41 初対面の再会
「私も入っていいと言ってもらえるとは思いませんでした」
頑丈な杖を持ったラインが言う。キュロットスカートをはき、動きやすさを意識した服装と靴だ。
「いつまでも留守番というわけにはいきませんからね。様々な場所を歩いたり野宿したりして戦い以外の経験も積まないと今後の移動に支障をきたします」
「そうですね。ここならば経験を積むにはいいところだと判断したのですね?」
「最適かどうかはわからないけれど、悪くはありません」
人が歩くために整備された道はなく、あるのは獣道。お世辞にも歩きやすい場所とはいえない。
これまでラインが歩いてきた場所はほとんどが整備された場所なので、ここは移動の鍛練には適しているはずだ。
ここで自在に動き回ることができれば、見晴らしのいい荒地で転ぶようなことはそうそうないだろう。
まずは歩くことだけに集中してくれと言うアロンドに、ラインは頷く。
「歩くことに不都合がなくなると、次はサフリャさんのように周囲の警戒をしながら進むのですか?」
「理想はサフリャのように動けることですが、あそこまでは大抵の人間が無理なのでまずはどこか一方向に注意を向けられるようになってください」
「わかりました。ちょっとした疑問なのですが、、サフリャさんはどのくらいのことをしながら歩いているのでしょう?」
「サフリャが感じ取っているものは多いですよ。まずは全方向の物音、足跡、草木の折れ具合、遠方の風景、風の向きと匂い。そういったものに等しく注意を向けて、異変を探っています。獣人としての能力もあって、俺やサイニーさんではとても真似できるものではありませんね」
「サフリャさんが感じ取っているものは私も感じ取れていますが、そんなにすごいことなのですか?」
「誰にでも感じ取れる当たり前のものですが、当たり前のものとして流さず、全てに気を配るというのは難しいのですよ」
試しにやってみてくださいと促されラインはあらゆるものに感覚を向ける。
そんなラインにアロンドが声をかける。
「ライン様」
「はい?」
「今呼びかけましたけど、遠くの気配や匂いといったものから意識が外れませんでしたか」
「あ」
言われて気づき、ラインは右手を口に当てる。
「難しいですね」
「でしょう? サフリャはこういった会話を聞きながらも周囲に注意を向けているんですよ。あの索敵技能の高さには何度も助けられています」
なるほどと頷いたラインは、真剣な表情で先頭を進むサフリャに敬意の篭った視線を向けた。
そんな視線も感じているであろうサフリャは気にしないで歩き続ける。そしてふと足を止めた。
「向こうから視線と獣の匂いを感じた」
サフリャが指差した方向には木々と雑草が生えた地面がある。
全員でそちらを見ていると、緑の風景の中に灰色の動くものが現れた。
ザザザッと音を立てて近づいてくるものを、狼の魔物だろうと考えて、ラインを中心に陣を組む。
前に出たのはアロンドでラインの左右に平太とサフリャ。ラインの背後にはサイニーが立つ。
平太たちが動く間に、狼たちはその姿を現す。
灰色の毛皮で、胸の辺りは白い。ほとんどが琥珀の目だが、一匹だけアイスブルーの狼がいる。
狼を見るサフリャは鼻に届いたかすかな匂いになにかを思い出そうとして思い出すことができない、そんな表情になっている。不快な臭いだが、大事なことのように思えてもどかしい。
一方、平太はそのアイスブルーの目の狼を見て、驚き動きを止める。
(グラースか?)
体格に差があるものの容姿はそのまま平太がよく知るグラースだ。
世の中に似た人間は何人かいるということなので、動物でも似た容姿のものがいても不思議ではない。なのでよく似ているだけなのかと平太は戸惑いを抱いている。
だがすぐに疑問は確信に変わる。アイスブルーの目の狼が冷気を放ちだしたのだ。
冷気が放たれるのと同時に、ほかの狼たちも唸り声を上げる。
「祝福持ちか」
アロンドは警戒した視線を向け、一番最初に倒すべき相手だと認識する。
平太はこのままでは殺される可能性もあると慌てて、あれは俺が相手したいと頼む。
「いいけど、どうしてだ?」
狼たちから目を離さずにアロンドが聞き返す。
「説明がめんどうな関わりがあるんだ。混乱すると思うけど聞く?」
これまでの付き合いで、出身地などを誤魔化さず打ち明けてもいいだろうと思ったのだ。
「こいつらの相手が終わったら聞こうか」
さすがに戦いながら聞く余裕があるかは怪しく後回しにする。
二人が話している一方で、退く様子がないと判断した狼たちが動き出す。
グラースが冷気を放出し、生まれた凍てつく風を追って地を蹴り素早く這うように駆ける狼たちに、アロンドとサフリャが武器を構えて迎え撃つ。
狼たちは飛び上がることなく、そのまま足を狙って口を開く。
アロンドとサフリャは武器を振るって接近を拒み、グラースを見据えていた平太は迫る狼を飛び越える。
平太は走りながら、グラースの体臭を再現する。グラースの気を引ければと思った使用だが、ほかの狼たちも急に増えたグラースの匂いにつられて動きを止める。
肝心のグラースは、人から獣へ匂いの変わった平太に戸惑いを見せたあと、警戒を高める。
「なんで?」
動きを止めた平太は疑問の声を漏らす。
能力を使えるグラースだからこその警戒だった。能力を使って、自身に似せて油断を誘おうとしている。そのように考えたのだ。
「ほら敵対する意思はないぞ? 人の言葉は理解できているんだろう?」
平太は剣を鞘に納めて言う。
グラースにとってはこれが初対面でも、平太にとっては散々世話になった相棒だ。できれば戦いは避けたかった。
戦意を欠片も見せない平太にグラースは疑問しかない。どうして初めて会ったのに仲間を見るような目を向けるのか、さっぱりわからない。
平太が一歩進むと、グラースが一歩下がる。
数歩進んで距離が縮まらないことで、平太は腕を組んでどうしようか悩む。
(警戒はされているものの、攻撃は受けていない。取り入る余地はあるはず)
そんなことを考えている平太を見て次に仲間たちに視線を動かしたグラースは、あちこち怪我をしている仲間に吠え、木々の向こうへと走り去っていく。グラースの仲間たちも追って去っていった。
素直に退いたのには、アロンドたちがこれまできたどのハンターよりも強いからという理由もあった。
「いきなり仲間になるってのは都合良すぎなのかな」
平太はグラースが去っていった方向を見ながら言い、アロンドたちのところへ歩く。
ラインが負傷の確認をしているが、誰も怪我しなかったようで取り出していた消毒液や水筒をしまっている。
「で、どういった関係なんだ?」
「再会した、出会ってもいない仲間」
その返答にはアロンドのみならず、ほかの者たちも首を傾げる。
言葉の意味を考えて、理解できなかったのだろう困惑しか表情に浮かんでいない。
「ぶっちゃけると遠い未来で出会ったんだ。あの冷気を操る狼の名前をグラースっていうんだけど、あいつ封印されていたんだ。封印が解けて初めて会ったときから俺に懐いていた。なんでだろうと思っていたけど、今ここで会っていたからなんだな。きっとこれから先一緒に行動するんじゃないかな」
「……うんっまだいまいちわからない」
もっとわかりやすくというアロンドに、平太はわかったと返す。
「ややこしいんだけどね。俺は別の世界の住人なんだ。おっと怪しむのはわかるから、最後まで聞いてくれ」
なに言っているんだという顔をしたアロンドたちに、地球にいたこと。こっちの未来の世界に召喚されたこと。しばし滞在して地球に帰ったこと。また召喚されて、魔王の幹部の頭上に現れたことを話す。
「以前言っていた行くのが難しい故郷というのは、隠れ里のような場所ではなく、遠い未来のことだったの」
納得半分疑い半分のサイニーにそうそうと頷く平太。
「たしかにクルマは異文化を感じさせますね」
車に違和感を感じていたラインは地球のものということに、むしろ納得した様子を見せる。
「車はこっちの世界独自のものもあるけど、それの運転方法を知らないから、地球で使ったことのあるものを再現しているんですよ」
「こちらのクルマは、あなたが乗っていた車を見た人が、それをヒントに作り上げ世界に広げたものかもしれませんね」
「そういうふうに言うってことはライン様はヘイタの言うことを信じたの?」
完全には信じてはいないサイニーが聞く。
ラインが言うように自身の見知っている文化とはかけ離れたものを車に感じてはいたが、世界の全てを知っているわけでもないので、遠く離れた地で発展した技術が使われている可能性も考えたのだ。
「私も完全には信じたわけではありませんよ。理解の範疇を超えているから深く考えることを放棄しただけで」
もしも車が遠い地の技術を使われて作られたものだとしても、見知らぬ土地のことは異世界も同じという考えもあった。
ラインのその考えを聞いて、アロンドたちもそうだなと納得する。
「ヘイタとグラースの関係はわかった。ヘイタとしては戦いたくないのか?」
アロンドの確認に平太は頷いた。
「そうだね、戦いたくはないね。まああれだけ懐いてくれたことから考えると争っても和解するんだろうけど」
その意見を聞いてアロンドは思いついたことがある。それだけ仲が良かったのなら、グラースの記憶を再現できないかと。
記憶を再現すれば、どうして狼たちが動き始めたのかわかるのではと思ったのだ。
早速尋ねられた平太はなるほどと納得した様子を見せ、再現を使う。
再現したのは今会ったグラースの記憶ではなく、相棒として過ごしたグラースのものだ。
「んー?」
グラースの記憶をさかのぼる平太は、封印が解ける直前から記憶が急にぼやけたことに首を傾げる。
それでもなんとか記憶をさかのぼり、さきほど出会ったところまでくる。そこからはまた鮮明な記憶となった。
「上手くいかなかったのか?」
「いやそうじゃないんだ。ただ一定期間の記憶がぼやけている。誰かの手が入ったみたい……神様か俺が隠した?」
未来がおかしな方向に進まないよう記憶を隠したのだろうか、そんなことを考えている平太にアロンドが声をかける。
「考えているところ悪いが、今回のことを知るのになにか問題あるのか?」
「ないね。あとで一人で考えてみることにしようか」
記憶隠蔽はひとまず置いておくことにして、グラースの記憶を探り、なにが起きたのか知る。
平太は周辺を見回して、なにかを探す。平太の感知能力ではなにもわからず、静かな森がそこにあるだけだ。
「俺じゃわからないか。ひとまず森を出たいんだけどいい?」
平太の提案に、皆は頷く。真剣な表情からなにかしらの情報を掴んだと見たのだ。
森から出るまでに魔物と遭遇することはなく、そのまま町の宿に戻る。
部屋に入ると、皆から促されて平太は口を開いた。
「狼の魔物たちが暴れ始めたのは、彼らの本意じゃないんだ」
「突然暴れ出したってことだからなにかしらの理由はあるんだろうね」
「うん、厄介な理由がある」
その言葉にアロンドたちは表情を引き締める。
「角族が狼たちの子供を人質? 人じゃないから人質とは言わないのか。とにかく子供の狼を誘拐して、狼たちに魔王軍の配下になることを命令しているんだ」
「角族っ」
一番の反応を見せたのはサフリャだ。
故郷を滅ぼしたのは魔物だが、それを操りけしかけたのは角族なのだ。恨みがあって当然だった。
「まだあの森にいるの?」
殺意の篭った視線に平太は少しのけぞる。
サイニーがサフリャの肩を軽く叩いて落ち着かせたことで、平太が殺意の視線にさらされることはなくなった。
「ごめん。それで角族はまだいるの?」
「わからない。頻繁に様子を見に来てはいるらしい。いつも突然飛んできて、去っていくんだとか」
「ちなみに姿はどうなの」
「白と黒の道化師」
「あいつかっ」
サフリャの記憶にしかと刻み込まれている角族。それは魔物たちが暴れる様子を上空から笑って見ている道化師だ。
狼の魔物たちには道化師の匂いが少しだけ残っていた。サフリャはそれを嗅ぎ取り、記憶を刺激されたのだ。
皆の仇が近くにいるということで、一度は収まった殺意が歓喜と共にあふれ出す。
「へんなところで出会ったもんだ」
アロンドの言葉に、サイニーがそうねと頷く。
「大陸東側でも角族が暴れ出す時は来る。その予想はしてたけど、遭遇するとはね」
「前はやられたけど、今回の角族には勝つ。少しは実力が上がっているし、仲間も増えた」
ぐっと拳を握って気合いを入れるアロンドに、平太が声をかける。
「グラースの仲間を助けることになるから戦うのに異論はないけど、どこにいるのかわからない。そこはどうすんのさ。待ち伏せ?」
「待ち伏せするしかないかな。本当は強襲したいんだけどな。飛び去る方向がいつも決まってる、とかそういった居場所に関する記憶はないのか?」
「んー、ちょっと待って」
記憶を探るからと目を閉じてグラースの見たものに集中する。
グラースの仲間たちも大人しく従っていたわけではなく、子供を取り戻すため角族のあとを追ったことがある。
しかし角族も追われることは承知済みだったようで、現れるのは夜。そして移動は空を飛ぶ。夜闇に紛れて空を移動されてはグラースたちも追跡はできず、いつも去って行く姿を眺めることしかできなかった。
それだけでも得られる情報はあった。飛び去っていく方向がいつも同じなのだ。
「この町から見て南東の方角にいつも去っていくらしい」
「西に飛んでたら、大陸西側の本拠地に帰ってるんじゃないかって思えたけど、東に去っていってるならこっちに隠れ家を持ってるかもしれないな。南東に行ってみて、隠れられそうなところを探ってみよう。見つからなければ待ち伏せ」
これでどうだとアロンドが提案し、サフリャは道化師の角族が倒せるのならどのような計画でもかまわないと答え、残りの三人は問題なしと頷いた。
「あ、ボーグヘッド工房のお孫さんに関してはなにか情報ありましたか?」
角族がいるという大きな情報に忘れ去られていたことをラインが思い出した。
それに平太は首を横に振った。グラースの記憶では森の中で出会った人間はいなかったのだ。
ほかの狼に襲われたか、なにか別の要因で行方知れずになったのか。角族がいるとわかった今、それに襲われた可能性もある。
話し合いを終えた平太たちは夕食まで鍛練を行う。
日が暮れ始め、宿に入る。そのまま食堂に移動し、夕食の注文ついでに従業員に南東の地理を尋ねる。
「南東ですかー、特に有名な場所はありませんよ? 小さな山とか林とか湖とかですねぇ」
「最近、そこらへんで異変が起きたという話は聞いてる?」
魔物が増減したとか、とサイニーが聞く。
従業員は腕を組んで少し考え込んで、聞いていないと首を横に振った。
サイニーが情報に対して礼を言うと従業員は去っていく。
現地の情報収集でなにかわかることを期待して、五人は料理を待つ。
翌朝、出かける準備を整えた五人は自警団の者たちに会いに行く。
「周辺地域の人たちに情報を聞きに行く? どうしてまた」
森での探索を一度引き上げてでかけてくるというアロンドの言葉に自警団の代表は首を傾げる。
角族がいるという情報は、彼らに伝えていない。彼らでは手に負えないだろうと判断したのだ。町人に伝わってパニックを起こされても困る。
「探索系の能力持ちが仲間にいるんだ。そいつが狼以外の魔物が夜中に森を出入しているという情報を得た。狼が暴れ出したのはそいつが原因かもしれない。そう思ったんだよ。あとは行方不明者がそいつにさらわれた可能性も疑っている」
「能力でか……わかった。こっちはなにも情報がない状態だし、森から出てくる狼どもの対応もしなけりゃいけない。そっちまで対応できないから、行ってくれるというなら助かる」
「任せてくれ。それでちょっと聞きたいんだが、南東方面で隠れるのにちょうどよさそうな場所はあるか?」
「南東なぁ、これといって隠れるのに適している場所はないぞ。ありふれた林とかがあるだけだ」
「そうか。昨日他の人にも聞いたんだが、同じ返答だったよ。手あたり次第に探ってみるしかないな。ちなみに南東方面の村で行方不明者が出てないか?」
「そういった情報は入ってないが、届け出が出てないだけかもしれない。村長たちから情報が聞きだしやすくなるよう、紹介状を書いておく」
さらさらと書かれた書類を受け取り、南東方面にある村の位置を聞いてから五人は村を出る。
とりあえずは村を回ってみようと車に乗って移動する。
いくつかの村を一日かけて回り、行方不明者や空を飛ぶ魔物や隠れるのにちょうどよさそうな場所に関して情報を集めた。
これはという確信を持てる手がかりはなかったが、とある村で怪しいと思えるものはあった。
それは小さな山から少し離れたところにある村で得た情報だ。
一ヶ月以上前の話になる。夜の見張りに立っていた者がふと空を見上げたところ、夜空を横切る影が山に下りていったのを見ていたのだ。大型の鳥の魔物が一夜を過ごすためやってきたのかと思ったらしい。そういったことは見張りを始めて一度もなかったので、よく覚えていたのだ。
ほかの場所で有力な情報を得られなかった五人は、その村に戻って山の情報を集め、山に入ることにした。
サフリャを先頭にして、真ん中はサイニーとライン。最後尾は平太とアロンドという順番で進む。
わずかな異常でも逃さないとサフリャはいつもよりも集中して周辺の様子を探っている。
真剣すぎるその様子からは頼もしさよりも、心配の思いの方が先に立つ。集中力ももたないのではとほかの四人は考え、適当なところで休憩を提案するつもりだ。
「魔物が出てこないな。いないのか隠れているのか、サフリャの感覚でどちらかわかるか?」
アロンドが聞き、サフリャは足を止めて振り返る。
「前者。でもゼロじゃない。少ないけど隠れている気配がある」
「角族に恐れをなして隠れているのかしらね」
サイニーが周囲を見渡しながら言う。サイニーの感覚では静かな山ということしかわからない。
「その可能性はある」
そう言ってサフリャは調査に意識を戻す。
一時間ばかり山を歩き回り、少し開けた場所に出たところでアロンドが休憩を提案する。
のり気ではないサフリャがなにか言う前に、平太がティーバッグとサフリャが好むフルーツパウンドケーキを再現して、切り分け始める。サイニーもお湯を沸かしてお茶の準備を始めた。
一人進むという雰囲気でもないため、サフリャは溜息を吐くとその場に座って目を閉じた。
すぐに紅茶の香りが植物の匂いに混ざって周辺に漂う。
「ほいよ」
「ん」
サフリャは平太が差し出したケーキを受け取り、一口齧って表情を綻ばせる。ある程度はりつめたものが緩んだようで、様子をうかがっていた四人は小さく笑む。
それぞれがおやつタイムを楽しみだし、五分ほどするとサフリャの感覚が近づくなにかを捉える。
それを伝え、視線を近づいてくるものに向ける。平太たちも静かにして、サフリャの視線の方角に気を向けている。
がさがさと木の葉や雑草を踏む音をさせながら姿を見せたのは、どこかぼろく見える痩せた狼の魔物だ。体格は森で遭遇したものより、やや小さい。そして後ろ足の一本を怪我しているようでひょこひょことした歩き方になっている。
平太たちから少し離れた場所で足を止める。警戒した様子は見せるものの、戦意は感じられない。
「襲いかかってくるという感じではありませんね」
そう言いながら気を緩めたのはラインだ。
「なにしに現れたんでしょうかね」
平太はグラースの仲間と見て、狼に心配そうな視線を向けている。
ほかの三人は、この狼が囮という可能性を考え、いまだ警戒を解かず周囲に視線を向けている。
その場から動かない狼を見て、平太はグラースだったらどういったときにこのような仕草を見せるのか考える。
「……腹が減ってる?」
なんとなくそう思った平太はラフホースの肉塊を再現し、少しずつ近づく。
そんな平太をアロンドたちは止めず、なにか起こればすぐに動けるようにして見守る。
狼の視線は肉に固定されている。よほど腹が減っているのか、警戒することも忘れて、肉の動きに集中している。
目の前まで移動し、平太は肉を置く。
狼は平太のことなど気にならぬとばかりに、早速肉に食らいついた。
平太はそっと狼に触れる。狼はわずかに反応を見せたが、今は腹を満たすことが最優先だと撫でられるがままだ。
「ラインさん」
「はい?」
「足を治してあげたいんですけど、骨が折れていた場合このまま治癒の能力を使ったら骨がおかしなくっつき方をしたりしますか?」
治癒の能力を再現できても知識までは得られない。オーソンやラインの知識を再現すれば大丈夫だろうが、すぐ近くに専門家がいるので聞いた方が早い。
「ええ、ある程度骨の位置を正してあげる必要はあります。……見た感じでは骨が折れているようには見えませんから、触診で調べてみた方がいいですが」
さすがに怪我している部分を触らせてはくれないだろうと考える。
「この子が肉を食べ終わったら触っていいか聞いてみましょう」
「人の言葉わかるんでしょうか?」
「グラースは理解してましたよ。この子たちは頭のいい魔物なんじゃないでしょうか? 駄目なら駄目で諦めるしかないですね」
グラースの仲間だから助けたいのだが、治療行為をさらに傷つけるものだと判断されて敵対される可能性もある。そうなると殺すことになるかもしれないので、ひくことも考える。
やがて狼は肉を食べ終えて、平太を見上げる。
目に宿る感情には警戒心はあっても敵対の意思はない。
「今から君の怪我を治したいんだ。そのためには足に触れる必要がある。大丈夫かな?」
「……」
平太の言葉に無言のままでいる。
平太は試しに狼の足に触れる。嫌ならば唸るなりして警告を出すだろうと反応を待つ。
足に触れられた狼はわずかに身じろぎするものの敵対の意思は見せない。
「大丈夫だと思うんでラインさん、触診お願いしていいですか?」
「わかりました」
近づいてきたラインは、平太に狼を抱きかかえてもらい、怪我をしている足にそっと触れる。狼が反応を見せないことで、ゆっくりと指で押したり、足を掴んで動かす。
足を動かされた狼は、痛みに耐えるようにうめき声を漏らしているが、ラインに吠えるようなことはなかった。
診察を終えて一歩離れたラインは骨は折れていないと告げた。
「切り傷と捻挫、ほかにひびが入っているかもしれません。ですがこのまま治癒の能力を使って問題ありません。早速使います」
「お願いします」
頷いたラインは能力を使い、終わると離れていく。
平太はそっと狼を地面に下ろす。
狼は痛みのひいた足を動かして異常がないことを確認すると、平太たちから離れていく。そして一定距離まで離れて振り返り、一度吠えて動かず平太たちを見る。
「ついて来いってことか?」
アロンドが平太に聞き、平太はたぶんと頷いた。
ついていくか話し合い、行くと結論を出した。それを見た狼が歩き出す。
狼の進路には道などなく、藪や小さな段差を越える。
平太たちは木の葉などを服につけつつ移動し、やがて洞窟を見つける。
「角族の隠れ家か? サフリャ頼む」
罠などがないか調べるためサフリャが入口に近づく。
サフリャは洞窟から流れ出る空気の中にわずかな異臭を感じ取った。それは肉が腐ったようなものだ。
「誰かが出入りしている跡はある。この場から見た感じだと罠はない」
言いながら洞窟の中に手を伸ばす。指先にビリッとしたものを感じてすぐにひっこめた。
「出入りできないように結界みたいなものがはってある。こういうものは能力的にアロンドの方が詳しいでしょ」
かわりに調べてみてとサフリャはアロンドと交代する。
アロンドも手を伸ばし触れてみる。ビリッとした感触のあと、入口を見回す。そのあと入口端の土を掘って、痺れる感触があり、そこも結界の範囲だとわかる。
「魔術や魔法じゃないな。角族か誘拐されておどされた人の能力だ。無理矢理通ろうとすると痛いじゃすまないだろう。その狼の魔物は結界の薄いところを無理に通ったんじゃないかな」
「こんなものがあるということはここが当たり、ということでしょうか」
「おそらくは。ヘイタにその狼の記憶を探ってもらえば確定すると思うが」
能力で記憶を再現した平太は、この狼がさらわれた一匹であるということ。なんらかの方法で結界をはったのは角族ということ。さらわれてからここに運ばれてきたときの戦いで負った怪我が治らないままということ。食糧を与えられていなかったということ。角族が人の血をつけて姿を見せたことがあるのを知る。
角族が人の血をつけていたということから、もしかすると森に入り帰ってこなかった者たちは角族に殺されたかもしれないと考える。
平太は顔を顰めながらそれらの情報を皆に伝えると、同情的な視線が狼に向けられた。
特にサフリャは角族の行いに強い怒りを感じているようで、血が出るかという強さで拳を握り、歯を食いしばっている。
「最初から無事に返すつもりはなかったんだな。早くこの結界を解いてやりたいが、今の俺じゃどうすることもできん。ヘイタは再現でどうにかできないのか?」
「これって強い攻撃を当てれば解けるような代物?」
心当たりのない平太は逆に尋ねる。
「力技でぶちぬくというのは、結界を破る方法の一つだからやってみる価値はあると思うぞ」
「じゃあ、ちょいとやってみましょうかね」
狼を含めて皆に下がってもらい、入口の前に立つ。
平太の再現できる中で一番の威力があるのはグラースの冷凍砲だ。
手のひらを入口に向けて、収束された大量の冷気を放つ。
白い流れが洞窟の入口に当たり、そこで流れが止められる。その余波で周辺の雑草が凍りつき、冷風がアロンドたちの体を打つ。
数秒間の放出ののち、再現が終わる。
留守中だったか洞窟内部から角族が出てくるようなことはなかった。
「ぶちぬけなかったと思うけど」
どうだろうかとアロンドを見て聞く。
「駄目だな。あれでどうにかできないなら、俺たちで力づくはダメそうだ。あとは角族を倒すのしか思いつかないな。解除の能力を持つ奴を探すっていうのも手だけど、都合よく見つからないだろうし」
「望むところっ」
角族との戦闘に今から気合いの入った様子を見せるサフリャ。
「思いっきり怒りやらを叩き付けるといいいよ。んで、これからの予定はどうしようか。ここで待ち伏せるか、森で待ち伏せるか。この二通りだと思うけど」
平太の提案に、アロンドたちは考え込んで、森で待つことを提案する。
森に帰れば、助けた狼を通じてグラースたちの協力を得られるかもしれないと考えたのだ。
サフリャはいるかもしれない生き残りを気にしてはいたが、仇討ちを優先した。
それを聞いて平太は狼と視線を合わせて話しかける。
「俺たちは君たちの森に戻って角族と戦うけど、君にもついてきてほしいんだ。どうだろう?」
狼は一度洞窟を振り返り、平太のそばに来て吠えた。
共に行くというニュアンスを感じた平太は礼を言って立ち上がる。
山から下りた一行は、そのまま車に乗り込んで町に向かう。




