ティアの願い 5
ジャスが、池で水を汲んでいる。
周囲では数多の草食動物たちが同じく水に口をつけていたり、身体を浸らせていたりして、のどかな空間が作り上げられていた。
もくもくと、森から一本の細い煙が昇る。
そこから肉の焼ける香りが広がって、ジャスの鼻孔を刺激してきた。
「もう、できたみたいですね」
なぜか懐いてくる馬の子供の頭を撫でながら、ジャスは水をくみ終わった袋を手に、池を離れる。
煙の上がる元に向かって森の中を歩き、見えてきたのは相変わらず大きな図体のウオール。
「ちょうど焼けたぞ」
「私、少し意外でした。ウオール先生は料理が出来ないものかと」
「むしろ逆だな。料理は出来ていた方がいいぞ」
ジャスはその言葉にむっと顔をこわばらせる。
ジト目で見つめられることに耐えかねたウオールは、何かまずいことを言っただろうかと内省するが、全く見当も付かない。
諦めて、暑さのせいではない汗を頬にかきながら不機嫌そうなジャスを見る。
「私は、何かまずいことを言っただろうか」
「ええ、ええ!ウオール先生、あなたは私が女であることを忘れてはいないでしょうか」
厳しい表情のまま、ジャスは顔を近づけてくる。
ウオールは思わず身を引きながらそうだったと思い直す。
そう考えると。「料理は出来ていた方が良い」という発言は失礼だったのかもしれないと反省された。
しかし、まてよ、とジャスを見つめ直す。
「な、なんですか」
「ジャス、料理が苦手か」
「……料理が出来ない女はダメですか」
「い、いや。そういうわけではない。苦手なら苦手で良いではないか。私が出来るから任せて欲しい。ジャスは女だからとか関係なく、自分が出来ることをしてくれたらありがたい」
落ち着いた声でウオールは語る。
ジャスは不機嫌を体現したような顔を徐々に唖然したものに変化させ、ウオールの言葉に目をそらしながら頷いた。
「ならいいのですが」と照れ隠しのような言葉を添えて。
ウオールは完全にジャスとの距離感を見失っていた。
女性的な一面を惜しげも無く見せるようになったジャスに、ウオールはどう接していいものかわからない。
しかも、以前「嫁になってもいい」という発言があってから、ジャスの思いも察しかねている。
弟子として鍛えてきて、国属騎士となり自分と共に働くようになった。
その中で慕われているのは分かっていたが、それは男女の間に生れるような恋慕の感情であったのか、それとも違うのか。
ジャスはどのような考えであの発言をしたのだろうか。
ウオールは腕を組んで考えこむ。
呻りながら目を瞑っているウオールをよそに、ジャスは慌てながら焦げそうになる串のような枝に刺された肉を、火の中から持ち上げた。
「ウオール先生、食べませんか」
「……おお、そうだったな」
肉を頬張る。
そのときもウオールはジャスを見つめた。
ジャスは肉を小さな口の中に入れ、ゆっくり咀嚼する。
口元に手のひらを置き、行儀の良い娘のようにウオールには映った。
「ジャス」
「はい?」
「お前は、以前から私のことを、その、恋慕の感情を持って見ていたのか」
「以前、といいますと、城にいた頃から、でしょうか。そうですね、そうかもしれません」
ジャスは顔を少し赤くしながら言う。
ウオールは更に続けて質問した。
「そうかも、とは?」
「別に、ウオール先生は妻子のある身でしたし、嫁ぎたいとは思っておりませんでしたよ。しかし、今こうして男として生きる必要がなくなってみて、女として共に過ごそうと思えるのは、ウオール先生以外にはいないと思えたのです」
ジャスは自分で長く語りながら顔を更に赤く染めていく。
言葉の終わりにはウオールの方に身を少し寄せ、その強靱な肩を触れた。
やけにその手が熱くて、ウオールも動悸を速くする。
仏頂面が赤く染まる。
気持ちを落ち着かせるために数回深呼吸をし、残っていた自分の肉をまとめて口の中に放り込んだ。
妻であったチークは、裏切り、王と共謀して自分をおとしめようとしてきた。
ウオールにとって、もはや家族と呼べるのはティア一人。
そのたった一人の娘も、今は遠くのグリーフ国で治療を受けている。
ウオールの心の中には、寂しさが大きくあるのだ。
しかし、ウオールはそれを自覚しながらも、ジャスでその寂しさを埋めると言うことに抵抗があった。
彼女は弟子であり、自分のせいで立場を失って、これから戦いの中で死のうとしているのだ。
罪悪感がより強くウオールの中に芽生え、思わずジャスに向けて謝罪を口にする。
「すまない、ジャス」
「どうしました?そんな急に」
「私も、お前がいて心強いし、嬉しさもある。しかし、お前と男女の仲になることは、私にとって、お前で寂しさを埋めてしまっていることに他ならない。私は、お前を恋慕の気持ちで見たことはないのだから。しかも、私は、自分の思いにお前を付き合わせて、命を失わせようとしている」
ウオールは暗い声で語るが、ジャスはこの言葉の終わりに、あまりに唐突に、ウオールの目の前に立った。
そして、驚くウオールの顔を見つめ、「失礼します」とささやくと、腰をかがめ、ウオールの唇に自分の唇を重ねた。
ウオールの視界がジャスの顔で覆い尽くされる。
長いまつげと、閉じられた瞼。
微かに赤く染まった滑らかな頬。
細い身体。
ウオールは驚きのあまり反応できず、しばらくされるがままにジャスの唇を受け入れていた。
数秒たって、ジャスが緊張した面立ちで唇を離す。
肩で息をしている彼女に、ウオールは何の言葉も書けることが出来ない。
銅像のように硬く硬直したままだ。
キスの後、最初に口を開いたのはジャスの方であった。
「私は、自分で望んでウオール先生についてきたんです。ウオール先生がそのことを罪に感じることはないんです。ウオール先生は、私の思いを受け入れるかどうか、で良いんですよ」
ジャスは少し照れくさそうに笑いながら言う。
ウオールもつられて頬が緩んだ。
瞳を潤ませて、微笑みを浮かべる。
そして、再度「すまない」と呟いた。
「そんなこと言ってると、もう一回しますよ」
「それは、勘弁してくれ……」
二人で冗談めかして笑い合う。
この二人の関係を、なんと呼ぼうか。




