ティアの願い 1
3章開始です。よろしくお願いいたします。
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瞼が軽い。そんな気がして、彼女は目を覚ます。
光がどこからかやってきて、身体中を撫でられているようだった。
日の光に歓迎され、彼女は思わず身体を起こす。
身体が軽い、腕が肩から上に上がる。
目を丸くして、自分の身体を触れていく。紫の線は消えていない。
彼女は、ウオールの娘、ティア。
あたりを見回し、いつもと違う様子に唖然とするが、自分の身体の調子からここは警戒しなければならない場所ではないんだと直感する。
試しにあっあっと発声し、病気になる前に戻ったような気分になった。
もう私は完全に治療されたのだと、一瞬の希望を感じる。
しかし、紫の線は無情にも身体に存在する。
鉄格子の中に入れられたときは顔だけにあったはずだ、いまとなっては腕やお腹まで線は伸びてきている。
悲しげに服をめくり身体を見回すティアの耳に、なにやら不思議な歌声が聞こえてくる。
やわらかく、響きわたる声。
一人のものではない。
いくつもの声が重なり合って、ひとつの和声を形成しているのだ。
和声という言葉をティアは知らない。
そもそも歌というものさえ、まともに聞いたことも歌ったこともない。
胸の内が癒やされるような心地に、ティアはベッドに座ったまま身体を左右に揺らした。
そこに、一人の青年がやってくる。
ボロボロの薄い扉を開いて、覗くように目をこらしながら入室する。
その青い目がティアを捉えると、彼はほっと息をついた後に爽やかな笑顔を見せた。
「やあ」
「はい」
「目が覚めて良かったよ。薬が効いたんだ」
「薬?この病気に効く薬はないって聞いてたんですけど」
青年は少し目を細めながらティアの腕に伸びた紫の線を優しく撫でて言う。
「治すための薬じゃない。症状を和らげるためのものさ。君の紫の線がきえていないのがその証拠だ」
「……そうですか。あなたはお医者様?ずいぶん若いんですね」
「駆け出しの薬師さ。君の病気を治す研究をしてる。君が来たときは驚いたよ。君の父親が君を連れてこの国にやってきたんだ」
「お父さんが!?」
ティアははっとして勢いよく立ち上がる。
驚きに満ちた顔つきで青年を上から見つめ、「どこにいるんですか!」と問いかける。
青年はティアの唐突な行動に落ちついて対応する。
まあまあ、と声をかけながら肩に手を置いてもう一度ベッドに腰掛けさせる。
そして、安心させるように優しく語りかけた。
「お父さんは、この国には入れない。事情があってね。だからここにはいないんだ」
「そうですか……」
「お父さんは、君に少しでも良くなってほしくて、手放してでもこの国で治療を受けさせようとしたみたいだよ」
ティアはその言葉を聞いて、ウオールの気持ちに涙しそうになった。
病気になった自分を、いつも只一人、見舞いにやってきてくれた父。
責任ある立場にいながら、病気になることも恐れずに。
もう病気なんて治らなくても、父と一緒にいられればいいとさえ感じていたティアだったが、ウオールはティアを少しでもよくすることを選んだ。
「お父さんには、会えないんですか」
「難しい。……君の病気は、さっきも言ったが、治すための薬を処方しているわけではない。今それは研究中だ。病気が治らなければ、君はあと数年で死んでしまう」
「数年……」
「そうだ。お父さんは、君に少しでも長く生きてほしかったんだよ」
「どうせ死ぬなら、お父さんの近くにいたかった!!」
ティアの慟哭に近い声が響き渡る。
そのままうつむいてしまう彼女を、青年は優しい瞳で見つめ続ける。
心配になってやってきた看護婦たちを言葉ではなく手で制し、青年はティアの顔をのぞき込んだ。
「ぼくはね、君をこのまま殺すつもりはない」
「……」
「言ったろう、今薬を研究中なんだ。君が死ぬまでに、治すための薬が出来るかもしれない。だって、症状を抑える薬が出来たんだ」
青年の言葉は強く、覚悟に満ちている。
言葉が紡がれる度に、青年の顔は真剣なものになっていく。
優しい表情から、戦場で戦う勇敢な兵士のように、ティアの顔を見つめた。
その声と顔に圧倒されて、思わずティアは目を合わせる。
吸い込まれそうな青の瞳。
言葉は強いが、優しさに満ちた心。
それを覗いた気がして、ティアは少し激しく憤った気持ちを落ちつかせていった。
すると次にこぼれてきたのは涙。
一筋一筋が頬をつたっては膝に落ちる。
「ぼくが君を治す。お父さんにも会わせてあげる。絶対ではないけれど、諦めないよ。君のお父さんにも、君が完全に治ることを期待されてるしね」
ティアは頷かなかったが、青年の想いに頼ろうとする気持ちが芽生え始めていた。
ウオールに会うには、この病気を治すしかない。長く生きねばならない。
ウオールが、ティアに生きてほしいと望んだのだ。
自分の手を放してまで。
その覚悟が、ティアには痛いほどわかる。
孤独に狂いそうになる自分を、いつも支えてくれたのは父だけだ。
徐々に動かなくなっていく身体に絶望しそうになる自分を励ましてくれたのは父だ。
必死に自分が生きることを望んでくれているのは、父だけだ。
「……私、戦います。この、病気と」
「わかった。一人で戦うんじゃないよ。ぼくも一緒だ」
青年が手を差し出す。
ティアは「いいの?」と控えめに聞く。
青年はもちろん、と笑いながら大きく頷いた。
少しずつ、手を差し出していく。
手と手が触れたとき、ティアは5年ぶりに人の温かみに触れることができたことに、言葉にならない喜びを感じた。
青年の手を握ると、青年が応えるように握り返してくる。
父に抱きしめられたときのように、安心する。
外からまた和声による歌声が聞こえてくる。神を賛美する歌だ。それは、祈りのようでもあった。




