43 修練場
カターラを出た一行は予定通りにパンネゼリーがいる場所に向かう。
グラースがいるためパンネゼリーへの対処は簡単で、あっというまに一抱えある甕いっぱいに回収を終えたのだった。
グラースと一緒に行動を始めて、魔物と一緒に行動するのが初めてなアロンドたちは対応に少し困った様子を見せていた。
だが平太がブラッシングしたりシャンプーしたりして構いたおしても大人しい様子を見て、危険性のなさは理解して少しずつ距離を縮めていった。
平太以外に一番早く慣れたのはサフリャだった。同じ獣属性のおかげか、ただ単に気があったのか。一緒に狩りに行く姿も見られ、親睦を深めていた。
そうして旅にグラースを加えた一行はシャンロの待つジャローに戻る。
魔物のグラースが村に入ることに、村人たちはギョッとした様子を見せるが、大人しいグラースを見て暴れさせないようにという注意のみに留めて、それ以上の干渉はしなかった。
玄関を叩くとレレネが出てきて、そこからシャンロを呼ぶ。
「おう、戻ってきたか。ちょっと予定より遅かったか?」
シャンロが嬉しそうに一行を出迎える。
遅くなった理由をアロンドが話す。
「角族が出たのか!? それにジャラッドさんのお孫さんが犠牲になったと。いよいよ角族の動きも東側で活発化してきやがったか」
一緒に話を聞いていたレレネは犠牲者が出たということにいたましそうな表情を浮かべる。
渋い表情のシャンロはパンッと両手で頬を叩き、気合いを入れる。
「こりゃのほほんと仕事している場合じゃないな。これにパンネゼリーが入っているんだよな」
「ああ」
「一応中身を確かめさせてもらうぞ」
そう断ってシャンロは蓋を取る。水とは違う粘性のある液体を柄杓ですくい、匂いを確かめて頷いた。
ニッと笑みを浮かべ、準備は整ったとやる気を見せる。
「武器一つ作るのに十日ちょいかかる。杖に関してはそこまで力入れなくていいから、頼まれている分が仕上げ前までいくのに四十五日くらいと思ってくれていい。その間、お前さんたちどうする?」
「武具はどうにかなったから、いよいよ修練場だ」
「いよいよか。ほんとに死んだりしないでくれよ」
「こんなところで躓いていられないさ」
魔王討伐の候補と神に認められているのだ。厳しい鍛練など余裕を見せて乗り越えていきたいとアロンドは考える。
力強く言ったアロンドの言葉のあとシャンロは平太たちを見る。アロンドは十分な意欲を見せているが、ほかの者たちはどうなのだろうかと。
その視線の意味に気づいたサイニーは気負った様子なく笑みを返す。
シャンロの視線の意味に気づいた者はサイニーだけだったが、誰も弱気は見せていない。
これならば大丈夫かもしれない、シャンロはそう思う。
といっても恐れ怯えが皆にないわけではない。平太などは魔王を倒せないと帰れないので、嫌でもやらなければならない状態だ。やるしかないなら弱気で挑むよりはと日頃からテンションをあげるようにしている。そういった意味ではグラースの参入はいい方向で影響を与えている。
サフリャは仇討ちを終えて、目的を見失いかけていた。サイニーとラインはアロンドを支えにしている部分がある。
それぞれに弱気になりうる部分もあるが、自身を奮い立て仲間を信じて今ここに立っている。
「作った武器を受け取りにくる日を楽しみにしてるからな」
「俺も新たな武器を楽しみにしておくさ」
「すぐに出発するのか? あと二時間くらいで日暮れだろうし、一泊していかないか? 歓迎するぞ」
どうしようかとアロンドは平太たちを見て、いいんじゃないかと返ってきた。
一泊が決定し、シャンロはレレネに今日はご馳走だと言い、レレネも頷いた。
宴会のような夕食を終えて、翌日平太たちは修練場へ向けて出発した。
しばし車で移動し、修練場のあるという山の麓に到着する。
岩と土のみの山で、緑は雑草がまばらに生えているくらいだ。高さはどれくらいか、確実に千メートルは超えている。平太の推測では二千メートルくらいではないかと思う。
修行に来た者が使うのか、遠目に平屋の建物が見えた。
山頂近くに修練場があるということで、高山トレーニングでも狙っているのだろうかと山を見上げつつ平太は思う。
麓近くの村で聞いた話では、修練場までの登山道はあるらしく、看板もあるようなので見当違いの方向に進むことはないだろうということだった。
ゆっくり歩いても四時間あれば着くということなので、必要以上の準備はせずに一行は山に足を踏み入れた。
「意外と進みやすい」
舗装された道とは比べものにならないが、修練場というくらいだから行くまでも苦労するのではと平太は思っていた。
だがそんな予想に反して登山道には石が転がっている程度で、でこぼこした道というわけでもなく、魔物が襲いかかってくることもなかった。
サフリャとグラースが警戒した様子を見せていないことから、魔物自体がいないらしい。
時期は初夏で、今日は晴れ。さんさんと照り付ける太陽に、一行は汗ばむ。少し暑いというくらいの問題しかない。
「私にとってはありがたいことですね」
うっすらと汗をにじませたラインが言う。旅に同行するため鍛えているとはいえ、まだまだ鍛え方は足りないのだ。
「俺とライン様にとってはここの上り下りだけでもそれなりに鍛えられそうですね」
「ええ」
「そうやって話す余裕があるのだから、前線を出発したときよりは体力がついているわよ」
サイニーが会話に加わってくる。
そのまま話しながら進み、麓から見えていた平屋に到着する。コンビニほどの広さの平屋が二軒あり、短い渡り廊下でつながっている。
それぞれ手持ちの布で汗をふきつつ、平屋の外から声をかける。
すぐに中から「はーい」という女の返事が聞こえてきた。
袖なしの道着に袴を身に着けている女は扉を開けて平太たちを見ると、
「いらっしゃいませ。ヘイタ様、アロンド様、サフリャ様、サイニー様、ライン様ですね?」
それぞれの名前を言って一礼した。紅葉色の長い髪が動作に合わせて揺れる。
「どうして俺たちの名前を?」
アロンドが尋ねる。
それに女は笑みを浮かべて、聞いていたからと答えた。
「魔王討伐を目標にしているということですから、実力アップは必ずするだろうということで連絡があったのですよ」
「誰から?」
半ば予想しつつ再び尋ねる。
「私はカレル様からですね。カレル様は大神様から聞いたようです。あっカレル様は私が仕える小神様で、修練場の管理をなさっている方です」
「じゃあまずはカレル様に挨拶ということになるのかな」
女は頷く。
「はい。ですので中へどうぞ。案内いたします。ああ、申し遅れました。私は雑用を担当しているフェアと言います」
よろしくと返した一行は、フェアに案内されて平屋に入る。
屋内には六つのベッドがあり、そのそばに小さな棚がある。端には生活物資が置かれていて、ここからは見えないが建物の裏には煮炊きするための簡単なキッチンと綺麗な泉がある。
この来客用建物を抜けて、渡り廊下を通って隣の建物に入る。
こちらは花が飾られていたり、使い込まれた家具があったりして生活感を感じさせる。
そんな建物にあるカレルの私室の戸をフェアは叩き、数秒待って返事がないと勝手に戸を開けた。
部屋の中にはカレルはおらず、フェアは迷いなく小さなベランダに向かう。
よく陽の当たるそこにカーペットを敷いて寝転んでいる深紅の髪の女がいた。
気持ちよさげに寝ている彼女をフェアは揺すって起こす。
「んあー?」
「カレル様。待ち人がお越しになりましたよ」
「例の?」
「はい。連絡のあった方々です」
「もう来ちゃったかー。もっとゆっくりでいいのに。居留守使えないかな」
「一緒に来ましたから居留守は無理ですね」
「あー、だったら起きないとね」
体を起こしたカレルは、あぐらになり両腕を伸ばして、眠気をとる。
腰までの髪はところどころ寝癖で跳ねていて、寝起きそのままの表情でニヘラとした笑みを浮かべた。
「やあ、ここを担当しているカレルだよ」
緩い感じのカレルに、アロンドたちはやや戸惑いつつ頭を下げる。
アロンドたちがこれまで見てきた神と違いがありすぎて、どうしても疑問が湧く。本当に神なのかと。
それを見抜いたか、カレルはニヤリと笑みを浮かべた。
「神なのか疑ったかな」
気怠げな様子でありながら鋭く見えた目で心を見透かされたように思いひやりとした一行は、背筋を伸ばす。その態度がカレルをどう思っていたかよく表していた。
エラメーラとリヒャルトという神を間近で見たことのある平太などは特に疑いの思いが強かった。
カレルは不敬とは思わず、フェアも諦めたように溜息一つ吐いた。
このやりとりは珍しいことではないのだ。
「いじわる言ったかな。すまんね。早速始めようか」
あぐらのまま、肘を足について、その手に顎を置く。
同時にフェアがお茶の準備のため部屋の隅に行く。
「始めると言ったが、最初は説明からだ。お前さんたちはここには能力を三段階目に上げるために来ただろう?」
カレルの確認に、こくこくと頷きが返ってくる。
「うんうん。そもそも能力というのは二段目まで上がるのが正常なんだ。稀に資質のある者が三段階目まで上がる。ここで三段目まで上げるのは無茶をするということになる。だから死ぬようなことも起こる。といっても死なない方法もあるんだよ。でもそれを多くの人は選ばないし、きっと君たちも選ばない」
「安全な方法があるならそちらを選びそうなのですが」
アロンドは抱いた疑問を口に出す。
「今の話を聞いただけなら当然の疑問だね。じゃあその理由を話そう。能力を三段階に目上げるのには二通りの方法がある。一つはすぐに上がる方法。そしてもう一つは十年以上かかる方法。納得したね? 君たちもそうだけど、急ぎで能力を三段階目にしたい人が多い。だから安全でも後者を選ぶ人は少ないんだ」
「納得しました。魔王や角族に苦しめられている人がいるのに、のんびりと修行するつもりはありませんし」
「わかってもらえたところで話を進めようか。能力を上げるのに死ぬことがあるといったけど、君たち五人と一匹が全員その危険があるわけじゃない」
一匹という部分で平太が反応した。そばにいるグラースを示し尋ねる。
「この子も鍛えてもらえるんですか?」
「うん。鍛えるようにと上から連絡が来ているしね。君とその子が未来で出会うためにはここで実力を上げておかないと駄目らしいね。詳しい話は私も聞いてないけど」
「そういった事情があるなら、ぜひともお願いします。話を中断してしまいすみませんでした」
気にするなと片手をぶらぶらと振り、話を続ける。
「ええと、全員に命の危険があるわけじゃないってところまで話したっけか。じゃあ誰に危険があって、誰に危険がないのかだけど」
カレルはアロンドとサイニーとサフリャを右に移動させ、平太たちは左に移動させる。
「アロンド側は危ない。ヘイタ側はそうでもない。こういった感じにわかれる」
平太とラインは資質ありとされたことに驚きを見せている。
才能や経験ならばアロンドたちの方が上だと思っていて、ここでの訓練も苦労しそうだと考えていたのだ。
「ヘイタとライン様とグラースは資質があるということですか?」
サイニーの疑問にカレルは首を横に振る。
「さっき話した資質という意味でなら該当するのはラインだけ。資質のある人間を数値で表すと一億人に一人。現在人間と色人と獣人の数を合計して約三千万人くらい? 資質があるのは本当に珍しい。その人間がここに来る可能性はどれくらいなのかな」
「……私にそんな資質があったのですね」
「気付かずに一生を終える人がほとんどだから、気づかなくても仕方ない。ちなみにグラースは資質があるとかないとか関係ない。人間よりもスペックが上だから、意識して鍛えていけば三段階目までさっさと上がる」
「ヘイタはどういった理由なのでしょう?」
アロンドが尋ねる。話を聞いていれば、平太には資質があるわけじゃないことがわかる。
少しでも安全に能力を上げるヒントになるのではと思い聞く。
だがカレルの返答はまったく参考にならないものだった。
「ヘイタはあれだね。異世界からの移動、時間の移動なんて神でも体験しないことをしているのが原因。そのおかげで魂に適応力とか柔らかさが生まれたんだ。そんな経験すれば、そりゃ能力を上げるくらいわけないさ」
「だとしたらヘイタたちは今日中にでも能力が上がるんですね」
アロンドの言葉にカレルは再び首を横に振る。
「ある程度は強くないと駄目だから。そっち方面で訓練をする必要がある。ラインは必要な強さに届いてないし、ヘイタも念を入れてもう少し強くなっておいた方が無難。今日中にやれるとしたらグラースだけ」
なるほどと一行が頷く中、ラインがどのような訓練をすればいいのか尋ねる。
カレルはお茶を配り終えて自分の分のお茶を飲んでいたフェアに視線を向ける。
「フェア、ラインに付き合ってあげて」
「わかりました。どこがいいでしょうか?」
「んー……北東の湖辺りじゃないかな。二十日もあれば大丈夫」
「ええと」
二人だけで会話が進んでいて、ラインは戸惑ったように疑問の声を上げる。
「ああ、ごめんごめん。二十日ほどフェアと一緒に魔物と戦って。戦うのはライン一人。死にそうになったらフェアが助ける。行き来もフェアが運んでくれるよ」
ね、とカレルに視線を向けられたフェアは両腕を翼に変えた。
「鳥系統の獣人だったのですね。よろしくお願いします」
「はい、おまかせください」
「俺も魔物と戦う必要あるんですよね?」
鍛えておいた方がよいと言われた平太が聞く。
「君はこの山の北側麓にある林で戦えばいい。ただし能力は使わず素の能力で。怪我した場合は能力で治療していいよ」
「わかりました。グラースは連れて行っても?」
「いいけど、戦うのは君一人ね」
「はい」
ここまででほかに質問はとカレルは一同を見る。
特に質問がないようなので、次の話に進むことにした。
「次は三段階目に上げた能力の効果について話そうか。推測になるから実際に上げてみたら別物になる可能性もあるけど」
「推測できるものなんです?」
聞いた平太に、ある程度はねと返す。
これまで何人もの能力を上げてきたのだ、推測はできる。それにカレルだけではなく、カレル以外の神が行った記録もある。そういったものから判断できる。
だが平太は別だ。
「ヘイタの再現はこれまで一度も世に出ていない能力だから、なんとも言えないのよ。だから推測はあなた以外ということになる。この中で確実にこれになるとわかっているのは一人。サフリャよ」
サフリャ自身もわかっているのだろう頷いた。
されどカレルはサフリャを否定する。
「私の考えとあなたの考えは違っているわね。あなたは三段階目を完全獣化と考えているでしょ」
「私が故郷で聞いた話はそうなのですが」
「完全獣化は二段階目の能力を極めたらできること。獣人が完全獣化を終わりと考えるのは、偉大なる祖とする獣と同等の位置に立つのは恐れ多いと本能で捉えているから。三段階目だと祖を完全に下に置くことになる。だから獣人は自分たちの能力は完全獣化までと考える」
「……」
カレルの言葉に納得するものを感じてサフリャは無言になる。
心の中には三段階目まで上げることに対して、忌避感が生まれていた。
「能力を使いこなすにはそこらへんの考えもどうにかする必要があるよ」
「……三段階目の能力はどういったものなのですか」
「力を武具や装身具に宿す。例えば靴に獣の力を宿して速さを増す。武器に宿して威力を増加させる。こんなふうに便利に使うから、本能で不敬だと思っちゃうのさ。フェアも同じく獣人で、三段階目を目指しているから話を聞いてみればいいよ」
「そうしてみます」
「じゃあ次はグラース。こっちは現状の能力が強化されるだけだと思う。放たれる冷気がさらに冷たく、より広範囲に。同じくサイニーも強化の方向性。操ることのできる水の量が増え、操る際の精度が上がる」
「最近、水を操るだけだと威力が足りないなと思って氷もどうにかして生み出せないかって思ったんですが、そちらに変化したりはしないのですか?」
「そーだねー、変化の兆候はないね。完全に氷の能力になるんじゃなくて、水に関連した能力に幅が広がるのかもしれないね。水のほかに、霧や氷も扱えるようになるとかそういった方向性」
ほうほうと頷くサイニーからラインに視線を移す。
「ラインは二通りにわかれる。治癒力の強化か対応できる幅が広がるか。幅っていうのは病気や毒の治療や体を蝕む呪いの解呪も可能になるということ」
「魔王との戦いに臨む場合は、どちらに進んだ方がいいのでしょうか」
「一概にどちらかがとは言えないね。魔王の配下には病気や毒にしてくる魔物とかいるかもしれない。もしくは腕を斬り飛ばされて強力な治癒能力を欲するかもしれない」
「現状でも斬り飛ばされた腕を繋ぐことはできますよ?」
「繋ぐだけでしょ。元通り動くようになるためには時間をかけた治療が必要になる。強化されれば一度の治癒で元通り」
それは戦いの場においてなによりの力だろう。これから激化する戦いで、アロンドやほかの仲間が大怪我しないともかぎらない。
ラインは強化の方が欲しいと望む。
そんな心の動きを感じ取ったカレルは、能力の方向性が定まったと見た。
「あなたのように資質ある者には、欲っすることがなによりの近道。その思いのままでいなさい」
「わかりました。助言ありがとうございます」
頭を下げてくるラインに頷いたカレルはアロンドに視線を向ける。
「アロンド、あなたもラインと同じく二通り。盾の強化か、盾になんらかの効果が付随するか」
「後者はどのような感じなのでしょう?」
「以前いたあなたと同じ能力者は、盾の形を変えて武器として使ったり、盾で怪我した部分を包んで一時的に異常をなくしたり、地面にいくつもの盾を敷いて爆発やトリモチみたいな罠をはったりしていたわ」
思った以上の効果にアロンドは驚いた表情を見せる。これまで使っていた自身の能力にそんな可能性があるとは思っていなかったのだ。
「あなたの能力はありふれたもの。だからこそ使い手は多く、その進化も多様」
「魔王討伐の助けになるでしょうか?」
「どのような能力も使い手次第よ」
肝に銘じた様子のアロンドから平太に視線を移す。
「あなたに関しては既に言ったけどなんとも言えない。単純に強化される可能性もあるけど、始源の神が目にかけてるらしいから、とんでもない方向に変化する可能性も捨てきれない。私も少しだけ面白能力になることを期待しているよ」
真剣味の欠片もなく、ケラケラ笑い片手を振る。
「なんという不安が残るアドバイス」
「こんな仕事をしていたら現在の能力はわかるし、進化の方向性もなんとなくわかったりするんだけどね。あなたに関してはさっぱりよ。ここまで全くわからないとすがすがしいわね」
「理由は特殊な能力だからなのか、異世界の住人だからなのか。どちらなんでしょう」
推測つかないカレルは首を横に振る。
「どっちなんでしょうねぇ。なにせ前例がないから。ほかにあなたのような異世界の人間がいればわかりそうなものだけど」
「いつになるかはわからないけど、対魔王要員として俺のような異世界の人間が将来呼ばれるらしいですよ」
「へー。ということは今回の件であなたが大きな活躍をするのかしらね」
「俺がきっかけですか?」
「なんらかのきっかけがないと異世界から誰か呼ぼうとは思わないよ。これまで異世界から誰か呼ばれたことはなく、将来呼ばれるようになるなら、その間に誰かきっかけとなる人がいたってことでしょ」
「少し先に俺以外の異世界人が来るかもしれませんよ」
「たしかにその可能性もあるけどね。私はあなたがきっかけだと思うよ。始源の神が気にかけてるし」
カレルがこれまで生きてきて始源の神ララが個人を気にかけたと聞いたことはない。それだけでなにかあると思うのに十分だった。
ララとしては異世界人がやってくることになるきっかけとなったことは、気にかけることではない。既にドラゴンがこの世界を飛び出しているので、行った先の生物を同行して戻ってくることはありえると考えていた。
ララが平太を気にかけているのはもっとほかに理由があったが、誰もその理由を察することはできなかった。
カレルといった神や人間たちは、ララをなによりも崇高な存在だと思っている。身近で接している大神ですら、そういった考えに傾ているので今後もララの考えに気づくことはないだろう。
「なんで気にかけてるのか」
「さてね。ここらで話は終わろうかー。疲れるけど働きましょうかね」
よいしょ、とカレルは立ち上がり、平太たちに手招きして歩き出す。
移動した先は最初に入った建物だ。
「アロンド、サフリャ、サイニーはそこに並びなさい」
指示に素直に従って呼ばれた三人は横一列に並ぶ。
カレルはすいっと右手を上げる。それにつられてアロンドたちは天井辺りに視線を向ける。そこに三本の剣が現れ、カレルが手を下ろすと同時に、三人の心臓の位置に突き刺さる。
いきなり攻撃されるとは思ってもおらず、アロンドたち三人は剣が突き刺さったことに驚きの表情を浮かべて、その場に崩れ落ちた。
しばし静かだったが、事態を把握したラインの悲鳴が響く。
「アロンド様っアロンド様!?」
駆け寄りアロンドの体を揺する。
その反応で平太も我に返り、どういうことだとカレルを睨む。この反応は筋違いというものだろう。命を落とすかもしれないというのは最初からわかっていたのだから。
のんびりとした雰囲気を崩さずカレルは口を開く。
「そう睨まないの。血でてないでしょ」
「へ?」
睨むのをやめて平太は倒れている三人を見る。顔色は悪いが、床に血が流れでているようことはない。
カレルの言葉が聞こえていたラインも慌ててアロンドの鎧の下に手を入れて胸を探る。その手には血は一滴もついておらず呆然とカレルを見る。
「あの剣は本物じゃない。見た目も刺さったとき体にうける衝撃も同じ。だけど怪我はさせない。できるだけ本物に近づけた幻だよ」
「幻ですか」
ほっとしたように力を抜くライン。対して平太は精神的な衝撃も体に悪いと知っていて安心はできていない。
不安を表情に表したまま平太は尋ねる。
「能力を一段階上げるためなんでしょうけど、どうしてこういった方法を?」
「命の危機を乗り越えるのが急いで能力を上げる方法だからね。目覚めることができたら能力は上がってる」
「目覚めることができなかったら」
「死ぬ。その可能性があるのはわかっていたでしょ」
あっさりと告げられたことに、ラインは再度不安な表情になり、励ますようにアロンドの手を握る。その手に力はなく、温かいはずなのに冷たく感じてしまう。
平太は不安をはらすかのように、そばにいるグラースを撫でる。
「いつ目覚めるんですか」
「丸一日は確実に意識を失ったまま。目覚めるときは遅くても三日で目覚める」
「それをすぎたら」
「失敗と見ていいね。過去一人だけ一週間後に目覚めた人がいるようだけど」
それは奇跡のようなものだから期待はしないようにと続けた。
いつまでも床で寝かすわけにもいかないとカレルは三人に触れないで浮かばせる。鎧も勝手に脱げていき、三人はベッドに横たわる。
すぐにアロンドのそばに行こうとしたラインだが、カレルに止められる。
「お前さんたちは修行だ。フェア早速そいつを頼んだ」
「はい」
頷いたフェアは行きましょうとラインの手を取って歩き出す。
手をひかれながらもラインは名残惜しそうに何度も振り返り出ていった。
「さーて私はもう一仕事」
おっくうそうに言いながらカレルはサフリャに近寄り、腹に手を置く。
「なにするんです?」
その場に残っていた平太が聞く。
「んーこの子だけ失敗しそうだから、ちょっと手助け」
「失敗ってことは死!?」
「このままだとその可能性が高いわね。気が抜けている状態だからね」
「あー」
仇討ちができて、今後に迷っていたことを平太は知っている。一応目標になりそうなことは示したが、新たな目標として心に掲げるにはまだ時間が足りなかったのだろう。
それを見抜いたカレルは、一つの情報をサフリャに与えようとしていた。
それは仇討ちがまだ終わっていないという情報だ。実は道化師の角族は三人いる。その三人は黒鎧の角族のような幹部の部下で、誰の部下であるかわかりやすくするため同じ衣装を身にまとっていた。
平太は道化師角族の生存を聞いて、それならばサフリャは死を乗り越えるだろうと確信する。
「さあさ、いつまでも話してないであなたも修行に向かいなさい」
「三人のこと、よろしくお願いします」
「私が手を出すのはここまでよ。あとはこの子たち次第」
そう言うカレルに平太は一礼し、グラースに声をかけて建物を出る。
平太もラインも寝ている三人の安否が気になり、修行に集中するのが難しかったが、危なくなれば同行していたグラースやフェアがフォローし大きな怪我をすることはなかった。
そんな鍛練で負った怪我を、能力で治療しているラインにフェアが話しかける。
「ラインさん。言いたくはありませんが、言っておかないと駄目だと思うのでしっかり聞いてください」
その真剣な声音にラインは治療を止め、背筋を伸ばす。
「この調子でやるなら修行しない方がいいです。そのように気が入っていないと大怪我しますし、私も付き合いきれません」
「……ごめんなさい」
「心配なのはわかります。ですが仲間ならば、今頑張っているあの三人に対して恥ずかしくないような行動をあなたはすべきです。彼らも努力中、なればこそあなたも負けないような努力をしなければなりません。ただでさえあなたは一番実力が下、このままでは彼らによりかかるだけで負担にしかなりませんよ」
「……はい」
前線からここまでの旅でわかっていたし、追いつけるように努力もしていたつもりだ。
だがアロンドたちに甘えていたところもあったのだろう。だから今もなお守られている立場だ。
並び立ちたいのならば、ここでの努力は大事だ。
そう思えたラインは頬を叩いて、心配する思いは心の底に押し込める。
これまでと違って瞳に不安な色はなく、やる気に満ちた感情が見えたことで、フェアは満足そうに頷いた。自分の時間を割いて付き合っているのだから、実りある時間にしてもらいたいのだ。
「よろしくお願いします」
再度の礼を受けてフェアは魔物の気配を探り、ラインを案内する。
その後の戦いでは戦闘技術は拙いままだが、動きや周囲への警戒はまるで違った。怪我をする機会も減り、これならば大丈夫だとフェアも笑みを浮かべた。
その日、日が暮れる前に平太たちとラインたちは戻る。
アロンドたちは眠ったままで、目覚める様子も苦しそうな様子も見せずにいる。
ラインは、悪い方向にいっていないことにほっとしつつ、まだまだ不安が続くことに溜息を吐く。
夕食はフェアが作ってくれるということなので、ラインは寝ている三人の体をふいて世話し、平太は屋外でグラースのブラッシングを行う。
「ちょいといいかい」
ブラッシングを終えた平太に寝癖がついたままのカレルが近寄る。
「なんですか?」
「よその世界にあるリラックスグッズを知ってたら教えるのだー。よりだらけられる快適生活のために」
「……ほんと俺の知ってる神様とイメージが違う」
「会ったことがあるのは未来でかい?」
「そうですよ。すごくお世話になりました。親神でもありますし」
「ふーん。ま、よそはよそ、うちはうちさ」
「だらけたいのに、どうして修練場の管理者やってるんですか? 人里離れたところで寝て過ごしていてもおかしくないのに」
それにカレルは大きく溜息を吐いて答える。
「こういった場所の管理は資質が必要なことがある。私がそれをもっちゃっていたからなんだなー。ほんとは海底深くで寝て過ごすか、雲のように空で流されるまま過ごしたい」
「それは……ついてなかったって言っていいんですかね?」
「私にとってはね。だからそんな日々を過ごす私にリラックスできる品をちょうだいな」
「リラックスですかー」
そう聞かれすぐに思いついたのはマッサージチェアだった。祖父母の家にもあり、祖父母や両親が気持ちよさげに座っていたのをよく覚えている。
だがあれは電気で動いている。マッサージチェアそのものは用意できても、電源までは無理で却下した。
次に思いついたのはマッサージ繋がりで、マッサージローラーだ。
これならばいいかなと思ったが、疲れた際に使うようなもので、神にコリなどあるのかと疑問に思う。
「マッサージ関連の品とか思いついたんですけど、神にそういったものって効果あるでしょうか?」
「少しはあるかな。でもほかの物を希望したい」
「考えてみます」
マッサージが駄目ということで、ほかに考え始める。
何かヒントはとこれまでのカレルの様子を思い返し、数時間前に会ったばかりのときの様子を思い出す。
「低反発枕とかウォーターベッドですかね。といってもベッドの方は再現無理なんですけどね」
枕はこんなのですと再現し渡す。
受け取った枕のこれまでにない感触にカレルは、おもしろーいと笑う。
それをぐにぐに揉みつつ、ウォーターベッドに関して尋ねる。
「水が漏れない布のようなものに水を入れてベッドの形に整えたものだと思います。ぴったりと体の形にあって過ごしやすいんだとか」
実物を見たことがなく詳しい知識を持っていない平太は単純な構造だと思っているが、ただ水を入れているわけではなく、もう少し細々としたしかけが施されている。
間違った知識を伝えられたカレルの脳裏には、革製水袋に寝転がる自分が思い浮かんでいる。それではポヨポヨしすぎて安定しないだろう。
「いまいちイメージができないなー」
「でしたら」
寝具特集の雑誌を再現して、そこに載っているウォーターベッドを見せる。
ちょっとした図解も載っていたので、カレルもどういったものか理解した。
「こういう眠るときに使えるものはいいよね。ほかになにかある?」
「すぐに思いつくのはハンモックとかアロマとか。こっちでも珍しいものじゃないですよね」
「そうだね。ハンモックはそろそろ出そうかなって思ってたし、アロマも市中に出回ってる」
言いながら雑誌に目を落とす。ベッドや枕や毛布、ほかに家具といった色鮮やかなものが何種類も載っていて、文字は読めないが見るだけでも楽しい。
「これを借りていくよ」
「いいですけど一時間もせずに消えますからね」
「りょーかい」
プラプラと手を振って屋内に戻る。
調理準備をしていたフェアにも借りてきたと言って見せて二人で楽しんでいた。
なにげに異世界というものを信じ切れずにいたフェアにとって、この色鮮やかな雑誌はこちらの世界にないものという決定的な証拠になった。
翌朝、三人が起きていないか平太とラインは起き出してすぐに確認したが変化はなかった。
朝食後、昼食用のパンをもらい平太とグラースは山を下る。ラインもフェアに抱えられて移動する。残ったカレルは三人の様子を見て、同じ部屋のベッドに寝転んだ。
鍛練を終えて帰ってきても、三人は眠りっぱなしで、平太とラインの心に焦りが生まれる。だがまだ余裕はあると自分に言い聞かせるのだった。




