒れ込むと、目の前にジャスの首があった。
その目がぎょろりとこちらを見つめている。口元が、わずかに動いた。
――あなたのせいです
はっとして身体を起こす。
目の前に広がっているのは深い緑の森林。
夜も更け、樹冠の間から月の光が差し込んできている。
息が荒く、口から唾液が漏れている。
ウオールは恐怖から覚めぬうちに口元を腕でぬぐった。
ふと気づいて、ぬぐった腕を見る。
先程切り取られたはずのものだ。
夢を見ていたのだ。
隣で静かな寝息を立てるジャスを見る。
ウオールにすり寄る形で、横向きとなって眠っていた。
ウオールは、恐怖に駆られる。
ジャスを失いたくないという思いが膨らんでいく。
やや離れた位置から、馬の控えめな鳴き声が聞こえてくる。
そちらをおそるおそる見ると、ウオールを黒い瞳で見つめながら、首を振ってある方角を示していた。
促されるままに立ち上がり、示された方角に向かって進む。
なるべく音を立てないように歩くが、地面に落ちた枝を踏みつけてはぱきりと音が鳴る。
森をもうすぐ抜けるかと思われる位置から、ウオールは地面の微かな振動を感じた。
軍勢が、各々の足を踏みならしながら歩く音も。
まだ遠くだが、荒れ地の向こうに松明の明かりが見える。
月明かりを反射する鎧の光。
ついに、来たのだ。
予想を遙かに上回る大軍勢にウオールは絶望的な状況であることを察した。
どう考えても、あの大軍を一人で相手することは不可能だ。
もしジャスが来たとしても、二人とも殺されて終わりだろう。
出来るとしたら、司令官のみを狙うくらいだが、それも、あの軍勢を前にしてはできうるのか分からない。
しかし、このまま放っておいても、あの軍勢はグリーフ国をいともたやすく打ち破り、その技術を奪い、人民を殺して回るだろう。
強い軍隊を持たないであろうグリーフ国にここまでの軍勢を送りつけるとは、よほど警戒することがあるらしい。
おそらく、それは自身のことなのだろうと、ウオールは想像した。
――良い作戦だ。まともな装備も策もない私を打ち破るには、数をぶつけるのが一番だろう。こざかしい手を考えて、破られてはおしまいだからな
しかし、ここは、時間を稼ぐほかない。
いくら大群だとしても、同時にウオールに斬りかかれるのは数人。
いつか限界は必ず来るが、数人程度ずつであれば、相手は出来る。
武器がない状態でどこまでやれるか。
ウオールは覚悟を決めて、拳を握りしめる。
ふと、先程の夢が脳裏に蘇る。
自分が殺されるのはいい。もとより覚悟の上。
しかし、ジャスに恨まれてしまうことが、何よりも苦痛であった。
罪悪感が再び訪れる。
自分を慕ってくれる女性を、殺してしまう。
しかし、自分が今守りたいものは、ティアなのだ。
比べようがない命の重み。
それに悩んで足が上手く動いてくれない。
そこへ、先程の馬が蹄を鳴らしながら後方よりやってきた。
その上に、髪を結んでいないジャスが騎乗している。
「ウオール先生、もしかして、私を置いていこうとしてました?」
「い、いや」
「何を今更、罪悪感などというものに負けそうになっておられるのですか。あなたが守れるのは、もう娘のティア殿だけですよ。私は、もしあなたにおいて行かれても、後で一人であの軍勢に立ち向かいますから」
ジャスの顔つきは、明るい。
目は月よりも明るく輝き、不安の一切無い笑顔を浮かべている。
そうか、とウオールは呟く。
どうしたとしても、ジャスは、死ぬ気なのだ。
もう、自分にはどうしようもないことなのだ。
ならば、どう死なせるかが、自身にとって最大の試練なのかもしれないと、ウオールはしばらく目を瞑って考える。
「ジャス、共に、戦おう」
「ええ、お供しますね」
ジャスはそう言って、馬から降り、ウオールの首元に腕を絡めて口づけをした。
二度目のキス、きっと、最後のキスだ。
「愛しています」
「ふ、ここ数日でここまで女性らしくなるとは。恐ろしいな、女という生き物は」
「愛する男のためですから」
二人で並んで歩き出す。
森を一歩出た。
焦げ臭い臭いが辺りに香り始めている。
ウオールは、鋭い目で、迫ってくる大群を見据えた。




