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最も目立たないであろう深夜。時計の針が頂点より少し下った辺りの時間。フェリシアは息を潜めて、王宮のエントランスにいた。
この時間には王宮の使用人も自分たちの寝所に戻っているために、フェリシアの様に出歩いている人間は全くいない。この王宮から誰にも知られずに出るには最適な時間だ。
与えられた部屋にはありがちだが、”旅に出ます。探さないでください”という旨の手紙を残してきた。多分わざわざこんなことをしなくても、自分を探す人間などいないだろうと思いながら。
誰もいない王宮は旅をしていた時の野宿を思い出させた。状況も環境も全く違うのに、誰かに見つからないかという緊張感と音一つない静寂が思い起こさせるのだ。
だがそこに思わぬ声が掛かる。
「フェル……?」
「――――ッ!!?……ディラン?」
一応周りの気配には気を配っていたはずなのに、いつのまにかディランが背後に立っていた。驚きで一瞬思わず叫びそうになるが、フェリシアはディランだと分かるや否や鋭い視線で睨んだ。
「そんなに睨みつけるなよ。……お前、こんな時間にこんな場所でこそこそと何をしているんだ?まさか、どろぼ――」
「そんなわけないでしょう!?」
確かにこそこそとしていたのは怪しいだろうが、流石に泥棒扱いはいただけない。フェリシアは声を潜めながらも、ディランの言葉を遮って反発した。どうやらディランはフェリシアの行動が怪しいという理由だけで声を掛けてきたようだった。
「お前が怪しいのが悪い。……それで、何をしているんだ」
「ん……ちょっと旅に出ようかと」
ディランも同じように声を潜めて聞いてくる。ディランは女性遊びが激しいという欠点はあるが……否、その欠点故かちゃんと空気を読める男なのである。
「こんな時間にか?それに旅に出るだなんて俺は一言も聞いた覚えがないぞ」
「まあ、思い付きって感じだから」
「思い付き?どこか行きたいところでもあるのか?」
「……別に、ないけど」
本気で心配そうに聞いてくるディランに嘘を吐く気概はなかった。それにディランとフェリシアはそれなりに昔からの仲だ。きっと下手に嘘を吐いたとしてもすぐに見破られてしまうだろうことは簡単に想像できた。
「じゃあ、なんで――まさか殿下が何かしたのか?」
「いいえ、彼は何もしていないわ。……少し、ショックなことがあったの。私自身の整理がつかないだけ。だから、王都から暫く離れたいだけ。できれば誰にも知られずに」
そう。これはフェリシアがユリウスの行動に勝手にショックを受けただけだ。だからユリウスは関係ないのだ。
「誰にもって……イリスや殿下、パーティの仲間にも、か?」
「ええ。出来れば貴方にも知られたくなかったけどね」
嘘は言っていない。正確には少しどころのショックではなくかなり追い詰められている。それに期間も暫くではない。出来れば一生ユリウスとイリスがこれから幸せに暮らすであろう王都には近付きたくない。それほどの覚悟の上での行動だった。だから、それがバレないように嘘と本当を交えて話した。
「ふーん。あー、それなら俺の実家に来ないか?」
「え……?」
顎をポリポリと掻きながら、フェリシアから視線を外し、明後日の方向を見てディランはその言葉を言い放った。てっきり事情を深く聞かれるか、イリスの世話のために行かないように説得されるかと思っていたフェリシアは、ディランの思ってもみない発言に目を丸くした。ディランの実家といったら、イースディールの最北端に位置するアッシュブレイド辺境伯――イースディールで最も堅牢な城塞と言われていた場所だ。
「あれだ。その……変な意味じゃなくてな。俺のところは魔王の領地がそれなりに近かっただろう?だから領地内の被害が激しくてな。人手が足りないんだ。……働いてくれるならそれなりに給料は出すし、働くのが嫌だったら別に俺の家でゆっくりしていてくれて良い。お前は魔王討伐で十分に働いたしな。誰にも文句は言わせねえから、安心しろ」
「…………いいかもしれない」
「本当か!?」
(そういえば、ディランは美形だった)
普段は下らない言い合いばかりで、あまり意識することはなかったがディランはかなりの美形なのだ。基本的にユリウスしか見ていなかったフェリシアはかなり動揺する。
ディランとの付き合いは長いものの、男性耐性及び美形耐性があまりないフェリシアは少し赤面する。あるのはエントランスに備え付けてある夜用の最低限の炎魔法の明かりだけなので、きっとこのくらいの赤面ならば、火で照らされている故の色だと思われ、おそらくは気づかれていないだろうが、明るかったらきっとこんな変化にも気づかれて揶揄われていたことだろう。
「それに、別にそこまで休みは求めてないからいさせてもらえるならちゃんと働くよ」
「それはありがたい。いやー、言ってみるもんだな~」
やはりフェリシアの表情の変化にはディランは特に気づいた様子はなく、それどころかフェリシアが”働く”と言った後は、とても嬉しそうにはにかんでいた。その表情は無邪気な子供っぽくて、思わず見惚れてしまう。
「それじゃあ、行くか……!」
「へ?」
ディランはフェリシアの手を握ってずんずんと歩き出す。ディランの顔をじっと見つめていたフェリシアは思わずつんのめりそうになるが、倒れる前に彼の鎧越しの筋肉質な胸板に支えられ、なんとか持ち直した。
「行くってどこに?」
「どこって……俺の実家に決まってるだろ」
一点の迷いもなくディランは答える。
「今は夜中よ!?数日はかかるとしても、一度連絡取ってからじゃなくていいの??いきなり帰ったらご両親も怒るでしょう?」
「それなら問題ない。近々帰ることは元々伝えてあったし、帰る人間が1人増えた所でそんな変わらないだろ」
「相変わらず……雑!」
「別にいいじゃねえか。お前もさっさと王都から離れたいんだろう。こんな夜中に抜け出すくらいだしな」
確かにすぐに王都から出られるのはありがたいが、ディランの雑さにフェリシアは呆れた。
「……確かにありがたいけど」
「じゃあ、決まりだろう」
そういうわけでフェリシアはディランに連れられ、夜中の内にアッシュブレイド領へと発つことになったのだった。