51 ミナとの出会いともう一つの再会
平太が地球に帰還し三ヶ月を過ぎた。
ロナは若干の寂しさを感じつつも日常を謳歌していた。
平太が帰って十日くらいはどうにも調子が上がらず、ドレンやアルネシンに心配をかけたが、今はもう立ち直っている。
最近では手伝いできることが増え、立派な戦力と数えられるようになっている。
「今日の夕飯はなにかしらね」
仕事を終えて、夕暮れの中をほかの住民と同じように家路につく。
すっかり日常の景色に溶け込んでいて、ロナがアサシンだったと思う者はいないだろう。
本人にとってもアサシンの日々は遠い記憶になりつつある。
そんなロナの肩を叩く者がいた。
「誰?」
そう言いつつ振り返ったロナの表情が強張る。心には先ほどまでの穏やかさはなく、絶望ともいえる冷たさで満たされていた。
急ぎ離れようとしたロナはしっかりと肩を掴まれて動けなかった。
「ここまで近づいても気づかないとは衰えたな」
「……どうしてばれたの?」
ロナを掴んでいるのはアサシンとしての技術を教え込んだ師匠と言うべき男だ。
六十才を過ぎた旅装の男で、肩を掴んでいない方の腕には二才ほどに見える幼女が布に包まれ抱えられていた。不安などないかのように眠っている。
男の顔は以前よりも皺が増えていた。だがそれ以上に気になるのが顔色の悪さだ。
「生きていることを知っていたわけではない。死んだと報告を受けたとき、小さくとも墓でも作ってやろうと思い、ここに来たとき偶然変装しているお前を見かけたのだ」
付き合いの深い男だから気づけたのだ。ほかのアサシンが見ても、死んだという先入観から似ている別人と考えただろう。
「生存を確認できていたのなら処刑に来るはず」
「誰にも言っていないからな。お前の生存を知っているのは俺だけだ」
「報告しなかったのはなぜ?」
「できるわけないだろう。追手が死亡を確認した。ならば確実に殺したということだ。それなのに生きているということは、常識から外れたことが行われたということだ。ここは神が住む町。なんらかの交渉で細工を手伝ってもらったのだろう? 神の行ったことに手出しできるはずもなかろうよ」
再現使いがいると思わなければ、そういった考えになるのだなとロナは思う。
男の考えは答えとはずれたものだが、ロナには修正する気はなかった。
エラメーラが関わっていたのは事実で、完全に間違った考えというわけでもなかったためだ。
「今更姿を見せたのは?」
「この子を預けるためだ」
ロナはその子を見て、どこかでアサシン教育のためさらった子供と考えていた。だが自身に預けると聞き、どうやら違うらしいと思う。
「その子はどういった事情を持ってるの? あなたの孫ってわけじゃないでしょ」
「どこか静かに話せるところはあるか」
「町の外くらいじゃない」
人通りが多い夕暮れ時だ、秘密の話をしたいならば家の中か町の外くらいしか思いつかなかった。家に連れて行く気はなかったので、町の外一択になる。
「まあ、それでいいか」
周囲の警戒もしやすいため男も納得した。
二人は町を出て、町を囲む畑から少し離れたところで止まる。
周囲は薄暗く、畑仕事や狩りをしている人は遠目にも見えない。いるのは畑の夜間警備を始めようとしているハンターだけだ。
「それでその子はどういった子。どこぞの貴族の子を誘拐してきたとかそんな感じ?」
ろくでもない事情を背負った子供なのだろうと尋ねる。
厄介事は勘弁だという雰囲気を隠しもせずにいるロナに、男は首を横に振った。
「出自としては庶民だ。王侯貴族の隠し子というわけでもない。危険な能力の兆しがあるわけでもない。問題があるとしたら祖父にだな」
「その子の祖父はどなたでしょう?」
「うちの組織の頭領だ」
「……聞き間違いの可能性があるので確認するけど、組織の頭領と言った?」
「ああ。俺と頭領が親しい付き合いをしていたのは言ったか?」
聞いてないとロナは首を横に振った。もしかしたら言ったのかもしれないが、技術習得に集中していたりストレスのせいで聞き流した可能性もある。
「そうか。今言ったようにあいつと俺は同期で、それなりに仲が良かった。あいつが病気で余命いくばくもないと聞けるくらいにはな。そしてあいつの娘が事故死していたことも聞いていた」
「本当に事故死なのかしらね」
職業柄、恨みの十や二十は買っていそうで、それ関連で死んだのではという意味を込めた。
「さてな。俺は事故死と聞いた。残された孫をあいつは自分で育てる気だったらしいが、死病が発覚しそうもいかなくなった。そこで俺を頼ってきたわけだが、タイミングが良いのか悪いのか俺も死病にかかってな。どうするか二人で話し合い、組織に置いたままにすれば利用されるだけの人生を送りかねないと、外に出すことにした」
「孤児院にでも預ければよかったじゃない」
「それでもよかったが、信頼のおける者に預けたかったらしい。それを聞いて俺はお前を思い出した。人間性は俺が鍛えた者の中で一番だ」
「そのせいでストレス抱えるはめになったけどね」
「すまんな。こっちも自分のことで忙しく気づけんかった」
謝られたところで、ロナは特に思うことなかった。
当時少しでも救いがあれば、なにかしら思うところがあったのかもしれないが、救いは平太とエラメーラによってもたらされ感謝はそちらに向いてる。
(それでもほんの少しくらいは感謝はしてもいいかもね。指導役がこの人だったおかげで、今の私に繋がった)
そんな考えをまったく表に出さずに男を見ている。
先を促されていると考えた男は話を続ける。
「頭領はできるなら孫は綺麗な世界で育てたいと思っていたようでな。ここから抜け出したお前なら、その条件に合うと思った」
「それでこっちに連れてこられても迷惑よ。それに利用しようと考える者たちがここに来るかもしれない」
「幹部には話はつけてある。頭領の寿命が短いこと。俺の寿命も短いこと。俺は勤め上げたことにして組織から許可を得て抜けて、この子を送り届けること。幹部は心の中はどうかわからないが表向き同意した。そして俺はこの子を連れて組織を出て、追跡がいるかもしれないことを考えて、撒くように旅をして今ここにいる」
「私に断られる可能性を考えずに?」
「さすがにその可能性は考えたさ。その場合はこの町の孤児院に預けて、ときどき様子を見てもらうよう頼むつもりだった」
男も都合のよいの頼みをしているという思いはあるのだ。
だからロナが手を伸ばし、幼女を受け取ったことは驚きに値することだった。
男に少しは恩を感じているということは嘘ではなく恩返しという意味もある。しかしそれ以上に今の自分は幸せでそのおすそわけになればと手を伸ばしたのだ。
「組織には思うところしかない。でもこの子自身には関係ないこと。手を伸ばすことでこの子自身に対する助けになるならと思っただけ」
「そうか、助かる」
そう言って男は町に背を向けて歩き出す。
すやすやと眠る幼女から目を放して、ロナは男の背に視線を向ける。
「去るのね。この子がどうなるか見届けると思ってたけど。もしかすると組織への復讐のため、どこかに捨てるかもしれないわよ?」
「捨てるということはないだろう。お前がその子を見る表情からそんなことすることはないと判断した。捨てるにしてもなにかしらの理由があるはずだ」
ロナは自身の顔を手で触れる。
自分ではいつもと変わらない表情のつもりだったが、元アサシンとは思えない作ったものでない柔らかなものだった。
「この子の名前は?」
「マントに縫い付けてある。これまでどういった病気にかかったというメモや多くはないが生活費も入れてある。その子のことを頼んだ。ではさらばだ」
男は一度も振り返らずに夕暮れの中に消えていった。
これからどこに行き、どのように過ごすのか。少しだけ男の未来をロナは考え、すぐに首を横に振って忘れることにした。
「さてミレアはこの子を引き取ることを許してくれるかしら。許可でなかったら、どこかに家を借りないと。これからよろしくね、ええと」
名前を確認しようと幼女を包んでいるマントを探る。そうして白い糸で『ミナ』と縫い込まれた部分をみつけた。
「ミナね。偶然だろうけど、少しだけ名前が似てるのね」
めくったマントを元に戻し、ロナはしっかりミナを抱えて町に戻る。
家に戻り、ミレアに事情を話したロナは許可をもらえて、子育てを始める。幸いミレアに子守の経験があり、教わりながらどうにかやれていく。
上手くやれることばかりではなかったが、仲の良い親子の関係を築くことができていった。
ミナの成長を喜び、ロナ自身にも楽しい思い出を得ることができたのだ。
◆
「とまあこんな感じで私の娘になったの」
「組織の関係か。預かって今日まで向こうから接触とかは?」
「ないわね。成長するまで待ってるのか、それとも本当に関係ない者として扱っているのか。そこらへんはさっぱり」
「そっか。んで俺が聞きたい部分がまだなんだけど。なんで父親が俺なんだ」
ロナは頬をかき軽く笑いを上げるという、以前では見られなかった仕草を見せてから白状するように口を開く。
「一年くらい前かな。ミナに自分にはパパはいないのかって聞かれてね。咄嗟に思いついたのがヘイタだったのよ。こっちには仕事で来ていて、やることが終わったから遠い故郷に帰ったって説明してたの。だからもう会えないって説明したのよ」
「俺もこっちに戻ってくる気はなかったし、その説明は間違ってないわな。なんか親子を捨てた最低男になってる部分はどうかと思うけどな」
平太はミレアを見る。
「ミレアさんは俺が封印されていることは知ってたよね? いつかここに姿を見せることも予想できたはず。ロナに言わなかった?」
「説明する場に私がいればフォローは入れたんですけど、私がいないタイミングでの話でしたので」
「そりゃ無理だなぁ」
「そんな感じでその場をしのいだら、その一年後くらいにエラメーラ様から召喚依頼が来るじゃない? これはきちんと説明しないと駄目と思ったんだけど、パパに会えるってはしゃいだミナを見たら、どうにも言いだしづらくて今日になったのよ」
ミレアやバイルドやたまに遊びに来ていたパーシェもはしゃぐミナの笑顔を曇らせるようなことは言えなかったのだ。
「気持ちはわかるけど、どうすんのさ。このまま父親役をやれって言われても困るというか戸惑うというか」
血が繋がらなくとも平太が拾ってきた子供ならば父親として接することもできるが、いきなり現れた子供に対して父親として接するのは誰だって難しい。
だよねとロナは頷く。
「もともとあの子が十二才くらいになったら簡単に事情を説明するつもりはあったんだよ。それまで父親らしくとは言わないから、邪険にはしないでほしいんだ。だめかな?」
お願いと両手を合わせて頼むロナ。その以前は見られなかった仕草と表情に本当に時間の流れを感じた。
「邪険にするつもりはないよ。嫌われてるわけではないし、子供が泣くところを見たいわけでもないし」
「ありがとう!」
ロナは嬉しげに平太の手を取って上下に揺らす。
ミレアも気になっていたことなので、波乱なく話が終わり微笑みを浮かべている。
「聞いておいた方がいいことは聞けたし、パーシェさんに会いに行ってくるよ」
「再会をとても楽しみにしていましたが、会えずに気落ちしていました。きっと喜ぶと思いますよ。となるとお昼は向こうで食べることになるかもしれませんね」
「どうなんだろ? 念のためお金を持って、あ」
固まった平太にどうしたの? とロナが尋ねる。
ばつが悪そうに平太は顔をミレアに向ける。
「無一文なんだった。ミレアさん、申し訳ないんだけどいくらか貸してもらえる?」
「お金はヘイタさんが帰るときに残したものがありますから大丈夫ですよ」
とってきますねと言ってミレアはお金をしまってある引き出しから平太が使っていた財布を取り出す。
それを礼とともに受け取った平太は、一緒についてくるグラースと家を出た。
楽しそうに散歩気分のグラースとゆっくり歩き、ファイナンダ商店までくる。
ちょうど箒を持って出てきた若い男の店員がいたので、声をかける。
「すみません。ちょいといいですか」
「いらっしゃいませ。なにかお探しのものでも?」
「いえ、パーシェさんに会いに来たのですが、取次願えませんか」
店員は平太の全身を一度見て、口を開く。
「アポイントメントは取っていますか」
「いやそういうものはとってないんだけど」
「パーシェ様は本店のご息女であり、ここのトップです。一般人がアポイントメントなく簡単に会える方ではないのです。お引き取りください」
こういう対応は予想しておらず平太は少し驚くが、急に来た自分が悪いなと伝言だけして帰ることにする。
以前ならばほとんどの店員が自身の顔を知っていた。約三年もたてば新入りも入ってくるかと何度目かになるが時間の流れを感じる。
「では秋山平太が訪ねてきたと伝言をよろしくお願いしますね」
そう言って平太はグラースを促して来た道を戻る。その背からすぐに目を放した店員は掃除に戻る。
そこに中年の男性店員が近づいてくる。
「誰かとの話し声がしたが、客だったのか?」
「パーシェ様を訪ねて来た男がいましたが、アポイントメントも取っていないということで帰ってもらいました」
「用件や名前は言っていたか? それすら聞かずに帰すのは問題だぞ」
「名前は聞いてます。アキヤマとかなんとか」
「もう一度名前を言ってくれ」
「アキヤマヘイタと」
中年の男は急いで周囲を見渡し、離れたところを歩いている平太を見つけるとそちらに急いで走る。
なんでそんな反応を見せるのかわからなかった若い男は首を傾げていた。
追いついた中年の男は平太を呼ぶ。
「ええと、見覚えがある店員さん?」
「お久しぶりです、アキヤマ様」
息を整えた男は深々と頭を下げる。
「はい、お久しぶりです」
「うちの若い者が追い返すような真似をして申し訳ありません」
「いえ、約束をしていなかったのは事実ですから、仕方ない対応ですよ。それでパーシェさんはいますか?」
「はい。あなたに会えると昨日から楽しみにしていたのですが、会えずに落ち込んでしまいまして。どうかお会いになってください」
「そのつもりで来ましたから」
平太のその言葉にほっとした様子で男は店に戻る。
若い店員は中年店員の対応に、まずいことをしたのではと顔を青くしている。
話しかけようとした若い店員に、中年店員は手のひらを向けてあとでと示す。ますます顔を青くした若い店員に、中年店員は大丈夫だからと肩を軽く叩いて、平太たちを連れて店の奥に入っていった。
クビもあり得ると考えていた若い店員だが、案内を終えた中年店員が戻ってきて話を聞き、取次をせずに帰したことを怒られ一ヶ月の減俸という処分ですんだのだった。
「ここでお待ちください」
平太を客室に通し、中年店員は部屋で休んでいるパーシェを呼びに行く。
部屋をノックすると元気のない返事がある。
「パーシェ様、アキヤマ様がお越しになっています」
途端にガタンッと物音がして、小さく「痛っ」という声が聞こえたあと、足音がドアに近づいてくる。勢いよくドアが引かれて、期待に満ちた表情のパーシェが出てきた。
その様子に中年店員は思わず微笑えましいものを感じた。
「ヘイタ様が来ているというのは本当ですか!?」
「はい。客室で待っていただいています」
パァーッと輝くような笑みを見せたパーシェは中年店員にお茶などを頼むと部屋に戻って鏡の前に立つ。
身だしなみを急いで整えたパーシェは部屋を出て、急ぎ足で客室まで移動する。ドアを開く前に一度深呼吸してから中に入る。
ソファーに座っている平太を見つけると思わず目が潤む。駆け寄り抱き着きたい気持ちを抑えて、ゆっくりと歩み寄る。
「おかえりなさい、ヘイタ様」
「ただいま、でいいのかな」
言葉を返してくる平太の隣に座るか、正面に座るか少しだけ悩んだパーシェは隣に座る。
久々に会えたのだから近くで平太を感じたいという欲を優先したのだ。
嫌がられたらどうしようという不安があったが、平太は少し不思議そうな顔をしただけで離れられることなくほっとする。
「今日召喚の儀式があったのですが、タイミングがずれて魔法が発動したのでしょうか?」
「あれはきちんと発動したんだ。ただ事情があって」
ロナやミレアたちにした話をパーシェにもする。
思った以上のことを経験してきた平太にパーシェはなんと言っていいのかわからなかった。いくつもの試練を乗り越えたことが頼もしく、無事でよかったと安堵し、苦労をすることになった憐みもある。
声にならず、平太の手を取ってその手の暖かさで、ここにいることを確認しほっとする。
「こうして無事に再会できたことは奇跡なのでしょうか」
「始源の神が関わったことだから向こうで死ぬようなことにはならなかったと思う。だからこの再会は奇跡ってわけじゃないね」
「少々ロマンチックだと思ってましたのに」
「はは、夢を壊すようでごめんね」
「また会えたことは、夢よりも嬉しい現実なのでそこまで残念には思いませんね」
真っ直ぐに好意をぶつけられて平太は照れる。こういう人だったなと思い出す。
「ヘイタ様はまた故郷に帰るのですか?」
「一度は帰らないとかな。家族にまたなにも言わずにこっちに来てるし。でも居住地はこっちに移そうかなと思ってる」
「本当ですか!?」
嬉しそうに聞き返すパーシェ。
それに平太は頷いた。
以前地球に帰ったときのことだが、雰囲気の違いで母親にストレスを与えることになった。今回は前回よりも戦闘に関わり、まとう雰囲気もさらに変わってしまっている。この状態では母親だけでなく父親にもストレスを与えることになりかねず、地球での暮らしは難しいのではと思ったのだ。それならばいっそのことこっちで暮らすことを選び、たまに里帰りするという形にすれば家族と良い付き合いができそうだと思った。
行き来は再現で行えるため、以前のような帰還したいという強い思いはないのだ。
「向こうで就職探すよりもこっちの方が働き口はみつけやすそうだし」
「職ってハンターですよね」
「あ」
帰るまでに一時的にやっていたことなのでアルバイト感覚だったのだ。
命を懸けたアルバイトという日本ではありえない感覚で、こんなところもズレを感じさせる。
「すでに就職していたのか」
「帰る前には余裕をもって一人暮らしできるくらい稼いでましたし立派に働いていると言っていいですね。さっき聞いた話だとさらに強くなったとか。それならばどこかの魔物を倒して素材を採ってきてほしいと依頼もだされるでしょう。私のところから出したいくらいです」
肉の買い取り所は平太の実力を把握していないためまだ指定依頼はでないだろう。出るのならパーシェのところがきっかけになるかもしれない。
「パーシェさんのところからなら受ける確率は高いかな」
「確実に受けるとは言わないんですのね」
「能力的時間的にできないことはあるだろうし」
「ですね。まあ、無茶を言う気はありませんが」
強くなったとは聞いているが、詳細まではわからないのだ。無茶なことを頼み怪我をされでもしたらパーシェは自身が許せない。
「過去に行ったときはどのような場所に行ったり、どれくらいの強さの魔物と戦ったのですか?」
「わりといろいろと戦ったからなー。印象に残ってるのはやたら硬かった鉄甲突亀、何度も戦ったカラージボア、肉が美味しかったランドラニス。一番強かった魔物はグラースと同じように能力を持った熊の魔物。オーガベアっていう魔物だったんだけど、能力から雄叫び熊王って二つ名がついてた」
「どのような能力だったのでしょう」
「シンプルに声が大きくなるってものでね。熊の声がもとから大きいものだから耳栓してても頭痛がするくらい、音が体にぶつかるのがよくわかった」
グラースもそのときのことを思い出して耳を伏せる。あの戦いで一番の被害を受けたのは人間よりも耳の良いグラースだろう。まともに戦うこともできず、戦いが始まって少しして離脱する羽目になったのだ。
クーンと情けない声が漏れ、平太は慰めるように背を撫でる。
「強い魔物の一つとしてオーガベアのことは聞いたことがありますわ。見つかったら有名な傭兵団が呼ばれるとか。毛皮がマントや革鎧の材料として高く買い取られるようですね。それの能力持ちとなるとどれほどの強さを持つのか想像つきませんね」
「アロンドでも楽勝とはいかなかったからね。それでも魔王と比べたから格が落ちるけど」
「やはり強かったですか魔王は」
「強かったね」
しみじみと言う平太に合わせて、グラースも深々と頷いた。
グラースとしてもあれほどの敵とはまた戦いたいとは思わないのだ。
「あれで上中下でいえば中ってんだから、上に位置する魔王はどれだけ暴れたのか」
最上位の魔王はこちらではなく、もう一つの大陸で暴れた。
今から二百七十年前に超大型のミミズが魔王となり、大陸喰いと呼ばれいくつもの町を壊滅に追いやった。死んだのは人間だけではなく、魔物もであり、その犠牲数はとてつもない数になっている。
その魔王は薬学系統の能力を得た勇者が倒している。魔王の通る土地を一つ毒漬けにすることで対処したのだ。その土地は二百七十年かけてようやく雑草がまばらに生える程度にまで回復した。
「今の世に魔王がいなくて本当によかったです」
(それ以上のやつが来るんだけどね)
平太もさすがに思ったことを口に出す気はなかった。
このあとはこの三年の間にあったことを話したり、昼食を一緒に食べて過ごす。たっぷりと語り合い、日が傾き始めて平太は家に帰る。
家ではミナが膨れた顔で平太を出迎えた。
「えーと、なんで怒ってんのかな」
「ぶー」
ミナは答えないが、平太の近くにはいる。
これは無視しては駄目なやつだと離れるようなことはせずに、この場にいて微笑んでいるミレアに視線を向けた。
「怒っているというよりはいじけていると言う方が正解でしょうか。せっかく会えたのに放置してどこかに行ったと」
「ようするにもっと構えってことか」
「ええ」
まだ距離感が掴めていないので、甘やかすには躊躇する思いがある。
だが再会を楽しみにしていたミナの心情を考えると、かまってやった方がいいような気もする。
まいったなと平太は頭をかきつつ、しゃがんでミナに視線を合わせる。
「あー、今からはあれだし明日一日一緒にいるか?」
「ほんとに一緒にいる?」
平太が頷くと、ミナは機嫌をすぐに直しニコニコと上機嫌になる。
ほっと胸を撫で下ろして平太は立ち上がる。
「明日はなにか予定はなかったんですか?」
ミレアの問いかけに平太は首を横に振る。
「町の外に出て体を動かそうと思ってたくらいで、これといった用事はなかったよ。ドライブでも行ってこようかな」
「ドライブですか?」
「車を再現してそこらへんを走って弁当でも食べて戻ってくる。そんな感じ」
「やはり再現はすごいですね。個人で車を持つことができるのですから」
「ほんと再現できて助かったよ。過去ではずいぶん助けられた。移動時間をだいぶ短縮できた。歩きや馬車の乗り継ぎで移動してたら修行時間とか削られただろうね」
「私も乗ってみたいですね。同行してもよろしいでしょうか?」
「大丈夫」
「ママもおじいちゃんも一緒に行けないかな」
平太の服をひっぱり聞くミナ。どうなんだろうと首を傾げた平太のかわりにミレアが答える。
「ご主人は行けるかもしれませんが、ロナさんはお仕事だから難しいかな。買い物から帰ってきたら聞いてみるといいですよ」
「うん」
「ロナがいないと思ったら買い物に?」
「はい。たまに頼むようになったんです」
ロナが帰ってくるまでミナを主にして雑談をして過ごす。
どんなものが好きなのか、いつもどのように過ごしているのか、友達はいるのか、そういったことを話すミナに平太は相槌を返す。
そうしているうちにロナが帰ってきて、ミナは駆け寄り明日の予定について聞く。
「ちょっと無理ね。今日休んじゃってるし。パパたちが一緒なら安心だし、楽しんでらっしゃい」
「ほんとに行けないの?」
「うん。ほら、そんな顔しないの。楽しみなんでしょ? そんな気持ちだと楽しめなくなるわよ」
落ち込み気味のミナの鼻を軽くつまんで揺らす。
「外に出るって言ってるけど、どこに行くの?」
「車を再現してそこらを走り回ってみようかと」
「へー、そんなこともできるのね。明日は無理だけど、いつか乗せてね。どんな車なんだろ、そこは気になるね」
「庭に出せそうだし見る?」
ロナが頷いたので皆で外に出る。
物干し台などを端に寄せて、スペースを作る。
「ほいよ」
何度も出して慣れているため想像する必要もなく再現を使う。
現れたミニバンを見て、珍しそうにロナたちは近づいていく。
「初めて見る形の車ね」
車体に触れて言うロナに、ミレアも感動に震えながらそっと触れつつ口を開く。
「これはこの世界に初めて現れた車ですよ。英雄アロンドたちはこれに乗りあちこちを移動したのです。でしょうヘイタさん?」
「当たり。でもよくこれがそうだとわかったね? 文献に絵でも載ってた?」
「いえ、古くなったこれがフォルウント家の倉庫に保管されていまして。一度それを見たことが」
この世界独自の車を作る際に、平太の使っていた車を分解したりして参考にしたのだが、そのときに完全再現したものの一つが家宝として保管されたのだ。
それを聞いてそんなものまで家宝にしてるんだなと、平太は少し呆れた表情を見せる。
フォルウント家にとって車販売は家を支える重要な事業なので、その出発点となるものを大事にするのは当然なのだ。ほかに飛行機のモデルとなったラジコンも保管されている。
「中はこんなふうになってるのね」
窓越しに中を見てロナは言う。ミナも見たいとロナに抱っこをせがむ。
ドアを開けて中に入れるようにしてしばし見物し、夕食の準備のためミレアとロナが家に戻る。
平太は車を消して、待っていたミナとグラースと一緒に戻る。
夕食ができる前に風呂が沸き、ミナが平太と入ると言い出した。鍋の様子を見ていたロナが振り向く。
「ちょっと手が離せないし、お願いできる?」
「こんな小さい子をお風呂に入れたことないんだけど」
「特別なことはないわよ? もっと小さい頃は専用の石鹸とか使ったけど、今はそういうのはないから。こけないよう注意してくれたらいいわ」
ロナが大丈夫だと言ってくるが、平太はしりごみしている。
その平太の手を取ってミナは風呂へと移動を始める。
「風呂に行ってる間に着替えを用意しとくからねー」
諦めて大人しくついていく平太の背にそんな言葉が投げかけられた。
よいしょよいしょと脱衣所で服を脱ぎ始めたミナを見て、手伝わなくても大丈夫そうだと平太も服を脱ぐ。
「脱げた!」
そう言い期待して見上げてくるミナに、褒めた方がいいのかと平太は頭を撫でる。
笑みを浮かべ風呂に入るのを見て、あっていたらしいと胸を撫で下ろした。
体を洗うことはまだ一人ではできないのか、ミナは平太にスポンジを差し出す。これは地球にあるようなスポンジではなく、ヘチマに似た植物で作ったスポンジだ。平太も何度も使っているため見慣れている。
「先に髪を洗わなくていいのか?」
「あ、そっちが先だった」
スポンジを置いたミナは平太が洗いやすいように座る。
そのミナに端に置いてある瓶を持ち上げて見せる。中に入っている液体がちゃぽんと音を立てる。
「髪洗うとき、いつもこれ使ってた?」
「うん」
「そっか。じゃあ洗い始めるからしっかり目を閉じておくんだぞ」
目を閉じたミナを確認し、桶にお湯を入れ、声をかけてお湯で髪を濡らしていく。
瓶の中身を手にたらし、泡だてたそれをミナの髪になじませていく。
「痛くはないか?」
「ん、だいじょぶ」
髪の泡を落として、体も洗い、お湯に浸からせる。平太もさっさと頭と体を洗い、お湯に浸かる。
その平太の膝にミナは乗り、寄りかかる。
くっついてくることに平太は戸惑いを覚えるが、それだけ父親を求めていたのかとも思う。
(このまま父親といった感じで接していいものなのかね)
上機嫌に笑い鼻歌を浴室に響かせるミナの頭を撫でてやりつつ考えるが答えはでなかった。
この考えはロナも通ったものであり、三年かけてもまだ答えを探している最中だ。初日でなんらかの答えがでるようなものではないのだろう。
もしかすると答えのでない不安から、無意識に助けを求めて平太を父親と答えたのかもしれない。
風呂から出ると夕食が並べられていて、平太に洗ってもらったと嬉しそうに報告するミナをロナは椅子に座らせる。いつもよりも豪勢なそれにミナは目を輝かせた。
呼ばれやってきたバイルドも加え、明るく和やかに夕食は進む。
夕食を終えて、片づけが終わったあとも和やかな時間が流れ、ミナが小さくあくびをする。
「もうそろそろ寝ようか」
おいでとロナが抱きやすいようにしゃがむ。
いつもならば素直にロナに抱き着くが今日はそうはならなかった。
「まだパパといっしょにいるぅ」
「明日も一緒にいれるでしょ。もう寝ないと明日おでかけするのに遅れるよ」
ロナの説得に首を横に振って嫌がる。
「ようやく会えた父親とまだいたいという気持ちはわかりますから、無理に引き離すのもかわいそうですね。ヘイタさん、少し早いですが今日はもう休まれてはいかがでしょうか。そうすればミナも一緒のベッドで眠ると思うので」
「それしかないか」
予想できていた平太はミレアに頷き、立ち上がる。
すると抱っこしてほしいとミナがねだり、はいはいと平太が答え、抱き上げてグラースと一緒に自室に戻る。
見送ったミレアはテーブルに酒瓶を出す。ミレアのとっておきのお酒で、平太が帰ってきたら飲もうと考えていた代物だ。
「飲むの?」
「酔わない程度に。どうです?」
もらうとロナはコップを差し出す。
トクトクと酒が注がれる音が静かにして、わずかに酒精が鼻にまで届く。
ミレアが自身のコップに注ぐのを待って、ロナはコップをミレアへと近づける。
二人は乾杯とコップを軽くあてて、酒を飲む。この酒は日本酒を目指して作られたもので、ロナは初めて飲んだものだが、上機嫌ということもあり美味だと感じられた。
ほぼ同時刻、パーシェもとっておきの酒を一人飲んでいた。
三人に共通するのは平太の帰還をミナ以上に喜んでいたということだろう。
感想、誤字脱字報告ありがとうございます




