ティアの願い 3
やがて歌が終わる。
民衆による拍手と喝采が送られ、白服の歌い手達は予想外の賑わいに戸惑いながらも、嬉しそうにお辞儀をした。
ティアも目を開き、彼らに拍手を送る。
白服の歌い手達が挙って教会に入っていくのを見守りながら、ティアは心の中で音の余韻を感じていた。
この場を離れたくないという思いが無意識に足を動かすまいとしている。
ヒールはそんな彼女を見て、子供を向けるような優しい目をしていた。
「何をお願いしたの?」
ヒールが穏やかな声で尋ねる。
ティアは首を振って「言わないです」と呟いた。
「言ったら、叶わないような気がする」と。
ヒールもその考えには首肯した。
民衆が二人を残して散会しきった頃、一人の老婆がティアを見つけて近づいてきた。
ヒールがその姿に気づいて声をかける。
「テルおばさん、こんにちは」
「……おお、男女が教会の前で愛を誓い合っておるわと思えば、あんたか。ようやく薬以外の嫁を見つけたか?」
「ははは、残念ながら彼女は嫁ではないのですよ。他国からいらっしゃった患者です」
テルおばさんと呼ばれた強気な老婆は、ティアの全身を下から上に眺める。
意味ありげに深い息をつき、ティアの目を見つめた。
「あんた、いくつだい」
「え、えっと、たぶん十五です」
「たぶんか。まあ、あんたほど若いのに、ここまで線が広がってて、まともに過ごしてきた人間であるわけがないわな」
ズカズカと土足で心の中まで入ってくるような言葉に、ティアはたじろぐ。
それでもテルおばさんは目を離さない。
じっと、見透かすように瞳の奥まで見つめてくる。
恐ろしくなって思わずティアはヒールの後ろに隠れた。
ヒールはため息交じりに言う。
「テルおばさん、そんなに言わないでやってくれるかな。あと顔が怖いんだと思うよ」
「なんじゃと?貴様乙女にそんなことをいうて、神に雷でも落とされても知らんぞ」
「ティアが怯えてる。神様はきっと彼女のことも見てくれているさ」
乙女ってところには突っ込まないのね、とティアは心の中で呟く。
テルおばさんはふんっと鼻を鳴らして踵を返すと、ティアに向かって言う。
「ティアじゃったな。儂に絵を描いて欲しければ、そこのヒール坊やに頼むがいい」
それだけ伝えて、彼女は曲がった腰を気遣いながらゆっくり歩いて行く。
道行く人々は彼女に向かっても親しげに挨拶をしていた。
ティアは絵のことが気になってヒールの顔をのぞき込む。
「エって何?」
「え、もしかして絵も知らないの!?」
「し、知ってはいると思うんですけど、テルさん?が言ってたのはなんです?」
「あ、ああ。そうだよね。さすがにね、絵がないと国の紋章とか鎧のデザインとか出来ないしね、びっくりした」
ほっと息をつき、ヒールは続ける。
「えっと、水彩画って分かる?」
「スイサイ?」
「あー、とりあえず君の国は芸術が盛んではないんだね」
ブツブツ呟きながらヒールは頭を抱える。
ティアはよく分からず首をかしげた。
しばらくすると、ヒールが顔を上げて自分を鼓舞するように「よし」と呟いて、ティアに「ちょっと歩こう」と声をかけた。
ティアは不思議そうに頷く。
歩きながら、ティアは再び町を眺める。
小さな家々も、なんだか愛着がわいてきて、ここに住んだらどんな暮らしになるだろうと想像し始めた。
こんな姿の自分でも、人々は話しかけてくれるんだろうと、考えると思わず笑顔になる。
そのとき、ある一軒の家の白い壁に、綺麗な花が描かれているのを彼女は見つけた。
思わず足を止める。
それに気づいてヒールも立ち止まった。
「どうかした?」
「あれ、もしかして絵?」
「そうだね。壁画。この先の家にもたくさんあるよ」
ヒールに促され、再び歩き出す。
言われたとおり、道を囲む家々の壁には、様々な形の壁画が描かれていた。
鳥の絵が小さくあるものもあれば、大きな木が堂々と描かれている外壁もある。
視線をずらせば全く違う景色が見える空間に、ティアは心を躍らせた。
「すごい!」
「いいでしょ。ぜんぶこの国の絵描きが描いたものだよ」
「綺麗……お父さんと、見たいな」
ティアは笑っているが、その細めた目には悲しみがすこし滲んでいる。
ヒールはその瞳を見て見ぬ振りをした。
それでも、心の中で、彼女の言葉がヒールの決意を更に強くする。
――絶対に救ってみせる。今度こそ、救ってみせる。君の悲しみを、消してみせる。
もう少し歩くと、周囲の家とは一風変わった作りの建物が一つあった。
扉はなく、人が五人並んで建てるほどに開けた入り口。
ありとあらゆる自然のものが描かれた外壁。
真四角の、大きな建物。
大きすぎる入り口故、中の様子は外から丸見えだ。
「着いたよ、ここだ。」
「え、中はみていいんですか?」
「いいよ。誰でも出入りできる場所だから」
ティアはおそるおそる中をのぞき込む。
誰でも出入りできると言うことは、きっと誰かの家ではないのだろうけれど、何の施設なのか想像も付かない。
中をのぞき込んだティアの目に、見たこともないような光景が映る。
「き、汚い」
「なんじゃと小娘え!……さっきの、ティアか。早速来たのか」
ティアにしわがれた声で怒鳴ったのは、先程のテルおばさん。
曲がった腰を椅子に置き、筆を持ってキャンパスに何かを描いている。
ティアはヒールに入って良いのか表情と腕の動きで確認し、ヒールが頷いたのでその建物へ足を踏み入れた。
足の踏み場は少ない。
そこかしこに丸められた紙や筆、絵の具が入っていたのであろうものが落ちている。
外壁と同じく、内壁にも様々な絵が描かれていたが、建物内には額縁に入った大きな絵が少し飾られていた。
どれも絵とは思えないほどにリアルで、おそらく町の情景や、先程の教会を描いたものがある。
「あの、ここって?」
「なんじゃ、きいてきたのではないのか」
「はい」
「はあ。ヒールは人任せじゃのう。ここは儂のアトリエじゃ」




