48 複雑な思い
「今日で別れなんだな」
寂しそうにアロンドが言う。対する平太はようやく帰ることができると明るい表情だ。
「そうみたいだ。アロンドたちと出会えてよかったよ」
「俺の方こそ、たくさん世話になった。できれば今後も付き合いを続けていきたかった。だがお前にも帰るところがあるからな」
「グラースのことを頼む」
「わかった。きちんと故郷の森に連れていくさ」
平太は再会を楽しみにしているとしゃがんでグラースを撫でる。
「クゥ」
別れに寂しそうにグラースは体を寄せる。付き合いはそれほど長くはないが、とても可愛がってくれたことは理解しているので別れは寂しかった。
撫で続ける平太にサイニーとラインが別れを告げる。
「ヘイタの国の話おもしろかったわ。もっと聞きたいことがあったし、再現してもらいたものがあった。それを抜きにしても良い出会いだったと思う」
「ありがとうございます。アロンドとお幸せに」
うむ、とサイニーは力強く頷いた。
「どうかお元気で、故郷での健やかな暮らしを祈っています」
「はい、ライン様もお元気で。サイニーにも言いましたがアロンドとお幸せに」
「はいっ」
ラインが下がり、サフリャを促す。
サフリャは困ったような表情で、なにか言おうとしてなにを話せばいいのかわからず無言が続く。
やがて自分の中で整理がついたのか口を開く。
「いろいろとありがとう。あの夜、やりたいことを示してくれたことはとても嬉しかった。その礼になるかわからないけど」
軽くハグをしたサフリャは、平太の頬に少し触れるキスをする。お金を渡しても意味はなく、喜んでもらえることといえばこれくらいしか思いつかなかった。
驚いた顔を見せた平太は、表情を笑みに変えて礼を言う。
「今後は復興に力を注ぐ?」
「それもやるし、仇討ちのため情報を集める」
「この戦場に道化の角族はいなかったのかな? もしかしたら誰かに倒されているかもしれない」
「直接倒せなくて残念だけど、それならそれでいい」
道化の角族がこの世からいなくなれば満足と思える程度には、今回の旅で落ち着いたのだ。
村が壊滅した原因の大本である魔王を思う存分攻撃し倒したことで、心に溜まり澱んでいたものが吐き出せたおかげだろう。
「道化の角族がすでに死んでいて、復興に専念できるといいね」
「できるなら自分の手で倒したいんだけどね」
口ではそう言っているが、復讐の暗い感情は感じられない。
サフリャの今後は明るいものになる。平太だけでなくアロンドたちもそう思えた。
平太とファブルクがシューフルンの転移で消えて、サフリャたちはそこにいた平太を想う。
魔王討伐という決して楽ではない旅だったが、楽しい旅だった。生涯に記憶に残る出来事で、大切に心の中にしまっておきたい。そして子供ができたら誇りながら語りたい。成し遂げたこと。どういった思いで旅をしたのか。大切な仲間がいたことを。
◆
シューフルンに連れられて神の住む島に来た平太は、建物の入口まで案内される。
「ここからは自分で行ってくれ。あそこに見える階段で三階に上がったら、深紅の扉がある。そこがララ様の部屋だ。見物に歩き回ってもいいが、それはララ様と会ったあとにしてくれ」
「ララ様というのが始源の神の名前でしたか?」
「うむ」
「わかりました。階段上がって深紅の扉ですね」
確認した平太は建物に入り、シューフルンはファブルクを元の場所に送るため転移した。
この島に人間が足を踏み入れることは何度もあった。ファブルクのように親神に連れられてきたのだ。しかし庭で話して帰るということばかりで、建物に入った人間は誰もいなかった。
そんな初めての存在ということを知らず、平太は珍しそうに建物内を見ながらゆっくりと歩いて三階に上がる。
きょろきょろと周囲を見渡して、傷一つない深紅の扉を見つけた。
ノックして返事を待つ。すぐに入室を許可する声が返ってきて、金のドアノブを回し、中に入る。
平太は椅子に座った少女を見る。
ララを見た平太の感想は、最高峰の彫刻家が自身の技術をあますことなく発揮して作り上げた最高傑作。この世でも有数の美というものだった。
「いらっしゃい。こっちにおいで」
見た目は自身よりも年下な少女に手招きされて、平太はララの近くに置かれている椅子に座る。
十四才の少女が始源の神ということに平太は疑問を抱かなかった。一目見て、納得できるだけの雰囲気を感じ取ったのだ。
全ての母のようでいて、大抵のことは笑って許してくれそうな包容感。傷つけようとしたり害意を持とうとも思えない、そんな不可侵の遠い存在。
直視することもはばかられ、視線を落とし、ララの言葉を待つ。
そんな平太にララは少し悲しげな目を向けたがそれを消し、顔を上げて自分を見るように告げる。
「あなたをここに呼んだのは元の時代に帰る方法を教えるため」
「はい。手紙にそう書いてありました」
「けれどその前にほかのことも話しておきます」
帰還以外になにか聞くべきことがあったかと平太は首を傾げた。
「まずあなたがこの時代に来たのは偶然ではない。地球と呼ばれる世界からこちらへ移動する際に、未来の私が割り込んでこの時代に送り込んだのです」
「……ジジイの失敗じゃなかったんですね」
帰ったら一発くらい殴ろうと思っていたのだ。
この時代に来てアロンドたちやグラースに出会えたことは良いことだと思う。けれど魔王退治なんてことをやるはめになったのだから、一発くらいは許されると思っていた。
「どうしてこの時代に呼んだのですか?」
「適度に鍛えられる環境だった。今回の魔王は強すぎず弱すぎず、能力も標準的で、鍛えて立ちむかえば倒せる存在。鍛練の総仕上げとするにはちょうどよかった」
「わりと苦労したんですが、教材だったのかあれ。俺は鍛えなければならない理由があるのでしょうか?」
この先、魔王よりも厄介な存在が現れ、戦うはめになるのかと思うと溜息を吐きたくなる。
「未来で頼みたいことがある。そのために鍛えてもらった。大事なのは能力を三段目までに上げること。元の時代に帰ったら能力は二段目に落ちるけど、一度そこまで上がったという事実が大事」
「下がるのか、まあそこはいいや」
永続再現は便利だが、再現の使用回数が十二回になっている今、通常再現でことたりて常に必要とすることもないのだ。
それより重要なのは頼みごとの方だ。始源の神がこうやって計画立てて話しているということは、相当に厄介なことなのだろう。
不敬とは思いつつも警戒する視線を向ける。
「どのような頼みごとなのでしょうか?」
「二つある。一つは堕神に関して」
聞いたことのない単語に平太の表情に疑問が浮かんだ。
「角族の生まれは知っているね?」
「はい。生物に力がとりついて生まれるとか」
答えながら、なんとなくララの言いたいことを予想できた平太。
「ん。その力はとりつく対象を選ばない。神であってもとりつこうとする」
「やっぱり」
「その想像通り、堕神は魔王化した神と言っていい。遥か昔のこと。力にとりつかれた神がいた。暴れたその神を先代であり父である始源の神と他の神々が協力して世界の外に追い払った」
「倒せなかったんですか?」
「弱らせることはできても、倒すことはできなかった。そのためこの世界に封印するのも危険視した父は、封印処理をして世界からはじき出した。どこか誰もいない世界にたどりついてそこで朽ち果てることを期待した。そうして千七百年の時間が流れ、それは流れ星にとりついて、多くの仲間を連れて戻ってきた。再び父たちは戦い、多くの犠牲を出して追い払うことに成功した。再び千五百年の時を経て戻ってくるまで平和は続いた。そのあとも追い払い、戻ってくると繰り返している」
「次の襲撃は俺がいた時代なのですか?」
「うん」
前回は今からみて三百年ほど前だ。ララたちが撃退に出て、犠牲を出しつつも見事追い払うことに成功している。
「その襲撃に再現が必要になると?」
「違う。四段階目に上がった能力が必要になる」
「四段目? 能力って三段階で終わりじゃなかったんですか!?」
「通常の方法だと三段階目までが限界。四段階目は特殊な方法でないと到達できない」
「その四段階目の能力で堕神と戦うことになるんですか。正直魔王にも苦戦したから神と戦うなんて無理としか」
「堕神と戦うのは私たちの役目。あなたにはフォローに回ってもらう。直接戦うこともできるとは思うけど、フォローに回ってもらった方が被害は格段に少なくなる」
「ああ、それを聞いて安心した」
腰抜けと言われようとも神との戦いなどやる気は起きない。
魔王戦でいっぱいいっぱいだったのだから、それ以上の戦闘などついていける気がしないのだ。
ララも不甲斐ないとは思わない。平太の参戦で被害が少なくなるのだからむしろありがたい。それに万が一にも死んでもらっては困るため、戦場に連れて行きはしても戦わせる気はないのだ。
「そのままでいて。堕神と戦うなんて無茶はしないで、いいね?」
「わかりました。しかし四段階目ですか、どんな能力なんでしょう。永続再現だけでもたいがいだと思うんですけどね」
「すごい。この一言で十分すぎる」
そういうララの表情には敬意に近いものが表れている。ほかには懐かしさも含まれてるが、そこまでの感情は平太には読み取れなかった。
「すごい、ですか。神の口からそういった言葉がでるとは、能力がどうなるのか想像つきませんね」
「そのときのお楽しみということで」
小さく笑みを浮かべて人差し指を唇に当てる。小さな変化だったが、生物味が増した。
そんなララを見て、平太はララも生きている存在だと理解する。思い返せば同じ神であるエラメーラだって生きていた。楽しければ笑い、美味しい物を食べれば嬉しそうな表情を浮かべ、悲しいこと困ったことにも反応していた。
「?」
平太の自身を見る目に温かなものが含まれたことにララは不思議そうにする。
不快ではないし、むしろ嬉しいことなので追及はしない。追求してまた温かみがなくなるのは寂しいのだ。
「えーと、じゃあもう一個の方はどんな頼みなんでしょう」
「そっちは堕神関連が終わったあとに。急ぎの用事ではないし」
そちらも世界規模な話ではあるのだが、堕神ほどに緊急を要するものでもない。早くて一万年後に危機が訪れる。そんな気の遠くなるような話だ。一万年先の存在にとっては大事件になる話で、今のところ世界になんの影響もない。
「ここまでが帰還以外の話。ここからが帰還に関する話」
帰還という言葉に平太は背筋を伸ばして、一言も聞き漏らさないという体勢になる。
「帰還にはあなたの協力も必要になる。まずは自身の体を完全再現してもらう」
「ほうほう」
「次に魂を半分もらう」
「……ほうほう」
「そして再現された体に魂を入れて封印。あとは千五百年後に封印を解く」
「質問よろしいでしょうか」
こくんと頷くララ。
「今この場で直接未来に送るのは無理なんでしょうか?」
「できないこともない」
「それを帰還方法として提示しなかったということはなんらかの問題が?」
「狙った時空間に飛ばすことが難しい。時間が多少前後する程度の失敗ですんだら御の字。平行世界に飛ぶ可能性もある。だから封印という方法が確実」
現在から過去ならば正確に飛ばすことが可能だ。それは過去は現時点から見て、既に起きて変わりようがないから。対して未来は不安定で、いくらでも平行世界が生まれてしまう。そんなあまたの世界から特定の時空間を指定して飛ばすのは難しいのだ。
そういった説明を受けて平太は納得し、次の質問を口に出す。
「わざわざ再現で体を作らなくても、俺をそのまま封印するわけにはいかないので?」
「それをすると確実に平行世界に移動することになる。あなたが過ごした未来では、あなたの再現体が封印されていた。同じ状況にした方がいい」
「なるほど」
「早速始める?」
「ちょっと待ってください。今後俺はこの世界で過ごして死ぬってことですよね」
帰るのは自身の片割れで、今の自分は帰れないのではと納得できない思いを抱く。
それを見抜いてララは大丈夫だと告げる。
「帰郷の思いもあなたの中から抜いて再現体に入れる。試しに一度抜いてみるわ」
そう言うとララは平太の返事を聞かず、細い人差し指を平太に向けて、ちょいっと曲げる。
平太の体から青い光の粒が放出され、それがララの手のひらに集まる。
「これがあなたの中の感情のひとかけら。故郷に関してどう思う?」
「どうって帰りたいに……」
言いかけて故郷が遠いもののように感じて目をみはる。
距離的時間的に遠いのは当然だが、そういったものの遠さを感じているのではなく、自身の中で数ある地名の一つといった軽い扱いになっているのだ。会いたいと思っていたロナ、バイルド、パーシェ、エラメーラといった面々のことも会えないのなら仕方ないという割り切りができている。
そのことに寂しさも感じない。が、あって当たり前の感情が湧き出てこないことに恐怖が感じられた。
「あ、え?」
戸惑う平太に、ララは取り出した感情を返す。
再び生じた帰りたい会いたいという思いを、平太はとても大事に感じる。
「こんな感じになる。この地に骨を埋めることに疑問を抱くことはないでしょう?」
「そう、ですね。なんというか喜べないけれど。理解はできました」
今ここにいる自分が帰ることができないということには、やはり思うところがあるのだ。
「封印されるあなたが偽者ということはない。再現で生み出される体は、あなたそのもの。魂も複製するのではなく、あなたから半分もらったものに、まっさらな魂を注いで一人分にする。魂を半分差し出したあなたにもまっさらな魂を注ぐ。だから封印されるあなたとこの時代で生きていくあなたは、出発点ではまったく同じ」
少しでも納得できるようにララは詳しく言う。
この説明で全て納得いくとはララも思ってはおらず、納得の一助となればという考えだ。
平太が黙り込み、ララは心の整理がつくのを静かに待つ。
世界の危機というなら一人の人間の人生をどうにかしても仕方ないと平太もわかる。けれどその当事者になってしまうと、理不尽だと思う気持ちも湧く。
罵詈雑言をララに叩き付けても、ララは内心寂しく思いつつも受け止めるだろう。世界のため、それ以上に自分のため、勝手をしたという自覚があるのだ。
「俺は帰れると思って再現についてばらしました。しかし残るというなら誰かに狙われる可能性もあります。そこらへんはどうにかフォローしていただけるのでしょうか」
罵詈雑言はでなかったが、軽く嫌味を含めて尋ねる。そういったことができる程度には、心理的に距離が生まれている。
軽い嫌味くらいは受け流してほしいとララを見る。ララは気にした様子を見せずに頷いた。
「あなたの親神はまだ生まれていない状態。だから私が代理ということにする。これならば私の不興を買うことを恐れて、あなたを狙うことはしないはず」
そう言って身に着けている青銀製の細いチェーンブレスレットを外して、平太へと浮遊させる。
ふわふわと飛び、手の中に落ちたそれを見た後、ララに視線を戻す。
「私の気配が込められている。それを見せたら誰もが疑うことなく、私が親神だと信じる」
「はず、という部分が不安を掻き立てるのですが」
「いつの時代にもやけになって、しがらみなど気にしない人はいる。そういった人の動きを止める効果もある。動きを止めている間に対処して」
「……ありがとうございます」
身を守るのに十分なものをもらい平太は頭を下げる。
「さてあとは再現した体を封印するくらい。今のうちになにか聞きたいことは?」
「そうですね……能力が二段階目に下がると聞きましたが、それはどのタイミングで下がるのでしょうか。体を再現するだけなら下がらないというのはわかるのですが」
以前橋の問題を解決するときに自身の肉体を再現したことがある。そのときにはなにも変化は感じなかった。
「魂を二つにわけたときに下がる」
「なるほど。その作業は今すぐしなければならないことでしょうか? 何年かあとに遅らせることは可能ですか?」
今後こちらで暮らしていくというなら、生活基盤を築くまで完全再現はあった方が便利だ。それに故郷を復興するサフリャの手助けもやれるだろうと考えた。
「問題ない。ならば今日は体を再現して、それを特殊封印して終わりにする」
「十年後くらいまでにはやれるようにしますんで。そのときはここへの転移を再現して来ればいいのでしょうか、それとも誰かを迎えに送るのでしょうか」
「転移でいい」
「じゃあそういうことで」
「それだけじゃなくなにかに困ったら来てもいい」
「……」
平太は微妙な表情を浮かべる。ララの提案は生きていく上でとても有利になるものだろう。けれど素直に頷きたくない思いがある。
それを見抜いてララは無理にとは言わないと付け加えた。
「困ってどうしようもなくなったら、そうさせていただきます」
「うん」
ララはどこか寂しげに頷いた。言葉通り、本当に困ってとれる手段がなくなったときにしか来ないのだろうとわかったのだ。
「あと聞きたいことは二つです。未来だとグラースが封印されていましたが、私と同じように再現で体を作って封印されたのですか?」
「そのとおり。この世界に来たばかりのあなたの護衛役として未来に行ってもらった」
人の手でグラースの封印が解かれずとも、少し時間がずれる程度で封印は自然に解けていた。そして自らの足で平太を探し出していた。
「なるほど、では最後の質問。仲間にサフリャという人がいます。その人の仇が道化の角族。これの居場所を聞きたい」
「それは三体いた。一体はあなたたちの手で、もう一体は戦場で散っている。残りはあなたちの大陸の最東部に潜んで、今後の動き方を考えている。強さは魔王を倒したあなたたちならば苦戦もしない。ライン以外ながら一対一でも倒せるでしょう」
「それはサフリャの仇ですか?」
「仇はあなたたちが倒した角族」
「そう、ですか。ちなみにその角族の近くに俺を転移させることは?」
「可能」
「では……お願いします。そこに転移してください」
頼み事をするのに一瞬躊躇いが生まれたが、わざわざサフリャに仇ではない角族を探して戦うという無駄な時間を使わせることを避けられるなら、頭の一つも下げることができた。
表情はそのままにララは嬉しそうな雰囲気をまとい、平太に確認し転移させる。
海の見える崖で目を閉じて考え込んでいた道化の角族に、平太は再現した魔王の極太火炎砲を叩き込む。突然のことで防御も対策もできなかった角族は、断末魔もあげることができずに灰となった。地面も削られ、黒こげになり煙を上げている。
これでサフリャは復興に尽力できると平太は頷き、転移で神の住む島に戻る。
「ありがとうございました」
部屋に入った平太はララに頭を下げる。いらだちを角族にぶつけたことで多少は頭が冷えた。始源の神に八つ当たりや嫌味などとんでもないことをしでかしたという意識がある。
そういった怯えや畏れといった神に対する一般的な感情を感じ取ったララは怒ることはなく、淋しさを感じる。
「役に立てたのなら幸い。もう聞きたいことなどはない?」
「ありません」
「だったら体の完全再現を行いましょう」
平太は頷き、すぐに自身の体を再現する。
力なく地面に倒れかけたそれをララは浮かばせて、平太には理解できない言葉を呟く。すると透明度の低い水晶のようなものに全身が包まれた。
それにララは触れて、人差し指で文字を書く。青い数文字の単語が刻まれて、水晶は青みがかる。
これで長い時間の封印でも力が下がることはない。グラース用の封印はララが手を抜いてこれよりも一段下のものだったので、身体能力や能力が下がったのだ。
「ひとまずはこれで終わり。あとは魂の半分を入れれば完了」
「魂をわけるときにグラースを連れ来た方がいいでしょうか」
「それでいい。用件は終わった。好きなところに送るけど、どこがいいの?」
「アロンドたちのところにお願いします」
頷いたララが腕を一振りすると平太は消える。
「受け入れてもらえるのはやっぱり千五百年後か……長いな」
封印された肉体を見て肩を落とし小さく溜息を吐く。
十年もすればまた会える。それを楽しみにして、ララは世界のあちこちに意識を向ける。
◆
賑やかだった陣地は既に人もまばらで、城壁から長い列を作って国へ帰る人々の姿が見える。
アロンドたちも使っていたテントをたたみ、最後に出る人たちと一緒に出発する準備を整えていた。サイニーとラインは上機嫌でアロンドのそばにいる。結婚の約束をしてもらえて舞い上がっていた。
そこに平太が現れる。すっきりとした城壁内を見て、上機嫌な二人に首を傾げながらアロンドに声をかける。
「がらんとしたね」
「ヘイタ!? なにか忘れ物でもしたか?」
もう会えないと思っていた人物との早い再会に驚きと喜びを見せるアロンドたち。
「事情がかわってね。いやほんとこうなるとは。まあ、ともかくこの時代に骨を埋めることになったよ」
「……始源の神が帰すって言ってたんだよな? なんでそんなことに」
どういった話だったのか、歩きながら話す。
「……そういった帰還方法だったのか。嘘はついてないけど、素直に喜べもしないな。俺としては再会は嬉しいんだけどな」
「ありがとう。しばらくは引きずるだろうから、先に謝っとくよ」
「それは仕方ないでしょうね」
サイニーが気の毒そうに言う。
「ああ、あとサフリャ」
「なっなにかしら!?」
呼びかけにビクッと体を震わせて反応する。
顔には赤みがさしており、照れているのだろうとわかる。
最後だからとハグとキスをしたのだ。再会はサフリャも嬉しいが、キスが思い出されて照れがある。
「なんで照れてるの」
「いや、まあそれには触れないで。それよりもなにかしら」
「始源の神に道化の角族のことを聞いたんだよ」
仇のことということで、サフリャの表情は真面目なものになる。
「道化の角族は三体。全部がすでに倒されているってさ。仇はあのとき俺たちが倒した奴だったことも聞いた」
「……私の手で倒すことができていたのね」
よかったと呟いて本当に肩の荷がおりたように、ほっとした表情を浮かべた。
アロンドたちもおめでとうと祝いの言葉を送る。
「これで今後の予定は復興だけだね。手伝うよ、魔王討伐だけが目的で、やることなにも考えてなかったし」
「ありがと」
「復興は各国の王に助力を頼むといい。東に帰ったら挨拶回りすることになるだろうし、魔王討伐の褒美ってことで承諾されると思うぞ」
アロンドが今後の予定から推測し、アドバイスする。
それを聞いてラインが心配そうな表情になる。
「王に会う。たしかにそうなりますよね。ええとヘイタさんは大丈夫なのでしょうか? 再現のことをばらしてますし」
「あ。いらん騒ぎ起きないように、ヘイタには別行動してもらった方が? でもそれだと功労者をのけものにして気分が悪いな」
「そこらへんは俺も考えたことで、始源の神にフォローを頼んだ。そしたら親神の代理になるって言って、これを証明の印にくれた」
腕を上げブレスレットを見せる。
気にしてなかったそれをはっきり認識したとたん、アロンドたちはひざまずかなければという考えが浮かぶ。能力によって強制されるのではなく、自然とそう思った。
アロンドたちの表情が強張ったのを見て、平太はブレスレットを下げる。
意識がそれたことでアロンドたちはひざまずかないですんだ。
「それがあるなら親神だって信じるだろうな。畏怖と懐かしさを感じたよ。変なちょっかいを出すこともないはず」
「そりゃよかった。これがあっても駄目なら本当に逃げ隠れする必要がありそうだったし」
「せっかく再会できたんだ。そうならずによかった」
アロンドが喜びながら言い、同意するように皆頷いた。
行きよりも気楽な旅を続けて平太たちを含めた軍は山を越えて東に帰る。
大陸東側に入った軍はそこで準備されていた食糧などを補充してそれぞれの国へと帰る。それぞれの王都で凱旋を行う予定だった。
精鋭組は東に入ってすぐにある国の王都に向かうことになる。
この国はエラメルトのあるウェナ国が建国される二つ前に存在した国だ。今から百年ほど先に内乱で滅びることになる。内乱の勝者が新たな国を作り、それも滅びてウェーンセリアという国が誕生し、それが分裂して生まれたのがウェナ国だ。
王都の外に準備された馬車にそれぞれアロンド組、カイルド組、ファラード組で乗り込み、花で飾り付けられた大通りをゆっくり進む。
うるさいほどの歓声を上げる人々に、手を振って応える。
「こんな歓声を受けたのは生まれて初めてだよ」
平太は喜びに満ちる人々を見ながら言う。
「俺も初めてだが、皆が喜ぶことをやったんだから当然の反応だろう」
「これがまだ何度か続くの? 早く故郷に戻りたいんだけど」
ややうんざりとしたサフリャ。
「途中離脱しても大丈夫じゃないかな。兵が凱旋して人々に魔王が討伐されたことは知られるだろうから、必ずしも俺たちが顔を見せる必要はない。活躍した人を一目見たいと思う人はいるだろうけど、それに付き合ってたらいつまでも復興を始められないと思う」
「そうしようか」
平太のわりといい加減な助言にサフリャは真剣に頷く。
「止めはしないが、俺たちには一言残してから離脱してくれよ?」
「わかってる」
「そのときにグラースを一緒に連れていこうか」
「……ついてくるの?」
平太の同行発言に、サフリャはきょとんとして聞き返す。
復興を手伝うとは言ってくれていたが、凱旋などやったあとで合流するものだと思っていたのだ。
「再現の件でいろいろ面倒事が起こるかもしれないし」
「そこらへんは大丈夫じゃないかな。先ぶれの使者に平太のことは伝えておいた。始源の神が親神ということもね。真偽を確かめるために話をすることはあるかもしれないけど、ちょっかいはかけてこないだろうさ」
だといいなという希望的観測がないわけではない。けれどもアロンドは自国を特に問題なく収めている王が、そこらへんのかじ取りを間違えることはないだろうと考えている。王ではなく貴族がいらんことする可能性もあるわけだが。
手を振って大通りを往復して、王都で一番の宿に案内される。
案内してきた兵たちは、今後のスケジュールを話し、ゆっくりとおくつろぎくださいと言って宿から出ていく。その兵に平太たちは別れ際に手紙を渡された。
かわりに近づいてきた宿の従業員がそれぞれを部屋に案内する。
平太とアロンドとグラースが一緒の部屋で、女三人も隣の部屋を使う。
荷物を下ろし、楽が恰好になった平太はグラースの毛をとくためブラシを再現する。
「気持ちいかー?」
「ワフ」
「そうして見ると、強力な能力を持った魔物になんか見えないな。毛並みもいいし大型の犬って言われても納得する人はいるんじゃないか」
「どこにだしても大丈夫な自慢の子だからね」
言いながらわしゃわしゃなでるとグラースはごろんと腹を見せる。
可愛い奴めと楽しそうな平太を見つつ、兵から受け取った手紙を広げる。
「内容は?」
「ほしい褒美について書いてくれってさ」
これはこの国に対して求めるのではなく、各国に対して求めるものだ。
お金がほしいと書けば、百年は遊んで暮らせるだけの金額が各国から出る。貴族になりたいと書けば、どの国の貴族になりたいかの相談、貴族としての勉強、土地と人材を与えられる。国を作りたいと書けば、大陸西側復興に合わせた形で話が進められるだろう。
「それってグラースの分も書いていいのかな?」
「さすがに無理じゃないかねぇ」
「そっか。俺は……これといってないな。サフリャの復興に有利になるように頼もうか」
「欲がないな?」
「欲しいものは再現で手に入りそうだし。お金も魔物を狩るか素材を再現すればね。地位や権力には特に興味は湧かないよ」
「なるほどなぁ。俺も思いつかないから、実家の家格を上げてもらうかな」
父が自信を持てるようにしてくれと書かれても、各国の王は困るだけだろう。
カイドルやファラードたちはどのような褒美を望むのか話していると扉がノックされる。
アロンドが返事をすると、サイニーたちが入ってくる。
「暇潰しに話に来たわ」
「ちょうどいい。褒美について聞かれていたから考えておいて」
手紙をサイニーたちに見せつつ言う。
平太は完全再現でフルーツケーキワンホールと重ねがけでペットフードを出す。
「荒事がなくなって完全に遊びやおやつ用の能力になってるわね。平和になったっていう証拠なんでしょうけど」
切り分けを頼まれて、受け取りつつサイニーは少し呆れて言う。
喜ばれる使い方なので、間違った使い方ではないだろうと返す平太に異論の声はでない。最近の楽しみの一つなのだ。
グラースも主食にはしないが、おやつ感覚で皿に入れられたものを食べている。
切り分けられたケーキが並び、褒美について話す。
平太とアロンドの褒美について聞き、それぞれ考える。
「私はヘイタと同じで復興補助を願う。故郷の壊れた建物を直して、墓を作る。その後、住人が集まるかまではわからないけど、私はそこで墓守でもしていこうと思う」
すぐに決めたのはサフリャだ。
「お金を出して整備したところを放置ということはないでしょ。そこを拠点にほかのところの調査とかもやるんじゃないかしら。だから何年かは人が留まるはず」
「そうですね。褒美を与えるときか、事前の話し合いでおそらくそういった提案をしてくるかと」
サイニーの予想に、ラインが頷く。
「だとするとサフリャは村長って感じでトップに置かれるのかな。住人をまとめるのに魔王討伐の肩書は役立ちそうだし」
「その可能性は高いでしょうね。ヘイタさんも村長補佐とかに置かれると思いますよ」
「村の経営なんぞ知識ないし、そこらへんの文官とかもくれるといいな」
推測通りに話が進むなら、きちんと知識を持った文官が派遣されるだろうとラインは保証する。
そこら辺の人材には困っていないということもわかっている。大陸西側の人間は魔王によって全滅させられたわけではない。サフリャのように生き残って東側や比較的被害の少ない南部に避難した者がいるのだ。そういった中には城勤めの文官もいる。ほかに職人などもいて、派遣する人材には困らないだろう。
「私も家格を上げることか家に有利になることを願いましょうか。それをやっておけば育ててもらった恩返しになるでしょう」
ラインもアロンド同じ方向で褒美を決める。
政略結婚の話が持ち上がっても褒美と対価で潰せるはずだという考えは秘めておく。
一般的な貴族令嬢から外れている娘ということで、ラインの家族は政略結婚について最初から諦めている可能性が高かったりする。
「私は……どうしようかしら。家族にどうこうという気はないし、故郷が被害を受けたわけでもないし。お金かしらねぇ」
一番考え込んでいたサイニーはお金を選択する。
一番の願いはすでに叶っている状態で、褒美をと言われても思い浮かぶことはなかった。
皆の褒美が決まり、アロンドは書き込んでいく。




