34 帰還……
季節は流れ、春が終わり、夏も終わりが近づく。
この間にシャドーフが現れるようなことはなく、警戒は怠らなかったが穏やかな日々を過ごすことができた。
春には知人が集まって花見を行い、夏には二度目の夏祭りを経験し、今年もロナたちと祭りや黄光虫の乱舞を楽しんだ。
秋の虫の鳴き声がちらほらと聞こえてきている夜、家のどこかの扉が勢いよく開かれた音が聞こえてきた。
そしてドタドタと足音が平太の部屋に向かう。再び勢いよく扉が開かれた音がしたが、平太は今リビングでロナやミレアと話していてそこにはいない。
再び走る音がしてバイルドがリビングにやってきた。
「完成したぞ!」
どうだと胸をはり、平太に向かって言い放つ。褒め称えられることを想像していたが、平太はきょとんとしてなんのことだかわかっていない。
「完成したってなにが?」
なしとげたことが伝わらずバイルドはもどかしそうに続ける。
「わからんのか!? 帰還用の魔法じゃ!」
「っ!?」
平太がガタンッと勢いよく立ち上がる。無表情無言のままバイルドに近づいて両肩を掴む。
圧力におされるようにバイルドは一歩下がろうとして止められる。
「な、なんとか言ったらどうなんじゃ」
「……本当なんだな?」
肩を掴む手に力を込めながら聞く。
「痛いから力を抜けっ。本当だ。あとは材料を神殿からもらって設置して、作動実験を行えば完成じゃ」
「そっか」
大きな安堵が平太の心に生まれ、体からは力が抜けてその場に座り込む。
「おめでとうございます」
「おめでとう」
ミレアとロナが声をかけて、両側から平太を支えて立ち上がらせる。
魔法が完成したということは平太との別れが間近ということだ。ロナの表情にはほんの少し寂しさが現れているが、帰還は平太が望んでいることなので止めることなどできない。ミレアの表情はいつもとかわりなく、帰還をどう考えているのかわからない。
喜びを噛みしめている平太を椅子に座らせて、ミレアはバイルドに一礼する。
「お疲れ様でした。しかし思ったより早かったですね、よほど順調に進んだのでしょうか」
ミレアの言葉にバイルドは微妙に納得していない表情を浮かべた。
「順調というかのう、一度つまりそうになったんじゃが、そのときに夢を見てな? その夢ではわしが順調に魔法を使っていて、つまりそうになっているところもばっちり見えた。ためしにその通りにやってみたらスムーズに進んでなぁ。じゃから完全に自身の力で作り上げたかと言われるとどうなのか」
「夢、ですか。なんにせよ、完成させたのはご主人のお力です。喜んでいいと思います」
「……そうじゃな」
翌日、早速平太はグラースと一緒に神殿に向かう。その平太を見送ったあとミレアも出かける。今夜は祝いのためご馳走にするつもりで、いい食材を探すつもりなのだ。そのほかにファイナンダ商店にも向かう予定だ。
平太は町中を歩きながらこの光景も見納めなのだと考える。自然と歩調が遅くなり、心に刻むように周囲を見ながら歩く。
そうしているうちに神殿に到着し、エラメーラの部屋に向かう。
「いらっしゃい」
「おはようございます」
椅子に座り平太を待っていたエラメーラは手招きして、平太に椅子を勧める。
「おはよう。昨日のことは見ていたから知っているわ。今日来た用件もね」
「魔法を使うのに必要な材料はあるんでしょうか」
「もちろん準備できている。大神様が用意してくれていたわ」
「そうなんですか、俺が礼を言っていたと伝えてもらえますか?」
エラメーラは頷く。
平太の帰還を祝う穏やかな表情の裏で疑問も抱いている。それは平太にではなく、大神にだ。
帰還用にと渡された材料の量がどう見ても多かった。起動実験用に余分に渡すにしても、もっと少なくていいのだ。
さらに疑問を抱かせたのは、平太が帰ったら開けるようにと渡された封筒だ。用件があれば材料を受け取ったその場で伝えればいい。わざわざ平太の帰還後に開けろというのが、なにか予感を抱かせる。
少しだけ帰還を中止させた方がいいのかもと思ったが、魔法完成を喜ぶ平太を見るとその提案は躊躇われる。
「必要な材料はあとでバイルドの家に運ばせるわ」
「ありがとうございます」
「それにしてもあなたがこちらに来て一年と少し、早いものね」
「驚きの連続でした。この一年はような濃密な時間は、向こうに帰ったらもうないでしょうね。少しだけ残念に思えてきます」
喉元過ぎればなんとやら。召喚された当初は迷惑でしかなかったが、今となってはいい思い出とも思えてくる。
地球では感じられない楽しさがあった。地球では見れない素晴らしい光景があった。地球ではありえない良い出会いもあった。
地球に帰ればそれらは二度と感じられないだろう。だが帰還を止めることはない。こちらでの生活は良い経験だったが故郷の生活を捨てられるものではないのだ。
「顔には早く帰りたいって書いてあるわ」
エラメーラに指摘され、平太は照れたように笑う。
「ばれましたか。シャドーフの件もありますからね。安全に暮らしたいと思ったら帰るのが一番です」
「さすがに世界を越えて追いかけることはできないからね」
「そういえば向こうに帰ったら能力はどうなるんでしょう。ほかに召喚された人はもともといた世界の魔法とかはこちらで使えなかったって聞きましたから、使えなくなるんでしょうか」
「わからない。そうとしか言えないわね。出身世界の法則次第」
「使えたら便利なんですけどね」
戦いの技術を早く習得できたように、技術を習得し経験から対処を学べれば就職に有利に働きそうだ。
召喚されて行方不明だったことで留年は確実だろう。そのせいで就職に不利に働きそうな部分を、スキルアップでチャラにできたらと考えている。
「そうね、様々なことに使えるでしょうし」
「ほかには各地の名産品を再現していつでも好きなときに食べられるのも魅力的ですね」
このまま使えたらいいのにと心底思う。
「故郷ってどういったところか詳しく聞いたことなかったわね、時間があるなら聞かせてもらっていい?」
「いいですけど、こちらほど刺激的じゃないですよ」
それでもいいからと言うエラメーラに、神のいない人の作った歴史を語り、昼を一緒に食べてから神殿の中庭で昼寝していたグラースを連れて神殿を出る。
このまま家に帰ろうかと思っていたが、パーシェにも伝えておこうと思い、ファイナンダ商店へと足を向ける。
店員に声をかけて、パーシェがいるか尋ねると頷かれ、店の奥に案内してもらえた。
応接室で少しばかり待ち、パーシェが部屋に入ってくる。
どこか覇気のない様子で、体の調子が悪いのだろうかと平太は心配そうな視線を向ける。その視線の意味にパーシェは気づき、深呼吸して気持ちを切り替え小さく笑みを浮かべる。
「おはようございます。どのようなご用件でしょうか」
「おはようございます。調子が悪そうだったけど、都合が悪いなら帰ろうか?」
「いえ、大丈夫ですよ。風邪とかではないので……今日ここに来たのは帰還に関して話すためですか?」
後半を躊躇うかのように尋ねる。
「そうだけど、どうして知って?」
「少し前にミレアさんが来て、帰還のことを知らせてくれたのですよ。アキヤマ様は浮かれて伝えるのを忘れるかもしれないからと」
「あー」
納得した様子を見せる平太。昨日魔法完成を聞いた時点ではパーシェのことは頭になかったのだ。
「まあ、そんなわけで帰ることができるようになりました」
パーシェは寂しそうにおめでとございますと頭を下げた。
「帰らないでと言っても無理ですよね」
縋るような視線を受けて平太は若干申し訳なさを感じつつ頷く。
「好意を向けられているのはわかっているので、そう言われるかもと想像できていました。でも俺は帰りたいんです」
「私もその返答を想像できました。無理を言いました。故郷よりも私を取る、そう思わせられない時点で別れは当然のものでしたね」
パーシェも立ち位置から平太との恋愛を諦めていた部分がある。そこをクリアしないで、平太を留まらせようとするのは虫のいい話だと自覚がある。
別れが迫り、わかったことがある。別れたくないと思うほどに平太が好きなのだと。だから表に出さず決意したことがある。
なにかに納得したような意思を瞳を浮かばせて、パーシェは寂しさなどを消して、平太が見慣れた本物の笑みを浮かべた。
平太はその笑みを、別れを受け入れたが故のものと考えた。
「出発はいつになるのですか?」
「詳しいことはわからないけど、そう遠くないと思う」
「お見送りしたいので、出発日が決まったら知らせてもらえますか?」
「いいですよ」
用件は終わって、平太は家に帰る。
店の前まで見送ったパーシェは、なにかを考えながら店の中に戻り、店に置いてある品の目録を手に取った。
平太がエラメーラと話したその日うちに魔法発動に必要な材料は届けられた。
バイルドは地下室で魔法発動のための準備を整え、作動手順の確認や滞りなく発動できるかの実験も行う。その作業に三日かけた。
この三日で平太は知人に別れを挨拶をしてまわり、グラースとも思う存分遊ぶ。
本音をいえばグラースは連れて帰りたかったが、犬と言い張るには無理があり、連れて帰ると不自由させると簡単に想像できておいていくことにした。
そして帰還当日になる。
起きた平太はそばにいたグラースをなでて、召喚されたときに来ていた服を着て、部屋を出る。この世界で集めたほとんどの品物は持って帰らない。持って帰るのはロナにもらったマフラーやパーシェにもらったセーターといったプレゼントされたものだ。ほかのものはミレアに処分を頼んでいる。
いよいよだという興奮と知り合った者たちとの別れを寂しく思う気持ちが胸の中でごちゃませになっている。
「おはよう」
ミレアとロナが挨拶を返す。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「なかなか寝付けなかったよ」
「だろうね」
ここ数日そわそわしているところを見ていたロナは無理もないと頷く。
最後となる食事を三人と一頭でとる。バイルドは魔法陣に問題がないかの最終確認のため地下にいる。
噛みしめて味わった朝食を食べ終わり、平太はミレアに礼を言う。
「この一年間、美味しい料理をありがとう。ほかにも掃除洗濯ありがたかったです」
「お礼などいいのですよ。それが私の仕事なのですから」
微笑むミレアに、平太は笑みを返し、次にロナに視線を向ける。
「ロナも俺が知らないことを色々と教えてくれてありがとう、助かったよ」
「私が受けた恩に比べたらどうってことない。向こうに帰っても元気で」
言葉ではあっさりしたものだが、表情には寂しさが浮かんでいる。
そのロナにグラースのことをお願いする。世話することで寂しさが紛れたらと思ったのだ。
グラースにも別れは告げてあり、ロナたちのことは頼んでいる。その際、あっさりと頷いたことが妙に気になった。これだけ懐いてくれているグラースだからもっと別れを惜しむと思っていたのだ。
それに頭のいい子だから惜しんでも別れは避けられないと理解したのだろうと平太は考え納得する。
バイルドが呼びに来るまで三人でリビングで過ごし、バイルドが上がってくる前にパーシェがやってきた。
「おはようございます」
「おはよう」
椅子に座ったパーシェはポケットからハンカチを取り出す。それを広げるとペンダントが出てくる。
ペンダントを見て、ミレアがわずかに反応したが、それを隠しきりロナにも悟らせなかった。
ペンダントの紐部分は魔物の糸で作られていて、ペンダントトップは薄い金色の菱形の台座に五ミリほどの朱玉がはめ込まれている。
「無事を祈り作ったものです。親神がエラメーラ様なので、髪の色を台座に、目の色を宝石にあわせています。手作りで恥ずかしいのですが、どうぞお受け取りください」
「いいの?」
「ええ」
「ありがとう。手作りかー、シンプルでいいものだと思うよ」
そう言って平太が手に取ると、ミニサイズのエラメーラが姿を見せる。
「私をなぞらえているなら、守護の祈りも込めておきましょうか。私からも餞別」
エラメーラは朱玉に口づけして力を注ぐ。朱玉の大きさの関係上そこまで力を注ぐことはできなかったが、これからの生活の厄除けには役立つだろう。
「エラメーラ様もありがとうございます」
「たいしたことはしていないわ。あなたも私の大切な子だもの。遠くに行く子の無事を祈るのは当然よ」
一年ほどしか接していないのに、そこまで言ってくれたことが平太は嬉しく少し涙ぐむ。エラメーラと出会えてよかったと心の底から思えた。
加護をくれたエラメータと作ってくれたパーシェに感謝して、ペンダントを身に着ける。
人数を増やして雑談に興じ一時間ほど経過し、バイルドが呼びに来た。
その場にいる全員で地下室に移動する。明かりで照らされる部屋の床に、準備段階の魔法陣がほのかな光を放っている。
バイルドやミレアは研究や掃除でちょくちょく入っていたが、平太は召喚されて一度も地下室には入っていない。
召喚当時のことを思い出し、平太は懐かしそうに部屋を見回す。
「俺はどうすればいい?」
「魔法陣の中心に立つだけでよい」
「あいよ。魔法陣は踏まない方がいいのか?」
「いや陣の上を歩く程度なら問題ない」
ふーんと頷いて平太は魔法陣の中央に立つ。
「では始めるぞ」
皆の注目を受けながらバイルドはしゃがんで陣に手を置いた。陣に力を注ぎながらポケットから小瓶を取り出す。その中には粉のようなものが入っている。コルクを外して、粉を陣の上にばらまく。粉はそのまま床に落ちず、ふわふわと床の少し上を漂う。
「送還の魔法を発動する」
バイルドが宣言し、平太は手を振って最後の挨拶とする。
バイルドは粉に着火するように、人差し指に紫色の火を灯す。その火はすぐに粉に燃え移って、平太を包む。
火が消えると同時に平太の姿もなくなっていた。
平太の帰還を確認して、ほっとした様子のエラメーラも消えた。
「帰ってしまいました」
そう漏らし、寂しさを隠さずにパーシェは陣をじっと見つめる。
ロナとグラースも似たようなもので、動こうとせず陣を見ている。
バイルドは無事魔法が発動した陣の痕跡を興奮して調べている。
ミレアは消えた平太に一礼し、声に出さず口を動かす。なにを言ったのかわかるのはミレアとグラースだろう。
力の欠片を消して意識を本体に戻したエラメーラは、大神から渡された手紙を開く。
内容を読み進め、表情が驚きから思案げなものへと変わる。
手紙を丁寧に閉じて、封筒に戻したエラメーラは溜息を吐いた。
「ヘイタにとっていい知らせではないわね。でもどうしてこのようなことを……訪ねて直接問いかければ答えてもらえるのかしら」
◆
紫の炎に包まれ驚きに目を閉じた平太が目を開けると、そこは見慣れたリビングだった。電灯に電話にテレビと地球文明の代物が並ぶ。空気はひんやりとしていて、召喚されたときの季節からずれているとわかる。
帰ってこれたのだと喜びの声を上げようとした平太は、先に声をかけられて歓声が出る前に止まる。
「平太、あんた今?」
「母さん?」
驚き表情で母親が平太を指差している。
「えっとただいま?」
驚いているということは平太が急に出現したところを見ていたのだろう。それについてどう説明しようか迷いながら、とりあえずそう言う。
「どこに行ってたのっこの馬鹿息子!」
母親の言葉は怒ったものだが、表情は喜びと驚きで、目には涙も浮かんでいる。
そのまま抱き着き、平太がたしかにここにいるのだと確かめる。
一分ほどそうしてから母親は平太から離れる。流れていた涙をティッシュでふいて平太を見る。
「あんた本当にどこ行っていたの?」
「説明が難しいんだけど」
「さっきの現れ方に関係している?」
「うん。俺ってどれくらい行方不明になってた?」
気温から一週間や一ヶ月ではないだろうと思いつつ聞く。年単位で行方不明になっていやしないかと不安もある。
「いなくなってから四ヶ月はたってないわね。今は十一月よ」
「ずいぶんずれたな」
「それであんたはどこでなにをしていたの? 警察の調べでも移動の痕跡が全くないって結果だったのよ」
警察が動いたと知り、「げっ」と小さく呻く。
「警察沙汰にまでなってたんだ。いやまあ当然か、置手紙とかなく行方不明だもんなぁ」
「最初の数日は携帯を忘れて旅行に行ったと思ったわ。でも十日過ぎてもなんの音沙汰もないから、心配になって警察に連絡を入れたわ。近所の監視カメラにあんたが出かけている様子が映ってないか調べてもらって、まったく情報がなくて大騒ぎよ。なにか手がかりないか霊能力者を呼んで調べてもらったりもしたのよ」
「その人はなんて言ってた?」
「詳しいことはわからないけど、家から出ずに突然消えたってさ」
「へーその人本物なのかもね。さっきも言ったけど嘘みたいな話だよ。異世界に召喚されたんだ」
「……なに言ってるの? 出ていた先で危険な薬でも使われた?」
信じない母親に、当然の反応だなと平太は苦笑を向けた。
異常に巻き込まれていたという、なにか証拠になるものがないか考え、能力が使えるか試してみる。
手のひらに朝食で出た丸パンを出してみようと能力を使う。
体内の力が動き、手のひらにパンが現れる。そして十秒ほどで消えた。
「こっちでも使えるけど、かなり制限されるみたいだ」
「あ、あんたなにしたの?」
「さらわれた先で得た特殊能力を使ってみた。これで通常じゃありえない、おかしなことに巻き込まれていたってことはわかってもらえるでしょ」
頭が痛そうにこめかみを押さえる母親。
「行方不明になったと思ったら、いきなり現れるし、おかしなことはできるようになってるし、なんなのよもうっ」
否定したいが、直接目で見たことなのでそれも難しく、常識と非常識が脳内でせめぎ合う。
顔色の悪い母親をソファーに座らせて、平太はコップに水を入れ、母親の前に置く。
「薬も飲む?」
「……いやいいわ」
水をいっきに飲み干して、一息つく。
「あなたがどこでなにをしていたのか聞きたいけど、私一人だと受け入れるの難しそうだし、お父さんと一緒に聞くことにするわ」
「人数増やしても意味がないような?」
「気分の問題よ。お父さんに寄り道しないように連絡しないとね」
気分の問題とちゃかしたものの、言葉に嘘はない。
落ち着いて息子を見てみると、数ヶ月前とは体格が少し違うし、まとう雰囲気も違うのだ。以前はごくふつうの大学生だったが、今はどこか自分たちのいる世界とはずれたところに身を置いているようにも感じられる。
人を斬ったことのある者が一般人と同じ立ち位置にいるかと言われれば答えはNOだ。
そんな危なっかしい雰囲気を親としての勘で察したのだ。一人で話を聞いて受け入れられそうにないという言葉に嘘はないのだ。
「じゃあ別の話を。大学ってどうなってる?」
「休学届を出しているわよ。今から行っても勉強についていけないでしょうから、留年して新一年生と一緒に最初から授業を受けることね。それとも遅れた分を猛勉強して取り戻す?」
母親としてはいなかった間に起きたことの疲れを数ヶ月かけて癒してほしいと思っている。そうすれば今の雰囲気も落ち着くかもしれないと考えた。
「だいたい二ヶ月遅れくらいだっけ。あっ出席日数が足りてなさそうだから頑張っても意味がない?」
「とりあえずバイトでもしてお金貯めるのもいいかもしれないわね。そのお金で免許を取るのもいいし」
「そうしようかな」
一時間ほど平太は留守の間にあったことを聞き、自室に向かう。
そこで能力について検証し、ついでに身体能力についても向こうのままなのか調べていく。
再現の性能はがくんと落ちているが、全体的に落ちているわけではなかった。体外での再現と体内での再現で差があったのだ。
体外での再現だと九割以上性能が落ちていたが、体内では八割前後に緩和されている。技術や経験といった体内再現は時間にして二十分ほど続いた。
あとわかったことは再現回数までは制限を受けていないということだ。むしろ一回増えていた。異世界からの帰還ということで、地球に帰ってくる直前に成長していたのだった。この成長がなければ、再現の性能はもう少し落ちていたかもしれない。
身体能力の方も制限されているが、それでも成人男性を軽く上回る程度には鍛えられている。
「ボクシングとかマラソンとかスポーツ関連にいったらいい成績残せそう」
進路をそちらにしてみるのも面白そうと思いつつ、部屋でできる鍛練を始める。やろうと意識したわけではなく、自然と鍛練を始めていた。ほぼ毎日鍛練をしていたので、鍛練することが当たり前になっているのだ。
平太が鍛練している間に、母親は父親に電話しており、早退するという話になっていた。
そうして急いで仕事を片づけ夕方前に帰ってきた父親と平太は再会し、父親もまた雰囲気の違いを感じ取った。
そろった両親に、平太はエラメルトに召喚されて経験したことを話していく。
両親にとってはやはり信じがたい話で、人を斬ったこともあるという話に顔を歪め、母親はそこでギブアップした。
「母さん大丈夫だった?」
父親に連れられて寝室に行った母親の様子を聞く。
「まあ、大丈夫とはいえんなぁ。お前が経験してきたことが日常とはかけ離れすぎているからな。そっちではそれが当たり前でも、こちらではやはり異常なんだよ」
「そうだよね。行ったばかりの頃はおかしく思ってたけど、過ごすうちに向こうの常識に染まっていってたんだろうね。普通は人を斬った話なんかするもんじゃないし」
人斬りの話はしない方がいいかなという思いはあった。だが全部聞かせてくれということだったので、それならばと話したのだ。
正直、悪人を斬ったんだから問題ないんじゃないかという軽い考えがあり、母親の反応で平太自身も日本常識とのずれを突きつけられた。
「向こうの常識になじまないと苦労することになったんだろうから、お前が悪いわけじゃないとは思うんだがな。父さんにとっても正直きつい話だった」
「そっか」
「今後は向こうの常識を表に出さないようにしないとな。できるか?」
「わからないよ。さすがにむやみやたらに暴力をふるったりはしないけど、そういったこと以外のなにげないものは仕草で出るだろうし」
「無意識にでるものはどうしようもないよなぁ」
二人は話し合い、今後気を付けて生活するということにして、それでも母親がきつそうなら一時的に一人暮らしして少し距離を置くようにすると結論を出す。
一人暮らししている間に、日本の常識感覚に戻ればまた一緒に生活できるだろという考えだった。
「せっかく帰ってこれたのに、追い出すような話になってすまないな」
やや落ち込んだ様子の平太に詫びる。
平太は気にするなと元気なく首を振った。
「まあ仕方ないよ。働き出せば一人暮らしすることになったかもしれないから、その予行練習だって考えとく」
「それがいい。さて辛気臭い話は終わりだ、腹減ったな、母さんは夕食作れないだろうし、帰還祝いに寿司でも食べにいくか?」
「うん、行く」
父親は母親にも行くか聞き、そのまま寝ているということだったので、平太と二人で家を出た。
数日家族と一緒に過ごした平太は母親の負担になっていると考え、一人暮らしを決めた。
母親もすまなそうだったが、一緒にいるとどうしても意識してしまいストレスを溜めることになったのだ。
そうして家を出た平太は、近所のアパートを借りて大学を再開するまでバイトに励むことになる。
母親の反応から見て、友人とも会わない方がいいかもしれないと思った平太は連絡は取らずにバイト先で新たな人間関係を築く。
能力を使って仕事を学んだため物覚えはよく、体力的にも余裕があり、よく働いたので評判はよかった。
日本の常識感覚も取り戻し、母親に負担をかけることもなくなって、順調に私生活や大学生活を送る。
そんなそろそろ大学生活二度目の夏休みを迎えようとしたある日、平太は再び地球から姿を消すことになる。
◆
バイルドの家の地下室、そこにバイルドとミレアとロナとパーシェとグラースと小さなエラメーラ、そして五才手前の幼女がいる。
バイルドとミレアとパーシェに変化は感じられないが、ロナはやや変化が見てとれる。平太と出会った頃ロナは表情が乏しかったが、今のロナは以前よりも硬さがとれ少し大人びて見える。
バイルドは魔法陣を発動させる準備をしていて、他の者たちはその様子を見守っている。
幼女はバイルドの作業をニコニコとしながら近くで見ていて、バイルドはたまに幼女の頭を撫でて作業を進めていく。
「よし、あとは作動させるだけじゃ」
「もうすぐ? おじいちゃん」
「うむ、もう少しだけ待ってておくれミナ」
表情柔らかくミナと呼んだ幼女にバイルドは言う。ミナは笑顔で頷き、ロナへと顔を向ける。
「もうすぐだってママ!」
「ええ、そうね」
ママと呼ばれたロナは笑みをミナに返す。
「たのしみだなー、もうすぐパパが帰ってくるんだ!」
明るいミナとは対照的にロナは少し困った様子を見せ、ミレアとパーシェに助けを求めるような視線を向ける。
それに二人は小さく笑いながら首を横に振る。諦めなさいという無言のメッセージが読み取れて、ロナは肩を落とす。
「エラメーラ様、準備整いました。本当にやってよろしいのですな?」
「ええ、お願い」
エラメーラからの許可も得てバイルドは再度召喚を行えることを喜びながら魔法陣を発動させる。
誰もが魔法陣に期待の視線を送る中、発動し終えた魔法陣の上には誰もいなかった。




