君に託す幸福 8 (終)
城の居住スペース、その一部屋に、黒髪の青年がノックも無しに入室する。
見張りでつけられている騎士二人の間を通り抜けて扉を開けば、始めに見えるのは豪華絢爛たる家具達と、その一つである椅子に腰掛けて書類を眺める宰相の姿。
黒髪の青年は、宰相の息子である。
宰相は息子の顔を見て、ため息をついた。
不自然な傷が多く付いている。人為的なものばかりだ。
殴られたか、地面に引きずられたか。
宰相は立ち上がり、タンスの一つに入れられた救急用具を取り出す。
しかし息子は「そんなものいらない」と制し、タオルで顔を拭き始めた。
タオルが傷に触れると傷が深く浸透するように痛み出す。
それは自分に血液の流れを実感させ、ドクンドクンと跳ねる鼓動音を身体の内側から聞かせてくる。
「強がるな馬鹿者」
言葉こそきついが、宰相の言葉は哀れみに満ちている。
濡らした白布で優しくつつくようにして傷の汚れを落としていく。
先程までの痛みはなく、息子は情けなさそうに視線をそらした。
「お前は、明日、戦争へ行くのであるか」
宰相は少し淡々とした口調で言う。
グリーフ国への出兵のことを言っているのだろう。息子は軽く頷いた。
やはりそうかと、知っていたように宰相は悲しそうに言う。
傷から汚れが落とされ、痛みがかなり和らいだのを自覚した息子は、父に対して恥を感じつつ礼を口にした。
宰相はその声を聞き入れているようではない。
先程まで眺めていた書類に再び目を通しながら、息子と向かい合う。
「ウオールを、討つか」
「え?」
「お前は、自分の師を討つのであるか」
「それが、王の望みです。あの人は裏切り者でしょう。騎士を三人も殺している」
宰相は資料から顔を上げずに息子のと言葉を聞いた。
すでに洗脳は終わっているということか、と。
おそらく弟子の誰もが息子と同じ想いであろう。弟子が師を寄って集って討つという地獄。
こんな残酷なことがあって良いのか、宰相は資料を強く握りしめる。
「息子よ」
「はい」
「疑え。当然と思うことこそ、疑うのだ」
「と、いいますと?」
「他者が定石と言い張ることを、根拠なく信じるのではない。疑え。自分はそれでいいのかと」
息子は怪訝な顔をした。
父が説教垂れるのはいつものことであるが、今日の言葉は重みを感じる。
近頃父の様子がおかしいのは分かっていた。
その原因は考えるまでもなく、ウオールは消えたことである。
父とウオールの信頼関係は、騎士と役人の間にある業務委託的なものを越えていた。
それ故に、ウオールの修行でなかなか強くなれない息子を、父はよく責めるのだ。
息子は部屋の壁に掛けられた自分の剣を見つめる。
明日、あれを持ち、師のもとへ向かうのだ。
勝てる気などしない。皆で、裏切り者への制裁を加えるのだ、自分一人の力ではないのだから、死にはしないだろうと、息子は思っている。
王が言うのだからそれに従うべきだと、心の中で呟く。
しかし、父の言葉がその心に小さな杭を刺した。
無視しようとすればできるほどのもの。
父の悲しげな顔と、重い言葉。
それがどうにかなりそうなほど深くまで刺さってくる。
奥に奥に、無視できない心の痛みが巡る。
これは、父の痛みだ。自分の痛みではない。
「自分はそれでいいのか」、それでいいのだと思っていた。
この剣は、誰に教わったものなのか。その意味が重く息子の心に宿り始める。
二章、終了です。次回、怒濤の展開の三章、始まります。
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