フクとの別れ
悲しむ者は幸いです その人たちは
慰められるから… マタイによる福音書
私たち夫婦が、たこ焼きの屋台を始めて三年が過ぎます。
河辺で花火大会のある夏の時季は盛況ですが、それ以外の時季ではとても商売繁盛とは言えません。
それでも何とか夫婦で日々を凌いでます。
常連さんも「二人」できました。
近所の養護施設にいる女の子と、その子が可愛がってるミケという野良猫です。
私たちに子供がないせいか女の子が我が娘のように思えます。
愛する妻と二人の可愛い子たちがいる私は本当に幸福です。
それともう一人常連さんがいます。
少し変わった初老の神父です。
山奥にある古い教会に住んでいて、神父なのに大酒飲み、さらには教会で沢山の野良猫を飼い、近隣から白い目で見られてます。
不思議な事が起こりました。
ミケは雌の老猫で出産経験はありません。
そのミケが月夜に出産したのです。
猫は一度に数匹産むものですが、ミケが産んだのは一匹の雄の三毛猫でした。
雄の三毛猫は大変希少なのです。
その翌日にあの神父が来て妙な事を言いました。
幸福の星の下に生まれた子猫を拝みにきました…
不思議でした。
出産のことは私たち夫婦と女の子の他は誰も知らないはず。
子猫は神父に自ら身を寄せました。
すると神父は子猫を川に抱いて行き、水でその小さな生命を浄めたのです。
子猫は気持ち良さそうでした。
女の子は子猫をフクと名付け、フクは誰にも幸福を招いたのです。
屋台には珍しい雄の三毛猫を見ようと客が大勢集まり、たこ焼きは飛ぶように売れました。
フクが幸福にしたのは人だけではありません。
川原には沢山の野良猫がいて、いつもボスの座を争ってました。
猫同士の喧嘩は相手に深い傷を負わせることもあるのです。
しかし、どの猫もフクを攻撃はせず、寄添い慈しみました。
フクは何の争いもせず、いつの間にか「小さなボス猫」になり猫達に平和をもたらしたのです。
しかしフクは自分を幸福にすることは出来ませんでした。
ある日、女の子と私たち夫婦は教会まで散歩し、ミケとフクも後を付いて来ました。
教会に着くと、神父、保健所の職員、住民の間で問題が起こってました。
神父が可愛がっていた病弱な白猫が一時間程前に死に、神父が木の下に埋葬しようとしたら住民から苦情が出たのです。
神父は懇願しました。
友達のそばで安らかに眠らせてあげたいのです…
板挟みの職員が言いました。
気持ちは解るのですが衛生面など考えますと…
すると住民が怒りました。
猫達には迷惑してるの
それに死体なんて不衛生よ
保健所で処分するしかないでしょ…
するとフクが白猫の遺体に近づき、それを丁寧に舐め、トントンと叩くと白猫が目を覚ましたのです。
主婦達が悲鳴をあげました。
なっ!なにこの猫たち!
気持ち悪い…
神父が謝りました。
何だ寝てたのか、皆様すみません…
保健所の職員は苦笑し、住民達は怒って帰りました。
翌日、屋台に昨日の住民達と動物保護センター(処分場)の職員が来ました。
野良猫の親子に餌付けしてると苦情が入ったので引取りに来ました…
昨日悲鳴をあげた主婦が言いました。
屋台で野良に餌付けするなんて不衛生でしょ…
私は必死に説明しました。
野良ではないのです
この女の子の飼猫です…
女の子と猫の母子は突然現れた来訪者をじっと見つめてました。
じゃあなぜ、いつも川原で野良たちと一緒にいるの
その子が自宅で飼うべきでしょ…
この子は近くの養護施設にいて、そこでは猫は飼えないのです…
じゃあやっぱり野良じゃない…
この猫の親子は女の子の親友です
どうか見逃してもらえませんか…
私は商売もあるので住民を敵に回すのは正直嫌なのです。
ついにセンターの職員が間に割って入りました。
では一匹だけ引き取らせて下さい
残りは責任持って飼って下さいね
皆様もそれでいいですね…
住民達は渋々納得し、視線が私に集まりました。
母にするか、子にするか
それを女の子に選ばせるのか
それは余りに残酷だ
あゝどうしたらいいのだ…
フクを見つめ悩みました。
すると、ある考えが浮かんだのです。
ミケは高齢出産できたのだから又産めばいい…
私がフクを指差そうとしたとき職員が回収車の後部扉を開きました。
フクを可愛がっていた川原の野良猫達がゲージに入れられ泣いてました。
するとフクは回収車に近づき、自ら荷台に飛び乗ったのです。
フクが私たちの方を見て、その小さな手をあげた瞬間後部扉が閉まり、私は心臓が張り裂けそうになりました。
ミケは我が子を茫然と見送り、走り去る回収車を見つめる女の子の目から涙が溢れてました…
自分の卑劣さが憎い
フクは私に罪を犯させないために自ら死を選んだのだ
フク許してくれ
私は商売のことなど気にせず野良猫ではないと断固抗議するべきだったのに…
あゝこの私は自分の幸福のことしか考えなかったんだ…
自分の卑劣さに打ちのめされた私は生まれて初めて懺悔しました。
神父に罪を告白すると彼は言いました。
聖水で心を浄めなさい…
神父は葡萄酒を浴びるほど私に飲ませ、私は酔い潰れ、泣き崩れました。
すると一匹の猫が私の涙を舐めて慰めてくれたのです。
それはフクが命を救ったあの病弱な白猫でした。
終わり