貴方を見守り、助けよう
風邪を引いた。それも、かなり酷いものを。
私は38.2℃と表示されている体温計をぼうっと眺めながら、どこか遠くに聞こえる愛猫のクロとシロの鳴き声を聞いていた。彼らは子供の頃から一緒にいる大切な家族だ。
体が熱い。けれどとても寒い。
とりあえず上司に電話して休ませてもらわなければ、確実に悪化するし道中も危険だ。
傍にあるスマホを手にとって、ぼんやりとした頭を無理矢理動かしながら上司と連絡を取る。幸い、上司は大事をとって四日も休みを入れてくれた。その分は元気になった後きっちり働いて返すんだぞ、と言われてしまったが、元々そのつもりだ。その時までしっかりと休ませてもらおう。
それにしても、意識が朦朧とする。体が痛いし、熱いし、寒いし、しんどい。
冷蔵庫に作り置きないし、一人暮らしだからご飯作らなきゃいけない。でも怠すぎる。起き上がる気力も削げる。
朝からこれでは、夜になったらどれだけしんどいのだろう。想像するだけで憂鬱だ、ご飯は多めに作っておこう。
クロとシロがキッチンでまた鳴いている。朝ご飯が欲しいのかもしれない。私は気怠い体を動かして、ふらふらと起き上がった。
***
ぼんやりと、意識が覚醒する。同時に襲いかかってくる体の痛みに、ふ、と息を漏らす。
非常に寒い。何故か床で寝ている。原因を探すために、意識がなくなる前のことを思い出した。
……そうだ、立ち上がった時に眩暈が酷くて倒れたんだった。体の節々はとても痛いけど、頭を打っていないようでひとまず安心した。
とはいえ体調が悪すぎることに変わりはない。怠すぎて起きあがれないのだ。このまま床で寝ていたら更に悪化するとわかっていても、どうにもならない。
寒い。寂しい。死んじゃいそう。誰か助けて……
痛みと熱のせいで、私は再び意識を飛ばした。
***
「……あれ…」
次に目が覚めたら、何故かベッドの中にいた。おかしい、自分で移動した記憶がない。
もしや床で寝ていたのは夢だったのかと考えて、顔の横で丸まって眠っている愛猫クロの存在に気が付いた。
「…クロが寝かせてくれた、わけないよね……」
頬にくっついた柔らかい毛並みの背中が、大きく息を吸い込んでふうと溜息をついた。そんなわけないだろ、と言いたげだ。
暖かくて柔らかい、心地よい感触に頬ずりする。体はとても重いけれど、傍に愛猫が居てくれるのが私の心を軽くしてくれた。
「また、眠く……」
薄れる意識の中で、そういえばシロはどうしてるんだろうと思った。
***
「留守番ご苦労様です、クロ」
「買い物ありがとな、シロ」
ご主人様が眠っている内に、私たちは静かに活動する。
私たちは猫又と呼ばれる妖怪だ。私はシロと呼ばれていて、クロはクロと呼ばれている。言わずもがな、毛色がそのまま名前になった。ご主人様と出会ったのは、とても寒い日。凍えて死んでしまいそうな日に、彼女は私とクロを拾ってくれた。
人に化ける力を身に付けているけれど、悪戯以外で活用したのはこれが二度目だ。一度目の時も、ご主人様が病に罹った時だった。
本当は妖怪としての力を使わずにご主人様と共にいたかったけれど、ご主人様の具合が悪い今はそうもいかない。
最初に発見したのは、クロだ。起きる時間になっても、仕事に行く時間になっても出てこないご主人様に、私たちはご主人様の部屋に入った。
そこで目にしたのは、床に倒れ伏したまま震えるご主人様。慌てて私とクロは人に化けて、ご主人様をベッドに戻して毛布を厚めにかけた。
見れば、病に罹っている。たちの悪いもののようで、昨日までの元気さが嘘のようだった。
いつから床に倒れ伏していたのか判断がつかない私たちは、放っておけばご主人様の病状は更に悪化してしまうと考えた。
だから猫又であることを知られる危険も省みず、私たちはご主人様の看病をすることを決めた。ご主人様やその家族のことを見ていて、ある程度人間のことは知っている。買い物も、問題はなかった。
「気付かれないように看病ってのも難しいな」
「えぇ。さて、薬と少しの保存食は買ってきましたが……彼女の様子はどうですか? 起き上がれますか?」
「だーめだ、暫く夢うつつだろうよ。薬棚に行くこともできねーはずだ」
「では、手近な所に置いておきましょうか。バレてしまう危険はありますが、彼女の無事に比べれば些細なもの」
それに一度見られていますしね、と私は続けて言った。彼女がまだ少女だった頃、私とクロは彼女を看病した時に姿を見られている。
「さて、起こしてさしあげましょうか。空腹に薬はよくありませんが、これでは料理する体力もないでしょう」
「仕方ねぇなぁ……」
ぽふりと軽快な音を立てて、私たちは猫の姿に戻った。すぐにベッドに飛び乗り、にゃあにゃあと起床を促す。
***
夢を見た。白いお兄さんと黒いお兄さんが傍にいてくれた夢だ。
ずっと昔に見た夢だった。まさかまた見ることになるとは思わなかった。多分あの時と同じような風邪に罹ったからだと思う。
目を覚ましてみれば、いつの間にか用意してあった薬が視界に入った。続いて、にゃあにゃあと鳴くクロとシロ。
幸い体調は少し良くなった。これなら、薬が飲める。
「あの時のお兄さん、クロとシロだったりしてね」
にゃあ。肯定とも否定ともとれない鳴き方をして、愛猫たちがすり寄ってくる。それを重い腕を持ち上げて撫でた。
風邪を引いて体は辛いけれど、心は寂しくない。私の傍にはクロとシロがいるのだ。
私は少しだけ軽くなった体を動かして、水を取りにキッチンへと歩いた。
多分この後ちょっと減ってるお金とちょっと増えてる猫おやつに首を傾げる飼い主。
並んだ猫おやつの誘惑に勝てなかったシロでした。