ティアの願い 2
「この声、とっても綺麗です」
「声?歌のこと?」
ティアは外から聞こえてくる音に耳を澄ました。
穏やかな音形。思わずゆっくり瞼を閉じ、リズムに合わせて身体を動かす。
青年はティアの反応が少し気になったのか、首をかしげながら問うた。
「君は、この歌を聴いたことがないのかい?」
「歌って、なんですか。よくわからない」
「そうか、君が暮らしてきた国には、歌がないんだね」
青年はティアの手を取って立たせ、部屋から連れ出した。
粗末な作りであるが、長い廊下にはいくつもの部屋につながった扉が並んでいる。
たまに扉が開いているものがあり、ティアは中を覗きながら歩いて行く。
自分と同じようにベッドに寝かされて目を閉じている人もいるが、それ以上にベッドから降りたり身体を起こしたりして、明るい顔で人と話している患者が多い。
「ここ、病院なんですよね」
「そうだね。病院だよ」
「病院なのに、みんな元気そうですね」
「……ははは、そう見えるかい。なら良かったよ」
青年は少し含みがありそうな言い方をする。
ティアはそれに気づかず、まだ一つ一つの部屋の様子を眺めていた。
かなり大きな病院のようで、しばらく歩き続けた。
少しティアの息が上がる。
青年が気を遣って何度か声をかけるが、「大丈夫です」の一点張りで、青年は内心、強情な人なんだな、と苦笑した。
彼女は敬語でこそあるものの、かなり強気な女性のようだ。
逆に、ティアから見た青年はかなり社交的な印象だった。
長い距離を歩いていれば、多くの看護婦や患者に出会う。
彼はその一人一人に頭を下げ、時には相手から話しかけられることもあった。
特に患者から話しかけられることが多く、「また病室に来てくださいね」と好意的な言葉をかけられている。
「あなたって……」
「ヒールだよ。ティアさん、ぼくの名前」
「ヒール先生?」
「うーん、別に医者ってわけじゃないけど、そう呼んでる人もいるね」
ヒールは照れくさそうに笑う。
その表情がまた人が良さそうに見えて、ティアは安心した。
多分、お父さんの決断は間違ってなかった。
この人となら頑張れそうだ、と思えたのだ。
息が勝手に整って、ヒールと足並みをそろえて病院に出口に向かう。
日の光が直接肌に当たり、少しヒリヒリした。
だんだん慣れてきて、細めていた目がはっきり開かれる。
広がっている景色は、なんとも特殊な光景だった。少なくともティアにとっては。
「ここが、グリーフ国さ」
王国とは似ても似つかない町並みである。
家の作りこそ王国と変わらない石造りであるが、一軒一軒はすごく小さく、一階建てのものばかり。
道も余り整備されている感じはせず、雑草や花が各所に生えている。
時折大きな木さえ鎮座して、その下で小柄な動物と子供がじゃれ合っていた。
決して整って美しいといえない情景であったが、ティアは町の人々が行き交う様子を見てこの国に興味を惹かれた。
王国の昼間ほど、人通りは多くない。
歩けば誰かの足を踏んでしまうような人混みはない。
道行く人は数えられるほどしかいないが、それ故に一人一人がよく知った者同士のように顔を合わせれば会話をしている。
母と子が一緒に歩いているところに、母の友人がやってきいて会話を始めれば、子供は木の下で丸くなる動物を撫でに行った。
「後ろを見てごらん。ここが病院で、隣にある大きな建物が教会」
ヒールに促されて後ろを見る。
病院は周囲の家屋に比べて数倍大きな建物であった。
外装は地味で、真っ白に塗られている。
ティアの目を惹いたのは教会だった。
天を刺すほどに伸びた時計台。
その頂点は三角屋根のような構造になっており、全容は見えない。
なにやら空洞があるようにも見える。
「大きいでしょ。この教会はこの国と、協定を結んでる他国との友好の証なんだ」
「友好の証?」
「この国の持ってる技術と、他の国の技術を交換しあって、ともに進んでいこうってさ」
「へえ……すごい場所なんですね」
空とともにあるような教会を眺めていたティアの耳に、再びあの歌が聞こえてくる。
その主を探すと、教会の入口の階段に並んでいる、白服の集団が目に入った。
「君が好きなのあれだね。コラール」
「なんですか、それ」
「神をたたえる賛美歌さ。一口に言ってもたくさんあるんだけど、聞き心地はどう?」
「……最高。すごい、空に昇っていけそう」
ティアはすっかりコラールの虜だった。
ヒールはもう何も説明なんていらないだろうと思い、隣に並んで歌う集団を眺める。
ティアは手を胸元で合わせ、神に祈るかのように目を閉じた。
その様子を見た周囲の人間達が同じように手を合わせ始める。
彼等は何かを祈っているようだった。
いつの間にか白服の集団を取り囲み始めた人々の中心で、ヒールはティアにささやく。
「ティア、何かお願い事はある?」
「え、なんですか急に」
「なにか、叶えたい思いがあるのなら、神様に向かって祈ってみなよ。もしかしたら、神様は君を助けてくれるかもしれない」
「神様って?」
「この世界を作った存在さ」
ティアはその言葉の意味を理解することが出来なかった。
この世界を作ったという、ヒールの言葉はあまりに壮大すぎて、イメージが全く浮かばない。
しかし、ティアは自分の顔に触れる。
紫の線。
次に腕に触る。刻まれている。
お腹に触る。刻まれているのだろう。
神様は、この病気を作ったんだ。
「……私の病気は、ヒール先生が治してくれるんですよね」
「それは、確実ではないよ。全力は尽くす」
「じゃあ、私、決めました」
ティアは再び手を合わせ、澄み渡る青い空をまっすぐ見つめた。
コラールが背中を押してくれる。
自然に目を閉じ、祈る。
――神様。私のことは良いです。お父さんが、幸せになりますように